奇妙な邂逅

文字数 5,390文字

 王都南西に位置するスラム街。
 佐久間はふらふらとした足取りで路地を彷徨っていた。
 全身各所の出血と銃創は言うに及ばず、肉が焼け焦げて骨や筋肉が露出した箇所が目立つ。
 おそらくは魔術攻撃によるダメージだろう。
 手足には刃物で貫かれたような穴が開いており、腹部は破れて臓腑が見え隠れしていた。
 どれも三十分前に処刑会場で受けた傷だ。
 壁伝いに歩きながら、佐久間は自嘲気味に呟く。

「案外、死なないものだな」

 沼で身体機能の制限を捨てたおかげで、佐久間の生命力は並外れたものとなっていた。
 常人ならばとっくの昔に死んでいそうな負傷にも耐え、緩やかな速度ながらも再生しつつある。
 それでもさすがに無理をし過ぎたのか、動きはかなり鈍い。
 いくら怪物になったとは言え、生物であることは変わらないのだ。
 疲弊する肉体は食事と休息を要していた。

(さて、この後は一体どうすればいいのか……)

 落ち着ける場所を探す傍ら、佐久間は内心で考える。
 感情に身を任せた結果、処刑だけは免れた。
 ただ、今後の具体的な行動は曖昧なままである。
 国王に対して威勢よく殺害宣言をしたが、佐久間とてすぐさま城に乗り込むつもりはなかった。
 いくら強くなったと言っても、相手は軍勢を有する。
 佐久間自身も万全のコンディションとは程遠い。
 数の暴力で対抗されると、消耗して殺される危険があった。
 だからこそ、今は撤退するのだ。

 幸いにも佐久間の肉体は進化し続ける。
 受けたダメージすらも糧に、際限なく学習と成長を繰り返すのだ。
 焦らずともいつかは軍勢を殺し尽くせるだけの力が手に入る、と彼の直感は囁く。
 文字通り一騎当千の可能性が眠っていた。
 代償として深い絶望を味わう羽目になったが。

 よろめく佐久間は一軒の大きな洋館に辿り着いた。
 廃墟のような建物が並ぶスラム街の中でも、ここだけがやけに手入れが行き届いている。
 佐久間は誘われるようにして洋館正面の扉の前に立ち、軽くノックをした。
 無言で待つこと十数秒。
 扉が僅かに開き、隙間から二つの目が覗く。
 うっすらと見える顔つきからして男だろうか。
 二つの目は低い声音で佐久間に問う。

「何の用だ」

「ここで少し休ませてもらえるかな。それと、食事も出ると嬉しい。生憎と一文無しだが、礼はするさ」

 佐久間は血塗れの微笑で答える。
 それは本心からの要望だった。
 彼としても、傷だらけで治安の悪い路地を徘徊したくないのである。

「ふむ……」

 男はじっと佐久間のことを凝視し、やがてどこかへ消える。
 訪れる沈黙。
 佐久間はその場で大人しく待つことにする。
 しばらくすると男は戻ってきた。
 ただし、扉の隙間からは決して出てこない。
 相当に用心深い性格なのだろうか。
 首を傾げて佐久間は尋ねる。

「それで、答えは?」

 返ってきたのは、ナイフの一刺しだった。
 刃が佐久間の胸部を捉えて深々と抉る。
 汚れたシャツにじわりと血が滲んだ。
 位置的に心臓が破壊されたのは確かだろう。
 不意の衝撃に倒れる佐久間。
 地面に後頭部をしたたかに打ち付ける。
 その様を見下ろす扉の隙間の男は、ナイフを振りながら言った。

「馬鹿かてめぇは! 見知らぬ人間を招き入れる人間がスラム街にいると思ったのか? それにお前の恰好! 血だらけじゃねぇか! どうせイカれた殺人者なんだろう? つまり、これは正当防衛だッ」

「なるほど。貴重なアドバイスをありがとう」

 罵倒を聞き流しつつ、佐久間は跳ね起きた。
 その勢いのままに扉に接近し、驚愕する男の手をナイフごと掴んで握り潰す。
 小枝をまとめて折ったかのような音が鳴り響き、裂けた肉から骨が飛び出した。

「いぎゃああえぇぇぇっ!」

 絶叫する男の手がみるみるうちに変形していく。
 五本の指はあっという間に磨り潰されて千切れた。
 手の甲が複雑に陥没し、強引に折り畳まれる。
 男は必死に腕を引き戻そうとしているが、佐久間の握力がそれを許さなかった。
 悲鳴はやがてすすり泣くようなか細い声になる。
 佐久間がようやく離した時、男の手は肉と骨とナイフの柄が一緒くたになってよく分からない状態になっていた。
 無残な手を労わりながら、男はその場に崩れ落ちる。
 先ほどまでの威勢や迫力は鳴りを潜め、今は佐久間への恐怖だけがあった。

「ひいぃぃ、なっ、なんで……!」

「いや、何もしてないのに刺されたら、これくらいの仕返しはするさ。まあ、殺されなかっただけ幸運だったと思っておくといい」

 そう言って佐久間は半開きだった扉を軽く蹴る。
 蝶番があっけなく割れ、金属製の錠が大きく窪んで外れた。
 呻く男を跨いで室内に踏み込むと、佐久間は意外そうに目を細める。
 そこには異様な光景が広がっていた。

 四方八方から向けられる敵意。
 吹き抜けになった広い玄関には無数の人間がおり、佐久間の挙動を警戒していた。
 大半が剣や槍で武装しており、中には拳銃を構える者もいる。
 騒ぎを聞き付けて迎撃の準備をしたのだろう。
 距離は一番近い者だと五メートルほどで、まさに一触即発といった様相を見せていた。
 足を止めた佐久間は、肩を竦めて嘆息する。

「やけに豪華な歓迎だな……ただ、遠慮せずに叩き潰せそうで安心したよ」

 軽薄な笑みを浮かべながら、佐久間は唇を舐める。
 佐久間を包囲する人間の中に首輪を付けた者が混ざっていた。
 身なりも貧相で、手足には生々しい青痣や出血跡がある。
 何かの作業中だったのか、工具や荷物を持つ者が多かった。
 陰鬱な表情には怯えが走り、早くこの場から離れたそうにしている。

 彼らは奴隷だった。
 この館で飼われ、労働を強いられているのだろう。
 一様に光を失った目をしており、如何に劣悪な生活を送っているのかが窺える。
 佐久間は顎を撫でて考えた。

 怪しげなスラム街に大勢で居を構え、豊富な武器を所持し、さらに多数の奴隷を酷使している。
 この館の人間が相当な悪党揃いなのは、想像に難くない。
 それだけ分かれば十分であった。
 佐久間はゴキゴキと指の骨を鳴らして言う。

「ちょうどいい。お前らを皆殺しにする。不条理を思い知れ」

 言い切った瞬間、佐久間は近くの男に猛然と跳びかかった。
 振り下ろされた剣戟を平然と肩で受け止め、反撃に手刀を繰り出す。
 男の首が宙を舞った。
 晒された断面から鮮血が迸り、佐久間の顔を濡らす。

「鎖骨が折れたな」

 佐久間は呑気にぼやきつつ、死体の横を駆け抜ける。
 ここに来て我に返った者たちが発砲したが、銃弾が佐久間を捉えることはなかった。
 地を這うようにして走る佐久間は、再装填にもたつく坊主頭の男に目を付ける。

「隙だらけだ」

「うわわっ」

 佐久間は慌てる坊主頭に鋭いフックを放つ。
 抉り込むように捻った拳はがら空きの腹部を突き破り、肋骨を砕いて内臓を滅茶苦茶に掻き混ぜながら背中まで貫通した。
 引き抜いた腕は赤黒く染まり、千切れた内臓の一部が絡み付いている。
 坊主頭は血反吐をぶちまけ、その場に倒れ伏して息絶えた。

 佐久間が次の獲物を選ぼうとした時、背後で殺気が膨れ上がる。
 反射的に床を転がると、顔のすぐそばに斧が打ち込まれた。
 素早く起き上がって体勢を整える。
 正面に屈強な体格をした斧持ちの男がいた。
 男は斧を頭上に掲げて襲いかかってくる。

「この野郎ッ」

「おっと」

 豪快な斬撃をひらりと躱し、佐久間は斧持ちの男の首を掴んで放り投げた。
 凄まじい速度で飛んだ男は数人の仲間を巻き込んで壁に激突し、不気味な肉団子のようなオブジェと化する。

「さぁて、まだまだこれから――」

 さらなる犠牲を生もうとした佐久間の胸が小さく弾けた。
 小さな穴が開いて、どろりと血液が垂れる。
 吹き抜けの二階から狙撃されたのだ。
 近接武器を持った者たちは、いつの間にか射線を遮らない位置まで下がっていた。
 被弾の衝撃で硬直した佐久間に次々と弾丸が命中していく。
 高級そうな絨毯に広がる血溜まり。
 館の者たちは勝利を確信した。
 そんな彼らの希望を打ち砕くように、佐久間は余裕の微笑を見せる。

「甘い甘い。もう慣れたよ」

 佐久間は新たな銃創から血を流しながら、恐ろしい速度で突進した。
 満身創痍とは思えないほど苛烈な動きである。
 気を緩めていた短髪の男が飛び蹴りで顔面を粉砕され、隣にいた小柄な女は首を捩じ切られる。
 尻餅を突いた頬傷の男が肘打ちを受けて肋骨が肺と心臓に突き刺さり、パニック状態で喚く猫耳の女は喉の肉と気管を毟り取られた。
 些細な反撃が佐久間の肉体を傷付けるが、やはり止めることは叶わない。
 佐久間は驚異的な能力を存分に発揮して死体を築き上げていく。

 目に見える範囲の敵を殺し尽くした佐久間は、冷めた眼差しで辺りを眺めた。
 むせ返るような血の臭い漂う玄関は、無機質な沈黙が保たれている。
 二階から銃撃してきた者や武器を持たない奴隷は館の奥へ逃げ出したらしい。
 取り残された佐久間は、ぼさぼさの髪を掻き上げて呟く。

「さっさと片付けて休むか」

 べちゃべちゃと血の足跡を付けて螺旋階段を上る姿には、単純作業に対する億劫さが滲み出ていた。
 まるで殺し飽きたとでも言いたげである。
 少なくとも、自身の行為に憂いは感じていないのだろう。
 もはや以前の面影は皆無に等しかった。
 負債が生んだ殺人鬼は、淡々と獲物を追い詰める。

 気乗りしない言動とは裏腹に、佐久間はハイペースに蹂躙を進めていった。
 部屋を順に調べ回り、逃げ惑う館の住人たちを素手で殺しまくる。
 振り下ろされた拳が頭蓋と脳味噌を吹き飛ばし、強烈な前蹴りが壁ごと胴体をぶち抜き、一閃された手刀がタンスや本棚を切り裂きながら首を刎ね、突き込まれた指が恐怖に歪む眼球を抉り、躊躇いのない踏み付けが人体を貫いて床に大穴を開けた。
 館内はどこもかしこも赤く染まり、肉片や骨片や千切れた手足が転がっている。

 およそ十五分後。
 全身血みどろの佐久間は、何でもないような顔で玄関まで戻ってきた。
 彼は二階の吹き抜けから出入り口を見下ろすと、無言で目を細める。
 そこには、奴隷たちと館の使用人らしき男女が寄り添って震えていた。
 これだけ殺しまくった佐久間だが、敵対しなかった者には手を出さなかったのである。
 人数が妙に少ないのは、どさくさに紛れて既に逃げ出した者がいるためだろう。
 残った者は周囲の死体を見て口元を押さえていたり、青ざめた顔で呆然としている。
 佐久間は面倒臭そうに奴隷と使用人に告げた。

「悪いが出て行ってくれ。さもなければ命は保証しない。それと騎士への通報は控えるように。こちらも難儀な身でね」

 奴隷と使用人は蜘蛛の子を散らすように館の出入り口に殺到する。
 我先にと押し合いながら、彼らは屋外へと逃げ出した。
 最初に佐久間の応対をした男が踏み殺される。
 足音はすぐに遠ざかっていった。
 溜め息を吐いた佐久間は踵を返そうとして、止まる。
 玄関ホールに、まだ一人だけ残っていた者がいたのだ。

 それは二十代前半くらいの女だった。
 女性にしてはやや長身で、端正かつ儚げな顔立ちである。
 丈の長い紺色のワンピースの上からフリルの施された白いエプロンを身に纏っていた。
 肩で切り揃えた髪は暗紅色で、同じく白いフリルのカチューシャを着けている。
 肌の露出の少ない、シックなメイド服だ。
 彼女は不安そうな面持ちでぽつんと佇んでいる。

 佐久間は怪訝そうに女を観察した。
 女からは敵意を感じられず、何をするということもない。
 落ち着きなくオロオロしているだけであった。
 さすがに無視するわけにもいかないので、佐久間は女に尋ねる。

「警告が聞こえなかったのか? 早く出ていけ」

「でも、旦那様がお部屋の掃除をしろとおっしゃったのです」

 女はメイド服の裾を掴みながら答えた。
 現状が理解できているのか、非常に怪しい反応である。
 佐久間は億劫そうに質問を重ねた。

「その旦那様というのはどこにいるんだ」

 女は玄関ホールの一角を指差す。

「あそこにいます」

 そこには倒れた柱時計の下敷きになった男がいた。
 うつ伏せで顔は窺えないが、後頭部が割れて脳漿を零している。
 男はぴくりとも動かなかった。
 言うまでもなく死んでいる。

「こいつ……」

 佐久間は何とも言えない表情で女を見下ろした。
 向けられる視線をどう解釈したのか、女はメイド服の皺や髪の乱れを気にし始める。
 死体に囲まれて小首を傾げる姿は異質さだけが際立っていた。
 少し考えた末、佐久間は問いかける。

「お前の名前は?」

 メイド服の女は急に姿勢を正すと、台本でも読んでいるかのような調子で答えた。

「私の名前はマリーシェです。よろしくお願いします」
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