変わり者のメイド
文字数 2,432文字
死体の散乱する館一階の廊下。
佐久間はマリーシェの手を引いて歩いていた。
時折、控え気味な声で「お部屋の掃除が……」などと抗議されるが、全くお構いなしである。
佐久間が足を止めたのは、血みどろの館内の中でも比較的綺麗な部屋だった。
ローテーブルを挟んでソファが置いてあり、面を向かって会話できるようになっている。
元は応接間として使われていたのかもしれない。
佐久間は片方のソファに腰かけると、マリーシェを向かい側に促した。
マリーシェは一礼してから座り、開口一番に言う。
「あの、私はお部屋の掃除をしなくてはいけないのです」
「旦那様とやらは死んだ。律儀に従う道理はないだろう」
佐久間の指摘に対し、マリーシェは難しい顔をした。
「では、私はどうしたらいいのでしょう。指示を貰わないと何もできません……」
マリーシェは心底困り果てたように俯いた。
机の上にあった茶菓子を齧りながら、佐久間は言葉を返す。
「どうするも何も、他の奴らと同じように出て行けばいい話だ。必要な荷物があるのなら、それを用意してからでもいい」
佐久間としてはさっさと独りになって休息を取りたかった。
殺戮の過程で肉体は余計に傷付き、服もボロボロで血に汚れている。
こうしている間にも、国王の追手が現れるかもしれない。
それでも手っ取り早く目の前のメイドを殺さないのは、最低限の理性が残っているためか。
この世の絶望を味わいながらも、佐久間はまだ非情になり切れなかった。
諸々の事情も知らず、マリーシェはさらに疑問を投げる。
「出て行った後はどうすればいいのですか? 旦那様からまだご指示を受けていません。それに、まだお部屋の掃除が終わっていません」
「…………」
佐久間は黙り込み、ソファにどっかと背を預ける。
吐き出されるのは溜め息。
噛み合わないやり取りに疲れたのだ。
薄々勘付いていたものの、マリーシェは相当な変わり者らしい。
些細な仕草や雰囲気から外見よりも幼い印象を受けた。
佐久間はしばらく悩み、ふと妙案を閃く。
(この性格……利用した方がいいか)
強情なマリーシェを言葉で従わせる方法。
下手に脅したところで意味はあるまい。
ならば、彼女の主張を上手く活かすまでだった。
考えのまとまった佐久間は平然と言う。
「実は、旦那様からお前の世話をしろと言われた。今日から俺が新しい旦那様だ。俺の命令に従えばいい」
証拠もなければ根拠もない稚拙な嘘であった。
普通ならまず騙せないだろう。
しかし、マリーシェの場合は違った。
彼女はきょとんとした顔をした後、深々と頭を下げる。
「新しい旦那様……初めまして、私の名前はマリーシェです。よろしくお願いします。ところで、お部屋の掃除はいつ始めればいいでしょうか」
マリーシェは驚くほど簡単に信じ込んでしまった。
疑うことを知らぬ双眸でじっと佐久間を見つめている。
新たな主人からの指示を待っているのか。
幼子にすら劣る用心深さだった。
これにはさすがの佐久間も苦々しい表情になる。
成功する見込みがあってのハッタリだったが、ここまでとんとん拍子に進むとは思っていなかったのだ。
おかげで用意していた出任せも使わずじまいになった。
とはいえ、希望通りに展開には違いない。
佐久間は気まずそうに頬を掻く。
(とりあえず従わせることには成功した。あとは出て行けと命令すれば――いや、待て)
考えを実行に移す寸前、佐久間は思い直す。
マリーシェを追い出す方法ばかりを模索していたが、それよりも彼女を手元に置く方が有益ではないかと気付いたのだ。
数度の会話を経て、マリーシェに敵意がないのは判明している。
言動から頭の弱さが目立つものの、致命的なほどではない。
なにより、この世界には佐久間の味方がいなかった。
負債の勇者だと人々に罵られたのは記憶に新しい。
加えて現在は騎士を殺しまくったことで怪物の烙印も押されている。
そして、唯一の支えであった幼馴染の翼は沼に沈んだ。
目の前のマリーシェのように、物怖じずに会話ができる人間は珍しい状態である。
(なんとかしてこの女を同行させるべきか……)
今後、何をするにしても協力者がいると都合が良い。
負債持ちの佐久間は現金の所持が許されず、簡単な買い物すら満足にできないのだから。
故にマリーシェのような存在は貴重であった。
どこまでも過酷なこの世界において、彼女ほど無害で従順な人間はそう見つかるまい。
今更ながらにその事実を悟った佐久間は、頭を下げて頼む。
「さっきは何度も出て行けと言ってすまなかった。もしよかったら、俺の助けになってくれないか?」
「旦那様のご命令であれば、私はどこまでも付き従います」
即答したマリーシェは淡い微笑を浮かべた。
向けられるのは真摯な視線。
そこに嘘や偽り、醜い打算などは感じられず、言葉通りの意志が汲み取れた。
久々に人の優しさに触れた佐久間は、温かな気持ちになると同時に深い自己嫌悪を覚える。
(我ながら嫌になるな。人を殺したり騙さなければ生きられなくなったのか……)
滲み出た黒い感情はしかし、すぐに脳の片隅へと追いやられる。
今はダラダラと自己嫌悪する時間すら惜しい。
後悔を糧に前へ進む方が得だ、というのが佐久間の心理であった。
この辺りの切り替えの早さや精神の強さも、沼によって生じた恩恵なのだろう。
気を取り直した佐久間は、マリーシェに尋ねる。
「休息を取った後にこの館を去る。お前にも付いてきてもらうが、その前にしておきたいことはあるか?」
マリーシェはこくりと頷くと、迷いなく言った。
「元旦那様からのご指示がありますので、お部屋の掃除がしたいです」
佐久間はマリーシェの手を引いて歩いていた。
時折、控え気味な声で「お部屋の掃除が……」などと抗議されるが、全くお構いなしである。
佐久間が足を止めたのは、血みどろの館内の中でも比較的綺麗な部屋だった。
ローテーブルを挟んでソファが置いてあり、面を向かって会話できるようになっている。
元は応接間として使われていたのかもしれない。
佐久間は片方のソファに腰かけると、マリーシェを向かい側に促した。
マリーシェは一礼してから座り、開口一番に言う。
「あの、私はお部屋の掃除をしなくてはいけないのです」
「旦那様とやらは死んだ。律儀に従う道理はないだろう」
佐久間の指摘に対し、マリーシェは難しい顔をした。
「では、私はどうしたらいいのでしょう。指示を貰わないと何もできません……」
マリーシェは心底困り果てたように俯いた。
机の上にあった茶菓子を齧りながら、佐久間は言葉を返す。
「どうするも何も、他の奴らと同じように出て行けばいい話だ。必要な荷物があるのなら、それを用意してからでもいい」
佐久間としてはさっさと独りになって休息を取りたかった。
殺戮の過程で肉体は余計に傷付き、服もボロボロで血に汚れている。
こうしている間にも、国王の追手が現れるかもしれない。
それでも手っ取り早く目の前のメイドを殺さないのは、最低限の理性が残っているためか。
この世の絶望を味わいながらも、佐久間はまだ非情になり切れなかった。
諸々の事情も知らず、マリーシェはさらに疑問を投げる。
「出て行った後はどうすればいいのですか? 旦那様からまだご指示を受けていません。それに、まだお部屋の掃除が終わっていません」
「…………」
佐久間は黙り込み、ソファにどっかと背を預ける。
吐き出されるのは溜め息。
噛み合わないやり取りに疲れたのだ。
薄々勘付いていたものの、マリーシェは相当な変わり者らしい。
些細な仕草や雰囲気から外見よりも幼い印象を受けた。
佐久間はしばらく悩み、ふと妙案を閃く。
(この性格……利用した方がいいか)
強情なマリーシェを言葉で従わせる方法。
下手に脅したところで意味はあるまい。
ならば、彼女の主張を上手く活かすまでだった。
考えのまとまった佐久間は平然と言う。
「実は、旦那様からお前の世話をしろと言われた。今日から俺が新しい旦那様だ。俺の命令に従えばいい」
証拠もなければ根拠もない稚拙な嘘であった。
普通ならまず騙せないだろう。
しかし、マリーシェの場合は違った。
彼女はきょとんとした顔をした後、深々と頭を下げる。
「新しい旦那様……初めまして、私の名前はマリーシェです。よろしくお願いします。ところで、お部屋の掃除はいつ始めればいいでしょうか」
マリーシェは驚くほど簡単に信じ込んでしまった。
疑うことを知らぬ双眸でじっと佐久間を見つめている。
新たな主人からの指示を待っているのか。
幼子にすら劣る用心深さだった。
これにはさすがの佐久間も苦々しい表情になる。
成功する見込みがあってのハッタリだったが、ここまでとんとん拍子に進むとは思っていなかったのだ。
おかげで用意していた出任せも使わずじまいになった。
とはいえ、希望通りに展開には違いない。
佐久間は気まずそうに頬を掻く。
(とりあえず従わせることには成功した。あとは出て行けと命令すれば――いや、待て)
考えを実行に移す寸前、佐久間は思い直す。
マリーシェを追い出す方法ばかりを模索していたが、それよりも彼女を手元に置く方が有益ではないかと気付いたのだ。
数度の会話を経て、マリーシェに敵意がないのは判明している。
言動から頭の弱さが目立つものの、致命的なほどではない。
なにより、この世界には佐久間の味方がいなかった。
負債の勇者だと人々に罵られたのは記憶に新しい。
加えて現在は騎士を殺しまくったことで怪物の烙印も押されている。
そして、唯一の支えであった幼馴染の翼は沼に沈んだ。
目の前のマリーシェのように、物怖じずに会話ができる人間は珍しい状態である。
(なんとかしてこの女を同行させるべきか……)
今後、何をするにしても協力者がいると都合が良い。
負債持ちの佐久間は現金の所持が許されず、簡単な買い物すら満足にできないのだから。
故にマリーシェのような存在は貴重であった。
どこまでも過酷なこの世界において、彼女ほど無害で従順な人間はそう見つかるまい。
今更ながらにその事実を悟った佐久間は、頭を下げて頼む。
「さっきは何度も出て行けと言ってすまなかった。もしよかったら、俺の助けになってくれないか?」
「旦那様のご命令であれば、私はどこまでも付き従います」
即答したマリーシェは淡い微笑を浮かべた。
向けられるのは真摯な視線。
そこに嘘や偽り、醜い打算などは感じられず、言葉通りの意志が汲み取れた。
久々に人の優しさに触れた佐久間は、温かな気持ちになると同時に深い自己嫌悪を覚える。
(我ながら嫌になるな。人を殺したり騙さなければ生きられなくなったのか……)
滲み出た黒い感情はしかし、すぐに脳の片隅へと追いやられる。
今はダラダラと自己嫌悪する時間すら惜しい。
後悔を糧に前へ進む方が得だ、というのが佐久間の心理であった。
この辺りの切り替えの早さや精神の強さも、沼によって生じた恩恵なのだろう。
気を取り直した佐久間は、マリーシェに尋ねる。
「休息を取った後にこの館を去る。お前にも付いてきてもらうが、その前にしておきたいことはあるか?」
マリーシェはこくりと頷くと、迷いなく言った。
「元旦那様からのご指示がありますので、お部屋の掃除がしたいです」