不測の作為

文字数 3,227文字

 洋館の二階の角にある広い部屋。
 その部屋の前に女冒険者ユアリアが立っていた。
 彼女は顎に指を当てて何かを思案している。

 室内には佐久間がおり、殺戮に向けての作業をしていた。
 標的はユアリアを追う組織だ。
 名前はクレイン商会。
 偶然にも佐久間がギルドマスターから貰った標的リストにも載っている。

 負債勇者との会話から数時間が経過していた。
 事態はユアリアにとって予想外の方向へ進んでいたが、彼女はあまり気にしないようにしている。
 どんな行動を取るにしろ、危険なことに変わりはないのだ。
 多少のアクシデントにも慣れている。
 このまま佐久間の力を借りるのが得策だろう、というのが彼女の結論であった。

 ユアリアは狡猾な女だ。
 彼女は人を惑わす魔性の才能を有しているのである。
 今までも様々な搦め手を駆使し、巨万の富を得てきた。

 金の匂いがする者にはさりげなく擦り寄り、いつの間にか旧来の友のように信頼させる。
 邪魔者は裏工作で容赦なく蹴落とした。
 権力者には言葉巧みに取り入り、甘い囁きで籠絡する。

 ユアリアは他者の心の動きに敏い。
 故に相手の心情を察し、適切な言葉を投げかけることができる。
 もちろん、自分の思うように操ることも難しくない。

 心理面の才能に優れたユアリアだが、戦闘能力も抜群に高かった。
 都合上、愛想と見せかけの言葉では切り抜けられない場面もあるからだ。
 これまでに蓄えてきた金を使って有用なスキルを購入し、正規の騎士すら圧倒する力を隠し持っていた。
 世界の法則が生み出した強者の典型と言える。
 ただし強いと言っても、常人という枠組みの埒外にいる怪物が相手では為す術もないだろうが。

 先ほど路地裏で追い詰められた時も、実は佐久間とマリーシェの助けがなくとも問題なかった。
 隙を突いて皆殺しにするつもりだったのだ。
 ユアリアにとっては朝飯前の行為であり、過去に何度も成功させてきた常套手段でもある。

 さらに彼女は、外見や声を自由に変えられる特殊なスキルまで習得していた。
 いざという時に過去の自分を捨てるための手段だ。
 即席の変装能力としても重宝している。
 現在の恰好もそのうちの一パターンに過ぎない。
 もはや彼女自身、元の見た目がどのようなものだったか覚えていなかった。

 歪み切ったユアリアの経歴だが、それに反して彼女の目的は単純明快である。
 底なしの財力を手にして他の追随を許さない強者として君臨すること。
 そのために複数の身分を作り、大陸中を回って自身の懐が潤うように画策しているのであった。

 涼しい笑みを顔に張り付けたユアリアは、目の前のドアをノックする。
 すぐに気さくな調子で声をかけた。

「アタシよ。入っていいかしら」

「好きにしろ」

 返ってきたのはぶっきらぼうな声。
 言葉に優しさはないものの、決して不機嫌というわけではないとユアリアは推測する。
 彼女は室内に踏み込んだ。

「ちょっと進捗が気になってねぇー。上手く行ってる?」

「順調だ。もうすぐ終わる」

 雑多なガラクタのようなものが散らばる室内。
 ソファに座る佐久間は、熱心に何かを作っている。
 それは金属と木材が混ざり合った棍棒だった。
 長さは身の丈と同程度はある。

 佐久間は手近に転がる金属片を掴むと、棍棒にくっ付けるようにして握り込んだ。
 金属片が嫌な音を立てて変形し、棍棒の一部と化する。
 握力によって無理やり合成していった結果、現在の形になったようだ。
 棍棒の細部を観察すれば、粗い繋ぎ目が確認できるだろう。
 ただし、よほど圧縮されているのか、脆そうな印象は全くない。

 部屋には他にも複数の凶器が散乱していた。
 柄が五十センチほどの無骨な斧。
 圧縮形成された鉄球付きの鎖。
 どこからか引き千切って補強したらしい鋼鉄製の扉。
 古い血痕の染み付いた鉈。
 指先に小型のナイフを仕込んだガントレット。

 どれも佐久間がこの洋館内で自作及び調達したものである。
 ユアリアを追うクレイン商会を壊滅させるための備えだ。
 使わない分はマリーシェの持つ魔道具のバックパックがあるので問題なく所持できる。
 これらがもたらす被害は相当なものとなるだろう。
 災厄の片鱗を見せつけられたユアリアは、苦笑気味に佐久間の対面のソファに腰を下ろす。

「そういえば、マリーシェちゃんが一階で固まってたけど大丈夫?」

 ユアリアが待機している間、マリーシェは同じ場所から一歩も動かずに佇んでいた。
 話しかけても要領を得ないずれた回答しか返ってこないので、ユアリアもやり取りを諦めたのである。
 人心を操る彼女でも、さすがに相手が悪かったようだ。
 質問を受けた佐久間は棍棒から目を離さずに言う。

「あぁ、放っておけばいい。万が一誰かが侵入しても、不審者は捕縛するよう指示してある」

 それなりに行動を共にしてきたので、佐久間もマリーシェの扱いに慣れてきた。
 彼女の実行力も信頼しており、欠片も心配していない。
 不必要に動かないのも平常運転である。

 やがて棍棒の作製が終わった佐久間がユアリアを真っ直ぐ見据えた。
 混沌とした狂気を抱える双眸。
 潤沢な財力を持つユアリアと対極に位置しながら、彼女が求めてやまない暴力を得た存在である。

 ユアリアは少なからず羨望や嫉妬や憧れを覚え、同時に心惹かれてしまった。
 世界最大の矛盾を孕んだ負債勇者。
 気にするなという方が難しい。
 きっとそれは、恋愛などの華やかな感情とは程遠い代物だろうが。

「準備が整った。夜に襲撃するから、あとは時間が経つのを待つだけだ」

「そう。じゃあ下で待ってるわ。夕食を作ろうと思うけど、何か希望があるかしら?」

「特にない」

 即答した佐久間は大きく息を吐いてソファに寝転んだ。
 殺戮までの猶予を体力回復に当てるつもりらしい。
 言外にこれ以上会話することはない、という意志表示だった。

 無理に居座って機嫌を損ねてしまうのもまずいのでユアリアは席を立つ。
 彼が真面目にクレイン商会の壊滅を画策していることは判明した。
 成功するかは定かではないものの、ユアリアには無関係な話である。
 負債勇者が敗れそうな場合は、すべてを彼に押し付けて逃げるだけなのだから。

 クレイン商会襲撃は、災厄の力を確かめる意味でちょうどいい機会だった。
 組織の末端を数人殺した程度では実力が計り切れない。
 やはり大規模な殺戮を起こしてもらうのが手っ取り早いだろう。
 ここで死ぬようならユアリアの見込み違いで、その程度の男だったということである。

(負債勇者――まあ、今夜の結果次第では仲良くなっておきたいわね……)

 佐久間に背中を見せるユアリアは冷淡な笑みを滲ませる。
 そんな彼女に向けて声がかかった。

「何を目論んでいるかは知らないが……俺に敵対した時点で殺す。決して忘れるな」

 ソファの佐久間が発した警告であった。
 彼は横になりながらも、退室するユアリアを凝視している。
 昏い狂気は発言が嘘でないことを物語っていた。
 宣言通りにユアリアを殺すことに関して、何の迷いも持っていないのだろう。

 ゆっくりと振り返ったユアリアは佐久間を見る。
 限界まで張り詰めた空気。
 沈黙を破ったのはユアリアだった。

「どうして、アタシが何かを企んでいると?」

 佐久間は億劫そうに座り直すと、がしがしと頭を掻く。
 深い溜め息は何に対する感情なのか。
 気だるげな様子の佐久間はユアリアに告げる。

「人間の悪意は腐るほど目にしてきた。それに加え、お前は狂った怪物に優しすぎるからね」

 虚ろな目の負債勇者は、自嘲気味に笑った。
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