闇夜の襲撃者

文字数 2,671文字

 午後の陽光を浴びる緑豊かな高原。
 佐久間とマリーシェは、街道に沿って移動を続けていた。
 冒険者ギルドで受けた翼竜討伐の依頼のためである。
 事前情報によれば、到着までまだ半日以上はかかるらしい。

 佐久間は血塗れの恰好だった。
 帝都門前で勃発した殺戮の名残である。
 洗う場所がなかったことに加え、どうせ汚れるだろうという考えでそのままにしてあった。

 マリーシェは仮面のような無表情で黙々と歩いている。
 背負ったリュックサックには長銃とその弾丸が新たに詰め込まれていた。
 騎士の死体から奪ったものだろう。
 狙撃能力に優れた長銃を得たマリーシェの実力は如何ほどか。
 佐久間は彼女を後方支援役として育てるつもりのようだ。

「退屈だな」

「そうですね」

 先ほどから中身のない会話だけが繰り返される。
 どちらも積極的に喋ろうとしないので、話題は長続きしなかった。
 ただ、不思議と息苦しさや気まずさはない。
 お互いにこの沈黙の多さを理解し、すんなりと受け入れている。

 変化が訪れたのは、草原に日暮れが訪れつつある頃だった。
 夕闇に紛れて前方から複数の黒い影が現れた。
 シルエットからして明らかに人間ではない。
 佐久間が耳を澄ますと、激しい息遣いも聞こえてきた。
 両者の距離はおよそ八十メートル。
 黒い影たちはかなりの速度で接近しつつある。

「野生動物……いや、違うな」

 佐久間は怪訝そうに首を傾げる。
 普通の獣とはなんとなく雰囲気が異なる気がした。
 それよりも獰猛かつ凶悪な力を感じる。

 とは言え、佐久間の対応には微塵も影響ない。
 どんな相手だろうとも、敵意を持って近付いてくるのなら叩き潰すのみである。
 それを実行できるだけの暴力を、彼は十分に有していた。
 佐久間は淡々とマリーシェに命じる。

「敵だ。皆殺しにするぞ」

「承知しました」

 距離が詰められるにつれ、黒い影の正体が明らかとなる。
 それは、体長二メートルを超える大型狼の群れだった。
 額には揃って尖った角が生え、鋭利な牙の並ぶ口内はパチパチと赤い光を明滅させる。
 何かが口の中で燃えているのだろうか。

 佐久間は知る由もないが、狼の群れは魔物と呼ばれる存在だった。
 野生動物から独自の進化を遂げた、完全なる上位互換として人々の間では認識されている。
 大抵が発達した知能を持っており、自在に魔術を扱う個体も珍しくない。
 最下層の魔物である小鬼のゴブリンですら、時に冒険者の脅威になり得るほどなのだ。

 無論、そういった事情を知らない佐久間の反応は薄い。
 彼は自身の体を見下ろして苦笑する。

「まったく、血の臭いに引き付けられたのかな」

 言い終えた瞬間、佐久間は狼の魔物に向けて突進した。
 数秒も持たずに消滅する両者の距離。
 狼の魔物たちは散開し、佐久間を包囲しようとする。
 逃げ道を絶ってから一斉に襲って食い殺すつもりのようだ。
 ただしそれは、この場においては悪手でしかない。
 魔物たちが獲物として選んだのは、人の形をした怪物なのだから。

 一匹の狼が先んじて佐久間に跳びかかった。
 大きく開かれた口は、彼の首元に噛み付こうとしている。
 佐久間は不敵に笑うと、ぺろりと唇を舐めた。

「うるさい動物は、しっかりと躾をしてやろう」

 身を翻して噛み付きを避けた佐久間は、背後から狼の頭部を掴んで引き寄せた。
 激しく抵抗する狼。
 しかし、佐久間の圧倒的な膂力には逆らえない。
 佐久間は狼の無理やり口を開けさせると、空いた片腕を捻じ込み始めた。
 真っ直ぐに伸ばした五本指がずぶずぶと沈んでいく。

「ほらほら、早く吐き出さないと大変なことになるぞー」

 佐久間は愉快そうに言う。
 口内に突き込まれた腕は肘辺りまで見えなくなっていた。
 仲間の狼たちが佐久間の全身に噛み付くものの、やはり効果は薄い。
 肉を食い千切ろうとも同じ結果だった。
 血みどろの殺人鬼は決して離さない。

 一方、捕まれた狼に異変が生じていた。
 限界まで開かれた口から甲高い鳴き声が漏れる。
 苦しみを訴えているのだろうか。
 無理な力がかかったせいで顎は外れ、喉は不自然に膨らんでいた。
 大きな目はぐるぐると忙しくなく動き、もがく手足は痙攣と脱力を繰り返す。
 それでも腕は容赦なく進んでいった。

 やがて佐久間は手を止める。
 腕は奥深くまで入り、肩口に狼の牙が刺さっている状態だった。
 佐久間の手が魔物の体内を無造作に漁る。
 そして、何かを掴んだ。

「お披露目タイムにしようか」

 佐久間が腕を一気に引き抜く。
 ぶちぶちと凄まじい音を立てて狼の顎が砕けて頬が裂けて牙が折れ飛んで鮮血が迸った。
 体外に晒された彼の手は、何やら赤黒いモノを掴んでいる。
 それは狼の破れた胃袋だった。
 口内に手を突っ込んだ佐久間が、力任せに引きずり出したのである。

 当の狼は悲鳴すら上げられずに痙攣していた。
 自慢の顎はあり得ない角度まで開き、手足もだらんと投げ出されたままだ。
 地面に打ち捨てられても身動きが取れずにいる。
 生命力に優れた魔物でも、これだけの損傷は致命的なのだろう。

 佐久間は満足気に狼の群れを見回すと、これみよがしに瀕死の一匹の首を踏み付けた。
 頸椎があっけなく折れて狼の魔物は絶命する。
 死体を軽く蹴った佐久間は、喉を鳴らしてカラカラと笑った。
 ただし、その双眸は狂気を宿して狼たちを凝視している。

 揺るぎなき捕食者と獲物の構図。
 狼の魔物たちは、それをようやく理解した。
 彼らが襲ったのは正真正銘の怪物なのだ、と。
 見せしめで始末された仲間の惨状が、隔絶した力の差を示す。

 生存本能に駆られた狼の群れは一目散に逃げ出した。
 そのうち二匹の頭部が破裂する。
 響いたのは乾いた銃声。
 佐久間の後方に立つマリーシェが、一挺の長銃を構えていた。
 彼女は相変わらず読めない表情で言う。

「皆殺しとの指示がありましたので攻撃しました。旦那様、よろしかったでしょうか」

 動きを止めて硬直した群れを見て、佐久間は口元を笑みに歪めた。

「上出来だ。残りも仕留めるぞ」

「承知しました」

 三分後、狼の魔物の群れは漏れなく始末された。
 彼らの肉は二人の夕食となったが、筋張っている上に硬すぎるので佐久間から大不評だったという。
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