食えない男達

文字数 4,133文字

 軽やかに後方へ跳躍した弓の男が攻撃を再開する。
 電光石火の勢いで矢が射られた。
 佐久間は天井から三階へと飛び移って避ける。
 矢が頬を掠めたが、負債勇者は表情を一つ変えない。

「おぉ、怖い怖い。ここまで近付かれちまったよ」

「その割には随分と余裕そうだな」

 おどける弓の男に対し、佐久間は冷ややかな眼差しを送る。
 両者の距離は五メートルほどしかなかった。
 肉弾戦を得意とする佐久間には恰好の間合いである。

 逆に弓の男にとってはやり辛いだろう。
 いくら速射ができると言っても、ここまで近いと佐久間に先制される可能性が高い。
 客観的に見れば、弓の男の劣勢は明らかであった。

 しかし、佐久間の表情は曇っている。
 理由はもちろん弓の男の態度だ。
 彼ほどの強者なら、現状の把握はできているに違いない。
 それにも関わらず依然として飄々とした様子なのだから油断ならない。

(何か、秘策でもあるのか……?)

 内心で疑いつつ、佐久間は足元にあった手摺の残骸を拾う。
 長さ一メートル弱の木製の棒。
 頼りない武器にも思えるが、佐久間が扱えば十分すぎる破壊力を発揮する。
 佐久間は腰を落として片手で木の棒を構えた。

 刹那の思考を挟み、佐久間は弓の男へと突進する。
 迷っていても仕方ない。
 ここまで追い詰めたのならば、あとは全力で叩き潰すだけなのだから。
 佐久間は弓の男の頭部に狙いを定める。

「ありゃざんねーん。外れだよっ」

 渾身の振り下ろしは空を切る。
 紙一重で身を躱した弓の男はおどけてみせた。
 まだまだ余裕らしい。
 佐久間は二撃目、三撃目と殴打を試みるが、やはり回避或いは弓そのもので上手く受け流される。
 超人的な動体視力と戦闘技術の為せる技であった。

「チッ……」

 忌々しげに舌打ちをした佐久間は、続けざまに回し蹴りを放つ。
 血みどろのスニーカーが弓の男の衣服を掠めるが、やはりダメージには至らない。
 弓の男は涼しい表情で指を振った。

「甘いなぁ、ちゃんと間合いを把握しないと、ねっ」

 助言混じりに男の弓が突き出される。
 喉頭を強く打たれ、佐久間は一瞬息ができなくなる。
 その隙に弓の男は飛びずさって距離を確保した。
 全てを予測したような無駄のない動作。
 さらにここぞとばかりに矢が撃ち込まれる。

「なるほど、大した腕だな……」

 新たな矢を首と片目に受け、佐久間は呆れ気味に言う。
 再生能力にまだ限界は見られないものの、攻撃が当たらない苛立ちはあるだろう。

「ハッハ―、遠距離攻撃だけだと思ったかい? こういう状況もちゃんと想定しているってわけさ」

 対する男は弓を回しながらカラカラと笑う始末であった。
 距離を詰められても臆さなかったのは、自身の技量なら十分に対応できるという自信故だ。
 致死の一撃でも悠々と回避する度胸と見極めは称賛に値する。

「……フン」

 佐久間は弓の男を見据えて眉を顰める。
 苦い事実だが、両者の間には埋めようのない戦闘経験の差があった。
 それは距離を詰めても変わらないらしい。
 弓の男の方が何枚も上手だったのだ。

 このままでは埒が明かない、と佐久間は内心で思う。
 無闇に攻撃を繰り返しても弓の男には決して当たらないだろう。
 マリーシェの復活を待つという手もあるが、それでも倒せるかは怪しい。
 弓の男は底知れない実力の持ち主だった。

(まったく、災厄の名が廃れそうだ……)

 佐久間は意図せず苦笑し、そして木の棒を捨てる。
 もはや正攻法が通じないのは分かった。
 これ以上、時間を浪費するのは佐久間とて望んでいない。
 ターゲットである商会の幹部が逃げてしまう恐れだってあるのだ。

 目の前の男を迅速に殺して先に進む。
 そのためならば如何なる手段も厭わない。
 何も相手のペースに合わせてやる必要はないのだ。
 常識に囚われず、負債勇者に相応しい戦い方をすればいい。

「……これもテクニックとやらで止められるのか?」

「何?」

 方針転換が決まると後の行動も早かった。
 佐久間はおもむろに足を上げると、そのまま勢いよく振り下ろす。
 エントランス全体が揺れたのではと思うほどの衝撃。
 靴底が床を突き破り、破壊の波が伝播した。

 壁や天井に大きな亀裂が走り、割れた手摺が丸ごと吹き飛ぶ。
 耐え切れなかった柱がくの字に圧し折れ、吹き抜け付近の床が軋んで傾いた。
 上品な装飾の施されたガラス窓が次々と外側に弾ける。
 無理な負荷を加えられた建物が悲鳴を上げていた。

 劣勢を強いられた佐久間が選んだ奇策。
 それは、計算も何もない単なる力技であった。
 ここで下手な技術を披露しようとしても、弓の男に勝てないのは目に見えている。
 佐久間が攻勢に持ち込むには、やはり長所を存分に活かすしかなかった。

「な、にッ……!?」

 これにはさすがの弓の男も驚嘆する。
 彼は床に片膝を突き、倒れまいと踏ん張っていた。
 いくら負債勇者が規格外の怪物と言っても、まさか一撃で建物の基盤に損傷を与えるとは思ってもいなかったのだろう。
 この分だと洋館の一部が倒壊する恐れすらある。

「ったく、無茶苦茶やりやがる……」

 弓の男は片手で跳ね上がり、比較的無事な床に着地した。
 同時に余裕を失ったことで悔しさと怒りを覚える。

 こんな無様に体勢を崩されるのは本当に久々の経験だった。
 フリーの傭兵として各地を点々としてきたが、なかなかに味わえるものではない。

 しかし、この損壊の後始末はどうしたらいいのか。
 雇い主に報告するにしても、相応の小言は覚悟せねばならない。
 一瞬で思考を巡らせた弓の男は顔を上げ、今度こそ肝を冷やした。

「ははははっははっははは」

 負債勇者が、無表情に、笑いながら猛然と迫ってくる。
 脆くなった床が乱暴に蹴り潰されて穴を開けた。
 不安定な足場など意に介さない様子で強引に走り抜こうとしている。

 そう、千載一遇のチャンスなのだ。
 同じ手はおそらく二度と通用しない。
 だからこそ、佐久間は全力で仕掛ける。

 硬く握り込んだ拳が打ち下ろされた。
 男はギリギリのところで受け流しに成功したが、代償として弓が真っ二つに割れて明後日の方向へ飛んで行く。
 破損した足場に加え、不意打ちだったせいで満足な動きができなかったのだろう。
 憎き武器を破壊した佐久間は、会心の笑みで片足を引く。

「終わりだ」

「悪いが断るよ」

 追撃の蹴りで前髪を千切られながら、弓の男は怯むどころか力強く駆け出す。
 彼の行く先は三階の奥ではなく、一階まで続く吹き抜けであった。

 佐久間とすれ違うように跳躍した弓の男は宙に身を投げる。
 その手から一本の銀色の線が伸びて壁に刺さった。
 尖端に返しの付いた頑丈なワイヤー。
 彼の衣服の袖口を覗けば、その発射機構が確認できることだろう。

「あらよーっと」

 ワイヤーを支えにした弓の男は器用に壁を走り、見事に二階部分への前転着地を決める。
 そして、真上にいるであろう負債勇者に向かって言った。

「参った参った。さすがは異界の災厄様だ。王国が血眼で首を求めるのも納得するね。仕留める自信はあったんだがなぁ。敵前逃亡は契約違反だが、命あっての人生さ。依頼主の幹部共は三階の奥にある豪華な部屋で肥えた腹を揺らしているだろうさ。俺よりそいつらを捕まえた方が賢明だぜ? そんじゃ、あばよー」

 弓の男はぺらぺらと饒舌に喋りながらワイヤーを外し、疾風のような動きで館内へと消えてしまった。
 清々しいほどに大胆かつ早い逃げ足である。

 呆気に取られた佐久間は弓の男の逃げた先を確かめるも、既に影も形も残っていなかった。
 追跡するのは極めて難しい。
 否、確実に不可能だろう。
 諦めた佐久間は溜め息を吐いて一階へと飛び降りる。

「無事か」

「はい、問題ありません」

 マリーシェが佐久間を迎える。
 彼女の傷は塞がり、メイド服も新調されていた。
 聞けば佐久間が戦っている間に持ち物の魔力回復薬を飲み、ついでに着替えたのだという。
 命令以外で勝手に行動するとは珍しい。
 佐久間としては着替えたこと自体に興味はないが、彼女の自主性が気になった。
 そのことを尋ねると、マリーシェは少し考えてから答える。

「身嗜みに気を付けなければ旦那様に嫌われる、とユアリア様からご指導を受けました。命令ではなく助言でした」

「あいつ、余計なことを……」

 佐久間は舌打ちしそうになるのを我慢する。
 どうやらユアリアがマリーシェに吹き込んだ知識らしい。
 無論、彼がそんなところを気にするわけがない。
 すぐに血みどろになるのだから。
 マリーシェは面白いオモチャとしてからかわれたのだ、と佐久間は結論付ける。

「あの女の嘘に騙されるな。それと今は身嗜みを整える時じゃない。あの男は取り逃したが先へ進むぞ。バックパックの武器を貸せ」

「承知しました」

 マリーシェの手が霞み、何かが投擲される。
 鉛色のそれは凄まじい勢いで佐久間の額を割り、血飛沫を散らしながらうなじを突き破った。
 粉々になった脳が高級絨毯を汚す。
 ぱっくりと晒された傷口から鮮血が溢れて佐久間の顔を染めていった。

「…………」

「…………」

 場によく分からない沈黙が訪れる。
 佐久間は額に指を伸ばして何が刺さったかを確かめた。
 やや幅広の金属刃。
 視界にギリギリ映る形で柄も見える。
 うなじを抉ったのは刃先になるのだろう。

 鉈だ。
 無骨な鉈が佐久間の頭をかち割っている。

 淡々とその事実を知覚した佐久間は、努めて冷静に説明した。

「……武器を投げ渡す時は、危ないからちゃんと手で掴めるようにしてくれ。急ぎでない場合は手渡しでもいい」

「承知しました」

 直立不動のマリーシェは平常通りの言葉を返すのであった。
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