弓の男

文字数 3,535文字

 扉の先には華やかに彩られたエントランスがあった。
 壁には無数の絵画が飾られ、室内の上品さを演出するのに一役買っている。
 三階までが吹き抜けとなっており、正面には二階への階段が設けられていた。

「典型的な金持ちの家だな」

 佐久間は軽薄な笑みで皮肉る。
 負債勇者からすれば嫌悪の対象だった。
 故に殺戮に乗り出した部分もある。

「やけに静かだ。どこかで待ち伏せでもしているのか」

 室内の様子に首を傾げつつも、佐久間は先へと進んだ。
 血みどろのスニーカーが床にべちゃべちゃと赤い足跡を作る。
 どれだけ汚そうとお構いなしだった。

 佐久間の後ろをマリーシェが無言で付いてくる。
 彼女は二挺の拳銃を携えていた。
 警備の人間から奪ったものだ。
 他にも様々な銃器を拝借したらしく、バックパックから銃身がはみ出している。
 少々使い潰したとしても無くなることはあるまい。

「不条理の来訪だ。盛大にもてなしてもらおうじゃないか」

「旦那様。もてなすということは、私は給仕としてお食事の準備に回った方がよろしいのでしょうか」

「……ちょっとした言葉の綾さ。気にするな」

 殺戮の最中にも関わらず、佐久間とマリーシェは調子を崩さない。
 そんな二人が正面階段に差し掛かろうとした瞬間、突如として矢の雨が降ってきた。

「フン、予想済みだ」

 素早く察知した佐久間は両腕のガントレットで弾く。
 目にも留まらぬ速さで振り抜かれた殴打が次々と矢を打ち落としていった。
 防ぎ切れなかった数本が身体に刺さるが、彼にとっては何のダメージにもなり得ない。
 攻撃が一旦止まったところで、佐久間は吹き抜けの上階を見上げる。

「遠くからチマチマと攻撃してくるとは、いい身分だな」

「侵入者風情に言われたくもない。こっちは立派な戦法さ」

 三階の手摺にもたれた若い男がせせら笑う。
 革のベストを着たその男の手には、深緑色の弓が握られていた。
 佐久間の位置からではよく見えないが、背中に矢筒も背負っているだろう。
 細身の身体や軽いノリとは裏腹に強者の風格を匂わせる。
 青い瞳は絶対的な自信と余裕に満ちていた。

 中庭にいた時に狙撃してきたのはこの男だろう、と佐久間は推測する。
 意識の隙間を縫うような鋭さと狡猾さが同じだった。
 今回は十分に警戒していたので迎撃できたが、それでも回避困難な攻撃だったことに違いはない。

「だが、お前は弱い。これで俺を殺すのは無理だ」

 佐久間は刺さった矢を抜きながら挑発する。
 滲んだ血はすぐに止まった。
 単なる強がりではなく、本心からの言葉だろう。

 不死身の負債勇者を見ても、弓矢の男は大して怯まない。
 彼は片頬だけを上げて器用に笑う。

「ふふふっ、でもお嬢さんの方はどうかな?」

「何」

 そこで佐久間は気付く。
 背後にいたマリーシェが床に倒れていた。
 矢が全身に刺さりまくり、ハリネズミのようになっている。
 あまりの密度でマリーシェがどうなっているか確認し辛いほどだった。
 命令が無かったので回避行動を取らなかったのだろう。

「おい、大丈夫か」

 佐久間が声をかけると、マリーシェの首がぐるりと回って彼を見る。

「旦那様。私はどうしたらいいでしょうか」

 マリーシェは澄ました顔で言うが、頭頂部から矢羽が生えていた。
 長さから考えると首元辺りまで矢が埋まっているようである。
 それでも平然と会話ができるのはホムンクルスという種族故か。
 痛がるどころか、負傷に気付いているのかすら怪しい。

 ひとまずマリーシェの生存を確認した佐久間は、彼女を蹴り飛ばしてエントランスの隅に転がしておく。
 そこは二階の天井がある位置で、弓の男には視認できない場所となっていた。
 万が一にでも追撃で殺される可能性を考慮したものだろう。
 もぞもぞと動くマリーシェに佐久間は命令する。

「あいつを殺すまでに矢を抜いておけ。それまでに復活できなければ置いていく」

「承知しました」

 やはり平然と返答したマリーシェは、ぎこちなく手足を動かし始めた。
 佐久間は三階を見上げて弓の男を嘲る。

「そこのメイドは頭が悪いが、あれくらいでは死なない」

「なるほどなるほど……負債の勇者のお仲間さんだもんな。同類のバケモノってことかい」

 弓の男は少し感心した顔をして、へらへらと手を叩く。
 自分がどのような存在と対峙しているのかを知っても尚、彼はふざけた態度を崩さない。

 いや、目だけは芯まで冷め切っていた。
 超然とした狩人の雰囲気。
 ユアリアと同様、この過酷な世界を力で生きる者の目だ。

「まあ、見たところ戦いの素人だな。優れた身体能力でゴリ押しなんざ、魔物と変わらないぜ?」

 弓の男は佐久間を見下ろしながら指摘する。
 実際にその通りであった。
 佐久間は勇者として召喚されてから数々の戦闘をこなしてきたが、まだ日は浅い。
 日本にいた頃に戦闘経験などあるはずもなく、単純な知識や経験は素人の範疇に収まる。
 技術面だけで比べた場合、騎士はおろかそこらの三流冒険者にさえ劣るだろう。
 そういった部分を圧倒的な肉体性能で埋めているのである。

「ふむ……」

 痛烈な指摘を受けても、佐久間は涼しい表情だった。
 開き直っていると表現するべきか。
 負債勇者は頭を掻きながら言う。

「だったらどうした。その技術とやらで俺を殺してみろ」

 佐久間は近くにあった大型の柱時計を掴み上げると、いきなり弓の男へ投げ飛ばした。
 弓の男は悠々と屈んで躱す。
 柱時計は轟音を立てて天井をぶち抜いてどこかに消えた。

「ははっ、危ないなぁ。もうちょっとで――っ!?」

 肩を竦めて笑おうとした弓の男がぎょっとする。
 眼前まで迫る二つの陶器。
 それらを壺だと理解する前に、弓の男は真横に跳んで避ける。
 天井に激突して割れた破片が彼の頬や腕を薄く切り裂いた。
 筒から矢を抜いた弓の男は階下に狙いを定める。

(あいつ……!)

 弓の男は思わず舌打ちする。
 佐久間が両手に持った壺を振り被っていた。
 館のエントランスに飾られていたものだ。
 それらが勢いよく飛んでくる。

 男は愛用の弓を引いた。
 手慣れた動作で素早く二連射。
 放たれた矢は緩やかなカーブを描き、迫る壺を粉々に粉砕する。
 鏃が発光していることから、魔術的な強化を施していたのだろう。
 壺を砕いた矢はそのまま佐久間へと向かう。

「もう見切った」

 佐久間は壁の絵画を外し、またもや投擲した。
 高速回転する金属の額縁が矢をまとめて弾き飛ばし、三階の手摺に命中する。
 爆散した木端が降り注ぐ中、佐久間は跳躍して壁に張り付いた。
 両腕のガントレットの指に付いたナイフを引っ掛けて体重を支えているらしい。
 落ちないことを確かめた佐久間は、ガツガツと音を立てて壁をよじ登り始める。
 どうやら弓の男のもとへ直接殴り込むつもりのようだ。

「おいおい、気でも違ったか? 隙だらけだぜぇ」

 ボロボロになった手摺に足を乗せながら、男は嬉々として弓を構える。
 直後、まとめて握った矢束を強引に撃ち放った。
 ばらけた矢の雨が壁の佐久間に殺到する。

「ふん、舐めるなよ」

 回避困難な攻撃範囲と速度。
 おまけに壁にくっ付いた状態では満足な防御も行えない。
 かと言って直撃すれば、いくら不死身でもただでは済まない。
 淡々と判断した佐久間は腕に力を込め、同時に壁を思い切り蹴った。

 佐久間の身体が緩やかな宙返りを決めながら軽々と跳び上がる。
 まるで特大のトランポリンに跳ね返されたように。
 人外の膂力が上手く押し上げたのだ。
 迫る雨の矢は空いた両腕で防ぐ。

 回避と接近を欲張る大胆かつ無謀な行動。
 おかげで数本の矢を食らう羽目になったが、射線から逃れたことでダメージはかなり抑えられた。

 跳び上がった佐久間は三階の天井に指をめり込ませて留まる。
 天井に亀裂が走ったものの落下は免れた。
 蜘蛛のように張り付いたまま、佐久間は凶暴な視線を弓の男に絡める。
 両者の距離は十メートルほどまで縮まっていた。

「よう、なかなか身軽だな。力技すぎるのは感心しないがね」

「矢が遅すぎて欠伸が出そうだ。もっと本気を見せてみろ」

 互いに相手を煽る。
 殺意と殺意がぶつかって空気を軋ませ、極限までギリギリと張り詰める。
 二人の戦いは、まだまだ始まったばかりであった。
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