告げられた悪策

文字数 2,088文字

 大男は厳めしい顔つきで佐久間を見下ろす。
 簡素な革鎧は如何にも使い込まれた痕跡があり、鍛え上げた筋肉は暴力を暗示した。
 佇まいからして手練れの冒険者だろう。
 負債勇者を前にしても動じた様子はなく、それどころか好戦的な雰囲気を発散している。

「旦那様、どうしますか」

 佐久間の背後に控えるマリーシェが問うた。
 命令一つでナイフを使うつもりだろう。
 勝手に殺害を実行しなかっただけ成長したと言えるか。

 佐久間は黙ってマリーシェの手を押さえる。
 彼女が動く必要はないと判断したのだ。
 むしろ事態がややこしくなる可能性すらあった。
 最悪の場合、室内の無関係な人間が刺し殺されるかもしれない。
 マリーシェの奇行はそれほど予想困難で酷かった。

 目の前のやり取りをどう解釈したのか、大男はこれみよがしに嘲笑する。

「お前さんが噂の負債勇者様だろう? ずっと待ってたんだぜ」

 意地悪く言った大男は依頼掲示板を指差す。
 数日前と同じようにいくつもの用紙が貼られていた。
 随時更新されているのか、ラインナップは微妙に変わっている。
 佐久間は怪訝そうに掲示板へ近寄ると、その内容をざっと斜め読みしていった。

「ふむ……」

 護衛任務から特定の薬草採取まで様々な依頼がある。
 その中の一つに目が留まった。
 真新しい赤い依頼用紙。
 つい最近になって貼られたものだろう。
 用紙を引き剥がした佐久間は、急にへらへらと笑い始める。

「なるほどなるほど……フフッ。こいつを見たから俺に声をかけたわけか。いや、よく分かったよ」

 ”負債勇者の捕縛もしくは抹殺を求む。”
 それが赤い依頼用紙の表題だった。
 佐久間の外見的な特徴に始まり、虚実を織り交ぜた略歴が記載されている。
 曰く、負債勇者は国家を根底から揺るがさんとする災厄らしい。
 あながち間違いでもないが、王国にとって都合の悪い記述は軒並み省かれていた。
 性質の悪い露骨な印象操作である。

 極め付けは概要の下に大きく書かれた文字だ。
 懸賞金五億ゴールド。
 殺さずに捕縛すると、さらに一億ゴールドの追加報酬も出るらしい。
 これはギルドに掲示される依頼の中でも群を抜いて高額である。
 翼竜の討伐報酬が三億ゴールドだったことを考えれば、如何に危険視されているかが分かるだろう。
 要するに佐久間は、知らぬ間に国一番の賞金首となった。

「これは面白い。いやぁ、本当に面白いなぁ。ハハッ、愉快で堪らないよ」

 依頼用紙をひらひらと振りながら、佐久間は顔に手を当てて笑う。
 まるで、秀逸なジョークがツボにはまった時のように。
 三日月型に歪んだ口元。
 人々に注目されているのも無視して笑う。

 ただし指の隙間から覗く瞳は、極大の怒りを訴えていた。
 狂気すら塗り潰す圧倒的な憤りである。
 緩んだ笑顔において、彼の双眸だけが別次元の激情を物語っていた。
 ともすれば目を合わせただけで殺されてしまいそうだ。

 壮絶な表情の佐久間は、ゆらりと受付カウンターに寄りかかる。
 担当のギルド職員の女は「ひっ」と短い悲鳴を漏らした。
 涙目になって同僚に助けを求めるが、わざわざ応対を代わってやろうなどという命知らずはいない。
 佐久間は卒倒寸前の職員に件の依頼用紙を見せつける。

「これは、一体どういうことなのかなぁ。ちょっと教えてもらえるかなぁ」

 不自然なまでに優しげで穏やかな猫撫で声。
 故に恐怖を煽る。
 顔面蒼白のギルド職員は、必死に気を保って答える。

「ああ、あの! そっ、それはですね! 王国の使者から通達されたものでして……! ひ、非常に申し訳ないのですがっ、こちらでは、対処できず……」

 向けられる視線に耐え切れなくなったのか、ギルド職員は泡を噴いて倒れた。
 慌てて駆け寄った他の職員が受付の奥へと引っ張っていく。
 些か失礼すぎる対応だが、彼女を責めるのはさすがに酷だろう。
 佐久間としてもだいたいの事情は察せられたので、特に不満はない。

 事態を重く見た王国が、佐久間の首に価値を付けたのだ。
 莫大な金が手に入るとなれば、欲に目が眩んだ愚者が続々と出てくる。
 ましてや佐久間の殺戮を実際に目撃していない者は尚更だろう。
 無闇に犠牲は増やしたくないが、危険な殺人鬼を野放しにもできない。
 王国の戦力たる騎士がいたずらに損耗するのを恐れた、苦肉の策であった。

「そういうことだ。だから、俺はお前さんを捕まえたいわけさ。五億ゴールドの首は貰うぜ」

 タイミングを見計らって大男が声をかける。
 この場で佐久間に怯えていないのは、彼とマリーシェくらいだった。
 大男は身の丈ほどの大剣をすらりと抜き放つと、数歩分だけ佐久間に近付く。
 互いのリーチを考慮した絶好の距離であった。
 無手の佐久間は攻撃が届かず、大男が一方的に斬りかかれる。
 勝利の確信を抱いた大男は柄を握る手に力を込めた。
 これから自身の身に何が起こるかも知らずに。
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