【弐ノ肆】

文字数 2,056文字

「ゆーくん! ゆーくん! どうしよ、ボク、どうしよっ?」
「美玲! おばさん呼んできてっ!」
「沙羅ちゃんはっ?」
「お守り持ってきた! やってみる!」
「わ、わかった!」
「こっちだよ、こっちみて! お、おおかみよ ちいさきおおかみのみたまを ゆるしたまえ……おおかみよ ちいさきおおかみのみたまを ゆるしたまえ! おおかみよ ちいさきおおかみのみたまを ゆるしたまえ……っ! や、やった……行った……ゆうちゃん、ねえ、ゆうちゃん! 目、目開けてよお……ゆうちゃん……」

 ……

「おばさん連れてきたよ!」
「ぐすっ……みれい……ぐすっ……ゆうちゃんが……」
「ゆうちゃん! ゆうちゃん! ……沙羅ちゃん、かまれたのは? かまれたのはいつっ?」
「ぐすっ……ひっく……」
「沙羅ちゃん! 落ち着いて。教えて。そう。落ち着いて。……そう。いい子ね……いい? かまれたのはいつなの?」
「じゅ、十分くらい……まえ……」
「落ち着いて、落ち着くのよ私……まずい、まずいわ、新月の力が失われちゃう……百十九は……だめね、間に合わない……」
「……」
「あ、もしもし、上町の相原です。宮司の樫田さんを急ぎで……はい、お願いします」
「……」
「……樫田さんですかっ? ……ゆうが、息子がかまれて……あ、いえ、違うんです、息子は……はい、実は新月の力が……はい、その……その通りです……はい、はい……それは……はい、はい……それについては……それについては。あとで、あとでお話します……ですから」
「おばさん、おばさん! ゆーくんが!」
「……ゆうちゃんっ? ゆうちゃんなのっ? ……すいません、今のは……はい、意識を取り戻しました。……どうか、今のはどうか、ご内密に……はい……すいませんでした……はい、それでは……はい……」
「ゆうちゃん、わかる? お母さんだよ、わかる? ゆうちゃん」

 ……

 真っ暗だ。真っ暗な所で、ゆうは座っている。どうしてここに居るのかわからない。

(たしか……沙羅と美玲と帰っていて……そうだ、ベルだ。大好きなベルを見かけたんだ。それで……それで? たしか、おばあちゃんがおおかみになって……そうか、かまれたんだ。じゃあ……僕は……死んだの?)
「死んでないよ」
「ベルっ!」

 立ち上がって振り返って叫ぶ。ゆうが心の底から愛するその女の子は、背中を向けてそこに立っていた。でも、ベルは暗やみでも光る金の髪をたなびかせ、ゆうからはなれていってしまう。

「待って! 行かないで!」

 ぴたりと足を止めた。

「愛しいきみ。きみは死なないよ。私が守ってあげているからね」
「ねえ、ベル! 僕も、僕も連れて行ってよ!」

 すると、背中を向けたまま右手を真っ直ぐ横に伸ばし、指を指した。

「呼んでるよ、きみのこと」
「え?」
「ゆうちゃん、わかる? お母さんだよ、わかる?」

 ……

 相原ゆうは、自分の部屋で飛び起きる。ずきん。右肩がひどく傷んだ。

「いったたた……」
「ゆうちゃん! ……おばさん、おばさん! ゆうちゃんがっ! ……大丈夫? 覚えてる? おおかみにかまれたんだよ」
「……沙羅?」

 沙羅がいるのがわかって、慌てて帽子をかぶった。

「ゆうちゃんっ」

 ばたばたとお母さんが入ってきた。
 おでこに手を当てて、それから服をずらして肩を見た。

「……ふう。まずは、大丈夫そうね。……のど、かわいたでしょ」

 はい。
 ことん、と、ゆうの部屋の畳の上の小さなテーブルに、トマトジュースを置いた。

「ああ、あのね、お母さん。僕、たぶんそれ飲めな」
「飲めるわ」
「……え?」
「それなら、飲めるの」

 お母さんはにっこりした笑顔で、じぃっとゆうだけを見ている少女に、声をかけた。

「はい」
「ちょっとだけ、下行っててくれる? ……おねがい」
「え……はい」

 とんとん、と軽やかな足取りが遠ざかる。

「ふう。ほんとに、あなたって子は」

 お母さんは、ふうっと、もう一度ため息をついて、枕元に座った。

「あなた()始祖の力を持っていたなんて……やっぱりあの子、かしら。ベルベッチカ」
「知ってるのっ?」

 ゆうは出ると思わなかったその名前に、思わず大きな声を出す。

「あの子しかいないわね……はあ。それしかないわよね」
「ベルはっ! ベルはどこっ!」
「……ベルベッチカに会いたい?」
(会いたいか、だって?)

 会いたい。会いたいに決まってる。あの青い目の、あの金の髪の。あのほこりまみれの部屋にいた。あのかんおけの前で、赤いぬいぐるみと遊んだ。あの笑顔に……
 あの新月の晩の、ベルの柔らかな笑顔が心に残って抜けない。
 ぽたたっ……涙が止まらない。

「会いたい……会いたいよ……会いたいんだよ……」
「会えるわ」
「え……?」
「会えるわ、大祇祭の日に。だから行きなさい。明後日」

 そうとだけ言うと部屋から出た。
 トマトジュースに手を伸ばす。一口、含んだ……すんなり、飲めた。
 ふすまを開けて沙羅が入ってきた。

「どうしたの? おばさん、泣いてたけど」

 コップのガラスについた雫が、ぽたりと落ちる。吸血鬼が泣いているみたいだった。
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