文字数 12,499文字

 二時間ほど森の中を歩き続けると、周りの木は背があまり高くない落葉樹の木から、人工的に植林されたと思われる幹の細く等間隔に植えられた落葉樹の木に変わっていった。さらに歩くと、朽ち果てた自動車や、泥まみれの家電製品が捨てられた林道を横切った。それらを見ながら歩いてゆくと、次第に人の住処の気配が段々強くなっていった。すると、ポイントマンの男が立ち止まって、後ろから来た英司たちにこう告げた。
「着いたぞ、あそこだ」
 男が目の前の景色を指差すと、彼らは一斉にその方向へ視線を向けた。なだらかな丘陵地の間にあるかなり大きな村だ。恐らく道路沿いの開墾と入植によさそうな所を探して、勝手に自分達の居住地にしたのだろう。村の周りには手入れの行き届いた田んぼが西側にあり、その反対側には畑があった。村全体は深い堀に囲まれていて、その上には有刺鉄線を巻いた柵が備えてある、堀の角には土嚢で囲んだ機関銃座が設けてあり、二脚を引き出した軽機関銃がその場所の主人であるかのように置かれている。村の中心部にあるプレハブ小屋の脇には通信用のアンテナと見張り櫓が立ち、櫓は村全体を見渡せるようなつくりになっていた。そしてそこにはM2重機関銃が正義の鉄槌を下すかのように配置されて、まるでこの村の守護神のようだった。
 そこも銃を持った村人が警備に就いている。面白いのは村の中心部には片側一車線の道路が南北に通っていて、その脇には中古車販売店らしき建物が立っていた。道路が通っている所はバリケードで閉鎖されてはいたが、誰かが来たら簡単に開けられるようになっているらしい。村への入り口は、そこの二箇所だけだった。
「村に着いたら、お前さんたちを一旦あの小屋まで連れて行く。いいな?」
 男は二人に指示しながら、中心部にあるプレハブ小屋を指差した。英司と綾美は無言で頷くと、村の全体図を見ながら前に進んだ。
 入り口に近づくにつれ、二人の中にはこれからどうなるのだろうという期待と不安が入り混じったものが生まれ始めていた。入り口の門はジグザクに進まないと通れない仕組みで、警備に立っている二人の男が嘗め回すような視線で彼らを見つめた。特に土嚢を積み上げた銃座に置かれた62式機関銃のすぐ側に座った、パンチパーマの男の目は二人を射抜くような目つきだった。
「そいつらは捕虜か?」
 銃座の男が聞いた。
「ちょっと違うな、もしかしたら仲間かもしれない」
 房人が答えると、男は「誰が捕まえたんだ?」と聞き返した。
「あたしと房人が捕まえたんだ。ちょっと時間が掛かったけれど」
 美鈴が返すと、男は表情を柔らかくして、こう答えた。
「それはたいしたもんだ。さすがに寺田さんに鍛えられただけの事はあるな」
 彼らはその言葉を聞き流すと、英司と綾美を村の中心部にあるプレハブ小屋の一角に招いた。サッシのドアを開けて、二人を小さな部屋の中へ入れる。すると茶髪の男が美鈴と房人に「ここに残って、監視についてくれ」と囁くように指示した。
「武器の類はこっちで一旦預かるよ、勿論ナイフなんかもね。それと見張りを置いていくけどいいかな?」
 茶髪の男が二人に聞く。
「構いませんよ。別に」
 英司が答えると、男は「ここで待っていてくれ、寺田さんを呼んでくる」と言い残し、その場を後にした。二人の監視役に就いたのは、二人を捕まえた房人と美鈴だった。
 彼らが通された部屋はどうやらこの村のゲストルームらしい。部屋の床にはカーペットが敷かれ、二つある黒いソファの間には合板で出来たテーブルが置かれその上に布のテーブルクロスが敷かれている。元々建設工事で使われていた建物なのだろう。ゲストをもてなす演出は必要最低限でしかない。だが原始生活同然とも言えるべき現在の生活水準では、十分すぎるくらい豪華なもてなしだった。
「とにかく、目的の村には着いたね」
 英司がソファに腰掛けながら綾美に呟くと、外に居た美鈴がこんな事を質問した。
「あんたかなり上等な狙撃銃を持っていたけれど、スナイパーの腕は確かなの?房人に後ろを取られるようじゃ、まだまだな感じだけれど」
「どういう意味だよ、それ?」
 房人は美鈴に食いかかるような素振りを見せたが、美鈴は構わずにこう聞いた。
「見たところ、あんたとそっちの子は観測員と狙撃手って感じには見えないわね、どういう仲なの?」
「世の中の役に立ちたい女の子と、その護衛のプー太郎」
 英司はつまらなそうに答えた。こういう受け答えはどうも苦手だ。自分がバカにされているのか、それともちゃんと相手にされているのか分らない。美鈴はその反応がおかしかったのか、思わす鼻で軽く笑う。
「なるほど、そっちの女の子は、彼のことどう思っているの?」
「えっ?私は」
 綾美は自分に話題を振られたことに驚きながらも、あたふたしながらこう返した。
「別に何も・・・、彼はここまで私のことを守ってきてくれたし、分らないことも、森での歩き方とか、注意しなければいけないことを教えてくれたから・・・」
「ふーん。なんだ」
 美鈴はわざとつまらなそうな感じで綾美のことを覗き込むと、視線をずらして肩からかけていたM27IARを下ろして近くの壁に立掛けると、勝手にソファに腰掛けた。
「まあ座りなよ。そう緊張しないでさ、あたしは入間美鈴。あなたの名前は?」
「小林綾美、綾美って呼んで」
「へぇー、綾美か」
 美鈴は感慨そうな顔をして頷くと、しばらく考え込むような顔をして「あんたの名前は?」と反対側の英司に聞いた。
「神無英司。英司でいい」
 英司はそれこそ投げやりな感じで答えると、美鈴は入り口の方を向いて「あんたの番だよ」とめで房人に振った。
「俺は原房人。其処のソファに腰掛けているバカタレとはガキの頃からの付き合いだ」
「バカタレとはなによバカタレとは、女の子に対して失礼じゃないの?」
「おまえ、女の子だったのか?それらしい感じが全くしないんだが」
「失礼な奴ね。綾美そう思わない?」
 美鈴が綾美に聞くと綾美は苦笑いで返した。
「まあ、いいか。友達だから許そうっと」
 美鈴はそう漏らすと、腰掛けたまま大きく上体を反らした。LC-2サスペンダーのストラップに付けた、弓なり状のグルカナイフに、英司は思わず視線が行ってしまう。
「これが気になる?」
 美鈴が視線に気付くと、英司は慌てて視線をずらした。ストラップに括りつけたの革の鞘からグルカナイフを取り出した。
「こいつはグルカナイフ。鉈にも武器にもなる便利な奴。自分を襲ってくる奴を切り刻むのさ」
 美鈴は自慢げにグルカナイフを弄び、不敵な笑みを浮かべて見せた。彼女は日本人にしては肌が浅黒く、目元や鼻筋が通った顔つきで、グルカナイフが反射する独特の金属の光によく似合っていたが、実戦経験はまだ無さそうだった。
「よせよせ、お前を襲いたくなるような奴なんて相当な変わり者だよ」
 房人が笑みを交えて冗談を漏らした。その反応に美鈴は少し不満があったのか、彼の事を見返した。
「あたしみたいな女兵士を捉えて凌辱しようって奴は結構いるよ。そういう奴を返り討ちにするシチュエーションに興奮する奴も同じくらい」
「会った事あるのか?」
 房人は意地が悪いような笑みを浮かべて続けた。彼の右腰のベルトにも、樹脂製の鞘に入った大振りのSOG・シールナイフが刺さっていた。
「これから現れるのさ」
「そうか、俺はそんな奴に出会いたくはないね」
 グルカナイフを鞘に納める美鈴を見ながら、房人は噛み砕くような笑みを浮かべて生返事を返した。英司は二人のやり取りを見て、自分もこんな風に喜怒哀楽を表に出した会話が出来れば、何かいい事はあるだろうかと思った。
 すると突然、入り口のドアがガラっと開いて人が中に入ってきた。気付いた房人と美鈴はすぐにその方を向く。美鈴は立ち上がり両手を軽く腰の辺りで握り、自衛隊式の気をつけした。恐らくこの男がさっきから会話に出てきた寺田とか言う男なのだろう。髪は短く切りそろえられ、口髭を生やした顔にはこめかみの辺りに切り傷の痕のようなものが残っている。
「随分と楽しそうな会話がもれてきたが何だ、仕事を忘れておしゃべりか?」
「いや、そういうわけじゃ」
 房人が語尾を濁すような感じで答えたが、寺田は鼻で笑うような感じで、こう返した。
「なに、別にいいさ、聞いたところによると、彼らは山内の村から来たらしいじゃないか、なら彼らは敵ではないよ。それに、私は其処にいるお嬢さんを知っている」
「私の事をご存知なんですか?」
 綾美が驚いた様子で寺田に質問すると、寺田は綾美の方を振り向いて笑みを浮かべるようにこう答える。
「知っているも何も、赤ん坊だった頃に君を助けたのは私と山内だ。私にはその頃他人の世話をする余裕などなかったから、山内が引き取ったんだけれどね。しかしまあ、大きくなったもだな。今幾つだい?」
「十五歳です」
「そうか、早いもんだよな、俺も年取ったわけだ」
 寺田は自嘲するように呟くと、今度は英司に視線をずらし、「彼は?」と聞いた。
「彼は神無英司。私が山賊に襲われているところ助けてくれたです。そこで村に連れて行ったら、私と一緒にここまで来てくれたんです」
「ふうん」
 寺田は納得したように頷くと英司の瞳を覗きこんだ。
「さっきの狙撃銃の持ち主か、なんとなくそんな感じの目をしているな」
 寺田が漏らすと、今度は綾美に視線を合わせて本題に入ることにした。寺田は美鈴が座っていたソファに腰掛け、英司と綾美を前に座らせた。
「さて、君らはゲリラの情報を届ける途中だと聞いたが、本当かい?」
「はい。これを」
 綾美はそう答えると、横に置いていたバッグの中から一枚のCDを取り出した。
「英司のは、今持っている?」
「今はない。バックパックの中にある」
 英司が答えると、美鈴がこう口を開く。
「さっき、あたしがあんたのバックパックから見つけたヤツ、大切な物だったの?」
「そうだ・・・まさか捨てたとは言わないよな?」
「大丈夫、大丈夫、ちゃんと取ってあるわよ」
 美鈴の返答に、英司は小さく「ならいい」と呟き、寺田のほうに視線を合わせた。彼の目を見ると、優しそうな瞳こそしてはいたが、その裏には過去の悲惨な出来事や、痛みを見ていた名残のようなものがあるように思えた。
「済まないが、なにか自分達の身分を証明できるものは持っていないか?敵ではないという確かな証明が欲しい」
 寺田が英司から目を逸らして聞くと、綾美は一瞬困ったような顔をした。多分こういうことは初めてなのだろう。すると英司があることを思い出した。
「僕の雑嚢の中に、山内さんからの代理証明書があります。それで信用してもらえませんか?」
「じゃあそれを見せてくれ。美鈴、彼らの装備はどこに?」
「武器装備の類は中央の建物に置いてあります」
「わかった」
 寺田はそう事務的な言葉で会話を終えると、すっとソファから立ち上がり、部屋から出ようとした所で立ち止まって振り向き、房人と美鈴にこう指示した。
「後で彼らの装備を返してやれ、それと」
「それと?」
 美鈴が聞き返す。
「森の中を何日も掛けてここまで来たんだ。何か休めるようなもてなしをしてやってくれ。それと風呂を沸かすのを忘れるな」
「分りました。すぐに準備します」
 房人が答えると、寺田は満足そうな笑みを湛えて、部屋を出て行った。


 英司と綾美はプレハブ小屋のゲストルームを出ると、持って来た荷物と武器を受け取り、房人に案内されて来客用の小さなトタン屋根の小屋に通された。小屋、というよりはバラックに近い感じの建物だったが、文句など言えるような立場ではなかったし、何よりこんな自分達に休む所を与えてくれた彼らに感謝しなければならなかった。
 ベニヤで出来たドアを開けて中に入ると、4畳半ほどの板張りの床に薄暗い空間が中には広がっていた。部屋の中央には棚とその上に照明用のランプが置いてあり、その脇にはアルミパイプとキャンバスで出来たベッドが備えてある。そのベッド足元にはオレンジの毛布と枕が置いてあった。
「まだ使われたことはないけれど、ここはいざとなったら手術室の代わりになるんだ。ちょっと狭いけれど」
 靴を脱ぎながら床に上がると房人が説明した。二人は荷物を部屋の隅に置くと、綾美が「医者が居るの?」と質問した。
「一応ね、戦争が始まる前は無許可の診療所を経営していた危ない医者だったらしいんだけれど、今ではこの村にとっては欠かせない人だ。何かがあればその人に病気や怪我を治してもらうしか方法がないし、お産やらなんやらで力を貸してくれる。ありがたい人だよ」
 房人は自慢げにこの村の医者のことを話し終えると「何かあったら、俺か美鈴を探して呼んでくれ」と呟きながら小屋を出ようとした所を、「ちょっと」と英司に呼び止められた。
「何だ?」
「一段落ついたら村を散策してもいいかな?」
「別にいいぜ。終わったら案内してやるよ」
 房人はそう答えると、村の中心にある大きな建物に帰っていった。英司はそれを見送ると、上着を脱いでベッドに横になった。ギシッとベッドが軋んで、瞼の裏側が重くなってくる。
 気がつくと、英司は知らないうちに眠ってしまっていたらしい。まどろんでいる頭の中にあるエンジンに火を入れると、横になったまま、頭を隣のベッドに向けた。横では綾美が上着を上に掛けて、静かに寝息を立てている。英司はベッドから起き上がり、頭の中に血を巡らせるために首を横に振った。
「起きたか?」
 声に気付いて、英司が入り口の方に顔を向けると、房人がしょうがないなといった感じで、入り口に立っていた。
「終わったのか?」
「ああ、終わったよ。そっちの方はお疲れの様子だな」
 房人は、英司の横で眠りこけている綾美を見て呟いた。何時間も休み無しで、森の中を逃げ回ったのだ。疲れても無理はない。英司は立ち上がり、脱いだブーツに足を突っ込んで、房人と共に寺田がいる建物へと向かった。
 彼らが向かう建物は、彼らが通された手術室兼ゲストハウスから丁度反対側にあり、その間に何軒かの家屋が建っていた。すると、錆びだらけのトタンで出来た小屋を指差した房人がこう言った。
「あの小屋は地下の武器庫への入り口なんだ。武器庫には銃と弾薬以外にも、爆薬や迫撃砲なんかも置いてある。大体一個歩兵中隊が一か月は戦えるくらいの武器はそろえたかな。」
「凄いな。重武装だ」
「まあな、〝常に備えよ〟って言うのが寺田さんの口癖だから」
 房人は少し自慢したい気分なのだろうか、口元に少しだけ笑みを浮かべたような顔で説明した。そんな房人の顔を見ていると、英司は自分がまるで木の棒で作った人形のように思えたが、すぐに考えるのをやめた。すると、目の前のかつて中古車販売店だった建物で、何やら話し声のようなものが聞こえてきた。何をしているのだろうと思って二人は声の聞こえた方に立ち寄った。声は車三台分が入るガレージから聞こえてきて、そこでは美鈴と男が73式小型トラック、かつて民間型が三菱・ジープと呼ばれていた車のボンネットを開けてなにやら話していた。
「やっぱり調子が良くないのは噴射ポンプだよ。後の部分はしっかり動くけれど、一番肝心な部分がダメじゃいつまでたっても動かないよ」
 エンジンルームに上半身を突っ込んだ男が泣き言を漏らした。
「まいったな、この型のジープの噴射ポンプなんて探そうと思っても手に入らないよ」
 美鈴がそう付け加えると、男はこう答えた。
「二代目のパジェロベースの奴なら、市販モデルやデリカスペースギアの噴射ポンプが流用できると思うけれど、三菱・ジープのやつは部品が手に入りにくいからな」
 そんな風にして美鈴と男が頭を悩ませていると、「何かお困りかい?」と房人が何気なく尋ねた。美鈴は英司と房人に気付くと、組んでいた腕を解いて金色に染めた髪を掻いた。
「ちょっとね、車のエンジンの調子が良くないの」
 美鈴の面倒臭そうな返事を他所に、英司はガレージに停めてある三台の車をざっと眺めた。ボンネットを開けた三菱・ジープの横には、ウォーンM8274ウィンチ付きのグリルガードとシュノーケル、それにマッドテレーンタイヤを履いて荷台に74式車載機関銃を取り付けたテクニカル仕様のトヨタ・ハイラックスダブルキャブが、そしてその横には、闇の世界からやって来た猛獣の如き、黒いR33型スカイラインGT-Rが並んでいた。特にGT-Rの方はほとんど動かしていないらしく、タイヤハウス内に少し泥が付いている以外は使用した感じが全くなかった。
「凄いな、この車」
 英司がGT-Rを眺めながらポツリと呟いた。
「どの車?」
「こっちの、黒いやつ」
「ああそれね」
 美鈴はGT-Rに視線を向けると、こう説明した。
「これはスカイラインGT-Rって言う車でさ、見た目は良いんだけれど、ここら辺は道が悪いから走れる所がほとんどないのよ。おまけに品質のいいガソリンじゃないと力が出ないし、おまけにそのガソリンを大量に消費するからあまり使わないの。寺田さん曰く97年式のVスペックとか言うやつらしいけど。こっちのハイラックスは移動とかに使うやつで、村で一番役に立っている車」
「へえ」
 英司はGT-Rを眺めながら生返事を返した。そのまま車体側面に回りこんで運転席を覗き込むと、房人に声を掛けられた。
「あとでじっくり見せてやるから、まずは寺田さんのところへ行こうぜ」
 房人が言うと英司はその場を離れ、美鈴に「また後で」と言い残して寺田のいる建物へと向かった。
 寺田たちがいる建物は山内の村のそれよりも大きく、集会所以外の機能にも、中央指揮所のような機能も兼ねているようだった。事実、入り口には銃を持った男が警戒しており、中に入ると村と周囲を囲む山を描いた地形図が中央のテーブルに置いてあった。通信用の無線機器も充実しており、パトロールに出ているチームと無線連絡も行えるようだった。その指揮所の横にはパソコンが置かれたデスクが置いてあり、そこで手紙を読み終えた寺田が彼らを待っていたところだった。
「やあ君か、山内からの手紙を今丁度読み終えたところだよ」
 寺田は上の瞼を指で軽く押すと、A4サイズの紙四枚に書かれた手紙を元に折りたたんで、英司に手渡した。
「君らがここに来た大体の経緯は分った。さっきの無礼を詫びるよ」
「いやそんな」
 英司が思わず謙遜すると、その反応が面白かったのか寺田は鼻で小さく笑い、椅子から立ち上がってこう続けた。
「あいつとは防衛大学校で同期だったんだ。卒業した後、二人で第一空挺団の門を叩いて、気がついたら二人揃って特殊作戦群でコマンド部隊を率いていた。その中でも山内はとりわけ優秀な指揮官だった」
「そんなに凄い人だったんですか?」
 英司は意外そうな顔で寺田に尋ねた。彼の中では多分山内は小さな村の代表者でしかなかったのだろう。寺田は英司の方に顔を向けてこう答えた。
「部隊が創設されて以来最も優秀な指揮官といわれた男だよ。東富士演習場で行ったシナリオ無しの演習で、あいつの小隊が対抗部隊を全滅させたと聞いたときは上官も子供みたいにはしゃいでいたのを覚えている。俺も防大同期として鼻が高かったよ」
 英司は呆然とその話を聞いていた。どうやってリアクションしていいのか分らないんだろうな、と横にいた房人は思った。
「とくに優秀だったのが情報収集の技術だ。特殊部隊は、占領地域での地元民の懐柔や長距離偵察の時に様々な情報を収集しなければいけないんだが、山内はその能力においてずば抜けていたんだ。勿論、特殊部隊の指揮官としての能力も。事実、前の戦争であいつは自分の部隊を率いて、大活躍したんだ。でも……」
「でも?」
「戦いが長引くに連れて、次第にあいつの性格も変わり始めたんだ。知っての通り、戦争では何人もの人間が死ぬ。それは敵ばかりじゃない、味方にも同じように起こることだ。戦いの中であいつは多くの部下を失った。しかも特殊部隊という舞台の性質上、危険な敵戦線後方での破壊工作やかく乱に休み無しで駆り出された。悲しみにくれる暇もなく、ひたすら敵を殺す事をし続けた。それと同時に一緒に過ごしてきた仲間を失っていったんだ」
 寺田の顔は次第に曇っていった。多分当時の事を思い出しているのだろう。彼もまた一人の兵隊として多くの仲間や部下を失ったはずだ。そんな事をボンヤリと浮かべていると、英司の中で両親を目の前で殺された時の事や気持ちがフラッシュバックした。
「本来特殊部隊隊員は極限状態でも耐えられるかどうか入隊時に心理テストを受けるんだが、それでは人間が持っている弱さを暴けなかったみたいだな」
 寺田は言葉を終わらせると、「すまない。長話に立ち合わせて」と二人に謝った。
「いや、そんな」
 英司は歪んだドアを閉めるような口調で答えた。
「それじゃ、失礼します」
 英司は一言礼を言うと、頭をペコリと下げて建物を出た。その後姿を見送ると、房人は寺田にこう呟いた。
「今の話、俺初めて聞きましたよ」
「いずれは話そうと思っていたんだが、何しろ一生消えない心の傷のような物だからな。中々話す機会がなくて」
 寺田は独り言のように漏らすと、椅子から立ち上がって奥のほうへと消えていった。

 英司が外に出ると、丁度ガレージの方から戻ってくる美鈴とばったり会った。何か一仕事終えたのだろうか、Tシャツの袖をたくし上げて白い二の腕を露わにしている。左の二の腕には中国の伝記か何かに出てきそうな雲の間を縫って飛ぶ龍の刺青が彫られていた。
「寺田さんからの用事はもう終わったの?」
「まあね」
 美鈴が尋ねると、英司は鷹揚に答えながら持っていた封筒を見せた。すると視線を美鈴の白い二の腕に移して、こう聞いた。
「凄いな、それ」
 美鈴は英司に一瞬何を質問されたかどうか分らなかったが、すぐに左腕にある龍の刺青の事を聞いていることに気がついて、「ああこれ?」と一言置いてからこう答えた。
「これはさ、隣の村の有名な彫り師の人に彫ってもらったんだ。房人も右腕に同じような刺青を彫っているよ」
「あいつも?」
「うん、バルカン砲を抱えた鶴のヤツ。結構カッコイイんだよなこれが」
 美鈴が自慢げに答えると、英司はふうんと頷いて「それじゃ」と一言言ってゲストハウスへと向かった。もう一言二言何か話せば良かったとゲストハウスへ戻る途中思ったが、寺田のさっきの話を聞いた後ではなんとなく気が重かった。たとえ話の内容が何であれ、人の心に傷つけられた傷、あるいはそれを思い起こさせるような事は気分がいいものではない。時間という薬がその傷を隠しても、埃に埋もれただけで傷が消えたわけではないのだ。だからこそ、人は関係のない話をしてその事を忘れようとするのだろうか?だとしたらやはり美鈴ともう少し何か話しておくべきだっただろうか。
 ゲストハウスに着く頃には、目を覚ました綾美が外に出て大きく伸びをしながら深呼吸をしていた。綾美は戻ってきた英司に気がつくと、「お帰り」と軽く声をかけた。
「寺田さんのところに行って、簡単に話をしてきたよ」
 英司は綾美が質問するのを待たずに部屋を出た理由を答えた。綾美は気にする様子も見せずに、「そう」と一言答える。
「あのさ、ちょっと聞いてもいいかな?」
 英司は間髪を入れずに綾美に聞いた。それと同時にさっき寺田から聞いた山内の話が、言葉によって色づけされていない、粘っこい液体のようなものになって頭の中にたまってくる。
「なに?」
 綾美は意外そうな表情で聞き返した。多分最近英司に質問されるような事がなかったか思い返しているのだろう。
「山内さんの事なんだけれど」
「山内さんがどうかしたの?」
 綾美の何気ない返答に、英司は喉を詰まらせた。全くと言っていいほど次の言葉が浮かんでこない、まるで頭の中の脳神経が一時停止したみたいに、次の言葉が浮かんでこない。その代わりに、早く言葉をつなげなければいけないという変な焦りと、ちゃんと頭の中で文章を組み立てておくんだったという後悔の念がにじみ出てきた。質問をされた綾美は言葉に詰まった英司の顔をみて、心配そうに彼の目を見つめている。英司は綾美から表情を見られないように顔をずらし、必死に何を言うべきか落ち着いて要点を整理し始めた。
「山内さんってさ、凄い人だったの?」
「凄い人って?」
「だからその、昔の戦争で、結構活躍した、コマンド部隊の英雄みたいな人だったって、さっき寺田さんから聞いたんだけれど」
「へえ、そうなんだ。はじめて聞いたわ」
 綾美は驚いた様子で答えた。どうやら彼女もこの話を聞くのは初めてらしい。
「山内さんからは聞かなかったの?」
「うん。あの人は自分の過去について全く話さない人だったから、聞いたことは一度も無いの」
「そう」
 英司は俯いたまま漏らした。やはりどんな人間にも、思い出したくない過去や体験というものは、何もせずにそのままにしておくべきなのだ。たとえ本人がその場にいなくても、そういう心遣いが思いやりと言うのかもしれない。
「でもね、今から二年くらい前に、昔の事を聞いてみたくなって思い切って聞いてみたの、〝戦争があったころ、どんな事をしていたの?〟って」
「それで?」
「山内さんは、〝唯の一兵隊として戦った〟としか答えなかった。もっと聞きたいと思ったけれど、何だか触れてはいけないものに触れてしまいそうな気がして、聞くのを止めたの」
「そう」
 英司は視線を宙に結んで、小さく漏らした。まるで言葉か空中に吸い込まれて、跡形も無く消えてしまうそうな言い方だった。空は既に西の空を茜色に染めて、辺りには夜の気配が近づき始めていた。
「もうすぐ飯だと思うから、向こうの方に行こうか」
「うん」
 綾美はそう答えると、トレッキングシューズに足を突っ込んで、英司と共にゲストハウスを出た。

 二人が建物に入ると、奥の方の部屋からいい匂いが流れ込んでくるのが分った。その匂いに食欲を刺激された二人は、匂いを辿って奥の部屋へと足を進めると、七畳程の長方形の部屋に出た。その部屋の中央に用意された長テーブルにはお皿やコップが置かれ、席の前には箸とスプーンが用意されていた。近くにある調理場を覗いてみると、中では一人の男が大鍋の前に立って、木の棒を持ち鍋の中身をかき回していた。
「もう少し待っていてくれ、最後の隠し味を入れたら終わるから」
男は調理場を覗いていた英司たちに気がつくと、そう一言呟いて近くに置いてあった醤油注しを手に取り、目分量で鍋の中に注いだ。
「さて、出来た。すまないが、どっちか一人皆を呼んできてくれないかな、野菜サラダの盛り付けもしないと」
「じゃあ私、呼んでくるね。英司はお皿の方をお願い」
「え?うん」
 英司が生返事を返すと、綾美は踵を返して一旦建物の外へ出た。
「それじゃあ、君には野菜サラダの盛り付けを頼むよ」
 男はそう言うと、調理場中央の調理用テーブルの上に置かれた大きなボウルを顎で指した。近くにあった桶の水で手を洗い。サラダの入ったボウルと木のトングを持って、テーブルのほうへと向かった。
「小さい深皿が大皿の横においてあるだろう、それに量が均等になるように盛り付けてくれ」
 男はそう英司に指示して、釜の中の白い炊き立てのご飯をほぐし始めた。英司は無言で頷いて、大皿の右上に置かれた小さい深皿にサラダを盛り付けた。サラダの具は、レタスに切ったミニトマトにかいわれ大根と炒めたベーコンだった。既にサラダは特製ドレッシングで絡めてあるらしく、酢の匂いが少しだけ鼻を掠めた。
 サラダを深皿に盛り付け終えると、今度は釜で炊いたご飯をほぐすように頼まれた、釜の蓋を開け、木のしゃもじを濡らして、湯気の立つ白いご飯を解していると、皆を呼びに行っていた綾美が寺田達を連れて入ってきた。
「今日のメニューは何だい?」
 寺田が調理担当の男に尋ねると、男はニッコリ笑顔を作ってこう返した。
「護衛艦むらさめ直伝のカレーですよ」
 男が答えると、後ろに居た房人と美鈴が「よしッ」と軽くガッツポーズを決めた。
「何かいいことでも有るの?」
 綾美が房人と美鈴の方を向いて尋ねた。どうやらお昼のメニューを聞いただけでガッツポーズをした二人の反応が気になるらしい。
「何って、この人の作るカレーは護衛艦むらさめ直伝だよ。最高にうまいんだから。取り合いになってすぐに無くなるうちの名物メニューなんだから」
 美鈴が綾美の目を見て力説すると、綾美は「本当?」と目を光らせて呟いた。
「まあ一口食べれば分るよ、さあさあ、みんなテーブルに着こう」
 美鈴が上機嫌に言うと、彼らは寺田を一番奥にしてそれぞれの席に着いた。
「それじゃあ、今日の夕食にありつけた事を感謝して、頂きます!」
 房人が両手を合わせ大きな声で高らかに挨拶すると、皆もワンテンポ遅れて「頂きます」と口々に呟いた。英司はスプーンでカレーをすくって、一口に入れると、スパイスの効いた辛味からベースとなっているスープや具の野菜と隠し味の調味料などが複雑に絡み合って絶妙な味に、英司は一瞬言葉を失った。口に入れたカレーを一口飲み込んで、一呼吸置いてから、「凄くおいしい」と夢遊病患者のように呟いた。
「本当。凄くおいしい」
 綾美も、英司に少し遅れて感想を述べた。
「だろ?この上岡さんが作るカレーは最高に美味いんだから、ジャンジャン食えよ」
 房人が口にカレーを入れたまま、隣に座っていた上岡という人を紹介すると、上岡は照れくさそうに苦笑いを漏らしながら、頭を少し下げた。
「こっちのサラダも食べてくれ、うちで取れた野菜をふんだんに使っている」
 上岡が進めると、英司は自分で盛り付けたサラダを一口食べた。みずみずしいレタスはシャキシャキと音を立てて口の中千切れ、炒めたベーコンの塩味とドレッシングの酸味が程よく交わり、カレーの辛味を上手く消してくれる。口の中のサラダを飲み込むと、今度は半分に切られたミニトマトに箸を伸ばした。
「このサラダに入っているミニトマトは、初めの頃は中々上手く実らなかったんだ。だけど、何年か試行錯誤を繰り返すうちに今のようにする事が出来たんだ」
「へえ、そうなんですか」
 上岡が説明すると、英司はじっと半分に切られたミニトマトを見つめながら、そのトマトを口に放り込んだ。特に変わった味がするとか、甘みが違うとかの違いはよく分らなかったが、ここの村の人たちが苦労をかけて改良を重ねたトマトだと思って味わうと、このトマトを作った人たちの苦労が目に浮かんでくるような気がした。
「外に居る連中には配ったか?」
 寺田が上岡に聞いた。
「はい。別の鍋に入れたカレーを米とサラダと一緒に持って行かせました。今頃は飯盒に盛り付けて食べている頃でしょう」
「ならいい。美味いメシは活力の源だからな」
 上岡の答えに寺田は満足そうに答えると、カレーをすくった。


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