文字数 4,308文字

 森の中を無言で歩いていると、青空から降り注ぐ太陽の熱のせいで、襟元が汗ばんでくる。それに気づくと今まで感じなかった足の疲労が、今になって感じられるようになった。自分では長い距離を歩いた実感が無かったのに、今になって足が重くなるのは不思議な事だなと思った。
 どこか小休止に適当なところは無いかと歩きながら探していると、それ程背の高くない、丁度いい感じの木の陰に入って休みを取る事にした。背負っていたバックパックを置き、地面に腰を下ろして木の幹にもたれた。
 腰につけたベルトから水筒を取り出して一口水を飲む。特別冷えていた訳でもなかったが、疲れたときに飲むと気分が楽になった。
 視線を上げて、影を作っている木の枝葉に目を向ける。青々とした葉が太陽の光を透き通らせて、淡い緑色のグラデーションが光り輝いている。鼻から息を吸い込むと、湿った木と土のにおいがすっと頭の中に入ってきて、頭の中の芯がぼうっとなるような気がする。それと同時に、人間とは愚かで下らない生物なのだというような黒いものが、胸の中ににじみ出てくる。 
 人間なんて所詮そういうのもなのだろうか?と彼は思った。しかし自分が今までに行ってきた行為を振り返ってみると、やはりそうなのだという気持ちが自分の中を支配していって、それきり考えなくなった。少し休もう。自分に言い聞かせて少しだけ眠った。
 どこかで言い争いのような声が聞こえてくる。覚醒と眠りの間を彷徨っていた彼は目を覚ますと、もう一度その声を聞くために耳を澄ました。すると、もう一度怒鳴るような声が聞こえてきた。会話の内容までは分からないが、大人の男の声だ。こんな森の中で大声を出すのか?と彼は思った。
 彼はすぐに立ち上がり、ベルトに通したポーチからポケットスコープを取り出す。声の聞こえた方向は木々に遮られていて見えない。本来ではするべきではなかったが、彼は体重を預けていた木に登る事にした。木に登って声の聞こえた方向にポケットスコープを向けると、汚れた野球帽を被っている男の背中が見えた。手に89式小銃を持っているから、おそらく山賊か何かだろう。すぐ脇にはそいつの仲間らしいボサボサの長髪をした男が同じように89式小銃を持って何か話しかけている。なんだろうと思って目を凝らすと、男の間に一人の女の姿が見えた。歳は十四、十五くらいだろうか、茶色かかった長めの髪をピンでまとめて、後ろの髪をゴムでアップにした、化粧気の無い整った顔立ちをしている。どうやら一人で森の中を歩いていて、こいつ等に出くわしたのだろう。怯えきった目で、二人の山賊を見つめている。
 助けてやるか。彼は胸のうち呟くと、一旦木を降りてバックパックの脇に置いたライフルバッグの中から、迷彩塗装を施したM24狙撃銃と銃弾を取り出し、もう一度木に登った。
 身体をちゃんと固定するように枝に足をかけて、銃のストックを安定させる為に枝の上に乗せる。ボルトを弾いて薬室からマガジンに実包を送り込み、ボルトを元に戻して装填完了となった。スコープに取り付けられた保護キャップを取り外し、さっき見つけた山賊と女の子の方に銃口を向けた。両目で覗き込むスコープの中には、ミルドットの目盛りが付けられた十字線が不気味に浮かび上がっている。
 彼はスコープの十字線を、野球帽を被った山賊の頭に合わせた。距離は十六メートルほど、風は左から二メートル。呼吸を整え、銃の引き金に人差し指の第二関節をのせ、激鉄が落ちる寸前の所まで引き金を引く。
 鼻からゆっくり息を吐き、そしてまたゆっくりと息を吸い込んで、息を止める。それから脈が二回打つのを待つ。すると山賊に囲まれていた少女が、何かに気がついた様子だった。それに反応した野球帽を被った山賊がこちらの方を振り向くと、彼は引き金を一気に引いた。バンという音と衝撃が彼の右肩に伝わり、それと同時に野球帽の男の下顎から上が吹っ飛んで、ドサッと地面に倒れこんだ。 
 突然の出来事に少女は短く悲鳴を上げて目を閉じ、その場にしゃがみこんだ。彼は手馴れた動作でボルトを引いて次の弾を薬室に送り込むと、今度は長髪の男に照準を合わせた。長髪の男は相棒の身に起こった事が理解できずに、ただ慌てふためいていた様子で、89式小銃の銃口を銃声のした方向に向けていた。彼は驚く様子も無く照準を男の口元に合わせ、呼吸を整えて引き金を引いた。銃弾は男の頬骨の辺りに当たり、顔の半分を粉々にして男を黙らせた。
 少女のほうはしゃがんだ身体をゆっくりと立ち上がり、慎重に目を開いた。少女は初めて見る無残な人間の変わり果てた姿に、喉を凍らせているようだった。
 彼はボルトハンドルを引いて空薬莢を外に出すと、少女の顔にスコープの十字線を合わせた。黒くて澄んだ大きい瞳が、太陽の光をキラキラと反射していて美しい。すると、こっちのスコープの反射を見つけたのだろうか、少女と思わず目が合った。まずいと思って、スコープから目を離すと、足が木の枝の上を滑って宙に浮く感じがした。
 彼は悲鳴を上げる暇も無く、そのまま木から地面に落ちた。


 始めは一体何が起こったのかは良く分からなかったが、 離れた場所の木の枝から何か光るものが一瞬見えたので、そこ目を向けると、視線をずらした事に気がついた山賊の一人が同じ方向に目を向けた。その瞬間に火薬が鉄の中ではじけるような音がして、山賊の頭が粉々に吹っ飛んだ。それと同時に思わず身を屈めて目をつぶった。もう片方の山賊が何か喚き散らしながら慌てふためいていると、またあの音が響いて山賊の頭を粉々に吹き飛ばした。
 山賊が全員倒れたのを確認すると、ゆっくりと立ち上がって、倒れた山賊の死体を見ないように、もう一度あの木の方向を見つめた。木の中には相変わらずキラキラと何かが太陽の光を反射していて、その光に目を合わせると木の中から何かが落ちた。多分山賊二人を地獄に送った人間だろうというのはすぐに見当がついた。横目で倒れた山賊を見ると、粉々に砕けた頭蓋骨の中から赤くてか黒いのか良く分からない物体が流れ落ちていて、すぐに目を逸らした。
 彼女は暫く光を反射していた木を見つめた。何かが落ちた後、こっちに何か危害を加える意思は感じなかった。彼女は持っていたナイフを革の鞘から取り出し、震える足を無理矢理に動かしてその木に向かう。膝の辺りが震えて歩きにくかったが、必死に前に進んだ。
 木の近くまで来ると、何でこんな所に自分は向かっているのだろうか?と彼女は思った。山賊はこのあたりにちらほら出没しては、物を奪い、人を殺し、自分と同じくらいの女の子を捕まえては嬲り物にしているという話も聞いた。
 そんな恐ろしい山賊をあっという間に殺してしまうのだから、きっと恐ろしい奴だ。そんな奴が村に近寄る前に殺さなくてはいけない。という気持ちが段々彼女の中に芽生えてくる。それと同時に。そんなことをする人間は一体どんな姿をしているのだろうというある種の興味のようなものも芽生えてきた。自分に撃って来なかったということは、もしかしたら自分を助けてくれたのかもしれないという考えが彼女の中にかすかに顔を覗かせていたのだ。
 木のすぐ側まで近づくと、彼女は持っていたナイフをもう一度握り締めて、生唾を飲み込んだ。注意深くあたりを見回すと、先ほど山賊を撃った者の荷物らしい大きなバックパックや水筒が置かれている。さらに見回すと、狙撃に使ったらしい銃を入れるケースも見つけた。
 その瞬間、背後で人が静かに息を立てている気配を背中で感じた。恐る恐る振り向いてその方向に足を進めると、一人の人間が仰向けになって倒れていた。近くによってみるとそれはどうも背の低い男らしい。彼女はナイフを持ったままさらに近づき、男の顔を見た。すると、そこにいたのは自分とそれ程歳の違わない少年だった。少し長めの黒くしなやかな髪に、透き通るような白い肌。オリーブドラブのジャケットを着て、胸には茶色や緑色で塗装されたライフル銃を抱えている。
 少年の目がかすかに動く。少女は一瞬たじろぎ、半歩ほど後ろに下がる。少年はゆっくり身を起こすと、すぐに少女の存在に気がついて肩から提げていた9mm機関拳銃の安全装置を解除して、銃口を少女の方に向けた。
「誰だ。おまえは」
 少年は小さな肉食動物が獲物のリスを狙うような目で睨みつけた。睨まれた少女はその行動に恐れをなし、一歩引き下がった。
「待って、あなたさっき私を助けてくれたでしょう?」
 少女は出来るだけ相手を刺激しないような口調で答えた。その言葉に少年は先ほどの事を思い出したのか、幾らか視線が弱くなった。 
 少女は持っていたナイフを隠すと、こう続けた。
「あたし、この近くの村に住んでいるんだけれど、薬になる草を集めている時に、さっきの山賊に襲われていたところを、あなたに助けてもらったの」
「だったらなんなんだ」
 少年は銃口を少女の心臓の辺りに狙いにつけながら答えた。少女は必死に次の言葉をひり出した。
「だからその、どんな人なのか知りたくなって、命の恩人なんだから、お礼の一つくらいしようかなって」
「人を二人も殺した奴に?」
「でも、あいつらはこのあたりに出没しては色々と悪さをしていたし、村の物や農作物を盗むからみんな恐れていたの」
「人の命に、良いも悪いも無い」
 少年は不貞腐れるように呟きながら立ち上がると、少女に敵意が無いと判断したのか9mm機関拳銃に安全装置をかけた。そして胸に抱きかかえていたM24を手に取り、スコープマウントの位置が狂っていないか確認し始めた。
「その銃でやっつけたの?」
 少女が尋ねた。
「ああ、そうだけれど」
 少年は相変わらず人を突き放すような口調で答える。
「すごいね、あんなに遠くから一発でやっつけちゃうなんて」
「すごい事じゃない。センスの問題はあるにしろ、訓練をすればあの程度の事は誰にだって出来る事だよ」
 少年はそう呟きながら一通り銃のチェックを終えると、置いてきた荷物を回収しに向かった。M24をライフルケースに収めると、バックパックを背負ってその場を立ち去ろうとする。
「ちょっと待って」
 少女は少年を呼び止めた。少年は立ち止まって少女の方を振り向く。その視線は先ほどに比べると穏やかなものだったが、まだ残酷な本性を中に潜めているような感じだった。
「私の村はすぐそこなの、あなた一人でしょう?」
「そうだけれど?」
 少年は尚も不服そうな態度で、少女を見つめ返す。
「だったら寄っていかない?お礼がしたいの」
 少女は微笑みながら答えた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み