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文字数 11,674文字

 川口市東側の東京都足立区に近い地域に展開していた宇野の小隊は、住宅街を複数の班に分かれて移動している最中に、突然81mm迫撃砲による攻撃を受けた。幸いにも彼の小隊から負傷者は出なかったが、工場地帯に展開していた部隊からは負傷者が出ているとの報告だった。敵は恐らく人口密集地に砲弾をあまり落としたくないのだろう。その甘さが駄目なんだよ。と宇野は思った。
「迫撃砲弾で良かったな、155mm榴弾砲だったら今頃全滅だぞ」
 隣に居た土居が漏らした。彼はスーパーでの一件と損耗した戦力補充も兼ねて、宇野の小隊のオブサーバーとして加わっていた。
「榴弾砲が運べないのはトレーラを動かす燃料が無いからだろう。敵は燃料不足で動かせるのはごく一部の部隊のはずだからな」
 宇野はそう返すと、近くに居た無線兵に向かって無線機を寄越すように指示した。受話器を手に取りチャンネルを合わせ、向こうの無線手に向かってこう叫んだ。
「ドーラよりアハトへ、応答されたし」
 宇野はそういって返信を待ったが、すぐには返ってこなかった。しばらく間を開けてもう一度呼び出すと、ようやく相手と繋がった。
「こちらアハト、敵の攻撃を受けた。現在敵部隊と交戦中」
 無線に答えたのは向こうの小隊長だった。無線の声に混じって銃声と爆発音が鳴り響き、こちらまで聞こえてくる。
「敵の規模は?」
「恐らく一個中隊」
「被害はどうだ?」
「負傷六名死亡二名の損害だ。このままじゃなぶり殺しになる。支援に来てもらえるか?」
「十五分でそっちに行くよ。アウト」
 宇野は受話器を戻すと、土居に向かってこう呟いた。
「悪いけれど隊の半分を指揮して貰えないか?先に身軽に動ける部隊を送って支援に向かわせたい」
「いいぜ、罪滅ぼしになるなら。カールグスタフ二門と弾薬をくれ、火力はでかい方がいい。それと連絡用の無線機とヘッドセットマイクも」
「分かった。俺達は側面に回りこむ」
 二人はそこで会話を切り、部下を七人ほど集めて土居の指揮下に入るよう指示した。彼らは宇野から簡単な説明をすると、無反動砲を担いだ兵士からこんな質問が飛んだ。
「重迫撃砲による支援はありますか?」
「後方に展開している重迫中隊は西側に展開する部隊の支援で手一杯だ。支援の要請はするが、実際に来るは分からん」
 宇野の言葉に、皆は黙ったままだった。西側の主力部隊と対峙する敵部隊が思ったより強敵で、支援を要請できるような状態ではなかったし、おまけにこっちの戦力はドーラとアハトを合わせても四十人前後しかなく、百人前後は居るであろう敵部隊の半分以下でしかない。人口密集地に逃げ込んで防御戦闘に持ち込めればこっちにも勝機はあるかもしれないが、こちらが不利なのは分かりきっていた。
「とにかく、ベストを尽くしてくれ。以上だ」
 宇野がそう言って終わらせると、彼らは足早に工場地帯の方へと向かっていった。


 綾美は腕を撃たれた英司を近くの百円パーキングの奥に連れ込むと、来ていたジャケットの袖を引き裂いて、撃たれた傷口を見た。肘から先の皮膚が何かで抉ったようにめくれ、赤い筋肉が湧き出る血の中に見えた。綾美はすぐに小脇に抱えていた救急セットをひっくり返し、傷口にガーゼを当ててその上から圧迫包帯を巻いた。包帯を巻く度に、英司が苦しそうな呻き声を漏らすと、綾美は自我というものがくしゃくしゃになって、自分が一体今まで何をしていたのかさえ分からなくなった。
「ごめん。また綾美に迷惑をかけて……」
「なんで英司が謝る必要があるのよ。悪いのは転んだ私じゃない」
英司が痛みに耐えながらポツリと漏らすと、綾美は包帯の端を結びながら答えると、さらにこう続けた。
「何で私ってこう下らないミスばかりするんだろうね、自分で自分の事を叱りつけたいよ」
 綾美が自嘲気味に呟くと、英司は何かに弾かれたように綾美の腕を掴んで思わず口走った。
「そんな事……」
 突然腕をつかまれた綾美は驚いた様子で英司を見つめると、英司は初めて何も考えずに綾美の腕を掴んだのに気が付いた。自分で一体何をしたかったのか、思い出そうとしても思い出せない。何かの手違いで失くした物のように、頭の中が真っ白になっている。
「そんな事、無いよ」
 英司は無意識のうちに同じ言葉を繰り返した。
「どうして?」
「だって、俺は綾美に色々と助けてもらったじゃないか、足を引っ張るような事なんか、していないよ」
「だけど、英司は私のせいで傷ついてばかりいるじゃない。昨日だって・・・」
「そんなのは俺が自分で決めた事なんだから、綾美は気にする事なんか・・・」
「やめて、そう言うのは」
 突然綾美が刃物で柔らかい何かを切り落とすような口調で遮ると、綾美は自分の腕を掴んでいる英司の手を握ってこう続けた。
「英司が私の事をかばってくれるのは嬉しいよ。凄く優しい人なんだなっていうのが痛いほどに分かるよ。だけれど、私自身が自分を律したい時は、何も言わないで」
 綾美が静かにそう漏らすと、英司は自分の中で凝り固まっていた思考回路が単純化されて、清らかな水が体中を駆け巡り浄化されるような感覚を味わった。そうだ、自分の目の前にいるのは絶対に守りたい存在であると同時に、一人の人間なのだ。英司は改めてその事を自覚すると、再び自分が無に帰ったような気がした。
「そうだよね、妙な事口走ったりして、ごめん」
「いいよ、気にしないで。私、英司と一緒に居ると辛い事があっても乗り越えられるようになったような気がする」
「それはどういう意味?」
「英司は私と出会って、〝自分が変わった〟って言ったよね。私も同じ、英司や他の皆と一緒に過ごすうちに、何だか自分が凄く頑丈な女になった気がする。確かに私はここまで来るのに色んな物を失ったけれど、それに押し潰されない何かを手に入れることが出来たと思う」
 綾美のまっさらな気持ちを吐露した言葉に、英司は何も言えなかった。
「〝自分を変えてくれた人を絶対に失いたくない〟って言ってくれた時、私凄く嬉しかった。こんなちっぽけな自分が、初めて人の役に立てたんだって、心の底からそう思ったの」
 その言葉を聞いた英司が何物にも変え難い幸福な気分を味わうと、突然頭上から空気を切り裂く音が響いてきた。まずい!と思った英司はそのまま綾美の体を強く抱きしめてその場を離れようとしたが、同時に81mm迫撃砲弾が丁度背後のコンクリート塀の向こう側で爆発して、砕け散った破片と共に二人の体は爆風に吹き飛ばされた。破片が英司の背中に当たりながら二人は地面に倒れると、英司は一瞬目の前が真っ暗になって、すぐに気を取り戻した。身体の内側を揺さぶられた感覚から必死に五感を取り戻そうとしていると、煤と埃で顔が汚れた綾美が自分の腕の中で気を失っているのに気が付いた。
「綾美!」
 英司はまだはっきりしない感覚の中で彼女の名前を告げたが、綾美は目を覚まそうとしない。英司は彼女の上体をゆっくり起こして、もう一度叫んだ。
「綾美、しっかりしろ!」
 それでも綾美は目を覚まそうとせず、ただぐったりと首を傾けたままうなだれて居るだけだった。英司は彼女がまだ呼吸をしている事を確認すると、今度は身体を軽く揺さぶって再び彼女の名前を叫んだ。
「綾美!お願いだ、目を覚まして!」
 英司は家族を失ったときの悲しみはもう二度と味わいたくないという願いを込めながら何度も彼女の名前を叫び続けると、彼女の目が微かに反応したのが見えた。そしてそのまま綾美がゆっくりと目を開けると、おぼつかない口元を動かしながら「英司?」と弱々しく呟いた。
「そうだよ。怪我は無い?」
 英司のその言葉がきっかけになって、綾美も次第に感覚がクリアになってくるのが分かった。吹き飛ばされた衝撃で頭の内側が撓んだような痛みがまだ残っているが、問題は無いだろう。
「私は大丈夫、英司は?」
 綾美は英司の腕にもたれながら答えた。
「俺も平気、なんともないよ」
 英司が答えると、綾美が小さく微笑んだ。互いの瞳の中に自分の顔が写って、その奥にあるものの存在が、とてつもなく愛しく思えてくる。
「なら、良かった……」
「綾美」
 突然英司が思いつめたような口調になって彼女の名前を呼んだ。その言葉に意識を奪われた綾美はもう一度英司の瞳を見つめて、自分の精神が優しくて温かい何かに包まれている事に気付いた。
「好きだ、君の事が。だから……絶対に死なせたくない」
 英司がそう言うと、二人は軽く目を閉じて唇を重ねた。戦闘を潜り抜けてきたせいで火薬と埃の臭いが残っていたが、そんな事はどうでも良かった。この時間が永遠に続いて、何処か遠くに飛んで肉体と精神が大空と同化してしまえばいいのに。そしてそのまま宇宙へと旅立ち、争いも憎しみも無い世界へと飛び立って、そこで永遠に暮らしていたい。と二人は思ったが、その願いも遠くから聞こえる銃声と爆発音に砕かれてしまった。
 二人は静かに唇を離して目を開き、再びお互いの目を見つめあった。さっきまでは無かった何かがまるで魔法を掛けたみたいに現れて、身体の奥を温かくする。
「行こう。俺達の帰りを待ってくれている人が居る」
「うん」
 二人はそのまま立ち上がると、再び東京を目指して走り出した。


 川口市西部で第一空挺団の戦線に向かっていた房人と岡谷達は、彼らが合流した地点から二キロ進んだ、東の方にドラッグストアがある交差点まで来ると、スーパーに隠れて現在位置を確認した。
「今俺達が居るのがこの交差点、空挺団がここから南西に向かった住宅街に展開している筈だから、あともう一息って所だな。弾薬は持ちそうか?」
「何とか。敵がしつこかったんで思ったより使っちまいましたけれど」
 岡谷の質問に、房人が疲労を滲ませながら答えた。撤収する際の敵の追撃が予想以上に激しく、踏みとどまって敵を撃退させるのに多くの弾薬を使ってしまった。もし敵の総攻撃にでも出くわしたら、間違いなく弾切れになってしまうだろう。
「とにかく、味方の戦線にたどり着かない事には何とも」
「左から敵!」
 突然、美鈴が岡谷の言葉を遮るようにして叫んだ。岡谷が慌てて美鈴の立つ方向に目を向けると、道路の先に敵が散開しているのが見えた。すぐさま政彦と中田が敵に向かって何発か撃つと、お返しとばかりに多くの弾が彼らの方向に空気を引き裂いて飛んできた。コンクリートの壁や柱に弾丸が命中し、音と衝撃が彼らの耳を襲う。
「建物を陰にして防御戦闘!」
 岡谷がそう叫ぶと、彼らはその場に踏みとどまって防御戦闘に入った。ここで下手に移動して味方の戦線から離れたら、それこそ危機的な状況に陥ってしまうかもしれない。ならばここで踏みとどまり、敵の攻撃が弱くなった所で一気に突破するというのが、岡谷の判断だった。
「手榴弾はすぐに投擲できるように何個か出しておけ、それに予備の弾倉もだ」
 岡谷がそう指示すると、彼らは手持ちの弾倉をとり出して足元に置いた。敵の銃撃はより一層激しさを増し、盾にしているコンクリートの壁が見る見るうちに穴だらけになってくる。岡谷は中田を呼んで無線機の受話器を手に取った。
「ハンマーヘッドより木更津12へ、聞こえたら返事をしてくれ」
「こちら木更津12、聞こえているぞ」
 竹之内の声を聞いた岡谷は、思わずホッと溜息を漏らしそうになった。
「現在南前川の交差点で敵と交戦中。抜けられそうな道が無いか探してくれないか?」
「了解、五分でそっちに行く」
 竹之内は無線を切ると、後部座席の西岡に向かってこう言った。
「機体の様子はどうだ?」
「小銃弾を何発か喰らってますが大丈夫な筈です。燃料もあと四十分は余分に飛べる分だけ残っています」
「よし、ちょっと一仕事するぞ!」
 竹之内はそう呟いて機首を振った。進路を南前川方面に向け、高度四〇〇メートルの高さで戦闘エリア周辺に近づくと、戦闘騒音がキャノピー越しに聞こえてきた。竹之内は戦闘エリアの周囲を大きく一周するように機体を旋回させながら、後部座席の西岡に脱出できそうな道を探すように指示した。
「南の方に真っ直ぐ一キロ進んで、そこから西川口方面に進めば味方の戦線にたどり着きます」
「了解!ありがとう」
 岡谷が西岡に礼を述べると、岡谷は受話器を戻した。
「連絡は着きましたか?」
 中田が岡谷に尋ねる。
「ああ、ここから南に向かって西川口の方に抜けろ、だと」
 岡谷はそこで言葉を切ると、各コーナーに張り付いて応戦していた四人に向かってこう叫んだ。
「移動だ!南に進んで西川口方面に抜ける!」
「了解、うさぎ跳びで後退だな!後衛は任せろ」
 政彦と一緒に応戦していた魚崎が答えると、政彦が敵を撃ちながらこう言った。
「すんません、弾はありますか!?俺のはあとマガジン三本しか残ってない」
「三十発入りの二本持っていけ」
 魚崎はそう答えながら、マガジンポーチから三十発入りの弾倉を二本取り出して、政彦のズボンの左尻ポケットに差し込む。
「よし、これから移動するぞ……」
 と魚崎が政彦に告げた瞬間、目の前に黒くて小さな物体が飛んでくるのが彼の目に映った。黒い物体はそのままヒュルヒュルと放物線を描きながら彼らのところまで来ると、そのまま遮蔽物にしていたコンクリートの壁に当たって爆発した。爆風とグレネード弾の中に入っていた鋸状のワイヤーが一緒に飛び散ると、ワイヤーは魚崎の右肩を傷つけ、政彦のこめかみと左頬、それに右肩を引き裂いた。政彦は一瞬何が起こったのか分からなくなったが、すぐに傷ついた部分が猛烈に熱くなるのを感じた。政彦は力を入れて立とうとしたが、力が上手く入らずによろけてしまった。
「政彦がやられた!」
 その言葉に気付いた美鈴が振り向くと、魚崎が自分の負傷も気にせずに負傷した政彦を引きずるのが見えた。美鈴は近くにいた房人と中田に援護を頼むと、魚崎と一緒に政彦を安全なところまで運んだ。
「馬鹿野郎、こんなところで足止めを食ってたらやられちまうぞ」
 政彦が苦痛に耐えながら漏らすと、美鈴が叱るようにこう言った。
「弱音を吐くんじゃないよ!そしたら理奈子にどんな顔して会うのよ?お涙頂戴のドラマじゃないんだから」
 政彦は美鈴が何を言っているのか良く分からなかったが、とりあえず負傷している自分を励ましてくれている事は分かった。美鈴は政彦の身体に刺さった破片を取り、傷口に消毒液をぶちまけて、その上から包帯を巻いた。
「歩けそうか?」
 魚崎が尋ねる。
「大丈夫、まだ戦えます」
 政彦が語尾を強めながら答えると、そのまま立ち上がって戦列に戻った。銃を撃つたび、反動で傷口がめくれるような痛みが走ったが、そんな事を気にする余裕など無かった。
 彼らはうさぎ跳び前進で西川口方面まで何とかたどり着いたが、敵の追撃の手は弱まる事を知らず、倒しても倒すたびに敵が強くなってくる。自分達がじわじわと追い詰められているというのが手に取るように分かった。
 房人が取り出したRPG‐22ロケットランチャーで敵の機関銃手を倒すと、自分を援護している中田に向かってこう叫んだ。
「中田さん!ヘリに俺達の現在位置を教えて、上手く行けば支援が要請できるかもしれない」
「オーライ!やってみる」
 中田は背負っていた無線機の受話器を掴んだ。
「ハンマーヘッドより木更津12、応答されたし」
 中田は無線機に向かってそう叫んだが、反応は無かった。中田は喉が潰れそうなほどの声で何度も叫んでも、向こうに無線が繋がった様子は無かった。
「ダメだ!無線が繋がらない」
「何だって!?終わりかよ」
 魚崎が呟くと、岡谷がすぐにこう叫んだ。
「アホ!まだ終わりじゃない。最後まで諦めずに頑張るんだよ!!」
 岡谷のレンジャー教官のような声は、房人達を少しだけ勇気付ける事はできたが、近くに打ち込まれたロケット弾の爆発がそれをかき消した。もう既に彼らの持つ弾薬の数は弾倉が二、三個残っているだけで、残った武器は腰につけた拳銃とナイフ程度しかない、折角ここまで来たのに、全滅で終わりかと諦め掛けた瞬間、上空から遠雷のような音が轟いてきた。音に気付いた美鈴が上を見上げると、青磁色の空の中に不純物のような濃い青色の小さな塊が二つ浮かんでいるのが見えた。青い点が二つ揃ってこちらの様子を伺うように旋回する姿に見とれていると、思わず「何にあれ・・・」と漏らした。
そしてそれと時同じくして、中田の背負っていた無線機に連絡が入った。
「木更津12よりハンマーヘッドへ、無駄にでかい声だな。耳が痛くなったじゃないか」
「冗談を言っている場合か!こっちは今にも死にそうなんだぞ!?」
 中田が声を荒げると、竹之内は冷静な声でこう返した。
「心配するな、ちょっとお客さんをエスコートして連絡できなかったんだよ。現在位置をスモークか照明弾でマークしろ。航空支援が来る」
「それは本当か!?」
「ああ、そうだ。だから早くマークしろよ」
 中田はそこで無線を一旦切ると、岡谷に向かって「航空支援が来ます!」と叫んだ。
「なら俺達の現在位置を知らせろ!スモークグレネードはあるか?」
 岡谷が敵を拳銃で撃ちながら答えた。既にメインアームのHK416A7の弾は底を着き、普段から愛用しているグロック41のみが彼に残った銃だった。
「俺がやる!援護してくれ!!」
 そう叫んだのは政彦だった。彼は房人からスモークグレネードを投げ渡されると、そのままピンを抜いて近くに投げた。シューという音と共に赤い煙が噴出し、そのまま風に乗ってこちらの方に流れてくる。風の向きを計算に入れなかったせいで視界が煙で覆われて、息が苦しくなった。
「馬鹿!なんでこっちに投げるのよ!?」
 美鈴が苦しそうに咳き込みながら叫ぶ。
「とにかく要請しろ!このまま死ぬよりマシだ!!」
 岡谷が叫ぶと、中田は無線機で竹之内を呼んだ。
「ハンマーヘッドより木更津12へ、スモークはレッド。すぐにやってくれ!」
「了解、頭を低くして待っていろ」
 竹之内はそう答えると、チャンネルを切り替えて上空待機しているF‐2A支援戦闘機を呼び出した。
 

 航空自衛隊第3航空団第3飛行隊に所属する江本真五二等空佐は、低高度を飛行する前線航空管制のOH‐1から航空支援の要請を受けると、機体を左に傾けてスロットルを開け、攻撃のアプローチに取り掛かった。機体の整備は不十分で、それに燃料不足が追い討ちをかけて訓練飛行すらままならない。自分は戦争前に戦闘機部隊に配属されたが、これからパイロットを目指す若者はこの先現れるのだろうか。
「対地攻撃のスクランブルなんて世も末だな」
「まあ仕方ないですよ。他の国も自分達の事で手一杯ですから、領空侵犯する余裕なんてありませんしね」
 江本の呟きに、ウィングマンの白野公平二等空尉が答える。
「高度一二〇〇フィートで侵入する。一発勝負のピンポイント爆撃だ。いいな?」
「了解、一度でいいから生身の人間相手に爆弾を落としてみたかったんです」
 白野の毒のある返事に、江本は少し不快感を覚えた。人殺しを日常的なものと受け止めながら育った彼らの世代は、どうしても何かに付いて残酷な一言を付け足す嫌な癖がある。 彼らの世代が親となり、生まれた子供達がそういった環境で育つ事を想像すると、江本は恐怖を感じた。戦争で一番恐ろしいのは戦火で人が死ぬことではなく、極端なナショナリズムに煽られた若い人々と権力者が国を誤った方向に導く事と、正義の為なら何をしても良いという思想を生み出してしまう事だ。彼が戦場で生き残る為に飛び回り、大勢の命を奪って手に入れた結論がそれだった。戦争が終わった時、彼は空自を辞めて故郷に引き返せばよかったと後悔したが、白野のような若いパイロットが育っている事を知って、江本は彼らのようなパイロットを更正させる為に、空自に残ることを決意した。もし彼らのような人命軽視の意識を持った幹部自衛官が総監クラスに出世して空自を牛耳るようになれば、現場のパイロットが無駄死にするような命令や慣習が根付いてしまう。最前線で飛ぶパイロットを大切にする空軍こそ優秀な空軍と考える江本にとって、それだけはどうしても避けたかったし、それが自分を育ててくれた空自への恩返しだと思ったからだ。
「爆撃体勢に移る。打ち上げてくる対空ミサイルに注意しろ」
 彼ら二機編隊は爆撃コースに入ると、高度を一二〇〇フィートまで落として、翼のハードポイントに搭載されたGUB-38JDAM誘導爆弾の投下システムに不備が無いかを確認した。こういった近接航空支援にはクラスター爆弾などの広範囲に攻撃できる爆弾が有効だったが、クラスター爆弾禁止条約に加盟した現在ではそんな便利な物は無かった。
 眼下を流れる風景の速さがどんどん増し、地面が物凄い勢いで迫ってくる。江本は攻撃に集中できるよう、感覚を研ぎ澄まして呼吸を一定のリズムに保つようにすると、2マイル先の建物の間から赤い煙が登っているのが見えた。
「タリホー!スモークを視認」
 同じくスモークを視認した白野が叫んだ。
「パイソン1よりハンマーヘッドへ、距離1マイルまで接近して投下する!頭を下げていろよ」
「え!?ちょっと……」
 中田が聞き返したが、江本は構わなかった。二人は操縦桿の投下ボタンの安全装置を解除した。あっという間に距離が詰まり、距離が1マイルを切ったその瞬間、二機のF‐2Aが爆弾を二発づつ投下し、そのままアフターバーナーの轟音を轟かせながら翼から白いヴェイパーを出して、鋭く上昇して行った。

 江本からの無線が切れた瞬間、中田は響き渡る銃声の中に大きな物体が大気を切り裂き落下してくる音と、戦闘機がエンジンの出力を上げて離脱しようとしている音を聞き逃さなかった。既に自分達を覆っていた赤い煙は薄くなり、物陰から光る敵のマズルフラッシュが良く見えた。
「皆伏せろ!」
 中田は一言だけ叫ぶと、両手で耳を塞いで口を開けながら地面に伏せた。応戦していた同じように岡谷達も伏せると、その三秒後に怒り狂った神の鉄槌にも思える轟音が響き渡り、すさまじい爆風が彼らを包み込んだ。衝撃波で内臓が粉々になるような感覚を覚えた瞬間、彼らは自分が地面に伏せていたのを思い出した。体験した事の無い衝撃を感じて前後不覚になり、意識が一瞬飛んだのだ。彼らはゆっくりと身体を起こし、そのまま耳を澄ましてようやく自分が五体満足で生きている事に気付いたが、それでも悪夢から目覚めたような感覚は残ったままだった。
「皆無事か!?」
 魚崎が酔っ払いの呻きのように叫んだ。
「大丈夫です、生きてまいす」
 美鈴が同じような声で答えた。衝撃波で脳が揺さぶられ、大きな声を出さないと相手に聞こえないし、自分で何を言っているのか分からない。
「皆平気だ、生きているよ……」
 岡谷はよろめきながら呟くと、そのまま敵の居た方向に目を向けた。750ポンド爆弾四発の破壊力はすさまじく、さっきまで形を成していた建物の多くが無残に崩れ、新雪が降ったみたいに辺りを白く染め、眼球を抉られた眼窩のような爆撃坑が死んだ魚の口のように開き、粉塵が粉々になった敵兵の死体を包んでいる。瓦礫の間からは可燃物でもあったのか、赤い炎が白い景色に彩りを加える様に所々から立ち上り、絶望の風景に息づく確かな希望を思わせた。
「船橋3よりハンマーヘッドへ、応答せよ」
 中田の背負っている無線機から、誰かの声がノイズ混じりに聞こえてきた。中田は朦朧とした感覚の中で無線機の受話器を掴もうとしたが、彼より早く感覚が戻った岡谷に横取りされてしまった。
「こちらハンマーヘッド。聞こえるぞ」
「良かった。こちら陸上自衛隊第一空挺団の木下三等陸佐だ。そちらの名前は」
「同じ三等陸佐、岡谷一俊。今そっちは何処に?」
 岡谷は不機嫌そうな声で答えた。別に相手の見下したような態度が気に障った訳ではない。爆発の振動で頭が揺さぶられて脳に血が回りにくくなって、そんな言い方になってしまうだけだ。
「丁度あんた達の一・五キロ南西にいる。聞いてくれ、大宮の中即連と連絡がついた。これで奴らは逃げられない」
「よし、後は奴らを狩り立てるだけだな。練馬の一普連とは、連絡は着いたか?」
「そっちも大丈夫だ。今東側に展開している敵と交戦中だが、いずれ勝負が着くだろう。そっちに負傷者はいるか?すぐに支援を向かわせるが?」
「すぐ寄越してくれ、全員負傷しているし、弾薬も無い」
「了解。メディックを乗せたヘリがそっちに向かっているからそれに乗ってくれ。俺はこれから糞掃除の仕事があるんで失礼するよ。アウト」
 無線を切ると、岡谷はクソみてえな野郎だ。という言葉を飲み込んで、皆の方に向かってこう言った。
「良く聞け、救援が来るぞ」
「マジですか!?良かった」
 房人が疲労しきった顔に笑顔を浮かべて答えると、背後で瓦礫が崩れる音が聞こえた。そのまま房人が振り向くと、白い粉塵にまみれた両足の無い敵兵が必死に這い蹲って、今まさに銃口を彼に向けて引き金を引こうとしている所だった。房人は延髄の辺りに電流のようなものが走ったのを感じると、すぐさまレッグホルスターの拳銃に手を伸ばした。が、そこに収まっていた筈の拳銃は無く、房人は撃たれたときの痛みに耐えようと思わず目を閉じて、銃声を聞かないように心の耳を閉じた。
 しかし耳に聞こえていたのは小さな金属音だけで、銃声は勿論、打たれた時の痛みすら感じなかった。房人は閉じていた目を開いて銃口を向けていた敵兵の方をもう一度見ると、敵兵は頭に金属製の矢を額に突き刺し、割れた頭蓋骨からはクランベリーソースのような粘っこい血を流して死んでいた。
「危なかったな、もう少しでやられていたぞ」
 房人が声の方向に振り向くと、クロスボウを片手に持った政彦が得意気な顔て立っていた。
「ありがとう。命の恩人だよ」
「何、借りを返したかっただけさ」
 房人の鷹揚な感謝の言葉に、政彦は照れくさそうな笑みで答えると、自分達の事を見ていた美鈴の視線に、房人が気付いた。
「どうした?」
「いや、なんか男同士の友情はいいなって思ってさ」
 突然声を掛けられた美鈴は一瞬慌てたように驚くと、顔を明後日の方向に向けながら答えた。すると、交差点の上空から特徴的な二枚ローターの爆音が響いて、ビルの間の上空に黒い物体が飛来してきた。ダウンウォッシュで辺りを覆っていた煙が一気に吹き飛ばされ、真冬の北風のような突風が彼らの元に吹きつけてきた。埃の晴れた上空に目を向けると、機体側面のドアを開いた迷彩塗装のUH‐1Jヘリコプターがこちらにアプローチして来くる。ヘリはそのまま天孫降臨のように着陸すると、機内の隊員が地上に居た彼らに乗るよう手招きした。
 房人達と自衛隊の六人は素早くヘリ機内に乗り込んだ。機長が全員乗ったのを確認すると、ヘリは彼らを乗せて再び大空へと舞い上がった。岡谷はメディックに負傷した政彦を手当てするように指示すると、中田の無線機を掴んで、前線航空管制の竹之内を呼び出した。
「こちらハンマーヘッド。今ヘリに回収してもらった所だ。本管に伝えてくれ、俺はもう報告する元気が無い」
 疲れを滲ませた声で呟くと、少しの間を置いて竹之内から連絡があった。
「こちら木更津12、ご苦労だったな」
「ああ」
 岡谷は溜息をつくように漏らすと、目の前で房人と美鈴、それに手当てを受ける政彦が熱のこもった目で自分を見つめているのに気付いた。岡谷は彼らの目をそれぞれ見つめた後、鼻から息を小さく吸って、口から吐くようにこう言った。
「でも、個人的な仕事が一つ残っているんだ」
 岡谷はその後すぐに無線を切ると、それに合わせて美鈴が自分の腰のホルスターからコルト・ディクティヴスペシャルを引き抜き、岡谷に手渡した。銃を受け取った岡谷は身を屈めながらキャビンを横切り、銃口をコックピットの機長に向けた。
「何を!?」
 突然の出来事に動揺する機長に対し、岡谷は近くにあった航空無線の電源を切ってこう答えた。
「悪いけれどちょっと東の方へ飛んでくれないかな、一緒にいるあいつ等からのお願いなんだよ」
「そんな事は出来ません。このままお台場のひゅうがに向かえとの命令を受けています」
「なら俺の権限でその命令は変更する。東側に飛んであいつらの仲間を回収したあとひゅうがに向かえ。もし従わないのなら、命令不服従で貴様を処刑する。判断するなら今の内だ。早くしろよ」
 岡谷は冷酷な口調で喋りながら銃の撃鉄を起こし、機長の首筋に銃口を突きつけた。冷たい金属の感触が耐え難い不快感となって機長に伝わると、彼は諦めたような口調で答えた。
「この事は後で報告しますよ、それでもいいんですか?」
「別にいいさ、もう出世する気も無い」
 岡谷が自嘲めいた言い方で漏らすと、機長は仕方ないとでも言いたげな表情をして、ヘリの進路を東に向けた。
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