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文字数 11,638文字

 美鈴からの通信を聞いた小島は、車長用キューポラのハッチを閉めて砲塔内部に入ると、インカムをつけなくても聞こえるくらいの大声でこう怒鳴った。
「エンジン始動!戦車前へ!!」
 鼓膜が破れんばかりの大声が戦車帽のヘッドセットから聞こえると、田所は待っていましたとばかりにエンジンを掛け、素早くギアをローに入れた。車体サイドの排気管から勢い良く黒煙が吐き出されると、戦車はエンストなどすることなく、キャタピラの軋む音と雄たけびのようなエンジン音を立てて前進した。日の出まであと一時間程度しか残っていない、今しかないなと小島は思った。
「これより本車は突入した味方部隊救助の為に敵拠点に突入し、敵勢力を排除しつつ味方部隊の救出に向かう。各員一層奮闘努力せよ。徹甲弾装填!」
 小島が叫ぶと、装填手席の岩本が砲弾ラックから、注射器の先端のような弾頭の付いた徹甲弾を取り出すと、素早く105mm砲の薬室に装填して安全装置を掛けた。積んである砲弾は対装甲用の徹甲弾が十発と、敵の陣地などを攻撃する榴弾が十二発。無駄遣いは出来ない。
「装填よし!」
 岩本が叫けぶと、操縦席の田所は燃料計に目をやった。既に燃料の目盛りは半分を切っている。あまり悠々と戦っている暇は無い、スピードが命だなと思った。
 戦車は荒れ果てた田畑を突き切り、ススキやセイタカアワダチソウの茎をなぎ倒して走り続けた。全速でしばらく走り続けると1キロほど先のスーパーの駐車場で、警戒監視から戦闘機動に移ろうとしている87式警戒偵察車を小島は車長用ペリスコープ越しに見つけた。敵の機動の様子からみて、こちらにはまだ気付いていないらしい。小島は車長用ペリスコープを覗き込んだまま、砲手の豊田にこう叫んだ。
「豊田、目標左三十度、敵偵察車。弾種徹甲。戦闘照準」
「了解、目標左三十度、敵偵察車。弾種徹甲。戦闘照準」
 豊田が復唱すると、照準しやすいように田所が急ブレーキを掛けた。38トンもの鋼鉄の塊が、ぐっと前のめりになってその場に停止する。豊田はパッシブ型暗視装置を使って敵の87式偵察警戒車を捉えると、こう怒鳴った。
「目標敵的偵察車、照準よし!」
「撃てっ!」
 小島が叫ぶと、74式戦車の主砲からパッとオレンジ色の炎の花が轟音と共に咲くと、放たれた砲弾は音速を終える速度で飛翔し、吸い込まれるように87式偵察警戒車の装甲を貫いて、爆音と真っ赤な火炎を上げながら機関砲の付いた砲塔と車体を真っ二つにした。
「命中!敵車両撃破!!」
「よし前進。これよりスーパーに突撃し味方部隊の援護に向かう」
 田所がスーパーに向けて戦車を走らせると、小島は提げていた無線機のチャンネルを開いて、潜入した美鈴達を呼んだ。
「ローエングリンよりバッタへ、スーパー東側に到着。そちらの位置を知らせよ」
 小島はペリスコープで外の様子を確認しながら呼んだが、返答は無かった。敵が混乱している今の家に救助して離脱しないと、こっちが敵に囲まれて危険な状況になる。彼はもう一度無線機で美鈴を呼んだ。
「こちらローエングリン、聞こえていたら返事をしろ!今何処にいる」
「こちらバッタ、現在スーパーの二階のフロアから一階出口に移動中。だけど敵に追撃されて、ちょっと手間取っています!」
 美鈴が息を切らしながら答えた。
「その出口というのは何処だ?建物東側のドアか?」
「多分。でも何処を進めばいいのか」
「道に迷ったなら、俺に任せろ」
 小島はそう答えると、無線を切って部下こう伝えた。
「建物から五〇メートル離れて平行に走れ、榴弾装填!」
「何をするんですか?」
 岩本が尋ねる。
「黙って俺の言う通りにしろ。装填したら豊田、壁に向かって撃て」
「りょ、了解!」
 鷹揚に豊田が答えると、田所は戦車をスーパーから五〇メートル離れて平行に走らせた。そして豊田が砲等を九十度横に向けると、岩本が榴弾を装填して安全装置を掛けた。
「装填よし!」
 岩本が叫ぶと、小島は再び無線機を美鈴に繋いだ。
「これから五秒後に戦車砲で壁を壊すから全員口を空けて耳を塞げ!爆発したら開いた穴から出て来いよ!!」
「はぁ!?マジ!?」
 美鈴が素っ頓狂な声を上げると、小島は無線を切って五秒数えた後にこう叫んだ。
「よし撃て!」
 小島が叫ぶと、豊田はスーパーの壁に向かって105mm砲の引き金を引いた。砲口から淡いオレンジの炎が上がると、放たれた砲弾はコンクリートの壁をたやすく砕いて、衝撃破と轟音を響かせながら穴を空ける。爆風と共にコンクリートの破片が戦車に降り注ぎ、戦車に当たってゴツゴツと音を立てた。
 その爆発の轟音と衝撃は二階のフロアにいた英司達にも伝わり、ギリギリで耳を塞いだものの鼓膜が破れる寸前の音と振動で立っていられなくなった彼らは、そのままその場に倒れ込んでしまった。衝撃で壁にはひびが入り、屋根からは細かい破片と埃が降り注いできて、彼らの肩や髪に降りかかった。
「いきなりなんだよ!鼓膜が破れるかと思ったじゃねーか!」
 房人が頭に付いた埃を払いながら呟いた。
「あの人も俺らのためにやってくれたんだろうけど、乱暴すぎるぜこれは・・・」
 政彦も耳の付け根を撫でながら答えた。全員ギリギリのところで耳を塞いだが、それでも衝撃で脳が二つに捻じ切れそうな感じだった。こんな無茶な事をするなんて、突然綾美を助け出すなんて言い出した英司並みの行為だと政彦は思った。
 同じように耳を塞いだ英司も何か言おうと思ったが、あまり強烈な衝撃だったので話す言葉が思いつかなかった。すると目の前で耳を塞ぎ苦しそうな表情の綾美を見つけた。英司はすぐさま彼女に近づくと、綾美の肩を持ち抱えて「大丈夫?」と尋ねた。
「大丈夫、ちょっと驚いただけだから」
 綾美は突然の大爆発で頭のネジが何本か飛んでしまったのか、死に掛けた魚のような目をして弱々しい声で答えた。
「もう少し別の方法を考えてくれてもいいのに」
 そう英司が漏らしたその瞬間、床下から機関銃の反射音と戦車のエンジン音が聞こえてくる。すると、英司達のいる場所から少し離れた階段の下から、叫び声とがなり立てる声が聞こえてきた。きっと小島達が下にいる敵兵の群れを攻撃しているのだろう。敵は突然の戦車砲攻撃で慌てふためいているだろうから、逃げ出すなら今がチャンスだ。
「今のうちに下に移動しよう!敵は小島さん達が引き付けてくれている」
 英司がそう叫ぶと同時に、倒れていた房人達もすぐに何事も無かったかのように立ち上がった。
「移動するといっても、逃げ道はどうするんだよ?」
 房人が尋ねた。
「確かもう一箇所下に下りる階段があったはずなんだ。そこから降りれば・・・」
「敵が下で待ち伏せていたら?こっちは少人数なんだぞ」
「敵は戦車の事で一杯の筈だろう、側面を突けば何とかなると思うから・・・」
「細かい事はどうでもいい!お前に従うよ」
 政彦がやけっぱちに答えると、英司は彼の目を見て頷き、「みんな行くぞ!」と叫んで、彼らは目の前にあるもう一つの避難用の階段に駆け込んだ。
 

 屋上にいた海下が建物から聞こえてくる銃声に気付いたのは、評定用の暗闇でも見えるスコープを使って、東側を走る二車線の道路に目を移した瞬間だった。スコープから目を外して下の階への入り口を覗き込むと、今度は銃で撃ち合う激しい銃撃戦の音が聞こえてきた。加勢して応援に駆け付かなければと思った彼女はサスペンダーのラジオポーチからウォーキートーキーを取り出して、下にいる味方に連絡したが、連絡は無かった。するとその瞬間、今度は下にいる土居から連絡が入った。
「海下、敵が侵入した。聞こえるか?」
 無線は銃声と兵士の叫び声を拾って聞きにくかったが、耳に馴染んだ土居の言葉はちゃんと聞き分ける事が出来た。
「聞こえるよ、今何処にいるの?」
「敵が侵入して捕虜を助け出した。今一階と二階の奴らが向かってる」
「あたしはどうすればいい?必要なら加勢するよ」
「ボルトアクション式の狙撃銃で撃ち合いは不利だろう。その代わり敵の増援が侵入してこないか監視してくれないか?」
「待ってよ、敵は……」
 と海下が言いかけた瞬間、風に乗って特徴的なエンジン音が聞こえてきたと思うと、急に爆発音が響いて、真っ赤な炎が上がって辺りを一瞬明るくした。慌てて爆発のした方向に向かうと、砲塔が吹き飛んだ87式偵察警戒車が車体から紅蓮の炎と黒煙を吐きながら炎上し、爆風で開いたハッチからは真っ黒になった搭乗員の腕が燃えていた。
「装甲車がやられたわ!」
「何だと!?敵は何を持ち込んできたんだ・・・」
 と無線機の向こうで土居が答えた瞬間、今度は轟音と共に海下が立っている屋上が揺れた。その衝撃と爆発音は無線機から海下の耳にも伝わり、一階の状況がどんなものなのか分かってきた。
「畜生、誰か対戦車火器を持ってこい!」
 無線機から聞こえる重機関銃の発射音に混じって、土居の叫び声が聞こえる。エンジン音とキャタピラが軋む音が聞こえてくるから、敵は戦車で無謀にも突撃しに来たのだ。何処で戦車を仲間にしたのか分からないが、こんな無謀な作戦を立案するなんて英司の仲間らしいなと海下は思った。
「ねえ、大丈夫なの!?」
 海下は無線機の向こうに向かって叫んだが、反応が無かった。もう一度無線機に向かって叫ぼうとしたその時、無線機の向こうで土居がこう叫んだ。
「無線兵がやられた。そこからその無線で隊長の部隊を呼んでくれないか!?」
「そんな、出力が小さすぎるわよ!」
「この建物の周りには遮蔽物も少ないし、高い場所からなら誰かの無線機が受信する筈だ。すぐにやれ!」
 土居の言葉を聞いた海下は、舌打ちを小さく漏らすと、周波数を竹森達が向かった方向に身を乗り出して、喉が裂けそうな程の大声で叫んだ。
「こちら海下、誰でもいいから聞こえたら返事をして!」
 その後しばらく待ったが、誰かが気付いた様子は無かった。彼女は諦めずに叫び続けると、小さいながら誰かの返信が聞こえたような気がした。
「・・・出力が小さい・・・もっと大きな声で・・・」
 掠れたような声がウォーキートーキーからノイズ混じりに聞こえると、海下は大きく息を吸い込んで、気の触れた女みたいなヒステリックな声でこう叫んだ。
「敵が来ているのよ!早く戻ってきて!!」
「了解……引き返す」
 相手がそう答えると、海下はホッと胸を撫で下ろした。


 海下が無線機で味方を呼んでいる時、下のフロアに突入した英司達が見たものは、車体を半分建物に突っ込んでフロアの敵に向かって105mm砲の同軸機銃とM2重機関銃を使って機銃掃射している74式戦車だった。砲塔は六時方向を向き、尻を敵に見せるような格好で収容時の脱出に備えている。その砲塔上では小島が身を乗り出してM2銃機関銃を隠れている敵に向かって乱射している所だった。敵も散発的に反撃してきているが、戦車が相手では動けない。今がチャンスだと英司は思った。英司は9mm機関拳銃のマガジンを新しいものに取り替えると、後ろに居る皆に向かってこう言った。
「よし、弾幕を張りながら一気に移動だ。房人と美鈴はここで援護してくれ。弾切れに注意しろ」
「了解」 
 房人が小さく答えた。やはり戦闘部隊というものは、指揮を取る人間が居て初めて機能するのだなと彼は思った。
「綾美は俺のすぐ後に付いてきて、絶対に離れちゃ駄目だよ」
 英司の言葉に、綾美は静かに力強く頷いた。
「任せろ、俺が援護してやるよ」
 横で政彦が胸を叩いて答える。
「よし、突っ込むぞ!」
 英司はそう叫ぶと、体をばねの様にしならせて勢い良く飛び出すと、走りながら9mm機関拳銃を敵に向けてバースト射撃で撃った。その後に頭を抱えるようにして走る綾美が続き、さらにその後に政彦が89式小銃を三点バーストで敵を牽制しながら続き、残った房人と美鈴が三人を援護した。敵も飛び出した英司達を見つけて何発か撃ち込んでくるが、幸いにも弾は彼らの脇を掠めるだけで、命中弾は無かった。
「早く来い!こっちに隠れろ!!」
 操縦席のハッチから頭を出していた田所が叫んだ。英司は綾美を先に戦車の陰に隠れさせると、左側に回りこんで、側面から攻撃しようとしていた敵を一人倒した。
「まったく、お前には冷や冷やさせられるよ!狙撃兵しからぬ無茶苦茶な野郎だ!!」
「そっちだって、もう少しマシな登場は出来なかったんですか!?」
「あいにく俺のボスもかなりのタマでね!普通じゃないんだ」
 田所が叫んだ。油圧縣架装置を最低にしているお陰で、敵の弾丸は下を潜って届く事は無かった。後ろのエンジングリルに敵の銃弾が当たる音が聞こえるが、小銃弾程度なら耐えられるだろう。戦車の反対側で敵を撃っていた政彦がこう叫んだ。
「今度は房人と美鈴を援護するぞ!」
「OK!それじゃ・・・」
 と英司が答えかけた瞬間、彼の目に110mm個人対戦車弾パンツァーファウストを抱えた敵が、こちらに照準を合わせているのが目に入った。英司は咄嗟に9mm機関拳銃でその敵を撃ったが、二発撃ったところで弾が切れてしまった。撃った弾丸は敵の肩に当たって、パンツァーファウストは明後日の方向を向いたまま発射された。白いロケットの噴煙が右斜めの方向に向かって伸びて行くと、対戦車榴弾は英司の左斜め上5メートルの天井に当たって、爆風と破片を撒き散らした。その破片は英司の肩を2センチほど切り裂き、砲塔で機関銃を撃っていた小島のこめかみと左目も切り裂いた。一瞬何が起こったのか分からなかったが、ほんの一秒もすると猛烈な痛みと地の吹き出る感触が、英司と小島を襲った。
「畜生!やられた……」
 小島は機関銃の引き金から手を放してハッチから落ちると、左手で目を押さえながら呟いた。左の眼球が割れるように痛み、視界を失ってしまったのかと一瞬怖くなったが、右目がまだ生きている事に気がついて、少しだけ安心した。
「中隊長!大丈夫ですか!?」
 装填手席で岩本が叫ぶ。
「……大丈夫だ。砲はまだ撃てるか?」
 小島が苦しそうな声で尋ねると、岩本は「撃てます!」と即答した。
「よし、榴弾装填。退却する・・・」
 小島が指示すると、岩本は自分でも神がかったような速さで砲弾を装填する。
「装填よし!」
 岩本が小島に報告した。一方車外に居て負傷した英司は、右手で肩を押さえながら必死に止血している所だった。ジャケット左側のエレポットは真っ二つに切り裂け、その間の傷口からは赤い血がじわじわと吹き出てくる。幸いにも太い血管は傷つけては居ないようだが、砲弾の破片は肩に突き刺さったままだった。
「英司!大丈夫?」
 側に居た綾美が慌てて英司の側に寄ったが、初めて見る本物の出血に思わずたじろいでしまった。村に居た時応急手当の訓練は何度か受けたことはあるが、本物の負傷者を相手にするのはこれが初めてだった。
「大丈夫、ちょっと掠っただけだから・・・」
 そう呟きながら英司が肩に刺さった破片を引き抜くと、傷口から一気に血が噴出した。綾美は覚悟を決めて彼に近づき、着ていたボタンシャツの裾を破って彼の肩に当てた。
「これで大丈夫よ。しっかり当てて!」
「へへっ、カッコ悪いところ見せちゃったな……」
 英司が痛みに耐えながら呟いた。軽口が叩けるなら傷はたいした事は無いだろう。綾美はシャツの裾を巻き付けながらそう思うと、不思議と高ぶっていた気持ちが落ち着きを取り戻したような錯覚を覚えた。
 そんな事をしている間に房人と美鈴が戦車の陰に入り込んできた。
「こっちは準備完了。皆居るわ」
 美鈴が報告すると、英司が肩を負傷していることに気が付いて、「大丈夫?」と尋ねて来た。
「ああ、何とか。名誉の負傷だ」
「なら平気だな、田所さん。発進出来ますか?」
 房人が田所に尋ねると、操縦席のハッチに頭を引っ込めていた田所は再び頭を出して、言葉を濁すように答えた。
「中隊長がさっきの爆発で目をやられちまった。手当てをしないと」
「構うな、発進させろ!」
 小島が砲塔の中から、銃声が鳴り響いていてもはっきりと聞こえるような大声で叫んだ。顔から血を流し、残った右目をしっかりと見開いたその姿は、
「しかし、中隊長……」
「俺達は平和を望む人々を守るためにここに居るんだぞ!この程度の事で躊躇してどうする!?」
 小島はさらにそう叫ぶと、再び車長用キューポラに登って、残った右目を見開きながらM2重機関銃のハンドルを握った。
「戦車に早く乗れ!そしたら全速力で離脱だ!」
 小島の言葉を聞いた英司は、すぐに両手に綾美の足を掛けさせると、そのまま一気に彼女の戦車の上に乗せた。体重が掛かる時に負傷した肩の傷が激しく痛んだが、そんな事を気にする余裕は無かった。綾美が戦車の車体に乗って砲塔後ろのバスケットにしがみ付くと、その後に美鈴が飛び乗った。そして英司が戦車に乗ろうとした瞬間、隣に居た政彦が、背負っていた英司のM24を手渡した。
「お前の言ったとおり、ちゃんと預かっておいたぞ」
「ありがとう。恩に着る」
 英司は短く礼を述べると、政彦と一緒に戦車に飛び乗った。砲塔を反対方向に回しているせいで、通常時に比べてかなり乗りづらい。最後に房人が乗ると、敵を撃ちながら小島に向かってこう言った。
「全員収容!大丈夫です」
「よし発進!急ぎここから撤収する!」
 小島が叫ぶと、車体を低くしていた懸架装置がゆっくりと上がって車高が元の高さに戻り、田所がギアを一速に入れてゆっくりと戦車が走り出した。エンジンが少し咳き込んだが、田所は構わずにアクセルを踏み続けてギアを上げた。ぐんぐん車速が上がり、スーパーから遠ざかってゆく。小島は渾身の力でM2重機関銃の引き金を引き続けて、敵が近づいてこないように最後の弾幕を張った。


 屋上で味方を呼び戻す事に成功した海下は、下の階に居た戦車のエンジン音が大きくなるのを聞き逃さなかった。慌ててエンジン音の聞こえた方向にM40A3を携えて近寄ると、砲塔を逆にした74式戦車が機関銃を撃ちながら、黒煙を吐いて退却しているのが見えた。砲塔上面で機関銃を撃っている人影が銃口から吐き出されるマズルフラッシュに映し出されると、海下は素早くその人影をスコープで覗き込んだ。敵が東に退却しているお陰で、昇り始めた太陽の光で身体の影が浮かび上がると、楽に相手の心臓をスコープの十字線に捉ることが出来た。人影は機関銃を撃ちながら、なにやら車内に向かって叫んでいるようだったが、海下は構わずに銃の引き金を引いた。
 ドン。という全てを黙らせる銃声があたり一面に響き渡ると、砲塔上面にあった人影は左胸から何かを噴き出して、そのまま砲塔の中に消えていった。海下は敵を一人確実に倒した感触を噛み締めると、そのまま手馴れた動作でボルトハンドルを引き、熱くなった薬莢がコンクリートの床に心地良い金属音を立てて転がる音を耳にすると、鼻から小さく溜息を漏らして、スコープから目を離した。連射性能が低い銃でこれ以上相手を撃つのは無理だろう。逃げた戦車がさらに車速を増して、道路の向こうに隠れて見えなくなると、海下はラジオポーチからウォーキートーキーを取り出して、下にいる土居にこう報告した。
「敵を一名射殺。でも逃げられたわ」
「そうか、分かった。今隊長から連絡があって、後5分程度でこっちに着くそうだ」
「そう」
 海下は静かにそう呟くと、何故だか知らないが英司を殴った時の、憎しみとも憧れともいえない透明な感情がこみ上げてきた。
「損害は?何人やられたの?」
 海下はその感情を振り払うようにして頭の中を切り替えると、再び土居に尋ねた。
「確認できる限り死亡七名、負傷者は俺も入れて五名だ。これからもっと増えるかも知れん。重傷者に手当てをしたいが、衛生兵が二人しか居ない・・・」
「すぐに行くわ、応急救護くらいなら私にも出来る」
「すまない。頼む」
 海下はそこで無線を切ると、再び英司を滅茶苦茶にしてやりたい感情に襲われた。奴には自分には持っていないものを持っている。それがあいつと自分を隔てているから、今の自分は不幸な存在でしかないのだ。本来なら奴と自分は同じ所にいるべきなのに、あいつは自分には無いものを持ってどこかに消えてしまう。だからあいつをこの手で殺して、それを止めてやる。もしそれが出来ないのなら自分と同じ場所にあいつを引きずり込んで、奴の全てを自分の物にしてやりたい。そうすれば奴はきっと心の底から自分を憎むだろう。そうすれ自分も同じように奴を憎む事ができて、私は心の奥で誰かと結ばれる事になる。
 海下は何度も頭の中でそう繰り返しながら、バックパックを持って一階に急いだ。


 小島が胸を撃たれて最初に気付いたのは、外の砲塔に張り付いていた英司と、装填手席に座っていた岩本だった。
「小島さん!」
 英司は小島が砲塔の中に落ちる瞬間にそう叫んだが、小島がそれに気付いた様子は無かった。英司は揺れる車体に必死にしがみ付きながら登り、車長用キューポラの中を覗きこむと、そこには胸と目から血を流し、うつろな目で口を半開きにした小島が轍を乗り越える戦車の動きに合わせて揺れていた。
「中隊長!しっかりしてください!!」
 岩本が小島の胸を押さえながら今にも泣き出しそうな声で叫んだが、小島にはもう返事を返す気力さえ残っていないようだった。もうじき死ぬ。英司は小島のその姿を見てそう直感した。
「小島さん!」
 英司は何も考えずに再び声を掛けると、小島の頭が微かに反応して、ゆっくりと英司の方に顔を向けた。英司は車長用ハッチに頭から上半身を突っ込むと、そのまま耳を小島の口元に近づけた。既に小島の呼吸は小さく、戦闘室の床には血溜りが出来ていて、火薬と血の匂いが充満していた。
「すまんな、こんな格好で……」
 小島は微かに聞き取れる声で、英司に呟いた。
「本当なら、戻ってお前を徹底的に叱り付けてやりたい所なんだが、それも出来そうにない。だから、これから話す言葉は一生覚えておくつもりで聞くんだぞ……」
 小島はそこまで話すと、口元から咽るようにして血を吐いた。英司はもう話すなと小島に言おうとしたが、彼が軽く右手を上げて止めさせた。
「いいか、お前には守るべき仲間がいて、絶対に悲しませてはいけない大切な人が居る。それは分かるな?」
 小島の言葉に、英司は力強く頷いた。ほんの僅かな時間しか一緒に居なかったのに、今の英司には小島が自分の生きる道筋を教えてくれた恩師のような存在に思えてきて、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
「お前にこれからどんな試練が待ち受けているか俺には分からない。だけれど、決して仲間を裏切ったり、大切な人を泣かせたりすることは絶対にしてはならない。どんな事が有ろうと、お前がどんな道に進もうともだ。お前は一人じゃない。これからを皆と一緒に生きるんだ。そしてこれから、未来を切り開く事に全霊を掛けろ。お前はまだ子供で、戦争に呪われてはいけないんだ。人を殺した事実に変わりは無いだろうが」
 小島がそこでさらに血を吐くと、脇に居た岩本がそれを止めさせようとした。だが小島はそれさえも振り切って英司の手を握り締めると、最後の力を振り絞ってこう続けた。
「お前は多くの罪を犯したかもしれない。けれど、だからと言ってお前の未来は不幸なものになると決まった訳じゃない。人は自分で自分を変えられる。今までのお前だって、そうしてきたのだろう?」
「はい」
「だったら、これからの未来を、将来を決して不幸なものにしないと約束してくれ。俺が俺からのお願いだ」
「分かりました。絶対に約束します」
 英司は小島の目を見ながら答えた。心の中から目に見えない熱い液体がどんどん湧き出てきて、溢れ出しそうになる。
「言い返事だ。頼む」
 小島が満面の笑みを浮かべて答えたと思うと、彼の首はそのままがくんと倒れて、しおれた花のように下を向いた。隣に居た岩本が「中隊長!」と大声で叫んだが、小島がその言葉に答える事は永遠に無かった。

 山狩りの部隊を引き連れて戻ってきた竹森は、指揮を取る為に乗っていた軽装甲機動車のリアシートから、燃え盛る87式警戒偵察車と地面に刻まれたキャタピラの痕を見ると、今までに経験した事の無い怒りが湧き上がるのを感じた。装甲車がスーパーの近くで停車すると、竹森は乱暴にドアを開けて大股歩きで建物の中に入り、負傷した兵士に目もくれずに衛生兵の手当てを受けていた土居を見つけ出すと、脇に居た衛生兵を払いのけて彼の胸倉を掴んだ。
「一体どういうことだ、この損害は!?」
 竹森は鬼の形相でフロア全体に響き渡るような大声で怒鳴り散らすと、土居はいかにも申し訳ないと言った表情になって、ぼそぼそと言い訳を話した。
「敵は戦車の援護を受けて攻撃してきました。損害は戦死七名。負傷者五名。うち重傷者が三名です。反撃しようとしましたが対戦車火器の操作要員が未熟で……」
「そんな事はどうでもいいんだよ!」
 竹森は激高したまま土居を空の商品棚に叩きつけると、ベルトに刺していた革シースからナイフを取り出して、そのまま土居の首筋に刃を押し付けた。竹森の鼻息は荒く、目は気が狂った精神障害者のように飛び出している。こんな竹森の顔を見たのは、土居にとって初めてだった。
「貴様のせいで何人の人間が死んだ?ええ、貴様は敵を倒さずに味方の命を奪うのか!?」
 あまりの剣幕に土居は思わず目を背けようとしたが、竹森の手が彼の頬を掴んで無理矢理正面を向けさせる。見かねた松井が彼を止めようとしたが、竹森はナイフの刃を見せつけながらこう続けた。
「今度の戦闘で死ななければ貴様を殺してやる。分かったな?」
 竹森は一言言い放つと、そのまま土居を突き飛ばしてナイフをシースに収めた。そしてそのまま松井と一緒に外に出ると、外で負傷者の救護していた宇野が彼を呼び止めた。
「重傷の三人はここの処置だけでは助かりそうにありません。どこかの医療機関に運び込まないと・・・」
「その負傷者は何処だ?」
 竹森の意外な問いかけに、宇野は目を丸くした。
「クロコダイル装甲車のすぐ脇です。いま衛生兵が……」
「その必要は無い」
 竹森はそう吐き捨てると、状況が飲み込めない宇野を他所にクロコダイルⅡ装甲車の法に向かった。
装甲車のすぐ脇では、松井の部下の衛生兵が負傷した兵士に必死の手当を施している最中だった。一人は爆発か何かで腕を吹き飛ばされ、包帯でぐるぐる巻きにされた腕からは真っ赤な血が滲み出て地面に滴り落ちていた。
「そこをどけ」
 竹森は手当てをしていた衛生兵に一言漏らすと、レッグホルスターからコルト・ガバメントを引き抜いて、兵士の頭に向かって引き金を引いた。そして無言のまま他の二人にも銃弾を一発づつ打ち込むと、銃をホルスターに収めて松井を呼んだ。
「地図を見せてくれ、東京と埼玉エリアが載った奴だ」
 竹森が言うと、松井は自分の部下に地図を持ってこさせるよう命令した。やがて松井の部下が二人の元に地図を持ってこさせると、そのままクロコダイルⅡ装甲車の兵員室に地図を広げた。
「これまでの敵の移動ルートから見て、敵は東京方面に向かったと見て間違いない。恐らく今頃は岩槻を越えたあたりの筈だ」
「追いかけるか、今ならまだ十分に追いつくぞ。ここから装甲車で二手に分かれて東川口と浦和を結ぶ線に網を張れば、必ず捕まる筈だ。この辺りに居る味方を全部集めよう。そうすれば……」
「そうなれば敵もこっちの動きに気付くだろうし、逃げた敵も自衛隊に応援を要請するだろう。埼玉だけじゃなく群馬や他の県からも応援をよこしてくれ、こうなれば自衛隊もろとも奴らを皆殺しにしてくれる。国道298号から荒川までのエリアだ。そこで奴らを殺す」
「分かった。すぐに連絡する。そうしたら兵員をまとめてすぐに出発しよう」
「そうしてくれ。頼む」
 竹森が答えると、松井は軽装甲機動車に小走りで向かっていった。その後姿を追いかけていると、スーパーの入り口で待ちぼうけを受けたように佇んでいる海下を見つけた。
「海下、こっちに来い!」
 竹森が叫ぶと、すぐに海下は彼の元に小走りでやって来た。
「貴様は確か、あの二人のガキをこの手で殺したいと言っていたそうだな」
「はい」
 海下は無表情に答える。
「お前にその名誉を与えてやる。必ず始末しろ」
「はい、ありがとうございます」
 海下は無表情のまま答えると、心の奥で英司と綾美を殺せる事を神に感謝した。
「これから我々は国道298号まで移動する。そこでお前は別行動を取って、二人を始末しろ。いいな?」
「分かりました。確実に任務を遂行いたします」
「よろしい。それまで待機しろ」
 竹森の言葉に海下は最敬礼で答えると、そのまま踵を返して後に下がった。
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