18

文字数 3,665文字

 狙撃地点を離れて、房人達と取り決めた合流地点に向かう途中、英司は感覚と肉体が途切れるような、奇妙な感覚を一瞬味わった。走りながらその原因を探ってみると、たった一人で戦争していた頃の自分が脱皮して、また新しい何かが生まれるような感じ、あるいは自分の中にある切り替え弁が、別の方向を指したような、いや、これは人の憎悪を背中で感じているのだ。仲間を殺されたときの人間が抱く、心の奥底から湧き上がる猛毒のような感情を。かつての自分もそうだった。親を殺されたあの時、自分の中に燃え上がるような怒りと憎しみがこみ上げてきて、本能の赴くままに人を撃った。そしたら得体の知れない、自慰行為の後のような虚脱感に襲われて、永遠に取り返しが付かないことをしてしまった事に泣いたのを覚えている。たぶん自分を追ってきている人間は、もう何人か人の命を奪ってはずだ。けど、人を殺された時の憎しみは、人を殺した経験があっても、自然と湧き出てくるものなのだろうか。
 自分の背丈ほどある草むらを抜け、植林された林に入った。厚手のM51パーカーを着込んでいるせいで、ほんの短い距離を走っただけで身体が汗ばみ、バックパックを背負った部分が熱くなって来る。そのまま林を抜けると、一本目の幹線道路に近づいた。道路の前で一旦停止して、周囲の状況を確認した。すると、道路の右側、東の方向から人間の足音が聞こえてきた。舗装路を固いコンバットブーツの底で踏みしめているせいか、離れていても良く聞こえる。数は六名前後だろうか。英司はすぐに背負っていたバックパックを下ろして藪に隠し、外側のポケットに押し込んだギリースーツを取り出して、そのままジャケットの上から着て地面に伏せた。本当なら周りに生えている草や木の枝をつけて念入りに偽装を施すが、とてもそんな時間はない。英司は9mm機関拳銃のセレクターをフルオートに入れ、木の陰にかくれて敵がやってくるのを待った。
 不自然な偽装でその場に伏せていると、次第に東側からの足音が大きくなってくる。気の影に入っているとはいえ、ほんの僅かな地形や環境の変化を読み取る能力を持っている兵士がいたら、すぐに見つかってしまうだろう。そうなったらもう逃げられない。さっき政彦に言われたままの自分で終わってしまうだろう。そんな事を考えているうちに、敵が眼の前にやって来た。人数は全部で八人。手にはそれぞれM16A4とM4A1カービンを持ち、縦二列の隊形でゆっくり進んでいる。英司の気配を感じているのか、全員緊張で顔が強張り、周囲を見回している。一歩一歩敵が近づいてくると、次第に頭の中がクリアになってきて、何もしていないのに集中力が高まってくる。指揮官は誰だろう?と英司が彼らを観察していると、今度は草を踏みしめる音が背後から聞こえてきた。見つかる!と直感的に感じた瞬間、彼らは道路に出ていた部隊を見つけると、小走りに英司の脇を駆け抜けて、一目散に彼らの元に駆け寄った。
「敵は見つけたか?」
 宇野が先回りしていた土居に聞いた。
「いや、そっちはどうだ?何か痕跡はあったか?」
「薬莢が少し地面に転がっていた程度だ。人数は海下の報告からして三人程度」
「敵は逃げ足が速いみたいだな。このまま化学薬品工場まで追跡するか?」
 土居が尋ねると、宇野はバツが悪そうにこう呟いた。
「もちろん。それと隊長に頼んで、ここら辺の部隊を寄せ集めてここら一帯を山狩りするよう進言しないと。これだけのエリアを捜索するのは、俺達には無理だ。広すぎる」
「そのためには敵の痕跡を探さないと、すぐに追跡に戻ろう」
 彼らはそこで会話を終えると、そのまま二個分隊で林の中に入って行った。英司は彼らの姿を見送ると、視界から消えたのを確認してギリースーツを脱ぎ、ジャケットのポケットからウォーキートーキーを取り出して、房人を呼んだ。
「聞こえるか、房人」
 英司は小声でマイクに向かって喋ったが、応答が無い。英司の中で、目に見えない恐怖あるいは耐え難い閉塞感のようなものが溜まってゆく。まだあいつらは死んでいないと、必死で自分に言い聞かせる。
「聞こえるぞ、何か問題発生か?」
 無線機の向こうで房人が答えた。英司はホッと胸を撫で下ろし、単刀直入に用件を話し始める。
「今どのあたりにいる?」
「もう二本目の道路に出た所だ。お前は今何処に?」
「まだ一本目の道路の所にいる。注意しろ、そっちに敵が向かっている」
「本当か!?数は何人だ」
 房人は語尾を少し空回りさせた。恐らく完全に敵を巻いたのだと思い込んでいたのだろう。
「数は全部で十五人。何とかなりそうか?」
 英司が尋ねると、房人は少し押し黙って、こう答えた。
「分かった。まず追跡をどうにかしよう。合流地点も変更だな、何処がいい?」
「適当な所を見つけたら連絡してくれ。出来るだけ防御によさそうな所を頼む」
「了解、アウト」
 房人が無線をタクチィカルベストのポケットに仕舞うと、すぐ脇で警戒態勢に就いていた美鈴が房人に呟いた。林を抜けると、そこは一軒家が立ち並ぶ普通の住宅街で、今までに見てきた村のそれとは比べ物にならないほど立派なつくりだったが、人の住んでいる気配は無かった。
「追われているの?ならどこかに逃げないと」
「その前に時間稼ぎだ。さっき使い損ねたクレイモアはあるか?」
 房人が美鈴の言葉を遮ると、美鈴は驚いてさらに房人に詰め寄った。
「ちょっと!?この後に及んでまだ待ち伏せ攻撃?」
「相手はたった十五人程度だ。クレイモアを二つ仕掛けて攻撃すれば、向こうに大ダメージを与えられる。チャンスだ」
 房人はそう言いながら、バックパックの外側のポケットに収めたクレイモア地雷と起爆装置一式を取り出し、地雷に起爆コードを繋いでから地面に突き刺す為のピンを下ろした。クレイモア地雷は暴発を防ぐ為に、必ず地雷本体に起爆コードを接続してから、爆破指令装置に繋ぐことになっていた。
「お前もクレイモアをスタンバイしておけ、すぐセットして攻撃できるように」
 房人はそう美鈴に指示すると、雑嚢からポケットスコープを取り出して自分達の来た方向を確認した一本目の道路との距離は丁度一キロだから、見えないはずは無い。林の中にしばらく目を凝らすと、林の中で蠢く人影が一つ見えた。さらに凝視していると、その男が手にM16A4を持っているのが分かった。そしてその後ろに二人。自分達を追ってきた連中に間違いない。
「準備できたよ。どうするの?」
 クレイモアの用意を終えた美鈴が聞いた。房人はポケットスコープを仕舞って、美鈴にこう言った。
「連中を前のT字路に誘い込もう。そしたらクレイモア爆破と銃撃で、敵を黙らせる」
「どうやって誘い込むんだ?」
 政彦が聞いた。
「こっちから撃っておびき寄せる。クレイモアは角のゴミ捨て場と、電柱の裏に仕掛ける。敵が左右に展開してもダメージを与えられるように、少し外側に向けよう」
「了解、そしたらすぐ逃げよう」
 美鈴は用意していたクレイモア地雷を持って、T字路のゴミ捨て場にクレイモアをセットすると、設置しているのが分からない様に近くに置いてあったゴミ袋を裂いて中身を塀の向こうに放り投げ、クレイモアの上にかぶせ、その反対側の電柱に房人がクレイモアをワイヤーで巻きつけた。
 房人と美鈴は互いにアイコンタクトを取り、右手を軽く上げて設置完了を合図した。二人は爆破指令装置を持って次の十字路まで後退すると、先に待機していた政彦にこう叫んだ。
「林に何発か撃ちこめ!」
 政彦はすぐに構えていた89式小銃の発射モードを3点バーストに入れて、林に向かって二回引き金を引いた。そしてしばらくすると、林の中から猛烈な銃撃が返ってきた。政彦が十字路の角に逃げ込む頃には、何発もの銃弾が彼の脇を掠めて行った。
 房人はコーナー確認用のミラーで敵の動きを観察しながら、敵がクレイモアのキルゾーンに入るのを待っていた。林を抜けた敵がT字路を左に曲がると、すぐさまクレイモアの爆破指令装置のレバーを三回押した。カチカチカチという心地良い音が三回すると、ケーブルの向こうに繋がれたクレイモアが、七百個の鉄球を撒き散らしながら爆発する。恐らく何人かは戦闘不能になっただろう。
「美鈴、もう一丁!」
 房人が十字路の向こう側にいる美鈴に向かって叫ぶと、今度はゴミ捨て場に仕掛けてあったクレイモアが、派手な音を立てて爆発した。爆発が収まると、クレイモアの鉄球を受けた敵の出す阿鼻叫喚の叫び声が聞こえてきた。恐らく目玉を潰されたか、千切れた身体から飛び出した内臓を押さえているのだろう。房人はT字路の敵に向かって銃撃しながら、向こう側の壁に飛び込み、同じようにT字路の敵に向かって銃撃していた美鈴と政彦に叫んだ。
「蛙飛びで後退だ、英司と合流するぞ」
 房人は二人の肩を叩くと、誰もいない住宅街を東に向かって走った。

            
                               (第三章に続く)
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