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文字数 8,557文字

 先頭を行く英司は、後から続いてくる房人が進みやすいように、あちこちに仕掛けられているブービートラップなどを、可能な限り解除しておこうと考えていた。ブービートラップの解除は、房人と美鈴の二人にも出来る事ではあるが、実戦経験に乏しく、しかも戦闘訓練や野外での行動訓練を受けていない綾美をガードしている制約上、どこかでミスを犯すかもしれない。敵に侵入を察知されてしまうが、死傷者を出すよりはいい。仮に見つかっても、切り抜けられるチャンスはあるだろう。
 彼らは英司の提案した通りに、十五分進んでは相手を待ち、相手が来たら十五分相手に待ってもらって再び十五分進むのを繰り返した。次第に森の木々の密度は薄くなり、代わって壊れたモニターに電気ポッドや発砲スチロールの欠片、軽自動車のタイヤなどと言った文明のゴミが目立ち始めた。
 歩き続けると、森が急に開けてきて、目の前に舗装された道路が一本横切っている。道路には落ち葉や泥が積み重なり、もう何年も自動車が走っていないのがすぐに分かった。道路脇の白いガードレールの横にはコンクリート製の電柱が等間隔に並んではいたが、変圧器や電線などは全て取り外され、灰色の電柱だけが空に向かって突き出ている。そしてその反対側には「ゴミを捨てないで!守ろうよ、私たちの森」という看板が虚しく立っていた。
 英司は比較的監視のしやすい所を選んで身を隠し、三人がやってくるのを待った。道路が通っているということは、さっき地図上に載っていた廃墟と化した温泉ホテルが近くにある筈だ。 
 周囲には全く動くものが無く、森の中では良く聞こえていた鳥のさえずりも、ここではあまり聞こえてこない。あるのは綺麗にされていない道路と電柱だけだ。そんな場所に佇んでいると、仲間はずれにされたような気分になる。
 綾美達はちゃんと来ているだろうか?途中、通路上のブービートラップは二箇所ほど解除してきたが、見落とした所があるかもしれない。色々な事が浮かんでは消えたが、大丈夫だろうと自分に言い聞かせて納得させた。
 そうすると、英司の心の中で何か小さな虫が蠢く様な、妙な感触がした。暗闇の中で物を探すような感じで心の内側に手を伸ばしてその虫を捕まえようとすると、さっき房人達と交わした会話がよみがえってきた。何気ない会話とはいえ、あんな風にして誰かと話したのは何だか変な気分だ。ゼリー状の何かを掴んだ時のような、変な心地よさがある。それを繰り返す事で、人間は絆を深めてゆくのだろうか、変な気分にさせる何かは掴めそうにないが、掴んでしまったらそれで台無しになってしまう気がする。そういう繋がりを持っているから、危機的な状況でも誰かを信頼できるのだ。そういえば、綾美はもう立ち直ったのだろうか?さっき、もう自分は平気みたいな事は言っていたが、本当にそうだろうか。
 夢想の中に浸かっていると、森の中から話し声と足音が聞こえてきた。英司は空想を断ち切って、声の聞こえた方向に意識を集中させ、視線を向ける。ギリースーツで身を隠しているから、こっちの姿は見えないはずだ。じっと息を潜めていると、次第に足音と話し声が大きくなってきた。どうやら房人達ではないらしい。彼らが近づいてくるにつれ、会話の内容も聞き取れてくる。
「それで、そいつ等は追い払ったの?」
「いや、一人だけ反応の早い奴がいてさ、そいつに危うく撃たれる所だったよ」
「どんな奴?」
「よく見なかったけれど、あの中で一番場数を踏んでいる奴じゃないかな、動きに無駄が無かったよ」
 音を出すものが全く無いから、遠くにいても声がはっきりと聞き取れる。声からして、若い男の声と十歳くらいの男の子の声だ。英司は声の聞こえた方向へ頭を僅かに動かし、彼らの姿を見た。
「追い払えたかな?」
「この森にはトラップをそこらに仕掛けてある。訓練を受けた連中ならまだしも、素人集団には無理だと思うぞ」
 英司が確認できたのは後姿だけだったが、睨んだとおり、若い男と十歳くらいの男の子の二人だった。若い男の背中には、迷彩塗装を施し低倍率スコープを取り付けたクロスボウと、黒い矢を何本も入れたナイロン製の矢袋を提げていた。さっき自分達を襲ったのは彼のようだ。警戒していない所を見ると、完全に自分のテリトリーだと思って安心しているらしい。
 すると、男が立ち止まって、英司の方を振り向いた。見つかった!と心の中で叫んだ英司は視線を逸らし、頭を地面に押し付けた。
 男はしばらく立ち止まったまま辺りを見回していたが、何も変化を見つけられなかったのか「気のせいか」と呟いてその場を立ち去った。男が完全に居なくなったのを確認すると、英司は安堵の溜息を漏らす。どうやら完全に敵のテリトリー内に足を踏み入れたらしい。さてどうするか。ここで房人達を待ちながら何か対策を練るのもいいが、その前にこの辺り一体が本当に安全かどうか確認する必要もある。
 英司はゆっくり起き上がると、出来るだけ音を立てないように、さっきの二人が歩いていった方向へと進んだ。周囲には幹の細い木々が多く、視界がかなり広い。敵に見つかりやすい場所だ。英司は接近戦に備えて、銃をM24から9mm機関拳銃に持ち替えた。
 十分ほど進むと、目前の木々の間から、白い壁のようなものが見え隠れしている。あれが例の廃墟か、と思ったその瞬間、突然背後から人の気配がして、銃を構えてその方向を振り向くと、そこには本当に血が通っているのかどうか怪しい位に白い肌に、しなやかな長い黒髪を持った自分より二つ三つ程年上の女が聖母のような微笑を浮かべながら立っていた
「撃たないで、貴方は悪い人ではないでしょう」
 女は淡々とした口調で英司に言った。こいつには警戒心というものが無いのか?銃を突きつけられているのに、怯える素振りを全く見せない。彼女の目を覗き込むと、ギリースーツに身を包んだ自分の姿がはっきりと浮かび上がる。
「そいつから離れろ、理奈子!」
 今度は英司の右側から男の叫び声が聞こえた。英司が反射的に銃を構えたまま右側へ身体を向けると、自分と同い年位の男が立っていた。両手にはS&W・M1913が握られ銃口を英司に向け、その背中にはクロスボウとその矢を収めた矢袋を提げている。腰には鞘に収められたグルカナイフを下げており、英司は接近戦になったら勝ち目は無いとすぐに悟った。
 二人は互いに銃を向けたまま、照準器越しに顔を見つめ合った。お互いの呼吸が次第に合って、奇妙な一体感を覚えた。
「銃を下ろして、政彦。この人は悪い人じゃない。そっちの貴方も、銃を下ろして」
 政彦と呼ばれた男は鋭い視線を英司に投げたまま、銃を下ろそうとしなかった。多分彼の本能的なものがそうさせるのだろう。自分の仕掛けた数々のトラップを掻い潜り、ここまでたどり着いた人間。間違いなく、クロスボウで警告してきた時反撃しようとした奴に間違いなかった。
「お願いだから、銃を下ろして。ね」
 理奈子は優しい口調でそっと政彦の側によると、彼の手首に触れて静かに銃を下ろした。政彦は煮え切らない表情のまま、銃を腰のホルスターに戻す。
「貴方も」
 今度は英司の側に近づくと、同じようにそっと彼の右手首に手を添えて、ゆっくりと赤ん坊の肌を撫でるように銃を下ろした。それ程力を入れている訳ではないのに、自然と力が抜けてゆく。まるで闘争本能を吸い取られているような感覚だ。英司は添えられた彼女の左手を眺めながら、銃の安全装置をかけた。
「俺を警戒しないのか?侵入者だぞ」
 英司が聞いた。
「しないわ、悪い人じゃないって分かるもの」
 理奈子が慈愛に満ちたような不思議な声でそう答えると、そのまま英司の目を見つめると、優しそうに微笑んだ。思わず顔から目を逸らすと、綾美や美鈴より遥かに大きい乳房に目を奪われる。
「お前らが俺達の敵じゃないって保障は?」
 英司は疑っているような声を装って、理奈子に聞いた。
「私は貴方の敵ではないわ、貴方が私の敵ではないように」
 理奈子はおっとりした口調で答える。まるで英司の心の奥底、英司自身が気付かない部分を見透かしているように。
「そうじゃない事だって、世の中にはあるぞ」
「そうかも知れないけれど、今は違うわ」
 理奈子はそう答えると、にっこりと微笑んで英司の側を離れた。すると、その一部始終を眺めていた政彦が、声を荒げながらこう口を挟んだ。
「お前らの仲間は、すぐ近くまで来ているのか?」
 政彦の質問に、英司は突っぱねるようにこう返す。
「答える義務はない。まだ敵じゃないと分かった訳じゃないからな」
「なんだと、白状しないとお前を」
 政彦が再び腰の拳銃に手を掛けようとすると、理奈子が目にも留まらぬ速さで彼の右手を掴んだ。
「私の前で銃は抜かないで、勿論血を流すのも」
 理奈子はまるで子供を叱り付けるようにぴしゃりと言った。その一言に萎縮した政彦は右手をホルスターから離し、そのまま腰の後ろに回した。コイツは血の気が少々多いようだが、彼女には逆らえないみたいだな。と英司は思った。
「無線機は持っているんでしょ?」
 不意に理奈子が聞いた。
「持っている。それがどうかしたのか?」
「仲間を呼べばいいじゃない」
 理奈子の提案に政彦が「おい」と口を挟みかけたが、理奈子は「文句ある?」と言った感じで彼に一瞥すると、首を戻して「無理にとは言わないわ」と付け加えた。
参ったぞ。と英司は胸の内で漏らした。初めて綾美と出会った時と似たような状況だが、今回は仲間がいる。しかも重大な使命を背負った面々だ。易々と彼女の提案を受けて最悪の結果を招けば、取り返しのつかない事態になってしまう。
「まだ疑っているの?」
 難しそうに考え込んでいる英司の顔を覗きこみながら、理奈子が聞いた。その言葉はまるで森の妖精が迷い込んだ旅人を何処かへと連れてゆくような、不思議な感じだった。
「ここには私と政彦、それにもう一人男の子がいるだけよ。武器も殆ど持っていないし、勿論山賊なんかと連絡する手段もないわ」
「一つ条件がある」
 英司が一言言った。自分でも意外なくらい反射的な返事だったが、既に言葉の内容は頭の中で出来上がっていた。
「俺達が何者であっても、俺達に協力すること、それが絶対条件だ」
「分かったわ、貴方達が何者であっても、貴方達に協力すればいいのね」
 理奈子が満足気に答えると、英司は左腰に取り付けたウォーキートーキーを取り出した。



 綾美、房人、美鈴の三人が森の中をしばらく進んでいくと、次第に木々の密度が薄くなりやがて舗装された道路に出た。周囲には看板と地面に落ちた電線。それに変圧器を外された電柱があるだけで、他には何も無い。先頭を行く美鈴が左手を挙げて「止まれ」の合図を後ろの房人と綾美に出した。二人はそこで立ち止まり、美鈴が道路脇まで出て安全確認を終えるまでそこで待つと、綾美は大きく溜息を漏らし、両手をひざに置いて立ち止まった。
「大丈夫か?」
 房人が周辺警戒を行いながら聞いた。
「一応大丈夫、でもちょっと疲れたわ」
 綾美は膝から手を離すと、両肩を交互に叩きながら答えた。確かに村仕事の手伝いで動き回るのには慣れているとはいえ、丸一日森の中を休み無しで歩き回るのは初めてだった。自分より頭半分小さい身体で、重たい荷物を背負って森の中を歩き回っている英司の体力は凄いな。と綾美は思った。
 先頭の美鈴が道路の安全確認を終えると、綾美と房人の方を振り向いて左手を激しく振って、「ここまで来い」と二人に命じた。すると綾美と房人が美鈴の元へ行こうとしたその瞬間、房人のウォーキートーキーに英司からの連絡が入った。
「こちら英司、周囲の安全が確保できるようなら応答してくれ」
房人と綾美はそのまま美鈴の元へ駆け寄り、三人で固まるとようやく英司からの応答に答えた。
「聞こえるぞ、何かあったのか?」
 房人は音が漏れないよう、ウォーキートーキーのマイクに口元を近づけて声を落として答えた。聞く時はスピーカーの音を最小にした上で耳に押し当てて、向こうからの会話が漏れないようにした。
「今どの辺りにいる?」
「道路が横切っている所だ。近くに看板と電線の無い電柱が何本も立ってる」
「そこから、道路を横切って前進してくれ」
「何かあったのか?」
「いいから早く来てくれ、交信終わり」
 英司が一方的に通信を切ると、房人は何事だろうといった顔のまま無線機を戻した。まさか捕まって脅迫されている訳ではないだろう。何か問題でも起きたのだろうか?もうすぐ廃墟になった温泉ホテルが見えてくるはずだから、恐らくそれに関係する何かだろう。
「何だって?」
 会話中に周辺警戒に就いていた美鈴が聞いた。
「ここから前進して俺の所まで来いだってさ」
「捕まったの?」
「多分違うんじゃないかな、何か見つけたみたいな感じだった」
「見つけたって、何を?」
 綾美が房人に尋ねた。房人は鼻で溜息を漏らして、鼻の下を指で擦りながらながらこう答える。
「行ってみないと分からないよ、とにかく前進だ」
 三人は立ち上がり、道路を横切って廃墟になった温泉ホテルへと向かった。



 英司は出会った二人と共に、森の脇に出来た小道を歩き、山の間に出来たわずかな平地に立てられた廃墟ホテルへと向かった。何気ない小道でも、本来ならパトロールの兵を出して警戒に当たらせるべきなのだが、ここにはそういった形跡が見られない。彼ら二人を入れて、ここに居るのは三人だけだというから、そんな事をする余裕はないのだろうが、あまりにも無防備すぎる。すぐ近くには山賊が活動しているのに。ブービートラップだけの警備では不十分なはずだ。
「ここには何か秘密でもあるのか、誰も近寄りたがらない理由でも」
 英司は思い切って疑問を二人にぶつけてみた。二人は足を止めて、ゆっくりと英司の方に振り向く。
「理由って何が?」
 政彦が英司に聞き返した。
「だから、ここが狙われない理由だよ。近くには山賊も出るみたいだし、三人だけで不安じゃないのか?」
 英司が答えると、理奈子がクスッと笑い、そのままケタケタと独楽を回すように堪えながら笑い出した。
「どうかしたのか?」
 英司が理奈子の顔を覗きこみながら聞いた。質問に彼女の笑いのツボを刺激するキーワードでもあったのだろうか。そうだとしたら、この女は頭がおかしい。
「いや何も。ごめんなさい」
 理奈子は苦しそうに咽ると、息を整えながらこう答える。
「まさかそんな質問されるとは思ってなかったら、つい」
 落ち着きを取り戻した理奈子は前を向くと、歩きながらこう続けた。
「ここには盗られるようなものが何も無いのよ、お金も物も、換金出来たりする物や、物々交換できる物は殆どないわ。あるのは生活に必要なものと武器くらい」
 理奈子が答えると、英司はすぐ目の前に写る廃墟ホテルを眺めた。鉄筋コンクリート製の五階建てで、本棟と別棟に分かれている辺りかなり立派な造りだ。金目の物はたくさん在りそうなのに、盗られるものが無いというのは変だ。
「食糧とかは?どうしているんだ」
「畑なら中庭にある。それと鶏を何羽か飼っている位だ」
 政彦が答えた。
「それだけじゃ生活できないだろう。他には?」
「鍋とか包丁とか、そんな物位しかないよ。どうしても駄目な時は、遠くの街の市場に行ったり、倒した山賊のものを奪ったりする」
 政彦が迷惑そうな口調で返すと、「もう質問は無いな?」と英司に聞いて、会話はそこで終わった。
 道を下り終えてホテルの入り口まで来ると、錆びだらけのパイプ椅子に腰掛けた十歳くらいの男の子が、うつらうつらと眠そうにしながら彼らの帰りを待っていた。警備のつもりなのだろうか、一丁前にサスペンダーから弾帯を吊るし、傍らにはくたびれた64式小銃を置いている。ユウスケより幾らかお兄さんだが、英司にはまだまだ子供に見える。
「ただいま、コウタロー」
 理奈子か声を掛けると、コウタローと呼ばれた男の子は目を覚まし、慌てて姿勢を正して椅子から立ち上がった。
「お帰り、理奈子」
「一丁前に警備するのも良いけれど、眠ってしまうようでは感心しないわね」
 コウタローは「眠かったんだ」とぼそぼそ呟くと、理奈子と政彦の後ろに立っている英司に気付いた。コウタローは英司が害の無い人間だと分かったらしいが、身に付けたギリースーツと顔に塗られたドーランのせいで、少しだけ警戒している。
「その人は?」
「彼?そこで会ったの」
 理奈子が他人事のように答えると、英司の方を振り向いて「名前は?」と訊いた。
「神無英司」
 英司も同じようにぶっきらぼうな言い方で自分の名前を名乗った。
「自己紹介ありがとう英司。私の名前は早川理奈子。よろしく」
 理奈子も自分の名前を名乗ると、政彦の方を振り向き名乗るように促した。
「俺は二見政彦。よろしく」
 政彦は明後日の方向を向きながら答えた。多分自分から名乗るのが恥ずかしい性格なのだろう。と英司は思った。
「俺はコウタロー。よろしく」
 最後に男の子が名乗ると、英司に握手を求めて右手を差し出す。
「苗字は?」
 英司が右手で申し訳程度の握手をする。かつて握手をしない狙撃手がいたらしいが、なんという奴だっただろう。
「知らない。皆コウタローって呼ぶからコウタローって自分でも呼んでいるんだ」
「そうなのか・・・」
 英司が握った手を離すと、右ポケットのウォーキートーキーから房人の英司を呼ぶ声が聞こえた。英司はウォーキートーキーを取り出し、通話ボタンを押して応答に答えた。
「聞こえるぞ、今どこだ?」
「ちょうど目の前に廃墟のホテルが見える所だ。お前は今どこにいる?」
「ホテルの下の方、入り口の所だ。肉眼では見えないだろうから双眼鏡で確認してくれ」
 英司がそう告げると、房人はしばらく無線を切って、雑嚢の中に入れた折りたたみ式の双眼鏡を取り出し、ホテルの入り口の辺りを見回した。レンズによってズームされた世界の中に、英司と外の三人の姿が浮かび上がる。そのうちの一人は背中に迷彩塗装の施されたクロスボウを提げているのが、はっきりと分かった。
「お前どんな連中と一緒にいるんだよ!?さっき俺らを攻撃してきた奴らじゃないか、何で」
 房人が怒ったような口調で英司に尋ねると、英司は落ち着き払った口調でこう返した。
「安心しろよ、彼らは敵じゃない。こっちに害を加える気も無いし、協力してくれると言ってくれている。さっきのは事故だよ」
 英司は通話ボタンを離し、政彦の睨むような視線を浴びながら目で理奈子に「そうだろ?」と迫った。理奈子は軽く頷き、「もちろん」と目で答える。すると再び、ウォーキートーキーのスピーカーから房人の声が流れだした。
「そいつらが100%俺達の味方だって言う保障はあるのか?」
「仮に味方じゃなくても、敵じゃないと思うぞ?」
「そうだけれど、その根拠は何だ?」
「彼らの言葉と俺の勘だ。甘いようだけれど、俺は彼らの言うことを信じてみる」
 房人はそこで言葉に詰まった。自分達の中で一番経験豊富なはずの英司が、こんな行動に出るなんて信じられない。何か悪いものでも見ているような気分になりながら、房人はどうして彼がこんな行動を取った理由を考えてみたが、何も浮かんではこない。
 すると綾美が考え込んでいる房人の横顔を覗き見ながら、小声で「ちょっといい?」と入って来た。ひょっとしたら綾美なら英司の起こしたこの奇怪な行動の原因を探れるかもしれない。そう思った房人は自分のウォーキートーキーを綾美に手渡した。
「英司、さっきちょっとだけ聞いたんだけれど」
「何を?」
 突然相手が綾美に替わったのに驚いたのか、英司は語尾を少し空回りさせた。
「どうして彼らの言葉を信じてみようと思ったの?理由を聞かせて」
 綾美は詰め寄るような口調で英司に聞いた。綾美にとっても、こんな行動を取った英司の事が信じられなかった。綾美の中にある彼のイメージは初めて会った頃の、あの冷徹な殺し屋のままだ。
「前にさ、私に言ったよね、〝無神経なまでに他人を信用するな〟って。なのにどうして、こんな事をしたの?」
 綾美が聞くと英司は一呼吸間を入れて、静かにこう答えた。
「気まぐれだよ」
「えっ?どういう事なの?」
「今回だけは、他人の言う事を信用してみようと思っただけさ」
 英司はそう答えると、一方的に無線を切った。綾美は房人にウォーキートーキーを返すと、納得の行かない房人と美鈴の方を振り向いた。
「英司の言う事、信じてもいいと思う」
「ちょっと、綾美まで言い出すのよ?」
 美鈴が不満げな声で言った。綾美はまずい事を言ったかも知れないと一瞬思ったが、構わずにこう自分の意見を述べた。
「とにかく、英司の言ってみた事を信じてみようよ。何事にも例外はあるかも知れないけれど、今回だけは信じようよ」
 綾美は思わず両手に力を込めながら二人に迫った。房人と美鈴は目を動かして互いを見つめ合うと、しょうがないと深い溜息をと二人同時に漏らし、綾美の意見に賛同した。
「どうなっても知らないけれど、ここで停止するよりはマシか」
 美鈴が一言愚痴ると、三人はホテルへと向かった。
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