文字数 5,895文字

 海下椿は、村の人間が殺され終えると、何か食い物は無いかと適当な家の中に入り込んだ。戸棚の中を探すと、壜の中に酢漬けにされたキュウリを見つけた。蓋を開けて適当に何本かつまんでいると、宇野がやって来て彼女に声をかけた。
「何か面白いものは見つかったか?」
「別に。有っても私には必要ないから」
 海下はキュウリを何本か齧り終えると、壜に蓋をして戸棚に戻した。半開きになった家のドアからは、殺された村人の足が少しだけ見える。別に誰かが死んだからと言って特に込み上げてくる感情は無かった。彼女は何度も人間が頭を粉々に吹き飛ばされたり、胸を撃たれて苦しみながら死んでいくのを数え切れないほど見てきた。それゆえに死体を見るのは日常の一部になっていた。
「若い連中は、適当な女を見つけて普段の欲求不満をぶつけているの?」
「まあな、情報を知っていそうな奴は尋問にかけて何か喋らないかやっている所だ」
「そう」
 海下は溜息をはくように答えた。
「あんたは参加しないの?若い連中の〝お楽しみ〟に」
「俺はいい、やらないといけない仕事が結構ある。これでも苦労が多いんだ。中間管理職は」
 宇野の答えに海下はあざ笑うように鼻で笑った。
「お疲れ様」
 海下は口元に残酷な笑みを浮かべながら、さらに家の中に踏み入った。隣の部屋に入ると、作りかけのフェルトのポシェットがテーブルの上に置いてあった。ピンクと淡い水色の布と針や鋏、装飾に使うビーズの入った入れ物などが当たり散らばり、楽しげな思い出の余韻だけ残して物哀しげに置いてけぼりにされている。海下はそれに一瞥をくれると、他にも面白そうなものが無いか近くの棚を探してみた。すると、中に赤茶色のウィスキーが入った壜を見つけた。
「いいものを見つけたよ。後で仲間と一緒に一杯やれば?」
 海下は冷酷な笑みを口元に浮かべたまま、宇野にウィスキーを手渡した。
「ありがとう。貰っておくよ」
 宇野が答えると、一人の兵士が二人の元にやって来た。
「宇野さん、隊長がすぐに来いと」
 まだ二十歳ほどのニキビが残る兵士が答えると、宇野が「すぐ行く」と答え、ウィスキーの壜を兵士に手渡して足早に竹森の下に向かった。海下もその後に続く。
 二人は竹森の居る一軒家に向かった。入り口には二人の兵士が銃を持って警備に当たっている。ドアを開けて中に入ると、血の臭いと汗の臭いが二人の鼻を打った。奥のへ矢に向かうと、竹森は一仕事終えたといった具合で椅子に腰掛け、ラークをふかしていた。
「呼び出して悪かったな」
 竹森は二人が入ってくるのを確認すると、顎で目の前にある一人の男を指した。その先には両手を後ろで縛られ、全身に青紫の痣と切り傷が点いた男が横たわっていた。竹森は近くに居た兵士に「連れて行け」と指示した。男は兵士によってズルズルと外に這い出されていく、もう何も話す気力も残っていないようだった。
「奴が話したよ。あのパソコンの中に入っていたデータの在り処を」
「本当ですか?」
 宇野が聞いた。竹森は咥えていたラークを床に落とし、ブーツのそこでもみ消した。すると、外からパンという銃声がして、彼らの耳に染み込んで行く。
「ここから、さらに南西に向かったらしい。追跡していた奴が村の人間を連れて今朝この村を出て行ったらしい。まさにタッチの差だな」
「すぐに追跡しますか?」
「勿論。この村からは水と食糧を補給した後、家に火をつけろ。村人の死体はそのままでいい」
 竹森は新しいラークを取り出してジッポで火をつけた。竹内は椅子から立ち上がり、家の外に出た。村人達の死体は一箇所に集められ、生ゴミのような悪臭を放ち始めている。その臭いを嗅ぎつけて、ハエが何匹か死体の側を飛び回っていた。
「おそらく、ここから南西、おそらく寺田の村に向かったのだろう。ルートにもよるが、ここから最低でも二日掛かる」
「寺田?あの特殊作戦群上がりの寺田が指揮する村ですか」
 宇野が竹森に聞いた。
「そうだ」
「あの村は正規軍並みの装備と組織を持っていますよ。いくら我々でも簡単には近づけない」
「確かに簡単に近づくのは無理だ。この人数で押しかけても火力で押し返されるだろう。そういう時、君はどうするかね?」
 竹森は宇野に微笑みながら聞き返した。
「離れた所に偵察兵を潜り込ませて、状況を監視する?」
「そう。その任務に当たるのは訓練された兵士で無ければならない。観測や偽装の技術を習得した兵士で無いといけない」
 竹森はそう答えると、近くに居た海下の横顔を見た。まだ二十歳だというのに、この女に歳相応の仕草や表情というものが全く無い。多分頭のどこかがおかしいのだろうと竹森は思った。
「その任務は海下、お前に頼んだぞ」
 竹森が言うと、海下は唯黙って頷いた。
「観測員の土居を連れて追跡に向かってくれ。追いついたら始末しろ。もし追いつかなかった場合は、村まで行ってその近くに潜んで監視と情報収集に当たってくれ。我々も後から追いつく」
「分りました」
 海下が答えると、突然叫び声と銃声が聞こえた。すぐに三人は声のした方向に駆け出す。三人がすぐに近寄ると、一人の兵士が森に向かって何発か銃を撃っていた。
「どうしたんだ!?」
 宇野が兵士に聞いた。
「村人の生き残りが近くの小屋に隠れていました!」
「仕留めたか?」
「いえ、森に逃げ込みました」
「馬鹿者!」
 宇野は兵士に怒鳴った。全ての建物を捜索し終えていないなんて訓練不足以前の問題だった。宇野は頭を抱えたまま、「申し訳ありません」と竹森に謝った。
「すぐに追跡しろ、見つけ次第殺せ」
 竹森は部下のミスをとがめずに、次の指示を出した。宇野は自分を入れてすぐに追跡隊を編成して森の中に入った。竹下はそれを見送ると、海下にこう言った。
「あの逃げ出したのは宇野に任せておけばいい。お前はすぐに土井と一緒にこの村を出た奴を追跡しろ」
「はい」
 海下は簡単に答えると、観測員の土居を呼んで自分の装備と銃を取りに向かった。
 彼女は最初に入った家に置いた装備一式の入ったバックパックを背負うと、テーブルのうえに置かれたままの作りかけのポシェットに目をやった。この甘い砂糖菓子のような幸福ももうすぐ灰になるのかと思うと、何だか虚しいのか切ないような、色水みたいな気持ちが彼女の中に湧き出る。けれどただそう思うだけで、こみ上げてくるものはそれ以外何も無かった。
「奴の追跡だって?大丈夫なのか?」
 観測員を務める土居誠二郎が聞いた。均整の取れた顔と低い声が何だかミスマッチな印象の、海下よりも少し年上の男だった。
「大したは事は無いよ。いつもと同じ、向こうより先に見つけて仕留めればいいだけのことよ。それだけ。別に大儀も何も無いだでしょ?」
「まあな」
「なら、早い所終わらせちゃおう」
 海下はそう答えると、さっきの冷徹な微笑みに戻った。そしてM40A3狙撃銃の入ったライフルバッグを担ぐと、獲物を求めて森の中に足を踏み入れた。


 英司は森の中を歩いている最中、自分のやって来た方向から何か目に見えないものが風に乗って流れてくるような気がした。立ち止まって自分がやって来た方向を見ると、木々の向こうから痛みや悲しみ、恐怖と言ったものが木々と自分の間を通りぬけてゆくのが分った。すると、胸の中で両親を目の前で殺された時のあの感情が、水漏れの様に流れ出てきた。
「どうしたの」
 急に立ち止まった英司に綾美が話しかけた。英司はしばらくしてから「なんでもない」と答えた。
 途中何回か休みを入れながら二人はさらに森の中を歩き進んだ。日は次第に傾いて空を水色からオレンジ色に、やがて濃紺へと染めていった。二人は暗くなる前に、今日の寝床を探した。
 休むのに丁度いいところを見つけると、二人は背負っていた荷物を下ろした。こういうのに慣れていない綾美は疲れた様子でふぅと溜息を漏らし、米軍の二クォート水筒の蓋を開けて水を一口飲むと、バックパックから飯盒を取り出して食事の用意に取り掛かった。
 夕食は味噌で味をつけた乾燥野菜入りの粥と干し肉だった。すぐにガスストーブの火を消した。
 薄暗い森の中での夕食はなんともいえない息苦しさを綾美に与えた。特に何も話すことは無かったが、このままではこの雰囲気に耐えられないと思った綾美は思い切って英司に何か話してみようと思った。
「ねえ、ちょっと聞いてもいい?」
 綾美は英司の機嫌を伺うよう聞いた。
「なんだい?」
 英司は素っ気無く答える。薄暗いせいか表情が青黒く塗りつぶされているようで、何気ない返事でも不機嫌な印象を綾美に与える。
「ねえ、英司って今幾つ?」
 綾美は探りを入れるようにして、当たり障りの無い話題を降った。英司は箸を止めて、静かに顔を上げてこう答えた。
「今は十四歳。もうすぐ十五」
「そう、私は十五歳だから同じだね」
 綾美は簡単な言葉で答えた。そこでまた言葉が途切れて、あたりは死んだように静まり返る。器の中の粥を全て食べ終えて後片付けを終えると、また何か話そうと思って、再び英司に声をかけた。
「村にやってくるまでは、ずっと一人で森の中を彷徨っていたの?」
 綾美は自分でも唐突だなと思うくらい言葉を英司に降った。英司は顔を少し横にずらして、「まあね」と答えた。
「大変じゃなかった?」
「大変って言えば大変だったよ。寝るときは直接地面の上に寝転がって、その上からポンチョを被るんだ。不意の自体が起こってもいいように、熟睡はしない。だから昼間安全を確保できる所に着くと、昼寝をしたりしたんだ」
「ふうん」
 綾美は頷きながら答えながら答えると、英司の膝の上にあるM24狙撃銃の入ったライフルケースを見た。
「その、大きい銃はどこで手に入れたの?」
「これ?」
 英司は膝の上のライフルケースを手にとって答えた。黒いナイロン製の、いかにも無機的な道具が入っていそうなケースだ。
「これは父さんの物なんだ。前の戦争で使っていたものらしい」
「そうなんだ」
「銃の撃ち方や屋外での行動の方法を教えてくれたのは父さんなんだ。〝俺がお前に教えてやれる事はこれくらいだ〟って言ってね。今考えると、父さんが教えてくれなければ、今こうやってこの状況を生き抜いてはこれなかったと思う」
 英司は父親から射撃の技術を教えてもらっている時の事を思い出しているのだろうか、宙を見つめたままボンヤリとしている。こんな表情を英司もするんだと綾美は思った。
「母さんは字の読み方や計算、怪我をしたときの手当ての方法なんかを教えてくれた。二人とも 心の底から優しい人で、本当に良い両親だった」
「今はどうしているの?」
 綾美は静かに聞いた。その言葉を聞いて英司は表情を濁らせた。まるで白い布にコーヒーをこぼしたように、まずい事を聞いてしまったと綾美は胸の内で呟いた。
「殺されたよ、目の前で。家にある銃を持ってウサギを狩りに行って戻ってくると、銃を持った男達が家の周りを取り囲んでいたんだ」
 英司は視線を地面に落として、また空を見上げた。
「何か激しく言い争っているみたいだったよ。リーダー格の男と。俺は近くの茂みに隠れてその様子をしばらく眺めていたんだけれど、途中でリーダーの男が銃を取りだして父さんの頭を撃ちぬいたんだ。その後すぐに母さんも同じように殺された」
 綾美は自分の頭の中が白くなったような錯覚に襲われた。喉の辺りで何か硬くて生暖かいものが詰まっているようにも思える。苦痛な感じだった。
「連中は死体を家の中に押し込んだ後火をつけて家を離れた、茂みに隠れていた俺は何て自分が無力な存在なんだろうと思ったよ。すると両親を殺された悲しみが一緒にこみ上げてきたんだ。しばらく茂みの中で涙を堪えていると、今度は連中に対する憎しみと怒りが湧き上がってきた」
 英司は一旦そこで言葉を区切り、胸の中にこみ上げてくるものを必死に押し込めてこう続けた。
「俺は連中が居なくなったのを確認すると、家のすぐ近くの崖に用意した隠し倉庫の中にあるこの銃と装備一式を持って連中の後を追った。感情で動いているというよりは、感覚で動いているみたいだったよ。まるで本能がそうしろと言っているみたいにね。次の日俺は連中が小休止しているところを見つけると、ほとんど父さんから教わったとおりに射撃準備を始めたんだ。父さんを撃った奴の顔は良く見なかったから、一番警戒していなそうな奴を探した。怒りで頭の中が訳分らなかったからさ、誰でも良かったんだ」
「それで?」
 綾美はほぼ無意識のうちに英司に聞いた。
「それで適当な奴を探して、そいつの頭に照準を合わせたんだ。呼吸を整えていざ撃とうとすると急に右手が自分の物じゃ無くなったみたいに動かなくなったんだよ。それに気付くと急に人を殺す事に対して怖くなってね。心臓の音が自分の中で反響するんだ」
「それからどうなったの?」
「父さんに教わった通りに、深呼吸して頭の中を空っぽにした。そして引き金を引いて、ドンって音がすると、そいつは胸を撃たれて血を噴き出しながら倒れたんだ。それが始めて人を殺した時の感想」
 綾美はなんて言っていいのか分らなくなった。有るのはそんなことを聞いてしまった自分への罪悪感と、英司への悲しいような悔しい気持ちだった。
「そんな風にして何ヶ月か森の中を逃げ回りながら、連中の兵士を探しては一人一人殺していったんだ。もう十数人くらい殺したんじゃないのかな、殺すたびに悲しみとか恐怖なんてものは薄れていったよ。今ではもう何も感じなくなった。人の命が地球より重いなんて嘘だよ。人の命なんてたった数グラムの弾丸を撃ち込むだけで終わるんだ。もし本当に地球より重かったら、俺みたいな人間はこの世に生まれないよ」
 英司が言い訳のように喋り終えると、綾美は急に自分のしでかした事がとんでもない事のように思えてきた。
「ごめん。こんな事を聞いて、辛い事を思い出させてしまって」
綾美は俯くような感じで英司に謝った。何気なく聞いてみた事が、他人の不幸に触れてしまうなんて思ってもいなかった。
「良いんだ別に、いずれ誰かに話すかも知れないと思っていたんだ。早いか遅いかの違いだよ」
 英司はそこで言葉を終わらせると、バックパックから毛布代わりのポンチョを取り出した。綾美も毛布を取り出して適当な所に横になる。
「先に寝ていいよ。俺はしばらく見張りに着くから」
英司が答えると、綾美は無言のまま頷いた。さっきのことを謝ろうか迷ったが、止めておく事にした。
「お休み」
 綾美は英司に一言声をかけると、そのままゆっくり目を閉じた。
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