文字数 11,373文字

 雨は次第に強さを増し、日が暮れる頃には空全体を雲が覆いつくした。普段なら闇に包まれて静寂に染まる森が、今夜だけは激しい雨音に包まれる。大粒の雨粒は草木に打ちつけ、粉々に砕けて地面に沈んで消えていく。 
 雨が降り始めたとき、英司と綾美はポンチョに身を包んでしばらく森の中を進んでいたが、雨足が次第に強くなって視界が悪くなってきてしまった。どこか小休止に良い所はないかと探していると、朽ち掛けた山小屋を見つけて、そこに入って休息を取った。
「雨に降られちゃったね」
「別にいいよ、雨が今までに残してきた痕跡を消してくれるから、好都合といえば好都合だよ」
 英司は、綾美の何気ない言葉を素っ気無く返した。ゴアテックス製のポンチョを脱ぐと、窓のガラス越しに降りしきる雨音に耳を澄ませた。遠くの空から、大気をゆっくり動かす時に出るような低い雷鳴が響いてくる。
「雨が降れば、今までに残した足跡も臭いも全て洗い流してくれる。何もかも」
 英司は独り言のように呟くと、水筒のキャップを開けて中の水を一口飲みながら、小屋の中を見回した。小屋の中には椅子とテーブルさえ無く。使えそうなものは全て運び出されているようだった。
 雨は勢いをさらに増して、殴りつけるような雨音が小屋の中に響いた。英司達は濡れたポンチョを乾かすため近くの壁つけてあったフックにポンチョを引っ掛けて、乾かす事にした。小屋の中は真っ暗でお互いの表情はよく読み取れない。
「ここら辺は登山道だったみたいだね。今はどうなっているか知らないけれど」
 英司が独り言のように呟くと、綾美は「そうみたいだね」と簡単に相槌をうった。
 しばらくボーッとしていると、英司は心の中にある部屋の片隅にあった脱ぎ散らかしたままの靴下のような疑問を、綾美に聞いてみたくなった。
「何で、この道中に着いてこようと思ったの?」
「えっ?」
 綾美は少し驚いたような顔で、英司の目を見た。そしてしばらく戸惑うそぶりを見せて、奥歯で言葉を混ぜるように答えた。
「私ね、前から色んな所に行って、人の役に立つような仕事がしてみたいって、前から思っていたの」
「それとこの命がけの道中と何の関係が?」
「なんていうのかその、とにかく色んな所に行って、ちょっとでもそこで困っている人たちの役に立てることがあれば、協力したいって思う」
「村で困っていることがあれば、それを手伝ってやればいいんじゃないの?」
「あの村はかなり恵まれている村よ。元々政府の下儲けの仕事をやっているから、支援物資や品質のいい作物の種なんかは優先的に受け取ることが出来たから」
「恵まれているのは自分達だけであって、よそには恵まれない人たちが沢山いるから?」
「そう。だって、この国は世界で最も豊かな国の一つだったんでしょう?今はこんなに荒れ果てているけれど、誰かの役に立つ仕事を、お互いに協力し合って未来に進める事が出来るようになれば、またこの国も幸せに満ちた国になるかなって、考えているの」
「今回はそれの第一歩ってわけか」
 英司はあざ笑うような感じで答えると、ふぅと溜息を漏らしてこう続けた。
「立派な夢だけれど、君が言っているほど世の中は甘くは無いと思うよ。誰かの好意を目当てにして人を騙すような奴もいっぱい居るんだ。もし騙されても、君はその人を憎まずに居られる?」
「どういうこと?」
「一度人を殺したいほど憎んでしまうと、誰かを信用しようとする時に余計な雑念が入って、心の底から人を許せなくなってしまう事がある。それがエスカレートしてゆくと、コイツは自分を貶めようとしているんじゃないかっていう被害妄想にとらわれる事だってあるんだ」
「つまり?」
「最悪の場合、人を信用できなくなることがあるって事だよ。幸せっていうのは、誰かの心と心が通じ合える時に初めて生まれるようなものだろ。状況にもよるけれど」
「そんな。無神経なまでに人を信用するとは言っていないわよ」
「じゃあ、君は人と仲良くする時に自分を隠して相手に近づくの?」
 英司が問いかけると、綾美は口をつぐんでしまった。まだ十五歳の夢を持つ女の子には酷だったかもしれない。
「その隠した部分を覗こうとして人は踏み入ってゆく。そこで見られたくない人との間に軋轢が生まれて、結果としてそれが悪い方向に繋がっていくんだ」
 英司は吐き捨てるように持論を述べると、横目で綾美の表情を覗いた。さっきまでの無垢だった顔が、複雑な何かをかみ締めながら脹れた様になっている。その顔に浮かんでいる瞳を覗くと、英司はなぜか申し訳ないような気分になった。
「とにかく。明日も早いから、もう寝よう」
 英司は言い訳のように言うと、そのまま横になった。


 次の朝は、窓から刺さるような日差しを受けて目が覚めた。外に出ると、昨日振った雨はすっかり止み、太陽の光を受けた草や土の雨粒が蒸発して、森の中を青臭くも泥臭いような匂いに満たした。空はすっかり晴れ上がり、木々の間から差し込んでくる光がとても美しかった。
 二人は荷物をまとめて、乾パンの簡単な朝食を済ませ、痕跡を消してから山小屋を後にした。昨日の不安定な天気がまるで嘘だったかのように、空は澄み切った青色をしていて、雲ひとつ浮かんでいなかった。気温はぐんぐん上昇し、高い湿度と相まって額に汗が滲む。
 額から流れてくる汗を拭いながら森の中を進むと、所々に膝の辺りで折れた焼け焦げた木を何本か見つけた。さらに進んでゆくと、地面にまるで大きなタガネで抉ったかのような穴ぼこが幾つも口を空に向かって開けていた。その隣には破けた穴から草が何本も生えている土嚢や、前の戦闘で使われた対空ミサイルの残骸や錆びだらけの小銃の弾倉が何個か落ちていた。
「昔の戦闘の痕だ」
 英司はかつての戦い痕を眺めながらいった。もしかしたら不発弾が落ちているかもしれないので、注意しながら前に進んだ。さらに進むと、今度は赤い星を付けた飛行機の翼が木に寄りかかるようにして朽ちていた。
「これはどこの?」
 綾美が質問した。
「多分中国軍の飛行機だろう。あそこの陣地に居た対空ミサイルに落とされたんだと思う」
「陣地に居た人たちは、どうなったの?」
「この飛行機の仲間に返り討ちにあったんだと思う。おそらく」
 英司は答えると、また口を閉じて歩き出した。すると、いつもだったら何気なく返すはずなのに、彼女と行動するようになってからどうでもいい会話が増えたような気がした。その事に気が着くと、彼の中で小さな芋虫がこそばゆくうごめく。その感触は不快とも快感とも似ても似つかない。無味無臭の感触だった。英司はその芋虫を握りつぶすようにして心の中で自分を取り戻すと、いつもの冷徹なハンターの顔つきに戻って森の中を歩いた。
 しばらく歩いて、二人は小休止を取る事にした。荷物を下ろして地面に座り込むと、額から汗がタラリと流れ落ちた。バッグから水の入ったポリタンクを取り出して一口飲む。普段から鍛えられているから英司はあまり疲れては居なかったが、普段村仕事の手伝いくらいしかした事がなかった綾美には結構きつかった。
「ねえ、ちょっといい?」
 綾美はポリタンクをバッグに戻しながら英司に尋ねた。
「なに?」
「あのさ、私ちょっと用を足したいんだ。いいかな?」
 恥じ入るように綾美は英司に言うと、英司は「大きい方?それとも小さい方?」と聞き返してきた。
「そんなことまで教えなければいけないの?」
 綾美は少し怒ったように聞き返したが、英司は構わずにこう返した。
「勿論。本来なら大便は袋にいれて、小便はポリタンクに入れて持って帰るんだ。無い時はしょうがないから、地面に深めの穴を掘って中にする。その後で土をかける」
 英司の説明を聞くと綾美はどうにか納得した様子で、肩から下げていたバッグを肩から下ろした。
「すぐ裏の茂みでしてきなよ。五メートル以上遠くに行ったら助けられなくなるから」
英司がそう指示すると、綾美は土を掘る為の小型スコップを持ってそそくさと裏の茂みに隠れた。
 用を足し終えると二人は荷物を背負って再び歩き出した。方角によれば、もう少しで目的の村にたどり着くはずだった。
 


 森の中に残された痕跡は、二人組のものらしかった。一人はコンバットブーツを履き、もう一人はトレッキングシューズを履いている。コンバットブーツの奴は重い荷物を背負っているらしく、足跡が結構深かった。一方のトレッキングシューズの方は足跡が深くなく、内股に歩いている事から女らしい。足跡を見た感じでは、トレッキングシューズの方が素人で、コンバットブーツの方は手馴れている感じだった。
「どう見る?」
 彼は脇に居た彼女に聞いた。
「コンバットブーツの方が結構手馴れていて、もう片方は素人って感じだね。コンバットブーツがトレッキングシューズをガードしているみたいな」
「何でまた、そんなことをする必要がある?ゲリラや山賊ではないようだけれど」
「それは捕まえて聞けばいいじゃんか」
 彼女が言うと、彼は「確かに」と呟いて納得した。すると、近くで何かが動く気配を感じた。反射的に二人は音のした方に銃を構えながら振り向くと、藪の中から出てきた小さなタヌキが地面に鼻を近づけて匂いを嗅いでいた。
 何だ動物かと一安心していたのもつかの間、彼はタヌキが鼻を近づけている茂みの地面の土が周囲とは違う事に気がついた。近づいてタヌキを追い払い、改めてその部分を注意深く見ると、タヌキが鼻を近づけていた部分だけ掘り返して戻したようになっていた。
「どうやらここで堂々とクソしたらしい」
 彼はそう呟くと、掘り返された土の固さを確かめた。まだ柔らかいということは、掘り返されてそれ程時間が経っていないという事だった。流石に掘り返して中身を確かめる気にはならなかったが。
「すぐ前までここにいたらしい。村に近づけると厄介だな」
「どうする?」
「どうするって、追跡するしかないだろう。村の皆にも連絡して警戒するように言うのを忘れるな。俺達はこのまま奴ら追跡する」
「それで捕まえて色々聞き出すわけね、抵抗してきたら?」
「警告しても従わなかったら、殺す。いつも言われているだろう。撃ってくると思ったら迷わずに引き金を引けって」
 二人は何気ない会話のようにやり取りを交わしたが、「殺す」という言葉が自然に出た瞬間、頭の中で安全装置のようなものが解除される音が聞こえたような気がした。
「まだ遠くには行ってないはずだ。行こう」
 彼が呟くと、二人は任務をパトロールから追跡に切り替えた


 英司は、周りから何か視線のようなものを注がれている事に気付き、足を止めて後ろを振り向き、自分が来た方向に耳を澄ます。
「どうしたの?」
 異変に気付いた綾美が不安げに聞いたが、英司は綾美に静かにするよう制した。
「追跡されているかもしれない。数は多くないみたいだけれど」
 英司が静かに言うと、綾美は言葉を出さずに震え上がった。
「どうするの?このままじゃ追いつかれちゃうよ」
 綾美の言葉に、英司は次の行動をどうするべきか考ええた。追われている以上、相手の追跡を振り切るしかないが、こういう戦闘になれた敵は僅かな痕跡を見つけ出して追跡してくる。
「音を立てずに慎重に移動しよう。靴に麻袋を巻いて、足跡をはっきりさせないようにしよう」
 英司がそういうと、二人は麻袋を取り出して素早く両足に巻いた。こうすれば足跡が不鮮明になる上、足跡も聞こえにくくなる。 
 二人は森の中をさらに注意深く進んだ。これで相手は多少追跡が困難になるはずだったが、場数を踏んでいる相手はさらにしつこく追いかけてくる。しかもこっちは、何も知らない素人以下の女の子を連れている。不利なのは明白だった。手榴弾とワイヤーがあれば簡単なブービートラップを仕掛けて、敵を足止めできないことも無かったが、生憎手榴弾を持ち合わせていなかった。
 一時間ほど二人は追跡者を撒こうと森の中を彷徨っていたが、それでも向こうは僅かな痕跡を辿って追いかけているようだった。
「参ったな」
 英司は静かに呟いた、休み無しで歩き回った為、額からは生ぬるい汗が滴り落ちてくる。英司にはなんとも無かったが、綾美にはかなり辛そうだった。
「振り切った?」
 綾美は苦痛から開放されたい思いで英司に質問した。
「わからない」
 そんな。と、綾美は英司の答えに声を出さずに、胸の中で呟いた。英司はそんな綾美に構わずに現在位置を確認すると、相手を撒く為にさらに鬱蒼とした森へ進む事に決めた。
 二人が逃げ込んだ森は、遠くに使われなくなったスキー用のリフトの支柱が見える以外人間の手があまり入っていない森らしく、背の低い木が鬱蒼と生い茂り、足元には地面から顔を出した根っこか複雑に絡み合い、おまけに地面の傾斜も相まって非情に歩きにくかった。
 二人は移動しにくい森に苦戦しながらも前に進んだ、英司一人だったら持っているギリースーツで実を隠す事もできない事もなかったが、綾美を連れているからそれも出来ない。だから相手が追跡を諦めるまで、森の中を引っ掻き回すしかなかった。太陽は高いところにあり、陽光は容赦なく二人を照り付けて体力を奪ってゆく。一日がこんなに長いなんて。と綾美は胸のうちで呟きながら、ポケットに入れた飲料水を飲もうとした瞬間、飲料水を入れたポリタンクが無くなっていることを初めて知った、綾美は喉を凍らすような声で呻いた。その僅かな反応に英司が気付く。
「どうした?」
「気付かないうちに水筒を落としてしまったみたい」
 綾美が喉元から吐しゃ物を漏らすように呟くと、「冗談だろ」と英司は溜息を漏らしながら呟いた。
「持っているものは落とすなって大人の人からしつこく言われなかった?落し物は物を無くすだけでなく自分の命を奪う事だってあるんだぞ」
「ごめんなさい」
 綾美は泣きそうな顔で答えた。英司はこういう事に慣れていない綾美に対して湧き上がってくる怒りを抑えながら、こう言った。
「とにかく、これで生きて帰る確率は低くなった。死体になって山犬に喰われても文句は言わないでくれよ」
 英司はそう呟くと、綾美を連れてその場を離れた。
 二十分ほど歩くと、綾美の事が気になった英司は少しだけ彼女の横顔を覗いてみた。自分のせいで危機的な状況に陥れてしまったことを反省しているのだろうか、彼女の表情は曇ったままだった。何か声をかけてやろうかどうか迷ったが、生憎適当な言葉が見つからない。さっきのことはもう忘れて、次に何をすべきか頭を切り替えた。
 すると、その瞬間、後ろの地面からカチッという、何かのスイッチが入るような音がした。英司はその音に気付くと、すぐに後ろを振り向き、電光石火の速さでまだ地面から離れていない綾美の右足を上から踏みつけた。
「なにするの!?」
 いきなり右足を踏みつけられた綾美は驚いた表情で英司に言ったが、英司は静かに、「地雷を踏んだぞ」と綾美に囁いた。その言葉に綾美は頬を引きつらせる。
「右足の裏で、何か硬いものを踏んでいる感触はある?」
 英司が質問すると、綾美は右足の裏に神経を集中させた。ゴムの硬い靴底越しに、柔らかい地面に埋まった硬い何かが有るのが分る。
「これって、もしかして踏むと爆発して足が吹っ飛ぶヤツ?」
 綾美は声を震わせながら聞いた。昔の戦争で埋設された地雷がまだそこ等じゅうに残っていて、幼い子供の命や未来を奪っているという話は村の人間から聞いてはいたが、自分が巻き込まれるとは思わなかった。
「絶対に右足を上げるなよ、いくら俺でも助けられない」
「どうすればいいの?」
 綾美の言葉を聞いて英司は、何か変わりの重りになりそうなものはないか探したが、生憎人間の体重ほどありそうな岩のようなものは無い。その場を離れて少しだけ辺りを見回すと、撃墜されたJ-11戦闘機の右主翼の部分が転がっていた。残骸に近寄ると、錆びだらけのホイールがついたメインギアのタイヤが使えそうだった。英司はそのタイヤを引き起こし、大玉転がしの要領でそれを所まで持っていった。すると、綾美のすぐ脇で、綾美に銃を突きつけている人影が見えた。まずい!と思った英司はタイヤをその場に捨てて、肩から提げていた9mm機関拳銃の安全装置を解除した。
「両手を上げて頭の後ろで組んで、そのまま右に二歩進んでくれる?」
 銃を突きつけている奴は色々と綾美に指示を出した。どうやら奴は若い女らしい。綾美は両手を頭の後ろで組むことには従ったが、その場から右に二歩進む事はしなかった。
「どうしたの、右に進んで」
 女は綾美に指示を出したが綾美は足元を震わすだけで動こうとしなかった。英司は9mm機関拳銃の発射モードをフルオートからセミオートに切り替えて、銃を突きつけている奴の頭に照準を合わせる。呼吸を整え、狙撃銃を撃つ時の要領で引き金に指をかける。すると、英司の後頭部に何か冷たくて固いものが触れる。それが銃口だということはすぐに分った。
「動くな。両手を上げて頭の後ろで交差させろ」
 英司は言われるままに両手を上げて頭の後ろで腕をクロスした。今度は若い男の声だ。顔は分らないが、多分自分とあまり歳の差は無いんじゃないだろうか。
「そのまま前に進むんだ、ゆっくりな。そのまま前の二人の所に行け」
 英司は抵抗する素振りも見せずに前に進んだ。こういうときは下手に反撃せず、捕虜になってから逃げ出すチャンスを伺うほうが良いと死んだ父から教わった事の一つだった。無言で進んで行くと、綾美がすがるような眼差しでこちらを見つめている。
「彼女は右足で地雷を踏んでいる。助けてくれないかな」
 英司は前を向いたまま、身柄を拘束している二人に話した。すると、綾美に銃を突きつけていた。女が綾美の足元に屈み、右足近くの地面を掘り始めた。五センチほど土を掘ると、右足の下に踏みつけられた小さな金属の箱のようなものが姿を現した。女は頭を近づけて、踏まれた地雷を覗き込んだ。すると、さっきまで怪訝そうだった顔を緩ませて、綾美にこう告げた。
「右足を上げても大丈夫だよ」
「え?」
 綾美が震えたまま聞き返すと、女は「大丈夫だから上げてごらん」と優しく声をかけた。綾美は意を決っして右足を上げると、踏みつけられていた地雷の信管がカチンという小さな金属音を立てた。それから三秒ほど間を置いて、ポン!という音を立てて破裂した。
「あたしらが警告用に作った地雷だよ。中身は黒色火薬で、爆薬はかんしゃく玉程度に減らしてある。これを何個か地面に埋めて敵の連中を欺く」
「そしてその先には本物の地雷が埋めてある。ちょっとしたトリックだ。まあお前さんらは運が良かったな。この状況じゃそうとも言えないけれど」
 英司に銃を突きつけていた男が女の説明を付け足すと、彼は英司のボディチェックを始めた。まず肩からスリングにかけていた9mm機関拳銃を外し、次に腰のホルスターに収めていたM442センテニアルと腰のベルトにつけていたオンタリオ・マリンコンバットナイフを奪った。最後にM24が入ったライフルケースを奪い、背負っていたバックパックを足元に置かせ、その場から離れさせた。
「これ狙撃銃か?凄いな」
 男はM24の入ったナイロン製のライフルケースを見ながら呟いた。そして綾美と英司に並んで跪くように指示すると。銃を向けたままこういった。
「まず。どうしてお前さんたちがこんな所をうろついて、俺達の追跡を受けたか答えてもらおう」
 男の方が二人にM249PARAの銃口を向けながら二人に質問する。男の年頃は十六歳前後の年齢で、左利きなのか銃を左で構えていた。女の年齢も同じくらいで、右手の人差し指には三点スリングに吊るされたM27IARのトリガーの上に添えられている。女は雑嚢のなかから小型の無線機を取り出し、なにやら報告している様子だった。
 英司は二人の目をさぐるように見つめた。よその山賊なんかゲリラなんかよりはかなり専門的な訓練を受けているらしく、個人の戦闘能力も高そうだったが、実戦経験はないようだった。
「お届け物を運んでいる最中だ」
 英司は男の目を睨むように言った。状況はこちらが圧倒的に不利だったが、弱みを見せない方が向こうは従わせようとして、荒っぽい口調になるだろう。その一瞬の混乱を使用して、この状況を切り抜けるつもりだった。
「届け物?運び屋には見えないけれど」
「私たち、有る物を東京まで運んでいる途中なの。その道の途中に私たちに協力してくれる人たちが居る村があるから、そこに向かう途中なの」
 男の問いかけに綾美が答えた。男は視線を綾美にずらし、こう続ける。
「東京まで?そりゃ凄いな。何を運んでいるか調べてもいいかな」
「いいわ、その代わりたいした物がなかったら私たちを解放してくれる?」
「そいつはどうかな」
 男はそう答えると、「おい美鈴、こいつらのバックパックを調べてくれ」と指示した。美鈴と呼ばれた女、と言っても彼らとさほど歳の違わない少女は振り向きながら「あたしが?」と不満そうに答える。既に通信を終えて、無線機は雑嚢に仕舞っているようだった。
「頼むよ、俺はもう少しこいつらから事情を聞いてみる」
「オッケー房人。しっかり頼むよ」
 美鈴はそう答えるとM27IARを背中に回し、英司の背負っていたバックパックを慎重に開けてゆく。中に安全ピンを外した手榴弾が入っていないかどうか確認するためだったが、そんなことをしたら迂闊にバックパックを開けられないし、しかも彼らは手榴弾の類は一切持っていなかった。一通りバックパックの中身を調べていると、美鈴がバッグから山内から渡されたUSBの入った防水パックを見つけた。
「こんなのが見つかったよ」
 美鈴はそう漏らすと、綾美に何か記録されているか聞いてみた。
「この中には何が入っているの?」
 美鈴は綾美に質問した。
「それには次の村に行って渡す大切なものなの。それにはデータが入っていて」
「何のデータ?」
「それは」
 綾美はそこで口籠った。相手にわかってもらうにはUSBに記録されているデータの中身と自分達の目的を話せばいいのだが、彼女の住む村が数年がかりで集めたゲリラの機密情報だ。もし彼らが敵勢力に協力的な態度を取っている村の人間だったら、その情報をこの場で始末しかねない。そうなってしまえば彼らがここに来た意味がなくなってしまう。綾美は話すべきかどうか迷ったが、そんなことをお構い無しに英司がこう口を開く。
「お前さんたちと仲の悪い集団のデータが入っているんだよ」
 綾美は思わず英司の方を振り向いた。まるで他人事のように、大勢の人々が血の滲むような努力で手に入れた情報を、彼はつまらなそうな顔で言ったのだ。
「仲の悪い奴らって、本来ならこのトラップに引っかかる連中の事かな?」
 房人と呼ばれた男が漏らすと、英司は「そうじゃないのかな」と素っ気無く答えた。
「なるほど、もしかしたらお前らは俺らの味方かも知れないってことか」
 房人がそう漏らすと、森の奥のほうから何人かの人間がこちらに向かってくる。人数はおよそ一個小隊程度で、おそらく英司たちを捕まえた二人の仲間だろう。彼らは房人たちの側まで寄ると、折り曲げ銃床式の89式小銃を持った男が訊く。
「さっき無線で報告した捕虜とは、こいつらの事か?」
「そうです」
「地図や地形図なんかは持っていなかったか?」
「地図と筆記用具は持っていましたが、地形図や見取り図のようなものは持っていませんでした。あとは狙撃銃とギリースーツ。武器を持っていたのは男の方だけです」
 美鈴は英司たちから奪った装備をやって来たリーダー格の男に見せながら報告した。男は英司と綾美の側を離れ、M24の入っているライフルケースとギリースーツを見比べる。
「スカウトスナイパーって奴だな。極少人数で敵の支配地域に潜入し、要人の狙撃や偵察などを行い、移動ルート上に待ち伏せして敵の指揮系統を混乱させたり、監視任務などに着く。射撃だけでなく偽装にも長けているから見つけにくい。敵に回すと厄介な連中だ」
 男は独り言のように呟くと、顔をあげて、「狙撃用の装備は一人分だけか?」と美鈴に聞いた。
「はい。女の方は拳銃こそ持っていましたけれど、丸腰同然の装備でした。男の方は狙撃に必要なものは一式持っていますけれど、観測員用の評定用スコープはありませんでした」
「そうか」
 男はそう答えると、しばらく考え込んだ。周囲には彼らの仲間が四方に展開し、周辺警戒についている。隙を見て逃げ出しても意味は無いなと英司は思った。
「狙撃手の装備が一つしかないという事は、偵察や斥候などではないらしいな。何が目的でこの辺りに来たか話してくれないか」
 男は二人に質問したが、英司は答えなかった。替わりに綾美が口を開きこう答える。
「私たち、寺田という人の居る村に向かえと言われて、そこに向かう途中なんです」
「寺田!?それは本当なのか?」
 男の隣に立っていた房人が驚いた様子で答えた。どうやら彼らと何か関係があるらしい。と綾美は思った。もし何かあるなら彼らは味方のはずだ。
「寺田さんは俺らの大親父みたいな人で、ここら辺じゃ最強の部隊って言うか、村を率いている人だ。その人に何か用か?」
「私たち、山内という人の命令でその人に会いたいんです。私たちは東京に向かう途中だけれど、その人に会えば協力してくれる筈だって」
「山内だと?」
 89式小銃を持っていた男が漏らした。その反応に房人が意外そうな顔で聞く。
「知っているんですか?」
「いや、名前は寺田さんから聞いたことがあるんだよ。会った事はないけれど、確か戦争時代の仲間で、今は情報収集の下儲けやっていると聞いたな」
 男は房人に簡単に説明すると、綾美の方を向いてこう聞き返した。
「その人と君たち、一体どんな関係があるんだ?」
「私の住んでいる村は山内さんの下で、敵勢力の情報収集活動を行っていました。その集めた情報を東京に届ける途中で、寺田という人の居る村に行けば協力してくれると言われたんです」
「つまり君らはそこに向かう途中なんだな?」
「はい、そうです」
 綾美が答え終えると、男は「そうか」と呟いて一旦二人に背を向け、近くに居た男を呼びだしてなにやら話し始めた。男が抜けると同時に、房人と美鈴が警戒位置に着く。
 男二人は小声で囁くように話しているらしく、英司たちが盗み聞きすることは不可能だった。
「私達、助かりそうかな?」
 綾美が小声で英司に囁く。
「分らない。でもこれ以上悪い方向には行かないと思う」
 英司が簡単に答えると、話を終えた男達がやって来てこう言った。
「君らを俺達の村まで連れていく。君たちが会いたがっている寺田という人は、俺らの村の一番偉い人だ。見たところ君らは敵じゃないみたいだし、そこに行って詳しく説明してもらえるかな?」
「はい」
 綾美は静かに答えた。改めて男の全体像を見渡すと、男は180前後の身長に髪の毛を茶色に染めた、二十歳前後の男だった。
「よし、立っていいぞ、だけれど君らの荷物は俺達が一旦預かる。いいかな?」
 男が聞くと、二人は黙って頷いた。彼らは立ち上がり目的の村に向かう。
 英司と綾美は彼らに挟まれる格好で一列になり、森の中を注意深く進んでいった。先頭は先ほど彼らに話しかけた男の片方ともう一人、次に茶髪の男ともう一人を挟んで、英司と綾美。その後ろに二人を捕まえた房人と美鈴が続き、最後にアンカーの順だった。
「あの二人、どんな関係かな?」
 英司たちの後ろにいる房人が美鈴に囁く。
「どんな関係って、友達同士には見えないけれど、なんだろう」
「女の子の方はほとんど純粋培養に近い感じだけれど、もう片方は違うな、実戦慣れしているみたいだし、目の色が違う」
「そりゃそうだよ、あたし等を二時間以上引っかきまわしたんだよ。かなりの腕前だよ」
「やっぱり男の方が護衛で、女の方が運び屋かな?」
「さあどうだか、詳しく聞けば判るんじゃない?」
 美鈴が答えると、後ろのアンカーの男から「静かにしろ」と注意を受けた。二人はそれから口をつぐんで、前に進んだ。

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