文字数 7,082文字

 彼ら三人は綾美とユウスケのいるゲストハウスを離れ、寺田とこの村の幹部達が集まっている村中央の建物の指揮所に向かった。指揮所には寺田と彼の副官が集まり、天井に吊り下げたランプの光に照らされたテーブル上の地図を難しそうな顔で覗き込んでいた。
「GPSとパソコンがあれば、赤外線で捉えた敵の位置や移動速度が分るのに」
 寺田が地図で距離を測りながら呟いた。
「偵察衛星や通信衛星は前の戦争でほとんどが破壊されましたよ。勿論GPSなんかも、今役に立つのは陸では地図とコンパス。海では海図と羅針盤に六分儀です。結局最後に役立つのは昔ながらのローテクですよ」
 寺田の副官が地図上に敵の予想移動ルートを記入しながら答えると、寺田は「確かに」と生返事を返した。すると指揮所に入ってきた英司たちに気づき、彼らの方を振り向く。
「君らか、綾美の様子はどうだい?」
 寺田が彼らに質問した。
「今は一人にさせています。僕らがいると落ち着かないだろうから」
 英司がボソボソと答えると、寺田は「そうか」と頷いた。
「今敵がどの辺りにいるか、計算していた所なんだ。ちょっと来てくれるか?」
 寺田はそう答えると、彼らをテーブルの近くへと引き寄せた。テーブル上の等高線が書かれた地図には、ペンで敵の予想位置や移動ルートなどが書きこまれていた。地図には村以外にも目印になる物が置かれた地点も記入してあり、英司が立ち寄った廃墟やかつての戦場跡なども書き込まれていた。
「君たちの村から、ここまでの距離、移動に必要な日数なんかを計算して敵の位置を予測してみたんだ。この赤い家の絵が綾美やユウスケの村で、この県境の向こう側にある黄色い家の絵が我々の村だ」
 寺田は指でデフォルメされた家を指差しながら、英司たちに説明した。地図にはそれぞれ「栃木県」とか「群馬県」などと書かれていた。
「距離はルートにもよるが大人の足で大体四、五日前後、英司君達が出たのが二日ほど前だったから、敵が村を襲ったのがそれから数時間後だろう。つまり、奴らはこの村まで半日程度で来る距離に居る」
「何で奴らは綾美達の村を見つけられたんだ?」
 房人が寺田に尋ねた。寺田は房人の目に一瞥をくれると、眉間に皺を寄せて「その事だが」と漏らし、こう続けた。
「可能性は色々だ。森の中を移動していたら偶然通りかかったのかも知れん。そこが自分達に敵対的な行動を村ぐるみでやっていたら、何をするかは簡単だろう?」
 寺田は房人にそう説明すると、再びテーブル上の地図に目を戻し、さらに説明を続けた。
「英司君たちがこの村に着いたのは今日の昼過ぎあたり、ユウスケ君がこの村に着いたのは日が落ちた頃だから、彼らが村を出たのは英司君たちが村を出て数時間後だろう。ユウスケ君は、何か言っていなかったか?」
「隙をみて逃げ出したとは言っていました」
「そうなると逃げ出した時に、敵に見つかった可能性が極めて高い。ユウスケ君たちを追いかけてきたとすると、敵はこの村まで数時間の距離に居るはずだ」
「予想される敵の規模は?」
 美鈴が尋ねた。
「恐らく三十人前後じゃないかな。大体それくらいの人数での編成が一般的だから。それくらいの敵の数なら攻撃してきても何とか持ちこたえたれる。武器と弾薬はたっぷりあるからな」
寺田の脇に立っていた副官が答えると、しばらくの間辺りが静かになった。寺田や副官の方から「何か質問は無いか?」と言った感じの静寂だ。
「これからどうするんですか?」
 英司がその空気を感じ取って、寺田に質問した。
「それをいま考えている所だ。正面切って迎え撃つのも考えたが、それではあまりにもリスクが多すぎる。だから少人数の部隊を編成して、〝荷物〟を運んでもらうのが妥当だろう。出発は早い方がいいな、何人くらい必要だろう?」
「任務は長距離偵察に似ていますから、十人以下の少人数がいいんじゃないんですか?多いと目立ちますよ」
 副官が答えた。
「なら早速出発の用意だな。必要な人数はどこから集める?」
「オレ、志願します」
 房人が間髪を入れずに手を上げた。多分その言葉を待っていたのだろう。
「いきなりなんだい、詳しい説明も聞かずに」
 美鈴は驚いた様子で房人の方を振り向いたが、房人は構わずこう続けた。
「詳しい説明なら終わっているよ。英司は当然行くよな?」
「そりゃまあ、ここに居ても無駄飯を食うだけだから……」
 英司が房人の顔を見つめたまま答えると、房人は満足そうに頷いて、今度は英司の向こう側に立っている美鈴に視線を合わせた。
「今度はあたし?」
「ここに居るメンバーは後お前一人だけだ。どうする?」
 房人の問いかけに美鈴は眉の辺りに人差し指を当てて、考え込んだ。ここで優柔不断なままで通すのは良くない。早く答えなければ。
「あたしも付き合うよ」
 美鈴はやれやれと言った感じで答えた。
「これで決死隊のメンバーは決まりだな」
 一連のやり取りを見ていた寺田が言った。
「そうとなればグズグズはしていられない。夜明け前には出発だ。必要なものがあったら武器庫に行って調達してきなさい」
 寺田は彼らにそう告げると、脇に居た副官に武器庫の鍵を持って彼らを案内するよう命じた。


 英司たちは寺田の副官に連れられて、地下に作られた武器庫へと通じる梯子を下りて足を踏み入れた。 武器庫の中はひんやりと気温が低く、薄着一枚では寒いほどだった。人一人が通れるくらいの入り口を潜ると、寺田の副官が部屋の照明を点けた。自動車用のバッテリーを電源にした天井の電球型蛍光灯が、部屋の中を明るく照らす。十二畳ほどの空間の中に武器がきちんと整理されて並べられている。81mmL16迫撃砲や84mmカールグスタフ無反動砲の他、銃も89式小銃とM16シリーズにMINIMIやM2重機関銃、中国軍の置き土産である95式小銃や03式小銃に、ロシア辺りから流れてきたカラシニコフシリーズから、韓国のK2ライフルやミャンマーのBA11までもが置かれていた。その奥には、黒いカーテンで遮られたもう一つの部屋の入り口があった。
「あのカーテンの向こうが弾薬庫だ。NATO規格の銃弾や中国軍の弾薬にロシア軍の弾薬もある。迫撃砲弾に手榴弾、使い捨て式ロケットランチャーなんかも置いてある」
 副官の説明を受けると、英司は凄いと頷いた。英司は副官の後に続いて、周りに置いてある武器に注意しながら、弾薬庫へと向かった。黒いカーテンを潜ると、棚や地面に置かれた焼印を押された木箱が彼の目を奪った。焼印は日本語や英語、中国語やロシア語のものなど様々なものが使われていた。そしてその中の一番目立つ所に「火気厳禁」と書かれた張り紙が張ってあった。
 副官は張り紙の張ってある左側の棚から木箱を取り出し、近くの7・62mmベルトリンク弾薬箱の上に置いた。蓋を開けると、箱の中には木枠で区切られた空間の中に金属の容器の中に入れられた黒い握り拳大の塊が入っていた。。副官はその中から適当なのを選んで手に取り、金属の容器から黒い塊を取り出した。
「コイツはM26手榴弾。ピンを抜いて投げると、安全レバーが外れて4秒か5秒後に爆発する。ワイヤーをピンにつけて敵の通りそうな所に仕掛ければブービートラップにもなる。とにかく色々な用途に使えるから何個か持ってけ」
 副官は簡単な説明を終えると、近くにあった手榴弾ポーチつきM16用マガジンポーチに木箱の中の手榴弾を5個ほど詰め込んだ。
「後は煙幕手榴弾2個を持っていけ、使えるぞ」
 副官がそう呟くと、英司は「どうも」と小さく礼を述べて軽く頭を下げた。すると美鈴が、カーテンをめくってひょっこりと顔を出した。
「ロシアのRPG‐22ってまだあります?」
 美鈴は副官に聞いた。英司にはその言葉がさっぱり分らなかったが、どうやら強力な武器らしい。
「あるぞ、待っていろ」
 副官はそう答えると、手榴弾の木箱を元に戻して、反対側の棚へ向かった。
「それは?」
 英司は房人に聞いた。
「クレイモア地雷だよ。コイツを仕掛けて爆発させると、敵は粉々に吹っ飛ぶんだ。それとコイツ以外にも爆薬を少し持っていく。有ればなんかに使えるだろう」
 房人はそう答えながらクレイモア地雷の確認を行った。後はバックパックを持ってきて、弾薬や雨衣、食糧を詰め込むだけだった。

 必要なものを揃え終えると、彼らは一旦地上に出て、バッグパックに各種装備を詰め込む作業に取り掛かるためプレハブ小屋のゲストルームに向かった。まず一番下からビニール袋に入れた着替えと寝袋、その上に予備弾薬と予備の手榴弾。さらにその上に食糧といった具合だ。他にも即応用で予備弾薬と手榴弾はサスペンダーやタクティカルベストにつけられたマガジンポーチや手榴弾ポーチに入れた。応急用の包帯や消毒薬、地図と言ったものはすぐ取り出せるように雑嚢の中に入れた。持って行く装備の重量は銃の重さを引いても、45キロくらいはあったが、普段から鍛えている彼らからすれば負担では無かった。
 全ての装備を詰め終えると、寺田が彼らの元に通信用の無線機とロケットランチャーを持って現れた。 寺田はまず手に持っていた大きめの無線機を見せた。
「コイツは遭難したパイロットが救援を呼ぶときに使うものなんだが、小型で長距離でも電波が届く事から、少数で活動する特殊部隊などでも使われている」
 寺田は簡単に機能を説明すると、無線機を美鈴に手渡した。
「無線機は美鈴が持て、使い方はわかるだろう?」
「昔でいうならアマチュア無線一級並みに無線機は扱えますから、任せてくださいよ」
 美鈴は寺田に向かって小さくガッツポーズすると、無線機を受け取って、開いていたバックパックのポケットに押し込んだ。
「それと、ウォーキートーキーを三人分渡しておく。交信距離は森の中で二キロ位だ。交信中は音が出るから、敵が近くに居る時は使うなよ」
 寺田は無線機の扱いに慣れていない英司のために簡単な操作方法の説明を行うと、ウォーキートーキーを三人に手渡した。三人は開いているポケットにウォーキートーキーを押し込んだ。
「本来なら声帯マイクや骨伝導スピーカーなんかが付いた軍用規格の個人用無線機があれば良いんだが、生憎こんなのしかなくてね」
 寺田は申し訳なさそうに呟いたが、美鈴が「大丈夫ですよ」と彼の目を見て答えた。
「それと、房人にはロケットランチャーを渡しておく。火力はでかい方がいいからな」
 寺田はそう言いながら、ロシアから流入してきた二本のRPG‐22ロケットランチャーを手渡した。房人と美鈴はロケットランチャーを受け取り、バックパックの一番上のナイロンバンドに通した。抜け落ちないようにしっかりときつく締め上げると、武器に詳しくない人間が見たら大きめの水筒か何かに見えるだろう。
「あるく弾薬庫だね、撃たれたら火花とともに弾け飛ぶんじゃないの?」
「縁起でもないこと言うなよ。美鈴」
 美鈴の冗談に房人がしかめ面で返した。確かに房人はMINIMIの弾薬に手榴弾とクレイモア地雷、少量ではあるがC4爆薬も携帯している。其処にロケットランチャーが加われば、一九八〇年代に作られたハリウッドのアクション映画に出てくる主人公並みの装備だった。
「お前が持つのは小さい無線機だけだろう。何か持てよ」
「あたしは女の子だよ。重たいものは男の子が持つんじゃなかった?」
 房人は「こんな時に女尊男卑か」と呻いた。きっと普段からこんな感じなんだろう。冗談をお互いに言い合ったり、時には相手を褒めたり、意見を言ったりすることで信頼関係が生まれ、こんな緊迫した状況でも心に余裕を持てるのだ。その事を改めて考えると、自分は一人でどうやって心の余裕を持たせているのだろうか?と英司は思った。
 装備をまとめ終えて、バックパックを背負って立ち上がった瞬間、プレハブ小屋の扉が開いて、涼しい空気が流れ込んできた。誰だと思って入り口の方を向くと、綾美が俯いたまま入り口に立っていた。
「私も連れてって」
 綾美はまるで夜の空気のように、生きているのか死んでいるのか分らないよな声で言った。その場にいた英司たちには言葉こそ伝わっては来たが、しんと静まり返った空気は言葉が言いづらかった。
「どうしたの、急に」
 英司が重いものを動かすように、綾美に尋ねる。
「私も皆と一緒に行かせて。足は引っ張らないから」
 綾美は俯いたまま少し熱のこもった声で答えた。長い前髪が顔を覆っていて表情が読めない。きっと叫びたくなるような厳しい現実に今でも耐えているのだろう。息をするたびに、彼女の頬から、涙が流れる。
「その前に行きたい理由を聞かせてよ。お願いだから」
 英司は出来るだけ、彼女を刺激しないような言い方で、再び綾美に尋ねた。綾美は前髪をどけて、赤くなった目を彼らに見せた。
「生き残ったのは私とユウスケだけじゃん。だから」
「仇討ち?」
「ちがう。山内さんに言われたことを最後までやり遂げたいだけ。途中で止めたら、村の皆に顔向けできないから」
 綾美は目元の涙を拭いながら答えた。幾らか声は落ち着きを取り戻しているようだが、ここで何か言ったらまた逆戻りかもしれない。英司は綾美から目を背け、房人と美鈴の方に顔を向けた。英司の困惑したような顔を見ると、二人も同じように困惑した表情をして、互いに顔を見合わせた。
「綾美は、私達と一緒に行きたいの?」
 美鈴が綾美に聞いた。綾美は無言のまま軽く頷く。
「ここまで来たのとは状況が違うぞ、それでもいいのか?」
 一連のやり取りを眺めていた寺田が言葉をやや強めて言い放った。今の綾美にはきつい言葉かもしれないが、彼女の意思を見極めるには丁度いい試験薬だろう。ここで引いてしまえば、そこまでだ。
「はい。もう戻る家も失いました。ここで死んでも悔いはありません」
「ちょっと、ユウスケとか言う子供はどうなるんだ?」
 房人が綾美に聞いた。
「あの子なら心配ないわ。私が居なくてもここでやっていけるから」
「自暴自棄になっている人間は連れて行けないよ」
 突然、英司がまるで人格でも変わったのかのように綾美に言い放った。その言葉に驚いた綾美は思わず英司の目に視線を合わせる。英司の目はさっきの穏やかなものから、相手を狙う冷徹なものへと変わっていた。
「死んでも構わないと思っている奴が一番危険なんだ。自分優先の判断で行動して、周りの人間を危機に陥れかねない。そんな人間は悪いけど連れて行けない」
「そんな」
 綾美の目に再び涙が浮かびそうになったが、英司は構わずにこう続けた。
「もし一緒に行きたいなら、そういう考えを改める事。それが出来ないなら連れてはいけない」
 綾美は無言で浮かんだ涙を人差し指で拭うと、一呼吸入れて「わかった」と答えた。
「ならいい。その代わり、死と隣り合わせの場所に足を踏み入れることは覚悟してくれよ。それとユウスケにはまだ君が必要だと思うから、その事も忘れずに」
 英司がさらに続けると、綾美は黙って頷いた。既に目の涙も引き、心も落ち着きを取り戻しているようだった。
 やっと問答に区切りが付いたのに安心した美鈴は、周りに悟られないよう小さく溜息を吐いて、こう口を開いた。
「とりあえず区切りはついたようね。綾美、出発の用意は出来ている?」
「ええ、すぐにでも出られるわ」
 綾美が少し弾んだ声で、美鈴に返した。
「なら悪いんだけど、房人の分の食糧を持ってくれない?こいつ見かけによらず軟弱でさあ」
「うるせぇな」
 房人が毒づいたが、美鈴はお構い無しに続ける。
「それと出来ればメディカルパックも、綾美は応急処置のやり方は解かる?」
「村の人から習ったわ。元救命士の人から習ったの」
「なら心強い。早速準備して」
 すると彼らは、背負っていたバックパックを一旦下ろした。


 村近くの茂みの中で覚醒と睡魔の間を彷徨っていた海下を現実に呼び戻したのは、彼女のすぐ横で双眼鏡を覗いていた土居だった。彼に体を揺さぶられて目を覚ますと「変化あったの?」と眠たげな声で土居に尋ねた。
「あれを見ろ、プレハブ小屋のところだ」
 土居に指図されるままに手元にあったポケットスコープ使って、プレハブ小屋を覗き込んだ。スレハブ小屋の窓には明かりが漏れないよう黒いカーテンがしてあったが、入り口の所だけは人が出入りするたび、ドアの前に閉めてあるカーテンの隙間から、光が少しだ漏れ出す。その漏れた僅かな光が、プレハブ小屋から出てきた何人かの人間の足元を微かに照らす。
「さっき、村の反対側が慌しくなっただろう。それと関係しているのかも知れない」
「アタシ達に気付いたのかな?」
「それならすぐに山狩りの部隊を出すだろう。これは違うみたいだぞ」
 二人は双眼鏡でプレハブ小屋を覗きながら、出てきた人間が身に着けている装備を確認し始めた。明かりがほとんどないせいで装備の判別は付きにくかったが、大型のパックパックを背負っているのは確認できたのでパトロールや偵察などではないだろう。大きなライフルケースを背負っていた奴も居たから、例の連中がここを離れて目的地に向かうのはすぐ想像がついた。
「どうやら気付かれたみたいよ」
 海下は双眼鏡を覗いたまま漏らした。距離は七〇〇メートルも無い。一発で仕留められる。
「ここで始末するか?」
「いや、それより一旦引き下がって竹森さんにこのことを報告しましょう。まだ負けた訳じゃないし、巻き返すチャンスはどこかにあるはず」
 海下はそう答えると、撤収の作業に取り掛かった。


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