文字数 8,729文字

 少女の言った自分の住む村というのは、そこから歩いて二十分の距離らしい。彼はその提案に乗ろうか迷ったが、少女の装いを見る限りどこかの武装集団あたりと関係を持っているようには見えず、ここのところ人間の食べ物を口にしていなかったので提案を受け入れる事にした。彼が分かったと頷くと、少女は喜ぶように頷いた。
 自分の目の前で人が死んで、しかも殺した張本人が隣にいるというのに、この気持ちの切り替えようは何だろうと彼は思った。ただの馬鹿か、あるいは頭が足りていないのだろうか、色々なことが浮かんだが口にする事はなかった。
 村に向かう途中、彼が殺した二人の山賊の死体に出くわした。頭蓋骨の中から流れ出た血は血だまりを作り、周りの土を黒く変色させていた。少年は死体の足を掴むと、そのままズルズルと引きずって近くの茂みに隠した。
「何で死体を隠すの?」
 少女が質問した。
「またここを誰かが通らないとは限らないだろう。もし死体がそのままだったら、ここで誰かが人を殺したというのが気付かれる。死体は山の生物達が綺麗に始末してくれる」
「気付かれるって、誰かに追われているの?」
 少女の問いかけに彼は黙ったままだった。死体を隠し終えて地面に出来た血だまりに土をかけて綺麗に消すと、再び村の方に向かって歩き出した。
 少女は彼を先導するように森の中を歩いた。何で森の中を迷わないのだろうと思って足元を見ると、人が何度も通って出来たと思いしき道のようなものが地面に通っていた。
 出来上がった道を何度も通っていたら、いずれはゲリラや山賊あたりに待ち伏せされてしまう。このあたりの森は安全とは言えないのに不用心だと彼は思った。
 少女について彼が歩き続けると、鼻先に人間の小便の臭いと肥の臭いが漂ってきた。村が近いのだろうと思っていると、視界が段々開けてきて、小さい子供の声も聞こえてくる。視線を音の方に向けると何棟かの家屋と人間の姿が見えた。
 村と言っても瓦葺の日本家屋が建ちが並ぶものでもなく、かといって昔話に出てくるような藁葺きの屋根に土壁の家が建つ村でもない。敷地面積の大きくない牧場跡地に、廃材や切り出した木材を使って建てた家が並ぶ村だった。牛舎として使われていた建物は屋根が抜け落ちて見るも無残な姿を晒しているが、すぐ隣の建物はしっかりしている。恐らく集会所的な使われ方をしているのだろう。
「あっ、綾美姉ちゃんだ!」
 畑の近くで犬の世話をしていた小さい男の子が彼らの姿を見つけると、小走りに彼らの元に駆け寄ってきた。男の子は少女に抱きつくと、「おかえり」と言った。
「ただいま、ユウスケ。ちゃんと良い子にしていた?」
 少女の問いかけに男の子は「うん」と頷くと、隣にいた少年の存在に気がついた。彼から出る目に見えない邪気に怯えているのだろうか、うつろな目で少年の瞳を見つめている。
「この人は?」
 男の子は少年を見つめたまま、怯えるような目で聞いた。
「この人?このお兄ちゃんはね、私の命の恩人なのよ。山賊に襲われているところを助けてくれたの」
 少女が男の子の質問に答えていると、すぐ脇から大人の男が彼らのものとにやって来た。顔に痛々しい傷こそあるが、優しそうな男だ。おそらく昔の戦争を生き延びた経験があるのだろう。地獄を見てきた者の顔をしている。
「お帰り、綾美。そのこの彼は誰だい?」
 男は少女に質問した。
「ああ、山内さん。彼は私が山賊に襲われているところを助けてもらったんです」
「山賊に襲われた!?もしかして森の奥まで行ったのか?」
「ごめんなさい。あの辺りには薬になる草が沢山自生しているから」
 山内と呼ばれた傷の男は、呆れたようなため息を漏らしてこう続ける。
「まったく、あのあたりは安全じゃないから武装した大人と一緒に行かなければいけないとあれほど言ったじゃないか」
「すみません」
 綾美という名前の少女は申し訳なさそうに頭を下げた。山内と呼ばれた男はやれやれと呟くと、少年の方に視線を合わした。
「そこを君が助けてくれたというのかい」
「ライフルで狙撃しました。二人倒したあと足を滑らせて、彼女に助けられたんです」
「なるほど、それなら君に感謝しなくてはいけないな」
 山内はそう呟くと、目の色を変えた。人の心の内側をヘラで抉るような、そんな視線だ。山内は彼が小さな身体に見合わない大きなライフルケースを掲げていることに気がつくと、そのまま彼の身につけているもの見回した。どうやらゲリラや山賊の類ではないと山内は判断したようだった。
「とにかく、綾美を助けてくれた事には礼を言うよ。ありがとう」
 山内は彼に礼の言葉を述べたが、彼は黙ったままだった。すると少女が思い出したようにこう言った。
「そういえば、まだ名前を聞いていなかったね。私は小林綾美。綾美って呼んで」
「神無英司。下の名前で呼んでもらっていい」
「オッケー、英司。あなたお腹減っていない?何かご飯用意するね。あと……」
「なにか?」
綾美の言葉に、英司は顔を綾美の方に向けた。
「それに英司、最近お風呂に入っていないでしょう?村の人に頼んでお風呂を沸かしてもらおうと思っているんだけれど」
綾美の言葉を聞いて、英司は着ているM51パーカーの袖の臭いを嗅いだ。
「臭う?」
「ううん、気にしなくて良いの。ただちょっと疲れているようだったから」
 綾美はそう答えると、風呂を沸かしてもらう為に家の方へと駆け出していった。

 村の人たちが用意してくれた風呂は、汲んできた水をドラム缶で温めた所謂ドラム缶風呂だったが、久しぶりに浴びる暖かいお湯は生き返るような気分になった。石鹸で身体を洗い、桶に汲んだお湯で流すと心のそこまでさっぱりしたような気がした。脱いだ服は、村の人がすぐに洗濯して、こびり付いた汚れと垢を落としてもらった。焚火の熱で乾かすから、すぐにでも全ての服が乾くとのことだった。
 用意してくれた服に袖を通すと、英司は村の中央に位置した、山内の私邸兼管理事務所として機能している昔の農家のような作りをした藁葺き屋根の建物に通された。建物に向かう途中、英司は建物の脇から通信用のアンテナが伸びているのに気がついた。近くに寄って見ると、発電機を動かす音とガソリンの臭いが鼻先に漂ってきた。何かこの村には何か隠し事があるなと思いながら、英司は家の中に入る。土間の向こうの座敷には山内が座っており、その脇には彼のバックパックと銃が置いてあった。
 英司が軽く一礼して座敷に上がると、山内が声をかけた。
「風呂はどうだった?気持ちよかったかい」
「はい、お陰様で楽になりました」
「そうか、それは良かった」
 山内は愛想笑いを漏らすと、英司にそこに座るように指示した。英司は「失礼します」と答えて、山内の前に座った。
 山内は英司の持って来た荷物に一瞥をくれると、再び英司の目を見て本題に入った。
「さっき君の装備を見せてもらったのだが、どうやら君はスカウトスナイパーらしいな」
「はい」
「ギリースーツに双眼鏡。あの迷彩塗装のM24といい、山賊相手の狙撃なんて君には朝飯前でもなかっただろう」
 山内の言葉に、英司は黙ったままだった。何か答えようか迷ったが、下手な事を言って面倒な事になるのも嫌だったので何も言わない事にした。
 山内も次の言葉を、あるいは英司が何か答えるのを期待していたのか、次の言葉を話さなかった。暫くの間、二人の間に静かな時間が流れる。
「君は何かに追われていると話したらしいが、もしかしてそれはゲリラの類じゃないのかい?」
 しびれを切らしたように、山内が口を開く。
「はい、両親を奴らに殺されました」
 躊躇せずに英司は答えた。
「それで、森の中を隠れながら彼らに復讐しているのか?優秀な狙撃手は大部隊を足止めは出来ても、壊滅させる事は難しいのじゃないのか、こんな森の中では。もし君がちゃんと訓練を受けた狙撃手なら、支援砲撃や空爆を要請して敵を倒すだろう。しかし、こんな状況下ではそれは無理な話だ」
 山内は溜息を吐きながら呟いた。航空自衛隊のほとんどの戦闘機は前の戦争で無くなってしまったし、海上自衛隊の護衛艦も港に係留されて錆びだらけになっている。今、自衛隊の兵器で動いているのはヘリコプターと装甲車くらいだが、燃料不足で動くのはほんの少数だ。
「なんで僕をゲリラの仲間だと思わないんですか?」
 英司はほぼ無意識のうちに、山内に質問した。
「自分のカンだよ。こういうときに限って、私のカンは良く当たるんだ」
山内は笑うように答えると、鼻で溜息を漏らした。
「ところで、時間は掛かるがゲリラを壊滅させる唯一の方法があるんだが。着いて来てくれないか?」
 山内はそう呟くと、立ち上がって奥の部屋に英司を案内した。座敷を抜けると、パソコンのファンの作動音と、キーボードを叩く音に屋外に付けられた、発電機の音が耳に入ってきた。数台並べられたパソコンの前では、二人の男達が画面に向かって何かのデータを整理している。
「どうだい、作業の方は?」
 山内はパソコンに向かっていた男に声をかけた。
「ああ山内さん。これからUSBにデータを入れる所です」
 男はそう答えると、パソコンのジャックにUSBを入れた。
「十分ちょっとあれば出来ます。それまで暫く待っていてください」
「分かった、ありがとう。出来たらもうUSBをもう一つ用意してくれないか?」
「二つですか?」
「そうだ。二つ作ってくれ」
 山内がそう言って男の肩を叩くと、男は「分かりました」と答えて作業に戻った。
「何かのデータですか?」
 隣で二人のやり取りを眺めていた英司が質問する。
「ああ、我々が今まで各地に張り巡らしたスパイ網を使って集めた。敵の主要幹部のリストさ、本当ならメールか何かで送信すればいいのだけれど、昔の戦争で使われたコンピューターウィルスのせいでネットワーク通信網がズタズタになってね、それとハッキング対策でインターネット回線には繋いでいない」
 山内はそう説明すると、英司を連れて家の外に出た。日はまだ高く上がっていたが、どこからとも無く涼しい風か彼らの元に吹いてきた。
 外では五歳と二歳くらいの男の子二人が女の子と一緒に追いかけっこをして遊んでいた。その楽しそうな笑い声に、山内は安堵感を感じる。
 村全体を見回すと、畑近くの作業小屋の脇で、綾美が同世代の子と楽しげに会話をしていた。今日森であった事を話しているのだろうか、綾美の話す様子はやや興奮気味に思えた。もしそうなら、自分の事も話題に上がっているのだろうか?
「あっ、彼がそう」
 英司の視線に気付いた綾美が、英司にこっちに来るように手招きした。英司は無言で綾美たちの側に寄った。
「あんたが森でであった綾美の彼氏?」
 英司の姿を見た綾美の友達が茶化すように呟くと、その言葉に英司の中で戸惑いと怒りにも似た感情が顔を覗かせた。
「茶化さないでよ、ミレナ。紹介するね、私の幼馴染で北上ミレナ」
綾美がそう紹介すると、ミレナと呼ばれた少女は笑顔で「よろしく」と頭を下げた。その反応に英司はどう答えてよいのか良く分からなかったが、「どうも」と口篭るようにして答えておく事にした。
「遠くからライフルで山賊をやっつけたんだって?凄いじゃない」
「すごい事じゃないよ。訓練を積めば誰でも出来る」
「それ綾美から聞いたよ、カッコいい台詞じゃん」
 ミレナははしゃぐように英司の言葉を遮った。ミレナのその嫌味のない笑顔が英司の喉を詰まらせ、胸の中に黒い何かに染めてゆく。
 英司が押し黙っていると、畑の向こうの家から太った女性が顔を覗かせ、ミレナに手伝ってくれと指示した。ミレナは「じゃあね」と軽く言って、駆け足でその場を離れた。英司と綾美の間に泥水のような濁った空気が流れる。
「ミレナは何時もあんな調子なの。明るくて楽しくて、私のかけがえのない友達なんだ」
「へえ」
 綾美の言葉に英司は素っ気無く答えると。再び追いかけっこをしている子供達に視線を向けた。
「英司には、そういう友達みたいな人はいないの?」
「いないね」
 英司は子供達に視線を向けたまま答えた。綾美は申し訳なさそうに「そう」と呟くと、英司と同じように子供達に視線を向けて、次の言葉を考えた。
「さっき山内さんと話をしていたよね、何を話していたの?」
「色々」
 英司はそう口篭りながら答えると、この村の事について綾美に質問してみようと思った。
「この村は、反政府組織の情報なんかを色々と収集しているらしいけれど、綾美や他の人は知っているの?」
「ああ、それね」
 英司の質問に綾美は少し戸惑った表情をしたが、すぐに平静を取り戻してこう答えた。
「この村はね、見た目は普通の村だけれど、本当は山内さんを中心に政府の情報収集の仕事を村ぐるみでやっているの」
「敵の情報?」
「ええそう。だからこの村にはパソコンや、通信用の無線機なんかが置いてあるの」
「この村は位置的に色んな勢力が入り乱れる白色地域だし、こんな森の奥の中にあるから見つかりにくいからな」
 英司はそう呟くと、薄灰色に染まった空を見上げた。情報機関との関係が深い特殊部隊は、情報収集の為に敵の勢力圏内に基地を作るというのを殺された父から聞かされたことがある。この村もそんな目的で作られたのだろう。おそらく偵察衛星や飛行機を使えばこんな村すぐに見つける事は出来るだろうが、そんなものは昔の戦争で使い切ってしまった。衛星も、ほんの一部を除いてアメリカと中国がミサイルで落としてしまった。パソコンも、インターネットやメールでの通信が使えなくなってしまった現在はデータ整理くらいしか使い道は無かった。
「どうやって情報収集しているの?」
 英司は綾美に聞いた。綾美は一瞬困ったような顔をすると、右手で頭を掻いた。あまりこの村の裏稼業に精通しているわけではないようだった。
「畑で作った作物なんかを上納したりして、色々と接触を図っているみたい。後はアンテナを立てたりして通信を傍受するとか、私あまり村から出ないから、詳しくは知らないの」
 いわゆるヒューミントと言うやつか。と英司は思った。
「まあ、敵を欺くにはまず味方からって言葉があるくらいだしね」
 英司がそうポツリと呟くと、家の中からさっきの北上ミレナが顔を出した。
「ちょっと早いけれど夕飯の用意が出来たよ。それと彼の洗濯物も乾いたよ!」
「分かった、今行く」
 綾美はそう答えると、英司の横顔を見た。
「お腹すいたでしょ?早い所ご飯食べようよ」
 綾美はそう呟いて、英司と一緒に家の中に入った。
 
 少し早い夕食のテーブルには、英司がしばらく口にしていなかった人間の食べ物が並んだ。釜で炊いた白い飯に、モツの煮込み。畑で取れた野菜と山菜の天ぷらにカエルの塩汁などが並んだ豪華なものだった。
 山内をはじめ何人かの人間が食卓のテーブルに着くと、一番小さい子供が「いただきます!」と元気に叫んで各自料理に箸をつけ始めた。こうやって大勢の人で集まって食べるのは久しぶりの事だ。そう考えると、英司の中に何か暖かなものが点いたような気がした。
「そのモツの煮込み、食べた?」
 ミレナが英司に質問した。英司は無言のまま味噌で煮込んだモツの煮込みを口に運ぶ。どこの部位だか分からなかったが、独特の触感と味噌の風味が効いていてとても美味しい。
「おいしいよ」
 英司が感想を述べると、ミレナは「本当?」と聞き返してきた。
「よかった、その煮込みアタシが作ったんだよ。まあ、綾美が作るのには負けるけれど」
「ちょっと、ミレナ」
 綾美は恥ずかしそうにミレナの肩を揺すった。英司はその様子に気にもくれず、唯無言でモツの煮込みを口に運んだ。
「ところで、いつもは何を食べているの?」
 ミレナが英司に質問する。
「捕まえた蛇やリスの皮をむいて、焼いて食べるんだ。栄養が偏らないように、食べられる草や葉っぱを生で食べた時もある」
「へえ、凄い」 
 ミレナは頷いた。野性味あふれる食生活など、彼女にはファンタジーのようなものらしい。
 楽しい夕食のひと時はそれから三十分ほどで終わった。英司は自分の銃とバッグを持ってくると食休みを兼ねて銃のクリーニングをする事にした。まずライフルケースの中からM24を取り出し、次にバックパックの中から何重にも布を巻いたクリーニングキットと工具、ガンオイルを取り出して、工具を使いM24を分解し始めた。
「何をしているの?」
 近くにいた女の子が英司に尋ねた。
「銃の手入れだよ。使ったら綺麗にしてやるんだ」
 英司はそう素っ気無く答えると、細長い棒の先端に薬品を染み込ませた小さな布をつけて、取り外した銃身の中を磨いた。ここだけは念入りにしないと、銃の命中精度に係わる。
 銃身の中を綺麗に磨き終えると、今度は油で銃身全体を綺麗にした。それが終わると、今度はボルト周りのクリーニングに取り掛かった。もし軍隊なら何かしらメンテナンスの流れみたいなのがあるのかも知れないが、軍隊にいた経験のない英司にとってはどうでもいいことだった。
 M24のクリーニングを終えて、専用器具で照準を合わせる。いつしか英司の周りには何人かの子供達が不思議そうな目で銃のメンテナンスを眺めていた。英司は「気が散るから向こうに行け」みたいな言葉を口にしようかと考えたが、無視を決め込んで作業に集中する事にした。調整が終わり次の9mm機関拳銃の分解整備をしようとした瞬間、近くにいた男の子がM24に手を伸ばした。
「それに触るな」
 英司は冷たくぴしゃりと言い放った。男の子はハッとして手を引き、怯えるような目で英司を見つめた。
「弾が入っていなくても、小さい子供が触ってはいけないんだ。いいね?」
 英司が独り言のように注意すると、男の子は逃げ出すようにしてその場を離れた。それと入れ替えに、綾美が彼の着替えを持って中に入ってきた。
「ほらほら、みんな。お兄ちゃんの気が散ってしまうから向こうに行って」
 綾美がそう子供達に告げると、子供達は駆け足で英司の周りから離れた。子供達がいなくなったのを確認すると、綾美は英司の側に彼の服を置いた。
「銃の手入れ?」
「ああ」
 英司はそう答えると、9mm機関拳銃の機関部の汚れを布で落とした。
「大変だね、細かい部品をバラバラにして組み直すなんて」
「でも手入れを怠って銃が動かないなんて事になったら、すぐに自分の命に係わる。だから全部しっかり手入れしないと」
 英司が答えると、綾美は納得したように頷いた。すると、綾美は思い出したようにこう言った。
「遅れたけれど、さっきは助けてくれてありがとう。本当に死んじゃうかなって思ってたの」
「別にいいよ、そんなに気を遣わなくても」
「着替えはここに置いておくから。じゃあね」
 綾美はそう呟くと、英司の服を残して立ち去った。9mm機関拳銃の分解整備を終えると、満腹感からなのか頭がぼうっとして、弱い睡魔に襲われた。最後に残ったM442センテニアルと三本のナイフの手入れが残っていたが、少し手を止めて外の景色を眺めた。
 外はすっかり暗くなり、家の明かりが漏れている以外は何の明かりもなかった。夜空には無数の星達が輝いて、隣の家からは綾美と楽しげな笑い声が漏れてくる。もし昔の戦争で死んだ人たちが星になって彼らを見下ろしていたら、何を思うだろうか?
「銃の手入れか。感心だな」
 山内が英司の背中めがけて声をかけた。英司は少し驚いた様子で後ろを振り向き、山内の顔を見つめた。山内と目が合うと、「座ってもいいかな?」と呟き、彼の側に座った。英司は気を取り直し、最後の銃のメンテナンスに取り掛かった。
「君の身体で銃三丁は重くないか?」
「大丈夫です。鍛えていますから」
「そうか」
 山内は苦笑いをかみ殺すように言った。すると、隣の家から一際大きな笑い声が聞こえてくる。
「多分綾美とミレナあたりだな、子供達相手に何か面白い話でもしているのだろう」
 山内はそう呟くと、溜息をついてこう語り始めた。
「綾美は戦災孤児でね、まだ生まれて間もないころ住んでいる町が戦火に襲われてしまったんだ。彼女のお母さんは必死の思いで綾美を抱きかかえながら私たちの陣地に逃げ込んできてね、まだ下っ端の自衛官だった私に〝綾美をお願いします〟と言ながら綾美を手渡して息を引き取ったんだ。それからすぐに戦争が終わって、この地に小さな村を立てると、私は仲間と一緒に綾美を育てたんだ。人の不幸や喜びを感じて思いやる事ができる。心や優しい子に育つように、それが亡くなったご両親の願いだと思ってね」
山内はそう言い終えると、英司の方を向いた。英司は既に武器の手入れを終えて、一休みしている所だった。
「君のご両親はどんな方だったんだい?」
 山内は出来るだけ優しい口調で英司に尋ねた。英司は一瞬口を閉じ、視線を山内から逸らした。多分昔の事を思い出しているのだろうと山内は思った。
「父は射撃をはじめ、狙撃手に必要な全てを教えてくれました。母は字の読み書きに計算の仕方や応急処置の仕方なんかも教えてくれました」
「そうか、しかし何で君のお父さんは君に狙撃術を教えたんだ?」
「その事を聞いたら〝俺にはこれくらいしかお前に伝える事はない。この技術を生かす時は自分で決めろ〟って言われました」
「なるほど」
 山内は頷きながら答えた。それから何か言おうか考えたが、英司の過去を覗くのも酷だなと思い。止める事にした。
「とにかく今日は疲れただろう。今夜は布団の中に入ってゆっくり休むといい、おやすみ」
 山内はそう呟くと、立ち上がって部屋を出た。
 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み