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文字数 12,832文字

 房人達が敵を足止めした場所から東北東に約一・五キロ進んだ所にあるレストランの駐車場に、一両のくたびれた74式戦車が停車していた。戦争当時、自衛隊戦車の多くが戦闘によって撃破されたが、それでもまだ百二十両程度の戦車が残っていた。しかしそれは戦車の形を成しているだけで、鉄屑と言ったほうが正しかった。燃料不足で現役時代のように演習場を走りまわる事も出来ず、防衛産業の工場が稼動していない状況では整備用の部品を発注する事も出来ない。そこで陸上自衛隊は苦肉の策として、十両の戦車から使える部品を寄せ集めて、一台の戦車を稼動させる事にした。こういったいわゆる〝共食い整備〟は国連安保理決議で武器の禁輸措置を取られた国や、内戦の続く途上国の兵器に多く行われていたが、自衛隊の装備ではあまり例が無かった。
「無線機は直りそうか?岩本」
 車長用キューポラに腰掛けていた戦車長兼中隊長の小島慎介一等陸尉が聞いた。かつての戦争を一戦車搭乗員として戦い、叩き上げで幹部自衛官になった強者だが、彼が幹部に任命される頃には米中両国は互いに回復不能な程大ダメージを受けて、国連主導による停戦協議が始まっている頃だった。しかしその停戦合意も両国の保障を巡って折り合いがつかず、結局日本を舞台にした戦争が長々と続く結果になってしまった。そんな中、彼は整備も補給もままならない状態で戦車小隊を率い、いつ終わるか分からない戦争に身を投じて行ったのだ。そして戦争が終わった頃、彼は戦闘での功績を称えられ駒門駐屯地にある第二戦車中隊隊長の命を受けたが、その時連隊の稼動戦車は経った八両で、残りは鉄屑になっていた。かつてのドイツ軍戦車エースにちなんで「駒門のヴィットマン」と呼ばれた彼の戦車戦術も、動ける戦車を使ってのパトロール位しか使い道が無かった。その後、全国各地で蜂起した武装勢力に対処する為の治安出動指令が十三年前に出されると、彼の指揮する中隊は治安維持活動の一環で実弾を装備し関東一体をパトロールするようになった。  
 この任務は本来、装輪戦闘車両87式偵察警戒車や16式機動戦闘車の役割だったが、山賊やゲリラが装備する対戦車火器や待ち伏せ爆弾の脅威が本格化し損害が目立つようになると、現役を退いた退役戦車も再生措置を受けて駆り出されるようになった。
「やっぱり何やっても駄目です。恐らく無線機本体がもう寿命なんでしょう。空電音しかしません」
 装填手の岩本一等陸士が車長席の中から答えた。彼は元々通信科の所属で、無線機を始め各種の電子機器の保守点検に精通していたが、その彼でもお手上げとなると手の打ち用がない。中隊で保管している機関銃を闇市場に流せば、それなりの無線機が手に入るだろうが、そんな事をしてまで手に入れようとは思わなかった。
「戦闘騒音が聞こえていたのに報告も出来ないなんて、これほどおかしな出来事も無いよな」
 小島は独り言のように呟くと、腰掛けていた車長用キューポラから、車両前方の操縦手席を覗いた。
「移動しますか?」
 操縦手席から頭を出していた操縦手の田所一等陸曹が聞くと、小島は戦車に乗り込みながらこう言った。
「無線機の調子も良くないし、燃料もない。戻って報告だ」
 小島が一言呟くと、田所は「了解」と小さく答えてエンジンを掛けた。が、エンジンは排気管から勢い良く黒煙を少しだけ吐くと、クランクシャフトどこかが当たるようなノッキング音を立ててすぐストールしてしまった。車長席に座った小島はすぐさま車体後部を見下ろし、埃にまみれたエンジングリルを眺めながらこう漏らした。
「クソ!またエンストか、この前部品を換えたばかりなのに」
「部品と言っても他の戦車から持って来た奴ですからね。やっぱり共食い整備じゃ限界がありますよ」
 岩本が車長席下の装填手席から答えた。気を取り直して田所がエンジンをもう一度掛けると、今度はどうにかエンジンが掛かった。田所はギアを入れずに、しばらくアクセルでエンジンを吹かしながら、エンジンの回転が安定するのを待った。自衛隊の戦車に限らず、多くの西側製兵器はきちんと訓練された兵士が運用し、さらに部品交換と定期的な保守点検によって、初めてその能力を出し切る様に設計されている。だから共食い整備や部品交換を怠ると、途端に調子が悪くなり稼働率が下がってしまう。多少雑に扱ってもちゃんと動くロシアや中国の戦車が、いかに兵器として優秀なのか小島は改めて思った。
 しばらくアイドリングしてエンジンの回転が安定すると、田所はゆっくりギアを入れて、戦車を前進させた。路上走行用ゴムパッドを付けたキャタピラが、キュルキュルと音を立てている。この猛獣の呻き声のような音を聞きながら任務に当たるのが、小島にとっての生きがいだった。
 戦車はしばらく道路を中央線沿いに進んだ。市街地では何処に仕掛け爆弾があるか分からないので、必ず道路の中央を進むように命令されていた。信号は動かないし、歩行者もいないので、交通ルールは好きなだけ無視できる。自分が世界の王にでもなったような気分だ。
「この近くで派手な戦闘なんて、一体何事でしょうか?」
 砲手の豊田二等陸曹が漏らした。
「迫撃砲の音がしたから、単なる小競り合いではないようだが」
「何処かの部隊と、山賊とかの戦闘でしょうか?」
 小島の言葉に岩本が続けると、小島はこう答えた。
「練馬の部隊は来ていない。あいつらは川越の方での山賊グループ狩りに駆り出されている筈だから・・・」
 そこで言いかけると、小島は目の前で人影が建設会社ビルの開け放たれたガレージの中に逃げ込むのを見た。すぐさま車長用ハッチに装備されたM2重機関銃のチャージングハンドルを引いて、銃口を真っ暗なガレージの中に向けた。
「動くな!そこから出て来い」
 小島が叫ぶと、ガレージの中から一人の少年が歩いて出てきた。オリーブドラブのM51パーカーを着て、タイガーストライプパターンの迷彩ズボンを履いた少年は背中にバックパックとボルトアクション式の狙撃銃を背負い、肩からは9mm機関拳銃を提げていた。少年の目は少しも臆することなく、目前に突きつけられた銃口のように小島を見つめていた。きっとそれなりの修羅場をくぐっているのだろう。
「お前は何者だ。さっきの銃声と爆発音は何だ?」
 小島が怒鳴ると、英司は落ち着いた様子で答えた。
「あの戦闘騒音は多分仲間が待ち伏せ攻撃を仕掛けたのだと思う。安心して、俺はあんた達の敵じゃない」
「仲間がいるのか?」
 小島は少し声の大きさを落として、さらに続けた。
「そうだ。運がよければどこかに逃げていると思うけれど」
「逃げる?お前ら追跡されているのか?なら、何処の所属だ」
「それは話すと面倒になる。仲間が来れば説明できるけど」
「仲間を呼ばないと自分の事も話せないというのか。それなら貴様をこの場で射殺するまでだ。三つ数えるまでに答えろ!一体貴様は何者だ」
 小島が叫ぶと、流石の英司も百戦錬磨の戦車兵の気迫には勝てず、静かにこう口を開いた。
「俺達はある任務の途中で、この町に立ち寄ったんだ。そしたら追跡してきた敵の部隊が攻撃してきて、仲間が一人捕まった」
 英司が簡単に説明すると、小島からこんな言葉が返ってきた。
「助けに行かないのか?」
 小島の何気ない一言は、他のどんな言葉よりも英司の心を突き刺した。それと同時に、海下に捕まった綾美を助けられなかった自分が、殺したいくらいに憎く思えてくる。
「助けようとしたけど、助けられなかった」
「自分だけ助かりたかったのか、ならお前は卑怯者だな」
 小島のその一言が英司の心に重く圧し掛かった。いっそその重圧に押しつぶされてしまえばいい。と英司は一瞬思ったが、綾美との廃ホテルでの会話が思い起こされて、その妄想をかき消した。綾美に苦痛を味わせたのは自分だから、責任は自分で果たさないといけない。
「他にも仲間がいると言ったが、今どこにいるんだ?」
「中隊長、コイツの事なんか放っておきましょうよ」
 砲手の豊田が口を添えたが、小島は彼に構わず「黙っていろ」とぴしゃりと言った。
「他の仲間は何処にいる?お前だけじゃ話しになりそうもない」
「何処にいるかは分からない。生きていれば、無線で呼び出せる」
「なら呼び出せ。全員だ」
「いいけれど条件がある」
 英司は目の色を変えずに一言漏らすと、小島は怪訝そうに「何だ?」と聞き返してきた。
「あんたら、自衛隊の人だろ。なら協力して欲しい。俺達はあんたらの敵に追われている」
「証拠はあるのか、貴様は俺達の敵ではないという証拠が」
 小島が尋ねると、英司は腰ベルトのポーチのポケットからUSBの入ったビニール袋を取り出し、小島に見せた。
「何だそいつは?」
 操縦手席から頭を出していた田所が聞いた。
「俺達を追いかけてきた敵のデータがここに入っている。リーダーの名前や部隊編成、装備なんかがね。俺達はその情報を東京に送り届けている最中だ」
「何でそんなものをお前が持っている?」
 小島が聞いた。
「元自衛隊の人に頼まれたんだ」
「そいつは誰だ?名前を言ってみろ」
 小島は再び高圧的な言い方で英司に迫る。
「よくは知らない。でも特殊部隊上がりの人だ。苗字は山内。それ以外は何も知らない」
 英司は話せる範囲のことを簡潔に話した。必要以上の事を話してしまえば、また自分達が危機的な状況に陥るかもしれない。例え相手が自衛隊であろうと。英司が数時間前に学んだ事だった。
「苗字は山内、だな?」
 小島がもう一度聞くと、英司は小さく頷いた。
「そいつは多分俺が知っている奴だろうな。昔山内という名前の空挺団員を助けた事がある」
「そんな話初耳です。どこで?」
 装填手の岩本が尋ねた。
「俺がまだ一車長だった時代に、一人で部下の認識票を集めているところを拾ったんだ。今日みたいに、偵察任務に駆り出された時に。彼は顔に傷があっただろう。その傷の手当は俺がしたんだ」
「そうだったのか。それから?」
 英司が意外そうな口調で聞いた。
「それから味方の基地まで乗せていってやったよ。何せ満身創痍の状態だったからな。彼と会ったのは、それっきりだ」
 小島は一言そこで区切ると、「今はどうしているんだ?」と聞いてきた。
「このデータを俺に渡した次の日に、敵に襲われて死んだよ。彼の村に住む人達と一緒に。俺達を追っているのは、山内さんを殺した連中だ」
 小島が物哀しげにげに、「そうか」と呟くと、英司の腰のラジオポーチに差し込んだウォーキートーキーから連絡が入った。
 英司はラジオポーチからウォーキートーキーを取り出し、通話ボタンを押した。
「何だ?」
「英司か、今どこに居る?こっちは敵を足止めして逃げ込んだ所だ」
 無線に出たのは政彦だった。英司の頭に、誰か負傷者が居るのか?という一抹の不安がよぎる。
「こっちは今の所・・・そっちはどうだ?負傷者は居ないか?」
「みんな無事だ。けれど、この状況が続くとなると弾薬が心もとないな・・・・・・そっちはどうだ、何か問題でも?」
「捕まった。自衛隊に」
 英司が単刀直入に答えると、政彦は少し押し黙った。
「そりゃま、ちょっとした災難だな」
 政彦が他人事のように呟く。こいつは俺の事を心配してくれているのだろうか?と英司は疑問に思った。
「それで、政彦達は今何処に?」
「それは言えない。お前を捕まえた連中が信用できそうなら話は別だが」
 その言葉を聞いた英司は耳からウォーキートーキーを離し、戦車に乗った小島の目を見た。小島は英司の目を見ると、彼にしかわからないように小さく頷いた。
「信用できそうだ。今何処に?」
 英司が政彦に聞くと、帰ってきたのは意外な言葉だった。
「お前の〝信用できる〟は俺達の〝信用できない〟じゃないのか?」
 その一言に、英司は釘を刺されたような思いだった。確かにあの時、海下の言葉を鵜呑みにして皆を窮地に追い込んだのは自分だ。彼女の言葉を易々と信じてしまったのは、人を疑う事に抵抗があったのと、誰かとの接触に餓えていたせいだ。世の中を知らない。無垢な殺人者。英司を一言で形容するなら、それで十分だろう。どっちにしろ、「ここで信用してくれ」と言っても、政彦は英司の事をもう信用しないだろう。それだけの事を、もう英司は二つもしている。
「とにかく、俺達は今居る場所を動くつもりはない。合流したければ自分で来い。一本目の道路から北西に2キロ進んだ所にある、でっかいパチンコ屋にいる」
 政彦は冷たく言い放つと、そのまま無線を切った。
「話は付いたのか?」
 小島が英司に聞いたが、英司は口を渋い顔のまま答えなかった。その反応に小島はやれやれといった具合に鼻を鳴らし、英司に向かってこう言った。
「とりあえず乗れ、お前の仲間のいる所まで案内してもらう」
「えっ、そんな」 
 思いがけない言葉を聞いた英司は、小島に向かって漏らした。
「向こうが信用しないならこっちから行って信用してもらうまでだ。場所は聞いたんだろう?」
「まあ、一応」
「なら向かうまでだ。砲塔後ろのバスケットに荷物を置いて給油口の辺りに乗れ。タンクデサントだ。落ちるなよ」
 小島に言われると、英司は戦車の車体によじ登り、背負っていたバックパックを砲塔後部のバスケットに入れて、銃を持ったまま車両左側の給油口の辺りに立った。
「お前名前は?俺は小島慎介だ」
 小島が英司に尋ねる。
「神無英司」
「英司か、いい名前だな」
 小島は英司が乗ったのを確認すると、正面を見て勇ましくこう叫んだ。
「戦車前へ!」
 英司の乗った74式戦車は、空冷2ストロークエンジンの甲高い音をなびかせて、無人の街を突っ走った。

 政彦達は、追跡してきた敵を撃退した地点から北東に二キロ進んだ、周囲を畑に囲まれた所にある、大型パチンコ店に居た。
 郊外にある多くのパチンコ店がそうであるように、ここの店内も戦後十数年の混乱によって略奪に遭い、中にある金や希少金属を取り出して換金又は利用するために、激しい電子音とパチンコ玉を放っていた機器は全て無くなっている。全てのパチンコ台や設備が取り払われた店内は、蓋を開けられて中の骸を取り除かれた棺の様に思えた。
「ここにある全部のパチンコ台に使われている金やレアメタルを抽出したら、幾ら位になったかな?」
 椅子に腰掛けた美鈴が、動かなくなったパチンコ台に足を乗せながら漏らした。ダッグハンターパターンの迷彩ズボンと、ベージュのトレッキングシューズの間に履いた白い靴下の隙間から、少しだけ足首が見えている。その足首に目を向けると、スーパーで敵を撃った時の感触と、クレイモアで敵を吹き飛ばした時の感触が戻ってくる。直接触った訳ではないのに、どうして人殺しの感触は手に残るのだろう?死ぬ時に透明な何かが肉体を抜け出して、手の神経の弱い所に触れるのだろうか。殺人者に人の命を奪った業を背負わせる為に。
「使われている金を抽出して加工すれば、指輪かペンダントにはなりそうだけどな。今は日本円より銃弾が必要な社会だし、需要は小さいんじゃないか?」
 入り口を警戒している房人が呟いた、西の空には重苦しい鉛色をした雨雲が、ゆっくりとした足並みでこっちの方に近づいてくる。あと何時間かすれば雨だろう。と房人は思った。雨が降れば視界が悪くなるから、その間に逃げる事も出来るだろう。
「何だよ、レアメタルって?」
 房人の隣でポケットスコープを覗いていた政彦が尋ねた。
「コンピュータのマイクロチップとかに使われる金属だよ。採取できる量が少ないからそう呼ばれるんだ。その採掘権を巡って、血みどろの戦争が起きたりする。丁度俺達が今やっているみたいな戦争がな」
「なんでそんなことが起こるんだ?鉄とかの仲間だろ」
 政彦が何気なく質問する。
「世の中の不条理って奴だよ。早い話が」
 房人はそう答えると、急に煙草が吸いたくなる衝動に駆られたが我慢した。恐らく他の二人もそんな気分だろうが、敵が何処にいるか分からないところで煙草を吸う事は命取りだ。
 房人は美鈴と見張りを替わると、フロアの奥にある景品交換所に向かった。何か残っているものは無いかと期待したが、あったのはパチンコ玉を入れるプラスチックの箱と、めちゃめちゃに破壊されたレジスターだけだった。そのまま事務室に入り、土足で休憩室の窓の外を覗くと、殺風景な景色の向こうから、ガラガラというディーゼルエンジンの音が風に乗って聞こえてきた。耳を澄ますと、次第に音が大きくなってくるのが分かった。房人は急いで美鈴達の居るフロアに戻り、パックパックのループに通していたRPG‐22ロケットランチャーを引き抜いた。
「何かあった?」
 美鈴が尋ねた。
「裏のほうからエンジン音、こっちに近づいてくる」
「本当か?数は」
 政彦が聞いた。
「多分一台。でも強敵だから油断するな。バックパックはここに置いて裏に回るぞ」
 房人はそう呟くと、三人を連れて裏に回った。
 裏に回ると三人は、職員用駐車場片隅のセイタカアワダチソウが生えて藪のようになっている所に身を隠した。房人は政彦から返してもらったポケットスコープでエンジン音の聞こえる方を覗き込むと、一台のくたびれた戦車が黒煙を吐きながらこちらにやってくるのが見えた。戦車の砲塔からは車長らしき自衛官がハッチから顔を出し、その横には見覚えのある少年が一人、旅人を導く森の妖精のように砲塔に腰掛けていた。
「自衛隊の74式戦車だ。英司もいる。どうやら戦車に捕まったみたいだ」
 房人が小声で呟いた。
「何でここが分かったの?」
 美鈴が尋ねた。
「さっき俺がこの場所を教えたんだ。敵の敵は一応味方。というじゃないか」
 政彦が得意げに答えると、美鈴は彼の方を向いて怪訝そうに聞いた。
「あんた、あいつの連れてくる奴は信用できないとか言ってなかった?」
「確かに英司は俺らと違って何処か足りない。理奈子と同じように」
「最愛の女と同じ頭の構造なら、大丈夫って訳?」
 美鈴が質問したが、政彦は鼻で笑って誤魔化すだけで答えなかった。
 戦車は次第に彼らの元に近づいてきて、キャタピラの軋む音が房人達の耳にも届いてきた。すると、戦車が突然急停止して、砲塔に乗った英司が房人達に向かってこっちに来るように手招きした。
「流石に、この程度の遮蔽物じゃすぐに見つかるか」
 房人は自嘲気味に漏らすと、美鈴と政彦と一緒に戦車の元に向かった。戦車の元に近づくと、砲塔に腰掛けていた英司が勢い良く飛び降りた。
「凄い人達ね。あんたもしかして、変な人を寄せ付ける引力でも持っているんじゃないの?」
 美鈴が茶化すように言った。
「そんな能力、俺には無いよ」
 英司が答えると、車長ハッチから身を乗り出していた小島が英司にこう尋ねた。
「これがお前の言っていた仲間か?餓鬼しか居ないじゃないか。大人は何処だ」
 それを聞いた房人が、小島に向かってこう返した。
「俺らだけですよ。大人の人は居ません」
「冗談だろ」
 小島は思わず溜息を漏らした。少年兵の居る部隊では大抵指揮官兼監視役として大人の兵士が居るものなのだが、少年兵だけの部隊というのは聞いたことが無かった。どうやらM249PARAを持った彼がリーダー格らしいが、果たして話が通じるだろうか?と小島は不安になった。
「とにかく、君達がここに来た理由と現在の状況を説明してくれないか」
「そしたらあたし達に協力してくれるんですか?」
 美鈴が小島に聞いた。
「大体の事はそこに居る英司から聞いた。連中の情報を持っているらしいな」
 小島の言葉に、美鈴は何かピンと来る物を感じた。ここで上手く彼らを言いくるめれば、彼らを仲間に出来るだろう。相手はプロの軍人だが、やってみる価値はありそうだ。
「それと後、私達の仲間が一人、女の子が敵に捕らえられているんです。助けるのに協力してもらえませんか?」
「女の子?捕まったという仲間は女の子なのか」
 小島が驚愕して英司の方を向くと、英司は苦い表情をしたまま顔を逸らした。小島は軽く侮蔑の念を込めた視線で英司を見ると、再び正面の美鈴に顔を向けて「どんな子だ?」と尋ねた。
「名前は小林綾美。山内さんの村から来た子です。彼女の村は、敵の攻撃にあって皆殺しに遭いましたから」
「彼女が最後の生き残りという訳か」 
 小島は静かにそう呟くと、また英司の方を見た。英司は俯いたまま、彼に対して背中を向けている。きっと殺したいほどに自分を恨んでいるはずだが、例えどんなに自分を恨んだとしても、状況は好転しない。早くその気持ちを押し殺して次の行動に移るのが一番なのだ。彼自身も、あんな風にして自分を責めたことがある。丁度彼が戦車搭乗員として教育を終え、新人の砲手として着任した時戦争が始まった。初出撃の夜、彼の所属する中隊は橋を爆破する施設隊を援護する任務に就いた。天候は大雨でしかも月明かりの無い夜、視界がとても悪かったのを覚えている。暗視装置を使っても周囲を見渡せない。極限まで疲労していた彼は、敵は恐らく攻撃してこないだろうと勝手に思い込み、コバンザメみたいに張り付いていた照準装置から目を離した。
 しかしそれは大きな間違いだった。敵のほうが一枚上手だったのだ。敵の中国兵の小隊は体中に泥を塗りつけ、暗視装置に映らない様に身体から出る赤外線さえ遮断していたのだ。音も無く忍び寄った敵は、すぐさま持っていた対戦車ミサイルで彼の乗っていた10式戦車を攻撃し、立て続けに橋の爆破に取り掛かっていた施設隊を攻撃した。彼の上官だった戦車長はミサイルの爆風で焼け死に、操縦席に座って仲間は何とか脱出したが敵に見つかって殺されてしまい、彼だけが生き残ったのだった。もしあの時照準装置に張り付いていれば、暗闇に動く敵兵の影を見つけられたかもしれない。ほんの少し根性を出し渋っただけで、部隊が全滅したのだ。
 それ以来彼はどんな時でも味方の命を救うことを最優先にして、十五年前の戦争を生き延びた。だが、それが小島を変えてしまうきっかけでもあった。彼は例え敵が命乞いをしても、その敵が仲間を殺した人間なら容赦はしなかった。もし、あの時暗視装置を使って周囲をきちんと警戒していれば、きっと部隊は壊滅せずに済んだし、彼もこんな風になっていなかっただろう。彼は時々、自分がアフリカの地域紛争で多くの人間を殺した白人傭兵と同じ人間になってしまったのだなという事を実感する事があった。戦場での極限状態を何度も体験した人間は、平和な世界にいると自分が酷く無意味な存在に思えてしまうことがある。それは小島も同じだった。きっと日本がまた平和になれば、彼は戦いを求めて傭兵になるだろう。そしてその戦場で死ぬのだ。普通の死は絶対にありえない。戦場で生きて戦場で死ぬ。今の自分はそういう人間だ。
「とにかく、ここに居てはいずれ敵に見つかるだろうな。どこかに戦車を隠せそうな場所は無いか?」
 小島は自分でも思いがけない言葉を口にした。自分の中の無意識がそうさせたのだろうか。
「近くにでっかいセメント工場の倉庫がある。そこなら大丈夫じゃないか?」
 突っ立っていた政彦が小島に向かって呟いた。
「ならそこにしよう。案内してくれるか」
「バックパックを回収した後なら」
「よし、なら決定だ。二分待つから、その間にバックパックを取りに行って来い」
 小島が指示すると、彼らはバックパックを取りにパチンコ店の中に戻っていった。
バックパックを取りに戻った三人を収容すると、戦車は英司達四人を乗せてセメント工場に向かった。戦車はその鈍重そうな外観からは想像付かないほど軽快かつパワフルに道路を走り、しっかり捕まっていないと振り落とされそうになる。前髪を揺らす冷たく湿った風が、なんとも言えず心地良い。エンジン付きの乗り物に久しぶりに乗った政彦は、その力強さに少々驚いているようだが、逆に初めてのタンクデサントを経験した房人は興奮気味だった。
「戦車って、変わった乗り心地の乗り物だな」
 政彦は足元を流れる道路を見ながら、ポツリと漏らした。
「普通の車とはちょっと構造が違うからね。悪くない気分でしょ?」
 隣の美鈴が答えた。
「エンジン付きの乗り物に乗った経験は殆ど無いんだ。だからなんか、妙な気分だ」
「初めての体験は楽しまないと駄目だよ。あいつを見てみ、軍オタの性癖丸出しで楽しんでいるよ」
 そう美鈴は呟くと、顎で反対側の装填手ハッチを覗き込んでいる房人を指した。房人は子供のように目を輝かせて、装填手の岩本に何か質問している。
「思ったより狭いな、ここに何時間くらい座っているんです?」
 房人が装填手席を見ながら聞いた。
「何って、任務時間と同じ時間だよ。それに戦闘となれば今度は装填と熱い空薬莢を捨てなきゃならない。地味で辛い仕事だよ」
 岩本は105mm砲の閉鎖器を触りながら答えた。
「でもまあ、装填手が居ないとこの戦車は砲を撃てないんでね。クルー全員、岩本には感謝しているよ」
 砲手の豊田が砲手席から叫んだ。けたたましいエンジン音のせいで、大声で叫ばないと通話用のインカムを付けていない房人には聞こえなかった。
 戦車はパチンコ店から住宅街を抜けて、田んぼの中に佇むセメント工場に入った。戦車をセメント備蓄のサイロの脇に止めると、乗っていた英司達が一斉に飛び降りた。小島もその後に続いて降りると、房人に地図を出してくれと頼んだ。
「現在位置の確認ですか?ちょっと待ってください」
 房人はそう呟きながら、迷彩ズボンの左腿ポケットに入れたマップケースを取り出すと、戦車を降りた小島もその側に寄った。地図にはさっきまで居たパチンコ店が記入してあり、このセメント工場はそこから九〇〇メートル西に位置している。英司達が逃げてきたスーパーからは、直線距離で北西に三キロほど離れていた。
「敵がいるスーパーからは直線距離で三キロ。さっきの戦闘で倒したのが七人位だから敵の総数を三十名前後として、残ったのがおよそ二十三名。スーパーを中心にして敵が周囲を探索するのは無理ですね」
 房人が漏らすと、小島がこう添えた。
「俺だったら、山狩りに必要な数の兵隊を確保できるように、付近の部隊に応援要請を出すね。情報によるとここら辺には機械化された敵が所沢か越谷にいるらしい。規模はおよそ一個機械化小隊程度、敵に回すと厄介だぞ」
「機械化部隊と言っても、準備の後出動してからここへやって来るまで二時間は掛かる。その間に敵を攻撃してタッチの差で逃げるか、それともそのまま安全圏に脱出するかの両方の行動が取れます」
 房人が何気なく漏らしたその言葉に、小島は耳を疑った。
「助ける?正気なのか」
「助けないわけに行かないでしょう。ましてや相手は女の子。放っておいたら何されるか分かりませんよ」
「確かにそうだが、この人数では少なすぎないか。歩兵四人に戦車一台。救出作戦用の戦力としては小さすぎるし、おまけに向こうは警備を強化している」
「せめて敵の情報が分かるといいんですけれど、戦車の無線機は使えますか?あれなら敵の通信を傍受できるかも」
「残念だがそいつは無理だ。戦車の無線機は完全に死んでいる。情報収集となると、偵察員を出すしかない」
「偵察なら、俺が行く」
 突然、二人の話を聞いていた英司が会話の波を断ち切るように言った。
「おい、いきなり」
 房人が漏らすと、英司は間髪を入れずに続けた。
「出すなら早く決めてくれ。急がないと天候が悪くなる」
 英司はそう呟くと、西の空に見える鉛色の雨雲を指した。後二時間もすれば、この当たりは大雨になり、日も沈んで何も見えなくなるだろう。
「捕まった子の事で自暴自棄になっていないか、そんな奴に任務は与えられんぞ」
「俺は冷静です」
 小島の質問に、英司は素っ気無く答えた。恐らく英司の言った言葉は半分嘘だろうが、偵察を出すなら今の内しかない。時間が経てば敵の増援が来て、このあたりの警戒は強化されるだろう。そうなれば、敵に捕まった綾美を助ける事は出来なくなるし、こちらが発見されて包囲される可能性も出てくる。結論を出すなら今しかないと思った小島は、操縦手ハッチから頭を出していた田所に向かってこう呟いた。
「田所、個人携帯用の無線機が二機積んであったろう。あれを出せ」
「分かりました」
 田所はそう答えると、装填手の岩本に無線機を出すように指示した。岩本は装填手ハッチを開けて、ストラップに吊るされた二機の個人用無線機を小島に手渡した。
「これを一つ持っていけ、4キロ程度の距離なら十分に通信できるはずだ」
 小島は無線機を英司に一つ手渡すと、英司の背負っているM24を見つめながらこう続けた。
「狙撃銃を背負っているなら、偵察監視の訓練は受けているな?」
「はい、警戒監視と偵察の技術は徹底的に叩き込まれました」
「無線機はちゃんと扱えるか?」
「それは」
 英司は口籠った。父から偽装と監視の訓練は受けているが、無線機の取り扱い方は受けていない。すると、そんな英司を尻目に政彦が口を挟んだ。
「それなら俺が行く、無線機の扱い方は前に教わった事がある」
「ちょっと、あんたまで突然何言い出すのよ」
 漠然と話を聞いていた美鈴が漏らすと、政彦は彼女の方を向いて自信たっぷりにこう言った。
「こう見えても、敵の仲間だった頃は偵察班の無線手だったんだぜ。無線機の扱いに関しては英司より上だし、コンバット・トラッキングのやり方も叩き込まれた。こういう潜入なら得意だぜ」
「それはいいけれど、あんたこの状況が分かっているの?」
「分かっているさ、だから行かせてくれって言っているんじゃねえか」
 政彦が答えると、東の空で巨大な岩を転がすような遠雷の音が聞こえた。東の方を見ると、さっきの雨雲が空を覆い尽くしている。小島は首から提げていた時計を見ると、日没まで後二時間しか残っていなかった。
「時間は無い様だな」
 小島はそう漏らすと、英司と政彦にこう命令した。
「君達二人に命令する。今すぐにスーパーに向かい、敵の数と状況を調査しろ。無線は位置について監視に当たるまで使用禁止。調査が終わったら安全な位置に移動し報告して、指示があるまでその場で待機せよ。簡単な任務だ。分かったな?」
「了解」
 英司と政彦はすぐに答えると、二人は戦車によじ登り、砲塔後部のバスケットから自分のバックパックを取り出して、必要なものを用意する。
「偽装用のギリースーツは一つしかないけれど、どうする?」
 英司が政彦に尋ねた。
「俺はそこらの草を刈り取って偽装するから大丈夫だ」
 政彦は英司から手渡されたフェイスペイントキットのドーランを顔に塗りながら、英司の目を見てこう言った。
「ところで、何で俺が一緒に行く気になったかは知りたくないのか?」
「言わなくていい。お前が何て答えるのかは、見当がつく」
 英司が淡々とした返事に、政彦は鼻で笑った。顔にドーランを塗り終えると、政彦は英司にフェイスペイントキットを手渡し、持って行く装備の点検に取り掛かった。
「クロスボウは持っていけよ、音も無く敵を始末できる。銃の弾薬の方は大丈夫か?」
「一応大丈夫だ。三十発入りのマガジンが三本に、二十発入りのマガジンが四本。拳銃の八発入りのが三本だ」
 二人が全ての準備を終えると、小島が再び彼らの前に立った。
「重ねて言うが君らの任務は偵察だ。勝手な行動は許さん。いいな?」
 小島の言葉に、二人は静かに頷くと、英司はジャケットのポケットからUSBを取り出し、小島に手渡した。
「これを預かって下さい。必ず戻ります」
 英司が一言呟くと、小島は小さく「分かった」と答えた。
「それじゃ、行ってきます」
 政彦が言うと、二人は北西の方角に向かって走り出した。

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