文字数 7,813文字

 英司と綾美が休んでいる所から数キロほど後の森で、ミレナとユウスケは互いに身を寄せ合っていた。
 一瞬の隙を突いて逃げ出したとはいえ、最後の方で警備の兵士に見つかってしまった。何発か自分達に向かって撃ってきたものの、撃った奴が下手糞だったのか幸い一発も当たることなく森の中に逃げ込むことが出来た。無我夢中で森の中をユウスケの手を引きながら走りぬけ、やっとの思いで安全を確保できそうな所までたどり着く事ができた。
 しばらくして落ち着くと、村の皆の優しい笑顔が急に走馬灯のように二人の頭にフラッシュバックしてきた。殺された村の人間の死体は見なかったが、一緒に同じ村で生活していた人たちとの辛すぎる別れのことを思うと涙がこみ上げてきた。小屋の中で聞いた彼らの叫び声が今でも頭の中から消えない。
「ミレナ姉ちゃん。俺、腹減ったよ」
ユウスケが弱々しい声で言った。二人とも昼から何も食べていない。村中に兵士の居る状況では逃げ出すのが精一杯だった。
「我慢して、私だって耐えているんだから」
「寒いよ、足も痛いし」
「静かにして。お願いだから」
 日が沈んでから急に気温が下がり始めて、二人とも身を寄せ合って身体を温める以外方法が無かった。しかも荒れた地面をずっと走り続けたから、足の裏の皮が剥けてヒリヒリと痛んだ。空腹と寒さ、痛みに耐えながら二人はこれからのことを考えた。
「これからどうなるの?」
 ユウスケが不安げに尋ねた。
「とにかく人の居るところまで逃げましょう。山内さんの話ならこの方向の先に山内さんの仲間が居る村があるらしいから、そこに行こう」
「助けてくれるかな?」
「事情を話せば助けてくれるはずよ」
「綾美姉ちゃんにも会えるかな?」
「会えるわよ、きっと」
 ミレナは励ますように呟くと、先に村を出た綾美のことを思い浮かべた。彼女はあいつと上手く馬を合わせながら目的地に向かっているだろうか?こんな時に英司のような奴が居れば心強いのにとミレナは思った。
「俺疲れたよ」
 ユウスケがミレナの肩に顔を埋めて呟く。
「そうね、疲れたわね。少し寝ましょう」
 ミレナはユウスケの頭を優しく撫でると、自分もゆっくり瞳を閉じた。休めば何かいいアイデアでも浮かぶだろう。
 
 
 
 夜に草に舞い降りた水蒸気が太陽の熱によって温められ、それが空中に舞い上がる時に放つあの独特の匂いで綾美は目を覚ました。重い瞼を開いて辺りを見回すと、木に寄りかかって眠っている英司の姿が目の前にあった。
「起きたの?」
 英司が眠たげな声で綾美に聞いた。どうやら彼の眠りはかなり浅いものだったらしい。綾美は目を擦りながら「うん、おはよう」と同じように眠たげな声で答えた。
「良く眠れた?」
「多少は」
 綾美の質問に英司は素っ気無く答えた。綾美はそれに無言で答えると、眠たげな目であたりを見回した。森は緑の景色にしっとりと湿った靄を湛えて、眠たげな表情をしてみせる。鼻から息を吸い込むと、湿った木の香りが綾美のなかを駆け巡った。
 それからしばらくして二人はすぐに歩き出した。こういうときは出来るだけ早く動いて、明るいうちに出来るだけ長く進まなければならない。朝食は無かった。
 一時間ほど森の中を歩き続けると、急に視界が開けて森の中に舗装された二車線の道路が現れた。路面の上には落ち葉や枝が幾重にも重なって滑りやすそうな印象だった。ガソリンが無くなって車が走っていないせいだろう。道路の掃除をする道具を積んだトラックも、今ではほとんどが動いていないか、他のものを乗せて運んでいる。道路掃除を専門とする巨大なブラシの付いた車なんて、今ではほとんど動いていないだろう。しかしそんな状況でも動いている車はあるらしく、道路には何日か前に通ったと思いしき車のタイヤ痕があった。そのタイヤ痕の向こうのブラインドコーナーに「速度おとせ」と書かれた錆びだらけの看板が立っていた。
「道路を伝っていくの?」
 綾美が英司に質問した。
「道路を伝っていったら待ち伏せに会うかも知れないし、この道が目的地に通じているとも限らないから、今まで通り森の中を進む。それと話しかけるときは声を落として。話し声は遠くまで聞こえる」
 英司の忠告に、綾美は静かに頷いた。
 道路の両端から何も人や物が来ないのを確認すると、すぐに二人で渡りきった。道路を渡って、また周りに何も無いのを確認すると、再び森の中を歩きだした。
 森の中はどんなに歩いても同じ景色で、ちゃんと目的の場所に向かって進んでいるのだろうかと綾美は思ったが、英司がこまめに地図とコンパスや、ペースカウンターで現在位置を確認しているので大丈夫だと思った。
「このあたりで目的の村まで半分少しって所かな」
「距離が分るの?」
 英司の呟きに、綾美が質問する。
「一応は、このペースカウンターで歩数を記録する。百歩歩いたら上の玉を上げるとか、千歩歩いたら下の玉を下げるとかして、大体の歩数を記録する」
 英司は肩につけたペースカウンターを綾美に見せながら説明した。ペースカウンターは、太い紐にビーズを通したような形をしていた。
「それで距離がわかるから、後はコンパスと地図で進む方向を確認するんだ」
「凄いね。関心しちゃうよ」
「凄くはないよ、訓練を積めば出来るようになる」
 英司は相変わらずのぶっきらぼうな受け答えで返すと、すぐに地図を仕舞って再び歩き始めた。綾美も半歩ほど遅れてその後に続く。
 しばらく森の中を進むと、昔の戦争で撃墜されたらしいヘリコプターの残骸が雨ざらしになって朽ち果てていた。少し中を覗いてみたが、使えそうなものは何も無かった。かろうじて残った塗装部分に日の丸があることから自衛隊のものらしい。それ以外は英司と綾美には分らなかった。
 二人はすぐにヘリの側を離れて、再び進むべき方向に足を向けた。もしあのヘリに乗っていた人が居るならば、あの残骸はその人の墓標だったのかも知れない。と綾美は思った。もしそうならば喪に伏すべきだったかもしれないと思うと、心が重くなった。


 ミレナとユウスケは、寒く凍える夜に身体を寄せ合って過ごすと、すぐにその場を離れるために歩き出した。口にしたのは朝方落ち葉に降りた朝露だけで、二人の空腹と披露は既にピークに達していたが、それでも追っ手から逃げ延びる為に我慢して必死に歩き続けた。
「ミレナ姉ちゃん。俺お腹ペコペコだよ」
「我慢してよ。私だってきついんだから」
 ミレナはブツブツ文句を呟くユウスケを窘めた。だがミレナも昨日から何も口にしていないせいで頭がフラフラだった。しかしだからと言って休んでばかりもいられない。同じ所にとどまっていては見つかってしまうし、捜索してくれる人が居ないので自分達から助けてくれる人の下へ何が何でもたどり着かなければならない。たとえ生き残る確率がマイナスでも、奇跡を信じて前に進むしかなかった。
 既に日は高く上がり、太陽からは熱を持った陽光が木々の隙間から入り込んで、二人の首筋を赤く焼いた。おまけに湿度も高いせいで非常に蒸し暑く、ただでさえ少ない水分が汗となって消えてゆく。二人とも近くあった木の葉を毟って口に含んでみたが、青苦いだけで空腹を満たすような事は出来なかった。
 しばらく歩いていると、舗装された山道を見つけて、道沿いに歩いた。助かる確率が上がる訳ではないが、道の向こうには自分達を助けてくれる人たちが居るかもしれない。そう思うと少しだけ気が楽になった。
 すこし歩いて、二人はガードレールに寄りかかって休憩を取った。昨日に比べて休憩を取るサイクルが短くなってきている。このままでは追いつかれてしまうなとミレナは思った。出来るなら早くこの場を離れたかったが、小さいユウスケにはちょっと辛そうだった。
「いつになったら助かるの?」
 仰向けになったユウスケが息も絶え絶えに言った。もしかしたら脱水症状を起こしているかも知れなかったが、水は無かった。
「分らないよ」
 ミレナはそう答えるのが精一杯だった。熱と水分不足で頭の奥を金槌で叩くような痛みがする。
 すると、ガードレールの向こう側の森から何かが近づいてくる気配がする。耳をすますと湿った草と落ちた枯れ枝を踏み潰す音がかすかに聞こえてきた。
「ユウスケ、起きて」
 ミレナは静かに言った。さっきまで疲労でフラフラだった神経が、身の危険を察知して急に張り詰めてくる。
「どうしたの?」
 異変に気付いたユウスケも不安げに尋ねたが、ミレナは音の聞こえた方向を見つめたまま答えなかった。
「ユウスケ、隠れて」
ミレナは冷たい口調でユウスケに指示した。ユウスケはミレナに指示されたとおり、近くの茂みの中に隠れた。ミレナはさらに注意深く目を凝らすと、茂みの奥で何かがうごめくのが見えた。まずい、見つかる!とミレナは頭の中で叫んだ。レースで使い込んだ自動車のフロントタイヤのようになった脳味噌が必死に取るべき行動を指示する。しかしその行動に疲れ果てた身体が着いてこなかった。立ち上がってユウスケを連れて逃げようとしたその瞬間、足がもつれてその場に躓いてしまった。その拍子で思わず小さな悲鳴を上げてしまった。その声は人間がいないはずの森の中で、人間の存在を教えるには十分だった。
「ミレナ姉ちゃん!」
 ユウスケは短く叫んだ。だがとき既に遅く、ミレナのすぐ後ろに銃を持った数人の男達がミレナのすぐ後ろまで来ていた。
 ミレナに近づいてきた男達は二人を追いかけてきたゲリラの人間ではなかった。黒く焼けた肌にシンナーか何かでボロボロになった歯、腕に彫られた刺青からしてここら辺を縄張りにしている山賊か何かだろう。
「こんな所で何をしているんだい?お嬢さん」
山賊のリーダー格と思いしき男は無害を装ってミレナに尋ねた。ミレナは目を背け、目で茂みの中のユウスケに逃げるように指示した。
「何か言ってくれないと、事情が分らないじゃないか」
 側にいる痩せた男が抜け落ちた歯を動かしながらミレナの側に近寄った。その男の吐く息に、ミレナは思わず顔を顰める。
「道に迷ったんです。そしたら来た道が分らなくなって、それで」
「見たところかなりお疲れのようだが、平気かい?」
 男はミレナの身体を嘗め回すような目で眺めると、手に持っていた水の入ったポリタンクを差し出した。
「ホラ、飲みなよ」
 男はポリタンクのキャップを開けて、ミレナの唇に無理矢理口を押し付けた。始めは抵抗していたミレナだったが、中の生ぬるい水が唇に触れた瞬間、喉が死ぬほど乾いている事を思い出して、あっという間に飲み干してしまった。水を全て飲み終えると、すぐに自分が大きな失敗をしてしまった事に気がついた。男がミレナの持っていたポリタンクを無理矢理奪うと、疲れた身体では到底太刀打ちできないような力でミレナを押し倒した。ミレナは悲鳴を上げようとしたが、男の薄汚い手で口元を覆われて、口の中に丸めた布のようなものを詰め込まれてしまう。喉の奥が凍りついて声を上げる事が出来なかった。
「悪く思わないでくれよ、こんなところを一人でうろつくからこうなるんだ」
 リーダー格の男が腰元からマカロフを引き抜きながら言った。心臓の奥に突き刺って抉り出すような、非情な言葉遣いだった。その言葉を聞いてミレナは頭の中が空っぽになったような気分になる。そしてその間に、押し倒した男がミレナの上に覆いかぶさり、乱暴にミレナの服を剥ぎ取ってゆく。ミレナは必死に抵抗したが、無駄な行為だった。
 男の手がミレナの右乳房を乱暴に揉み始めた。厚くなった掌の皮で乳首をいじられるのは耐え難い感触だった。ミレナの上着はもう一人の男持っていたナイフで前を切られ、ミレナの上半身はあられもない姿になってしまった。すぐさまもう一人の男がもう片方の乳房に舌を這わせて、乳首を千切れそうな勢いで吸った。そのおぞましい感触にミレナの首筋に鳥肌が立つ。
 ミレナは必死にもがきながら、辛うじて自由になった左腕を必死に動かして、藪の中のユウスケに逃げるように指示した。ユウスケが分ったどうかは分らなかったが、彼だけでも生き延びる事を信じて必死に腕を降った。すると、ユウスケが隠れた藪の中から何かが動くのが分った。よかったと一安心すると、目元に涙が浮かんでいるのに気がついた。男達は何か喋りあいながら、ミレナの股間に手を突っ込んで指で陰部をなぞっている。その感触に意識を集中させると、頭の中が解けたアイスクリームのようになってくる。
 お願い、逃げてユウスケ。ミレナは流れてくる涙の温かみを感じながら、呟くように祈った。


 三人の部下を連れてミレナとユウスケの追撃に当たっていた宇野は、湿った薄暗い森の中で何かがうごめくような物音を微かに耳にした。注意を払ってさらに耳を澄ますと、男の声で何かブツブツと喋る声が聞こえる。
 宇野は左手を上げて、ハンドシグナルで静かにするよう部下に伝えた。さらに耳を澄ますと、笑い声のようなものが彼らに伝わるような大きさで聞こえてくる。見つけたぞ。と、その場に居た全員が思った。
 宇野は声を出さずに、ハンドシグナルで前進しながら部下に間隔を開けて横一列に並ぶよう指示した。声の聞こえ方からしておそらく百メートル以内の距離にいる。宇野は銃の安全装置を解除して、いつでも射撃体勢に移れるようにした。
 相手に忍び寄る時には何も音を立ててはいけないと、訓練センターの教官から口をすっぱくして教わったのを宇野は良く覚えていた。教官は中国の特殊部隊上がりの男で、昔の戦争で捕虜になり、国に帰っても良くて収容所送りになるからと言って彼らに自分の持っている技術を中国語訛りの日本語で教えていた。それからしばらくして今の総司令官が自らの体制作りのために外国の軍隊上がりの幹部を一斉に処刑した時、自ら手榴弾を抱えて死んだという話を宇野は訓練センターの同期から聞いた。
 彼らは木の葉を揺らしたり、足元の枯れ枝を折らないように慎重に前に進んだ。さらに近づくと、タバコの臭いと女のくぐもったような喘ぎ声が聞こえてくる。
「終わったらもう一度やらせてくれよ。いいだろ」
 今度ははっきりと話声が聞こえる。もうすぐだ。距離は数十メートルもないだろう。さらに慎重に近づくと、山道のガードレールの向こうで一人の男が下半身を露出して女の上に馬乗りになっていた。馬乗りされている女は着ている衣服を全て剥かれてもう言葉を話す気力さえ失っている。宇野にはまるでそれが人間ではなく只の物になっているように思えた。すると、馬乗りになっている男の背中が一瞬硬直し、力が抜けると同時にくぐもったような溜息をもらす。どうやら絶頂に達し射精しているらしい。男は満足げに溜息を吐くと、腐ったバナナのようになった陰茎をミレナの股間から引き抜いた。
「次は俺だからな、早くどいてくれよ」
 側にいた男がズボンを下げながら言った。男はミレナの上半身を押さえつけながら両膝でミレナの両足を広げ、勃起した陰茎をミレナの股間に差し込む。
 宇野は両サイドに広がっていた部下にハンドシグナルで射撃体勢に移るように指示した。宇野は先ほどミレナに乗っかっていた男に照準を合わせた。ACOG照準器の赤い点が男の胸部を捉える。呼吸を整えて、セミオートでトリガーを二回引く。バン、バンという5・56mm弾独特の発砲音がして、彼のM16A4が火を吹く。それと同時に放たれた弾丸が男の胸に当たって男の肺と胸骨を粉々にして血で赤く染める。
 男が血を流しながら横に倒れると、側にいた周りの男達も、異変に気付いて近くにあった銃を手にとって反撃に転じようとしたが、銃さえも掴めずに彼の部下の放った銃弾になす術も無く倒れた。戦闘はほんの数秒で終わった。
 宇野は部下と共に彼らが情欲を貪っていた森の割れ目に足を踏み入れた。まだ一人の男が口から血を吐きながらもがいていたが、すぐに部下の一人が頭に銃弾を打ち込んで黙らせた。
 宇野は全ての男が静かになったのを確認すると、ガードレールの下で衣服を脱がされたまま横たわっているミレナの元に歩み寄った。飲まず喰わずのまま森の中を逃げ回り、しかも男達に囲まれて強姦されたのだ。目元からは死んだように涙を流し、股間の性器からは白く粘っこい精液と赤い血が流れ落ちていた。もう何もする気力も残ってはいないだろう。
「まさか素人相手にここまで苦労するとはな。人には言えない大失態だ」
 宇野は独り言のように呟くと、ミレナの瞳の中を覗きこんだ。短い間に失うものが多すぎたのだろうか、黒曜石のように光り輝いていたであろう瞳の輝きは、百年昔の水彩画みたいにかすんでいた。
「何か、言いたいことは無いか?」
 宇野は横目でミレナに一言尋ねてはみたが、ミレナは目から体液のような涙を流すだけで答えなかった。彼はホルスターからベレッタM92FSを引き抜くと、安全装置を解除して指で撃鉄を起こした。
「本当に、何も無いんだな」
 宇野は吐き捨てるように呟くと、引き金を引いた。パンというライフルの銃声に比べれば情けない銃声が当たりに響いて、ミレナは息を止めた。まだ歳幅もいかない女の子の最期にしては残酷すぎるかもしれないと思った宇野だったが、それ以上込み上げてくるものは無かった。
 宇野は安全装置を一回かけ、その後解除してデコッキングした。こうすれダブルアクションで撃鉄を起こさずに撃つことが出来る。拳銃をレッグホルスターに仕舞うと、持っていた小型の携帯無線機の電源を入れて、左耳に取り付けていた無線機の骨伝導スピーカーを頬骨に当てた。
「こちち宇野。聞こえたら応答してください」
 宇野は一言分りやすく伝えると、戻ってくる返事を待った。しばらくして、無線機の向こう側で誰かの話し声が聞こえる。
「聞こえるぞ、宇野か?」
 応答に出たのは竹森だった。宇野は間髪をいれずにこう報告した。
「はい、自分です。今、村から逃げ出した奴を始末しました。まだ十五歳そこそこの娘です。山賊に輪姦されているところ偶然発見して、始末しました」
「そうか」
 竹森は特に驚く様子も無く、素っ気無く答えた。
「終わったのなら、辺りを消毒して合流地点まで来い」
 竹森は事務的な口調で続けた。消毒、というのは軍隊用語で痕跡を消す事の意味だった。
「わかりました。海下は?」
「お前達より先に村を出た奴を追跡しているよ。彼女と土居は我々と合流せずに、この先の村に向かっている。村に着いたら、我々が着くまで偵察に当たることになっている」
「了解、ではこれより合流地点に向かいます」
 宇野はそこで通信を終えると、無線機の電源を落として部下と共に周囲の死体を隠した。
 死体を隠し終えて、合流地点に向かおうとすると、宇野の頬になにか生暖かいものが落ちてきた。なんだろうと思って空を見上げると、木々の切れ間から鉛色の雲がどっぷりとした感じで空を覆っていた。そしてしばらくしないうちに、小粒の雨がパラパラと彼らの元に降り注いできた。
「雨か」
 宇野は口の中で呟くと、茂の中に隠した死体に目をやった。あの山賊に犯されていた少女は、何もせずにただ光の消えた瞳から涙を流していた事を思い出した。
 宇野は試しに頬についた雨粒を舐めてみたが、埃っぽい舌触りがするだけの唯の水だった。

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