第32話 鬼とも神とも

文字数 472文字

 今は昔、

 30年ほど逆登って平成のこと、私は時代に名を遺す、本物の天才に見える僥倖を得た。

 不世出と謳われ、鬼とも神とも称えられた武道家。
 既に全盛期は過ぎ、老境に差し掛かったとはいえ、その人の、隆々とした筋肉、体躯は凄まじいものだった。
 しかし、
 伝説で語られる背中より、特筆するべきはその足。
「僕はねぇ、九州男児だから“これ”が好きなの」
 と、ボンタン飴の箱をカラカラ振る、好々爺然としたその人の足は、
 ― 人の足ではなかった。

 足底に触れた瞬間、私の全身の毛が逆立った。
 どの様な修練を積めば人の足がこの有様になるのか、見当もつかなかった。
 触れたら斬れるほど鋭利な踵、足底の筋肉と腱が発達しすぎて深く抉れた、いや、切れ込んだ土踏まず。
 言葉にすればそうなのだが、
 筆舌に尽くし難いとはこのこと、
 言葉を無くす私に、ニコニコと、
「ほぅ、わかるの? 僕はねぇ、体重移動が上手くてね、それで強かったんだよ」
 史上最強のその人は眼下の小僧にそう言うのだった。

 言葉など無く、
 ただ、その足下に平伏すしか無い「何か」があるのだと、その時思った。
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