4-4
文字数 2,827文字
紅ちゃんは荷物を置きに帰ってから、すぐにうちへやってきた。
「こんばんは」
「上がって。ハジメちゃんの部屋で待っててね」
母さんにそう言われ、僕は紅ちゃんを部屋へつれていく。紅ちゃんが座布団の上に座ったので、僕はベッドに腰を掛けた。
「ハジメの部屋っていつも片付いているな。凄い」
「そんなことないよ」
紅ちゃんと部屋で二人きりなんて久しぶりのことだ。
それだけ千愛莉ちゃんといつも一緒なのだと言えるけれど、一人だとやってこないとも言えた。紅ちゃんは、目を離したらどこか遠くに行きそうな危うさがある。
「ハジメの部屋は落ち着く」
「そう?」
「うん。畳の匂いとか、なんだか懐かしい感じがする」
紅ちゃんはそう言って、畳を撫でるように触った。紅ちゃんの腕はすらっとしていてとても綺麗だ。
でも、手の甲のほうは少しまばらに赤みを帯びていて、綺麗とは言えなかった。ある意味では、紅ちゃんの手は自身の歴史そのものだ。
「千愛莉、最近よく来るのか?」
突然、紅ちゃんは千愛莉ちゃんの名前を出した。このように急に思い出して口にすることは、紅ちゃんにはよくあることだった。きっと、この前一緒に来た時にでも思ったのだろう。
「うん。唯奈と仲良くなったから。麗とも今度ケーキを食べに行くって言ってたよ」
紅ちゃんは無表情のままだった。驚くこともないし、喜ぶこともない。
「紅ちゃんも一緒に行ったら? ケーキ」
「え? いや、やめておくよ」
考えることもなく、紅ちゃんはそう返してきた。
紅ちゃんは麗に対して引け目がある。それを紅ちゃんのほうから改善するのが難しいというのは理解できた。
「紅ちゃんは、麗と仲直りしたいって思わないの?」
「え? えっと、どうだろう」
紅ちゃんは目を逸らす。この話をすると、いつもこんな反応をするのだ。
「麗さ、きっともう怒ってはないよ。紅ちゃんさえその気なら、僕が仲裁するし」
「…………」
バツの悪そうな顔。これもいつものことだ。
「唯奈ともさ。そうだ、千愛莉ちゃんを含めて会ってみたりとか」
「あ! 春香さんを手伝おうかな」
紅ちゃんは急に思い立って立ち上がった。
わざとらしい。都合の悪い話だとすぐに逸らしてしまうんだから。紅ちゃんは基本的にだらしないのだ。
「ああもういいよ。言わないから」
いつものことだから、僕は諦めて紅ちゃんを引き止めた。
紅ちゃんはまた座布団へ腰を下ろし、畳の網目でも数えるように触っていた。
「はぁ……」
今度は、見せ付けるように大きなため息をついて紅ちゃんを睨みつけた。紅ちゃんは一瞬チラッとこちらを見てから、また畳へと視線を戻した。
しばらくお互いが無言になると、僕は後ろ向きにベッドへ倒れこんだ。唯奈や麗とも変な感じになっちゃったし、どうしてもこの話は進まない。千愛莉ちゃんがいるのは心強いけれど、誰かが近づくと誰かが遠くに行ってしまうような気もしている。
そして、三つの天秤を平らにしたところで、三人が仲直りするとも思えない。なんだか、僕だけが空回りしているようで虚しかった。
「ハジメ」
紅ちゃんの呼びかけに少し体を起こすと、紅ちゃんは下を向いたままだった。
「なに?」
「ハジメもやっぱり……」
紅ちゃんはそこで口をつぐんだ。僕はその後に続く言葉が想像できたので、聞き返すことはしなかった。
夕食ができると、僕らは一階へ降りて、ダイニングにて隣合わせにテーブルを囲んだ。父さんも帰ってきていて、四人での食事になった。
言っていたとおり、メニューはオムライスとから揚げ、それにサラダとスープだ。
「お久しぶりです、おじさん」
「紅ちゃん! 久しぶりだな!」
声のでかいこの大きな人が僕の父さんだ。あまり似たくはないけれど、この男っぽさがちょっとくらい僕に遺伝したってよかったと思う。
「相変わらず美人だ。将来ハジメの嫁になってくれないか?」
この前も似たような会話をした。結婚相手とはそんなに焦って探さなければならないものなのだろうか。父さんの場合、単に美人を見たら言ってるだけなのだろうけど。
「お父さん。唯奈ちゃんにも言っていたわよ」
やっぱりそのようだ。みんな見た目だけは評判良いからなあ。
「ハジメは弱々しいからな。引っ張ってくれる年上がいいと思うんだよ」
「じゃあ、家事が出来なくて、今こうして一緒にご飯を食べてる人に言うのは間違いなんじゃない?」
「う……」
「また酷いこと言って!」
これでも紅ちゃんには控えめなのだけど。僕は黙ってオムライスを口に入れた。
「食卓が寂しくてな、早く嫁が欲しいんだよ。こんなのでも良いって人がいたらすぐに来てくれないかもんなぁ?」
こんなので悪かったですね。仮にそんな人がいたって、どうせまだ結婚できる年齢でもないというのに。
「寂しい……」
その言葉に反応する紅ちゃん。母さんは苦笑いする。
「無駄に広いからねー。部屋に合ったテーブルをって大きめのを頼んだから、正直四人でも広かったのよ。それなのに、今は三人だからね」
うちは古いけど広い。年季の入った家は、僕の曽祖父、つまりひいお祖父さんから受け継いできたらしい。若干の改装はあったみたいだが、それ自体が僕の生まれる前のことだった。
「なんなら、紅ちゃんと唯奈ちゃんと麗ちゃんの三人が交代で来てくれたらいいのにな! はははっ!」
「ねえお父さん、今はもう一人いるのよ。この女ったらしったらね」
「なんだと? どんな子だ? 嫁にするのか?」
バカ夫婦。僕は心の中で呟くと、父さんの質問を無視し、唐揚げをほおばった。
「なんならみんな一緒でも大丈夫よね。うちは広さだけが魅力なんだから、いくらでも溜まり場にしていいからね」
紅ちゃんを見ると、苦笑いで固まっている。もちろん母さんは事情を知っていながら言っているわけで、紅ちゃんにいいダメージを与えているようだ。
いっそ母さんを頼ったほうが早く仲直りできたりして。さすがにそれはしないけれど。
べしゃくしゃと話す夫婦に、紅ちゃんはなんとかついていっている。それを尻目に淡々と食べ進めると、僕だけが先に食べ終えてしまった。
「ごちそうさま」
「はやっ!?」
「せっかく紅ちゃんが来たんだから、もっとお前も会話に参加しろよ」
別に僕は紅ちゃんとしょっちゅう会っているんだから、わざわざ親の前で話すことなんてない。
紅ちゃんの困ったような目を見ないようにして、僕は自分の部屋へと戻っていく。紅ちゃんにはしばらく両親を楽しませるおもちゃとして、食卓で活躍してもらおう。
さっき話を逸らされたお返し。二人も紅ちゃんが来て嬉しいのだろうし、しばらく付き合ってあげてもらうことにした。
「こんばんは」
「上がって。ハジメちゃんの部屋で待っててね」
母さんにそう言われ、僕は紅ちゃんを部屋へつれていく。紅ちゃんが座布団の上に座ったので、僕はベッドに腰を掛けた。
「ハジメの部屋っていつも片付いているな。凄い」
「そんなことないよ」
紅ちゃんと部屋で二人きりなんて久しぶりのことだ。
それだけ千愛莉ちゃんといつも一緒なのだと言えるけれど、一人だとやってこないとも言えた。紅ちゃんは、目を離したらどこか遠くに行きそうな危うさがある。
「ハジメの部屋は落ち着く」
「そう?」
「うん。畳の匂いとか、なんだか懐かしい感じがする」
紅ちゃんはそう言って、畳を撫でるように触った。紅ちゃんの腕はすらっとしていてとても綺麗だ。
でも、手の甲のほうは少しまばらに赤みを帯びていて、綺麗とは言えなかった。ある意味では、紅ちゃんの手は自身の歴史そのものだ。
「千愛莉、最近よく来るのか?」
突然、紅ちゃんは千愛莉ちゃんの名前を出した。このように急に思い出して口にすることは、紅ちゃんにはよくあることだった。きっと、この前一緒に来た時にでも思ったのだろう。
「うん。唯奈と仲良くなったから。麗とも今度ケーキを食べに行くって言ってたよ」
紅ちゃんは無表情のままだった。驚くこともないし、喜ぶこともない。
「紅ちゃんも一緒に行ったら? ケーキ」
「え? いや、やめておくよ」
考えることもなく、紅ちゃんはそう返してきた。
紅ちゃんは麗に対して引け目がある。それを紅ちゃんのほうから改善するのが難しいというのは理解できた。
「紅ちゃんは、麗と仲直りしたいって思わないの?」
「え? えっと、どうだろう」
紅ちゃんは目を逸らす。この話をすると、いつもこんな反応をするのだ。
「麗さ、きっともう怒ってはないよ。紅ちゃんさえその気なら、僕が仲裁するし」
「…………」
バツの悪そうな顔。これもいつものことだ。
「唯奈ともさ。そうだ、千愛莉ちゃんを含めて会ってみたりとか」
「あ! 春香さんを手伝おうかな」
紅ちゃんは急に思い立って立ち上がった。
わざとらしい。都合の悪い話だとすぐに逸らしてしまうんだから。紅ちゃんは基本的にだらしないのだ。
「ああもういいよ。言わないから」
いつものことだから、僕は諦めて紅ちゃんを引き止めた。
紅ちゃんはまた座布団へ腰を下ろし、畳の網目でも数えるように触っていた。
「はぁ……」
今度は、見せ付けるように大きなため息をついて紅ちゃんを睨みつけた。紅ちゃんは一瞬チラッとこちらを見てから、また畳へと視線を戻した。
しばらくお互いが無言になると、僕は後ろ向きにベッドへ倒れこんだ。唯奈や麗とも変な感じになっちゃったし、どうしてもこの話は進まない。千愛莉ちゃんがいるのは心強いけれど、誰かが近づくと誰かが遠くに行ってしまうような気もしている。
そして、三つの天秤を平らにしたところで、三人が仲直りするとも思えない。なんだか、僕だけが空回りしているようで虚しかった。
「ハジメ」
紅ちゃんの呼びかけに少し体を起こすと、紅ちゃんは下を向いたままだった。
「なに?」
「ハジメもやっぱり……」
紅ちゃんはそこで口をつぐんだ。僕はその後に続く言葉が想像できたので、聞き返すことはしなかった。
夕食ができると、僕らは一階へ降りて、ダイニングにて隣合わせにテーブルを囲んだ。父さんも帰ってきていて、四人での食事になった。
言っていたとおり、メニューはオムライスとから揚げ、それにサラダとスープだ。
「お久しぶりです、おじさん」
「紅ちゃん! 久しぶりだな!」
声のでかいこの大きな人が僕の父さんだ。あまり似たくはないけれど、この男っぽさがちょっとくらい僕に遺伝したってよかったと思う。
「相変わらず美人だ。将来ハジメの嫁になってくれないか?」
この前も似たような会話をした。結婚相手とはそんなに焦って探さなければならないものなのだろうか。父さんの場合、単に美人を見たら言ってるだけなのだろうけど。
「お父さん。唯奈ちゃんにも言っていたわよ」
やっぱりそのようだ。みんな見た目だけは評判良いからなあ。
「ハジメは弱々しいからな。引っ張ってくれる年上がいいと思うんだよ」
「じゃあ、家事が出来なくて、今こうして一緒にご飯を食べてる人に言うのは間違いなんじゃない?」
「う……」
「また酷いこと言って!」
これでも紅ちゃんには控えめなのだけど。僕は黙ってオムライスを口に入れた。
「食卓が寂しくてな、早く嫁が欲しいんだよ。こんなのでも良いって人がいたらすぐに来てくれないかもんなぁ?」
こんなので悪かったですね。仮にそんな人がいたって、どうせまだ結婚できる年齢でもないというのに。
「寂しい……」
その言葉に反応する紅ちゃん。母さんは苦笑いする。
「無駄に広いからねー。部屋に合ったテーブルをって大きめのを頼んだから、正直四人でも広かったのよ。それなのに、今は三人だからね」
うちは古いけど広い。年季の入った家は、僕の曽祖父、つまりひいお祖父さんから受け継いできたらしい。若干の改装はあったみたいだが、それ自体が僕の生まれる前のことだった。
「なんなら、紅ちゃんと唯奈ちゃんと麗ちゃんの三人が交代で来てくれたらいいのにな! はははっ!」
「ねえお父さん、今はもう一人いるのよ。この女ったらしったらね」
「なんだと? どんな子だ? 嫁にするのか?」
バカ夫婦。僕は心の中で呟くと、父さんの質問を無視し、唐揚げをほおばった。
「なんならみんな一緒でも大丈夫よね。うちは広さだけが魅力なんだから、いくらでも溜まり場にしていいからね」
紅ちゃんを見ると、苦笑いで固まっている。もちろん母さんは事情を知っていながら言っているわけで、紅ちゃんにいいダメージを与えているようだ。
いっそ母さんを頼ったほうが早く仲直りできたりして。さすがにそれはしないけれど。
べしゃくしゃと話す夫婦に、紅ちゃんはなんとかついていっている。それを尻目に淡々と食べ進めると、僕だけが先に食べ終えてしまった。
「ごちそうさま」
「はやっ!?」
「せっかく紅ちゃんが来たんだから、もっとお前も会話に参加しろよ」
別に僕は紅ちゃんとしょっちゅう会っているんだから、わざわざ親の前で話すことなんてない。
紅ちゃんの困ったような目を見ないようにして、僕は自分の部屋へと戻っていく。紅ちゃんにはしばらく両親を楽しませるおもちゃとして、食卓で活躍してもらおう。
さっき話を逸らされたお返し。二人も紅ちゃんが来て嬉しいのだろうし、しばらく付き合ってあげてもらうことにした。