3-4
文字数 4,919文字
都合良く麗の好きなお店のチーズケーキがあった。洋菓子なので、飲み物も紅茶にして出すことにしよう。
たっぷり時間を掛けて準備すると、三十分ほど時間が経っていた。そろそろと思い、二階へそれを持っていく。
部屋の中からは、快活に話す千愛莉ちゃんの声と、へえ、とか、うん、とか、ははは、とか無難な相槌を打っている麗の声が聞こえていた。
「お待たせ」
麗は引きつった笑顔のまま、僕を睨みつけた。きっと、ずっと同じ顔をしていたから、それがそのまま固まってしまったのだろう。
「わぁ~、ありがとう」
「いつもはこんなの出ないのに……」
「え? ハジメちゃんはよくお菓子を出してくれますよー」
「…………」
麗は一度お菓子に目がいった後、またすぐに僕を睨んでいた。僕は気にせず、二人の中間くらいに腰を下ろした。
「なんの話をしてたの?」
「えっとね、えっと……色んな話してたから。私の高校の話とか、紅輝さんの話とか、動物の話とかお菓子の話もしてたような」
「……話があっち行ったりこっち行ったりしてたのよ。連想ゲームみたいだった」
麗はボソッとそんなことを言う。千愛莉ちゃんはそういうところがある人だ。高校生活の話の中に犬が登場すれば、しばらくかわいい犬の話をする。
「だいぶ仲良くなったみたいだね」
「そうだよー」
「…………!?」
麗は無言で僕と千愛莉ちゃんに突っ込みを入れた。どこが!? とでも言いたそうな顔だった。
「麗さん聞き上手だから、私ずっとお話しちゃってて」
「相槌を打ってただけなんだけど」
また僕にだけ聞こえるように言う。僕はそれを無視した。
「そうだ麗さん! テレビゲームしましょうよ!」
「はぁ? なんでそうなるのよ?」
「この前、唯奈さんとしたんですよ! 私、強いんです!」
そう言いながら、千愛莉ちゃんはゲームの用意を始める。麗は僕の方を見て、目で訴えかけている。
「ああ、手伝えってことだよね」
「違うわよ……」
勝手にそう解釈して、千愛莉ちゃんを手伝った。
この前久しぶりに出したゲーム機は、分かりやすい場所にしまってあった。千愛莉ちゃんがそれを取り出し、僕がテレビと接続する。そして唯奈としていたゲームをセットして、コントローラーを麗に持たせた。
「なんで今さら……しかもこんな古いゲームを……」
されるがままの麗は、またそんなことをぼやいた。
「なんか唯奈がしたがってさ」
「……あいつは精神年齢が低いのよ」
心底呆れたようにそう言って、麗は画面に集中しだした。ちゃんと付き合ってくれるのが麗らしいところだ。
「懐かしかったんじゃない? またみんなとしたいのかも」
「…………」
きっと聞いてないフリをしたのだろう。麗は無言のまま、ゲームをプレイし始めた。
「負けませんよー」
千愛莉ちゃんの楽しそうな声が響いてから、対戦が始まった。なかなか白熱した勝負になりながら、まずは千愛莉ちゃんが勝利した。
「勝ちましたー」
「…………」
麗はちょっと悔しそうだ。昔、このゲームを一番得意としていたのは麗だった。少しプライドに傷がついたのかもしれない。
次のゲームになると、麗がはりきりだしたのがわかった。アイテムを取り逃さないし、アイテムで誘導して上手く爆弾を置くし、かなり手馴れた動きになってきた。そして、勝利をおさめた。
そこからは麗の独壇場となり、そのまま五連勝してしまった。
「負けましたー……」
千愛莉ちゃんは机に突っ伏した。やっぱり特別上手だったわけではなかったらしい。
「唯奈は、めちゃくちゃ下手糞なのよ。私、唯奈に負けたことないもの」
「えー!?」
麗が唯奈をばっさりと切り捨てると、千愛莉ちゃんは驚きの声を上げた。
今まで倒してきた相手はとんでもない雑魚だった。井の中の蛙。そんなことを言われたようなショッキングな状況に陥ったのだろう。
「あの子、不器用なのよ。こういう指先で遊ぶようなものは無理なの」
「そんなぁ……、私は虫を殺して百獣の王を気取ってたんですね……」
「すごい例えだね」
こっそり虫扱いされる唯奈、哀れである。千愛莉ちゃんに悪意はないのだろうけれど。
「紅輝さんはどうだったんですか?」
「紅輝も微妙。まあ、唯奈よりは上手いわよ。私、ハジメ、芳香さん、紅輝、とんで唯奈ってところかしら」
「まあ、確かに唯奈は特別ド下手だったね」
僕がそう言って笑うと、麗も少し笑った。
「唯奈がすねて、何ゲームに本気になっちゃってるの? って言うまでがゲームだったものね」
「そうそう。紅ちゃんにリアルファイトを挑んで、返り討ちの締め技をされて床を必死に叩いてゲームセットってパターンもあったよね」
「あったわねぇ。芳香さんが締められてる唯奈のパンチラ写真を撮って、それをハジメの携帯に送ったりね。あれ、今でも保存してあるんでしょ?」
「してないよ!」
「どうだか」
麗は楽しそうに笑った。麗とこんな話をするのが久しぶりだったので、僕はなんだか嬉しくなる。
そんな僕らのやり取りを、千愛莉ちゃんは楽しそうに見ていた。
「そ、そんな感じだったんだ」
僕は幼い姿を見られたことで恥ずかしい気持ちになった。ごまかすように千愛莉ちゃんに反応を求める。
「はははっ、紅輝さんのそういうところ、今じゃ想像つかないな。唯奈さんは想像つくけどねー」
「あの子は変わってないのよ。子どものまま……」
麗はバカにするように言ってから、何かに気づいたみたいに表情を消していった。そして、机の上にあったチーズケーキを無言で食べ始める。
「紅輝さんは変わったんですか?」
千愛莉ちゃんの言葉に、麗はもぐもぐしながら視線だけ返した。答える気はないようだ。
「紅ちゃんだって変わってないよ。昔みたいにボケッとしてて、寂しがり屋で、打たれ弱いまま」
代わりに、と僕がそう返した。麗は、今度は僕をジッと見つめていた。
「はぁ……、やっぱり紅輝さん、私にまだ心を開いてくれてないのかなぁ?」
「見せないように無理してるだけだよ。ずっと一緒にいたら、今でもぼろが出るよ」
紅ちゃんは慕ってくれる後輩に弱い部分を晒したくないだけだと思う。でも、一緒にいる時間が増えると絶対に見えてしまう。僕達はそういう距離にいたのだ。
麗はチーズケーキを食べ終えると、もう冷めていた紅茶を一気に口に入れた。
「そろそろ帰ろうかしら」
「え? あ、麗さん!」
千愛莉ちゃんは慌てて、携帯電話を取り出した。
「連絡先を教えてください!」
「え? ど、どうして?」
麗は明らかに動揺しながら言った。
「もうお友達ですよね!」
千愛莉ちゃんがニコニコと眩しい笑顔を見せると、麗は本当に眩しいように目を細めた。そして、ほぼ無抵抗にSNSのアドレスを交換していた。
「帰ったら連絡しますね!」
「もう勝手にして」
そう言いながらも、麗はまんざらでもなさそうだった。
今日の顔合わせは三人を仲直りさせるためのただの一歩なのだけれど、僕としては、単に麗にこういう表情をさせる友達ができたことが嬉しかった。麗は人間関係を損得で見るところがあるから。
「……麗さん」
ふいに、千愛莉ちゃんは気を引き締めたような顔になった。麗も驚いて、少し身構えていた。
「なに?」
「麗さん、紅輝さんと仲直りしませんか?」
僕はギョッとしてしまう。千愛莉ちゃんは急に本題に入ったのだ。
「……何よ急に」
「あの、麗さんも寂しいんじゃないかなって。さっき紅輝さんや唯奈さんの話をしているとき、楽しそうだったから」
その言葉に麗は俯いてしまった。千愛莉ちゃんはさっきの麗の反応を見て、正面からいけると踏んだのだ。
「僕もそう思うな。麗はあの二人のことを話しているとき、優しくなる」
千愛莉ちゃんの行動に乗っかって、僕もここで麗を追及した。いけると思ったのだ。
しかし、麗の表情は一気に冷たくなってしまった。
「あんた達の勘違いよ。私もあの子達も、お互いを依存しあってなんていなかった。引きずるほどの仲じゃないのよ。そんなものでしょ?」
「でも、麗さんは優しいお姉さんみたいな顔をしてましたよ」
千愛莉ちゃんが言うと、麗は悲しそうな顔を見せた。しかし、すぐ元に戻ってしまう。
「紅輝さんも寂しそうなんです。それは多分、麗さんと唯奈さんがいないから」
麗が僕を見る。僕は自分が千愛莉ちゃん側の人間だとアピールするため、少しだけ千愛莉ちゃんよりの位置へ移動する。すると、麗はわざとらしいため息をついた。
「……紅輝が寂しそう、ねぇ……。あの子は昔からそんな感じよ。今だからって話じゃない。だから何も問題ないわ」
麗は右手で豪快に髪をすきながら言った。
「でも――」
「それでもあいつは、一人になりたいのよ。私たちは別に子どもっぽいケンカの中で、無視し合っているわけじゃない。ただ、あいつが望んでるから、放っておいているだけ」
麗の言葉は、僕にとって意外なものだった。麗は紅ちゃんの意思を尊重して、関わるのををやめていると言っているのだ。
「そんな! 紅輝さんはきっと――」
「佐久間さん。あんたは本当に紅輝のことをちゃんとわかってるの?」
麗は千愛莉ちゃんの言葉を遮り、真っ直ぐに目を見て言った。
「え?」
「本当に紅輝のことをちゃんと知っているのか、ってことよ。どんな性格で、どんなことを考えていてるのか。きっと、とか、多分、じゃなく、紅輝が本当にどうしたいのか、あんたにはわかるの?」
麗の言葉に、千愛莉ちゃんは怯んでいた。僕はたまらず口を挟んだ。
「紅ちゃんは絶対に思っているよ。昔みたいに戻りたいって」
僕が言うと麗は納得する。僕はそう思っていた。
「ハジメもわかってないわ。紅輝のこと、なんにも」
麗は、僕の言葉をばっさりと切り捨ててしまった。僕は少しムッとしてしまう。
「麗にはわかってるっていうのか? 紅ちゃんのこと」
「わかるわよ。確かに、昔みたいに戻りたいって思ってる」
「だったら――」
「でも戻れない。昔みたいに戻るためには、絶対に戻ってこないものがある。違う?」
僕は出掛かった言葉を失ってしまう。戻ってこないものは、僕にとってかけがえのない存在そのものだった。
「……お姉さん」
千愛莉ちゃんの口から、僕の代わりにその存在を示す言葉が出てきた。戻ってこないのは、僕の姉さんだ。
「……紅輝の寂しさなんて、埋めようもないでしょう? そうとわかったら、傷口に塩を塗ろうとするのはやめてあげたら?」
僕と千愛莉ちゃんは黙ってしまう。昔のように戻ろうとするのが、紅ちゃんにとって辛いものだとしたら、確かに僕は紅ちゃんを傷つけようとしていることになる。
「ただでさえ、傷が多い子なのに」
麗はそうボソッと呟くと、ゆっくりと立ち上がった。麗の言葉には、紅ちゃんに対しての愛情のようなものが感じられた。それは紅ちゃんを守ろうとして生まれた言葉だった。
「帰るわ」
そう言って、麗は部屋を出ていった。千愛莉ちゃんは悲しそうな顔で俯いている。僕は麗を追いかけて、部屋を出た。
玄関のほうまで行って、また麗に声をかけようとする。今何か言わないと、ひょっとしたら麗はもう家に来ないかもしれない。僕は言葉を搾り出した。
「じゃあなんで麗は、みんなはうちに来るの?」
僕が言うと、麗はこちらへ振り向いた。哀れんでいるような感情が見え隠れする無表情。麗の香りが僕の体へ入ってくる。
「戻れないなら、なんで……」
「ハジメは来て欲しくないの?」
今度は寂しそうな顔を見せる。僕の答えは決まっている。僕は首を横に振った。
「……だからよ」
麗は口元だけを緩ませた。そして、外へと出ていってしまった。
たっぷり時間を掛けて準備すると、三十分ほど時間が経っていた。そろそろと思い、二階へそれを持っていく。
部屋の中からは、快活に話す千愛莉ちゃんの声と、へえ、とか、うん、とか、ははは、とか無難な相槌を打っている麗の声が聞こえていた。
「お待たせ」
麗は引きつった笑顔のまま、僕を睨みつけた。きっと、ずっと同じ顔をしていたから、それがそのまま固まってしまったのだろう。
「わぁ~、ありがとう」
「いつもはこんなの出ないのに……」
「え? ハジメちゃんはよくお菓子を出してくれますよー」
「…………」
麗は一度お菓子に目がいった後、またすぐに僕を睨んでいた。僕は気にせず、二人の中間くらいに腰を下ろした。
「なんの話をしてたの?」
「えっとね、えっと……色んな話してたから。私の高校の話とか、紅輝さんの話とか、動物の話とかお菓子の話もしてたような」
「……話があっち行ったりこっち行ったりしてたのよ。連想ゲームみたいだった」
麗はボソッとそんなことを言う。千愛莉ちゃんはそういうところがある人だ。高校生活の話の中に犬が登場すれば、しばらくかわいい犬の話をする。
「だいぶ仲良くなったみたいだね」
「そうだよー」
「…………!?」
麗は無言で僕と千愛莉ちゃんに突っ込みを入れた。どこが!? とでも言いたそうな顔だった。
「麗さん聞き上手だから、私ずっとお話しちゃってて」
「相槌を打ってただけなんだけど」
また僕にだけ聞こえるように言う。僕はそれを無視した。
「そうだ麗さん! テレビゲームしましょうよ!」
「はぁ? なんでそうなるのよ?」
「この前、唯奈さんとしたんですよ! 私、強いんです!」
そう言いながら、千愛莉ちゃんはゲームの用意を始める。麗は僕の方を見て、目で訴えかけている。
「ああ、手伝えってことだよね」
「違うわよ……」
勝手にそう解釈して、千愛莉ちゃんを手伝った。
この前久しぶりに出したゲーム機は、分かりやすい場所にしまってあった。千愛莉ちゃんがそれを取り出し、僕がテレビと接続する。そして唯奈としていたゲームをセットして、コントローラーを麗に持たせた。
「なんで今さら……しかもこんな古いゲームを……」
されるがままの麗は、またそんなことをぼやいた。
「なんか唯奈がしたがってさ」
「……あいつは精神年齢が低いのよ」
心底呆れたようにそう言って、麗は画面に集中しだした。ちゃんと付き合ってくれるのが麗らしいところだ。
「懐かしかったんじゃない? またみんなとしたいのかも」
「…………」
きっと聞いてないフリをしたのだろう。麗は無言のまま、ゲームをプレイし始めた。
「負けませんよー」
千愛莉ちゃんの楽しそうな声が響いてから、対戦が始まった。なかなか白熱した勝負になりながら、まずは千愛莉ちゃんが勝利した。
「勝ちましたー」
「…………」
麗はちょっと悔しそうだ。昔、このゲームを一番得意としていたのは麗だった。少しプライドに傷がついたのかもしれない。
次のゲームになると、麗がはりきりだしたのがわかった。アイテムを取り逃さないし、アイテムで誘導して上手く爆弾を置くし、かなり手馴れた動きになってきた。そして、勝利をおさめた。
そこからは麗の独壇場となり、そのまま五連勝してしまった。
「負けましたー……」
千愛莉ちゃんは机に突っ伏した。やっぱり特別上手だったわけではなかったらしい。
「唯奈は、めちゃくちゃ下手糞なのよ。私、唯奈に負けたことないもの」
「えー!?」
麗が唯奈をばっさりと切り捨てると、千愛莉ちゃんは驚きの声を上げた。
今まで倒してきた相手はとんでもない雑魚だった。井の中の蛙。そんなことを言われたようなショッキングな状況に陥ったのだろう。
「あの子、不器用なのよ。こういう指先で遊ぶようなものは無理なの」
「そんなぁ……、私は虫を殺して百獣の王を気取ってたんですね……」
「すごい例えだね」
こっそり虫扱いされる唯奈、哀れである。千愛莉ちゃんに悪意はないのだろうけれど。
「紅輝さんはどうだったんですか?」
「紅輝も微妙。まあ、唯奈よりは上手いわよ。私、ハジメ、芳香さん、紅輝、とんで唯奈ってところかしら」
「まあ、確かに唯奈は特別ド下手だったね」
僕がそう言って笑うと、麗も少し笑った。
「唯奈がすねて、何ゲームに本気になっちゃってるの? って言うまでがゲームだったものね」
「そうそう。紅ちゃんにリアルファイトを挑んで、返り討ちの締め技をされて床を必死に叩いてゲームセットってパターンもあったよね」
「あったわねぇ。芳香さんが締められてる唯奈のパンチラ写真を撮って、それをハジメの携帯に送ったりね。あれ、今でも保存してあるんでしょ?」
「してないよ!」
「どうだか」
麗は楽しそうに笑った。麗とこんな話をするのが久しぶりだったので、僕はなんだか嬉しくなる。
そんな僕らのやり取りを、千愛莉ちゃんは楽しそうに見ていた。
「そ、そんな感じだったんだ」
僕は幼い姿を見られたことで恥ずかしい気持ちになった。ごまかすように千愛莉ちゃんに反応を求める。
「はははっ、紅輝さんのそういうところ、今じゃ想像つかないな。唯奈さんは想像つくけどねー」
「あの子は変わってないのよ。子どものまま……」
麗はバカにするように言ってから、何かに気づいたみたいに表情を消していった。そして、机の上にあったチーズケーキを無言で食べ始める。
「紅輝さんは変わったんですか?」
千愛莉ちゃんの言葉に、麗はもぐもぐしながら視線だけ返した。答える気はないようだ。
「紅ちゃんだって変わってないよ。昔みたいにボケッとしてて、寂しがり屋で、打たれ弱いまま」
代わりに、と僕がそう返した。麗は、今度は僕をジッと見つめていた。
「はぁ……、やっぱり紅輝さん、私にまだ心を開いてくれてないのかなぁ?」
「見せないように無理してるだけだよ。ずっと一緒にいたら、今でもぼろが出るよ」
紅ちゃんは慕ってくれる後輩に弱い部分を晒したくないだけだと思う。でも、一緒にいる時間が増えると絶対に見えてしまう。僕達はそういう距離にいたのだ。
麗はチーズケーキを食べ終えると、もう冷めていた紅茶を一気に口に入れた。
「そろそろ帰ろうかしら」
「え? あ、麗さん!」
千愛莉ちゃんは慌てて、携帯電話を取り出した。
「連絡先を教えてください!」
「え? ど、どうして?」
麗は明らかに動揺しながら言った。
「もうお友達ですよね!」
千愛莉ちゃんがニコニコと眩しい笑顔を見せると、麗は本当に眩しいように目を細めた。そして、ほぼ無抵抗にSNSのアドレスを交換していた。
「帰ったら連絡しますね!」
「もう勝手にして」
そう言いながらも、麗はまんざらでもなさそうだった。
今日の顔合わせは三人を仲直りさせるためのただの一歩なのだけれど、僕としては、単に麗にこういう表情をさせる友達ができたことが嬉しかった。麗は人間関係を損得で見るところがあるから。
「……麗さん」
ふいに、千愛莉ちゃんは気を引き締めたような顔になった。麗も驚いて、少し身構えていた。
「なに?」
「麗さん、紅輝さんと仲直りしませんか?」
僕はギョッとしてしまう。千愛莉ちゃんは急に本題に入ったのだ。
「……何よ急に」
「あの、麗さんも寂しいんじゃないかなって。さっき紅輝さんや唯奈さんの話をしているとき、楽しそうだったから」
その言葉に麗は俯いてしまった。千愛莉ちゃんはさっきの麗の反応を見て、正面からいけると踏んだのだ。
「僕もそう思うな。麗はあの二人のことを話しているとき、優しくなる」
千愛莉ちゃんの行動に乗っかって、僕もここで麗を追及した。いけると思ったのだ。
しかし、麗の表情は一気に冷たくなってしまった。
「あんた達の勘違いよ。私もあの子達も、お互いを依存しあってなんていなかった。引きずるほどの仲じゃないのよ。そんなものでしょ?」
「でも、麗さんは優しいお姉さんみたいな顔をしてましたよ」
千愛莉ちゃんが言うと、麗は悲しそうな顔を見せた。しかし、すぐ元に戻ってしまう。
「紅輝さんも寂しそうなんです。それは多分、麗さんと唯奈さんがいないから」
麗が僕を見る。僕は自分が千愛莉ちゃん側の人間だとアピールするため、少しだけ千愛莉ちゃんよりの位置へ移動する。すると、麗はわざとらしいため息をついた。
「……紅輝が寂しそう、ねぇ……。あの子は昔からそんな感じよ。今だからって話じゃない。だから何も問題ないわ」
麗は右手で豪快に髪をすきながら言った。
「でも――」
「それでもあいつは、一人になりたいのよ。私たちは別に子どもっぽいケンカの中で、無視し合っているわけじゃない。ただ、あいつが望んでるから、放っておいているだけ」
麗の言葉は、僕にとって意外なものだった。麗は紅ちゃんの意思を尊重して、関わるのををやめていると言っているのだ。
「そんな! 紅輝さんはきっと――」
「佐久間さん。あんたは本当に紅輝のことをちゃんとわかってるの?」
麗は千愛莉ちゃんの言葉を遮り、真っ直ぐに目を見て言った。
「え?」
「本当に紅輝のことをちゃんと知っているのか、ってことよ。どんな性格で、どんなことを考えていてるのか。きっと、とか、多分、じゃなく、紅輝が本当にどうしたいのか、あんたにはわかるの?」
麗の言葉に、千愛莉ちゃんは怯んでいた。僕はたまらず口を挟んだ。
「紅ちゃんは絶対に思っているよ。昔みたいに戻りたいって」
僕が言うと麗は納得する。僕はそう思っていた。
「ハジメもわかってないわ。紅輝のこと、なんにも」
麗は、僕の言葉をばっさりと切り捨ててしまった。僕は少しムッとしてしまう。
「麗にはわかってるっていうのか? 紅ちゃんのこと」
「わかるわよ。確かに、昔みたいに戻りたいって思ってる」
「だったら――」
「でも戻れない。昔みたいに戻るためには、絶対に戻ってこないものがある。違う?」
僕は出掛かった言葉を失ってしまう。戻ってこないものは、僕にとってかけがえのない存在そのものだった。
「……お姉さん」
千愛莉ちゃんの口から、僕の代わりにその存在を示す言葉が出てきた。戻ってこないのは、僕の姉さんだ。
「……紅輝の寂しさなんて、埋めようもないでしょう? そうとわかったら、傷口に塩を塗ろうとするのはやめてあげたら?」
僕と千愛莉ちゃんは黙ってしまう。昔のように戻ろうとするのが、紅ちゃんにとって辛いものだとしたら、確かに僕は紅ちゃんを傷つけようとしていることになる。
「ただでさえ、傷が多い子なのに」
麗はそうボソッと呟くと、ゆっくりと立ち上がった。麗の言葉には、紅ちゃんに対しての愛情のようなものが感じられた。それは紅ちゃんを守ろうとして生まれた言葉だった。
「帰るわ」
そう言って、麗は部屋を出ていった。千愛莉ちゃんは悲しそうな顔で俯いている。僕は麗を追いかけて、部屋を出た。
玄関のほうまで行って、また麗に声をかけようとする。今何か言わないと、ひょっとしたら麗はもう家に来ないかもしれない。僕は言葉を搾り出した。
「じゃあなんで麗は、みんなはうちに来るの?」
僕が言うと、麗はこちらへ振り向いた。哀れんでいるような感情が見え隠れする無表情。麗の香りが僕の体へ入ってくる。
「戻れないなら、なんで……」
「ハジメは来て欲しくないの?」
今度は寂しそうな顔を見せる。僕の答えは決まっている。僕は首を横に振った。
「……だからよ」
麗は口元だけを緩ませた。そして、外へと出ていってしまった。