4-1
文字数 3,604文字
外は薄暗く、弱い雨が一日中降り注いでいた。梅雨入りした空は雲に覆われ、籠の中のような閉鎖感を僕に与えた。休日の昼間なのに、空も心も晴れない。
僕はまだかまだかと窓から玄関のほうを覗いていた。窓際の壁にもたれていると、かび臭くて嫌な感じがする。
二つの傘が角のほうから現れると、そのまま僕の家の玄関の前までやってきた。僕はそれを見て、すぐに一階へと下りていく。
「ういーっす」
「こんにちわー」
やってきたのは、唯奈と千愛莉ちゃんだった。
ジャージ姿の唯奈と、ワンピースを着ている千愛莉ちゃんは、傍から見るとどんな関係かと疑問に思うことだろう。最近、仲良くなったのか、よくこの組み合わせでやってくるのだ。
ちなみに、千愛莉ちゃんは二日連続での来宅だった。昨日は紅ちゃんと顔を出したのだ。最近、一番家にやってくるのは間違いなく千愛莉ちゃんだった。
「いらっしゃい」
そう言って玄関を開ける。二人は外の傘立てに傘をつっこむと家に上がり、まずは居間へと入っていく。二人で姉さんに手を合わせると、次は僕の部屋へと移動した。
「雨、やだなー」
「ですよねー」
二人は座布団の上に座ると、窓の外を眺めながら言った。
僕も無言で同意する。雨は嫌だ。
「なんか、このコンビもお馴染みになってきたね。どっちから誘っているの?」
「今日は唯奈さんだよ」
唯奈はへへへと笑う。相性が良さそうだし、こうなるのも必然だったのかもしれない。そしてこれは、三人を仲直りするにはまずは唯奈から、という計画通りでもあった。
「唯奈は雨の日によく来るよね」
「え? そう?」
自覚がなかったのだろうか。雨の日に心細くなるのか、あるいはたまたまなのか。僕としては、雨の日に来てくれるのは特別に嬉しかった。
唯奈はすぐにテレビゲームをする準備をして、一人でプレイし始めた。僕と千愛莉ちゃんはうだうだと話しながら、それを眺めていた。
僕は千愛莉ちゃんの変則的な話に、なんとか相槌を打ってついていく。
「でね、めぐみちゃんが、あ、ぶつかります」
「え? あっ……」
会話の途中で唯奈のゲームのことを話すのも当たり前で、僕はそのめぐみさんという人がどうなったのか、そもそもめぐみさんが誰なのかすら知らない。
そして、下手糞な唯奈のゲームは、シューティングゲームの一面すらクリアできないというあまりにも残念な結果に終わっていた。
「千愛莉ぃ、あっとか言わないでよ」
「ごめんなさーい。でね、ゆうちゃんが――あっ……」
隠しコマンドでバリアーを張っても無意味なくらい、あっさりと墜ちていく唯奈の戦闘機。僕は唯奈の運転する車にだけは生涯絶対に乗らないと誓った。ちなみに僕はゆうちゃんがどんな人なのか存じていない。
「だからあっとか言わないでよ」
「私、やっていいですか?」
「んー、はい」
今度は千愛莉ちゃんがゲームを始める。
きっと、あまりの下手さにもやもやしたのだろう。その気持ちはとてもよくわかった。
「そういえばさー、あたし、もうすぐ誕生日じゃん。ハジメはなんかくれんの?」
「唯奈が良い子にしてたらね」
「なんでそんなサンタさんみたいな感じなの……」
冷たく返すけれど、本当はもうプレゼントを用意していた。三人の誕生日はいつもちゃんと用意する。こういうことはきっちりしておきたいのだ。
「誕生日会しましょうよー」
千愛莉ちゃんはゲームに集中している中で、ほとんど条件反射みたいに言った。
「そんな小学生みたいな」
「家族で祝ってくれるしなー。妹がケーキ作りに挑戦するんだって」
「そうなんだ」
誕生日会が開催されること自体は、唯奈にとって普通のことらしい。微笑ましい家族だ。唯奈はよく兄弟の話をするし、良い姉なんだろうとは思う。
テレビには、千愛莉ちゃんが一面を楽々クリアするという切ない映像が流れている。
「唯奈さん、やります?」
「……やる」
いやいや、一面もクリアできないのに、二面になったところでどうにもならないだろう。千愛莉ちゃんの温情は悲しくなるだけだった。
「そうだ! 私も何かあげたいので、誕生日の前の日に、ハジメちゃんの家に集まりましょうよ! 私、お菓子作るの好きなんですよ! 一緒に食べましょー」
「マジで? あっ……」
嬉しそうに聞き返す唯奈。そして戦闘機は墜ちていく。
「ハジメちゃんは大丈夫?」
「大丈夫だよ」
僕はすぐに了承する。どうせ唯奈にプレゼントを渡さなきゃならなかったから、ちょうどよかったのだ。
「じゃあ一八日、僕の家に集合ね」
「はーい」
「ういー。あっ……」
唯奈、もうゲームはやめたほうがいいんじゃないかな。
下手の横好きとは言うけれど、見ているとかわいそうになってくる。
「そういえば、麗さんとたまにメールでお話するんだけどね、今度一緒にケーキを食べにいくことになったの」
「へぇ」
千愛莉ちゃんはわざとらしく、麗の名前を出した。狙いとしては、誰かといるときに他の二人のことを話し、反応をもらおうというものだった。
麗のときみたいに、三人がお互いどう考えているのかが窺えないかと期待しているのだ。
しかし、唯奈はゲーム画面に集中しているのか、あるいは集中したフリをしてごまかしているのか、特に反応しなかった。
「なんでそんなことになったの?」
「えっとね、この前ハジメちゃんの家でチーズケーキを食べた話をしてて、麗さんが他にも美味しいケーキ屋さんあるわよ、ってなって、私が食べてみたいなぁって言ったら、じゃあ行く? って言ってくれて」
そのやり取りの中にも、麗は葛藤があったことだろう。言い出した手前、連れていかないわけにはいかないけど、千愛莉ちゃんと二人で身が持つだろうか、とか。
「麗さんと二人とか、緊張しちゃうなー」
「麗のほうが緊張するだろうけどね」
千愛莉ちゃんは「なんで?」と間の抜けた顔で聞いてくる。僕は笑ってごまかした。
「あのさ」
唯奈が、やっとという感じに口を挟んだ。
「何?」
「ケーキとか出たことないんだけど、あたしにはそういうのないの?」
唯奈もそこに気づいてしまったのか。都合の良い耳をしているものだ。
「唯奈さんにも出してなかったんだ」
「うん。なんとなくね」
「なんとなく!?」
唯奈がこちらへ振り向いてつっこむ。テレビ画面には、ゲームオーバーの文字が浮かんでいる。さっき千愛莉ちゃんが一面をクリアした意味は、やっぱりなかったようだ。
「ケーキ! ケーキ! あたしだけケーキが出ないのは差別だよ!」
唯奈は子どもみたいに駄々をこね始めた。
「今ケーキはないんだよ。ていうか、お菓子がもうなかったかも」
最近、千愛莉ちゃんが来る頻度が上がっていたので、提供するお菓子をすでに切らしていた。ちょっと見栄を張りすぎたかと、僕は反省する。
「えー!? なんであたしだけお菓子ないの!? ひでーよ!」
「唯奈をお客さんだと思ったことないから仕方ないよ」
「それどんな理由だよぉ!?」
唯奈はうーと唸りながら僕を睨んでくる。いつもの睨み方ではなく子どもがすねている感じで、僕に対してはこっちのほうが効き目がある。僕は目を逸らした。
「あ、そうだ! うちにあるお菓子持ってきますよ! ちょうどもらい物のクッキーがあったはずなので」
「マジで!? やったー!」
唯奈は両手を上げて喜んだ。まったく、子どもなんだから。
「いや、悪いよ。こんな雨の中わざわざ」
「いいよいいよ。私も食べたいし、食べないといつの間にか無くなっちゃうの」
「無くなる?」
「食べられちゃうの。妹と弟に」
そういえば三兄弟の長女とか言ってたっけ。千愛莉ちゃんが子どもっぽい雰囲気のわりに面倒見が良いのは、下に兄弟がいるからかも知れない。
「分かる! あたしんちなんてちょっと歳が離れているから、あたしの分が無いことが当たり前なんだよ! 親が、お姉ちゃんなんだからいらないでしょ? とか言ってきてさー!」
そして、唯奈も千愛莉ちゃんと全く同じ家族構成だったりする。歳は離れているけれど、妹と弟が一人ずついる。たしか、二人ともまだ小学生だった。
「ですよね! 私も前に私だけ食べられなかったので、この前もらったクッキーだけは死守しなきゃなんですよ!」
この二人はこういうところでも気が合うようだ。長女同盟とでも言おうか。下の兄弟が欲しかった僕としては、妹や弟が欲しがっているのなら喜んであげればいいのに、なんて思ってしまう。
「じゃあ、すぐ戻ってきますねー」
千愛莉ちゃんはそう言って部屋から出ていった。
僕はまだかまだかと窓から玄関のほうを覗いていた。窓際の壁にもたれていると、かび臭くて嫌な感じがする。
二つの傘が角のほうから現れると、そのまま僕の家の玄関の前までやってきた。僕はそれを見て、すぐに一階へと下りていく。
「ういーっす」
「こんにちわー」
やってきたのは、唯奈と千愛莉ちゃんだった。
ジャージ姿の唯奈と、ワンピースを着ている千愛莉ちゃんは、傍から見るとどんな関係かと疑問に思うことだろう。最近、仲良くなったのか、よくこの組み合わせでやってくるのだ。
ちなみに、千愛莉ちゃんは二日連続での来宅だった。昨日は紅ちゃんと顔を出したのだ。最近、一番家にやってくるのは間違いなく千愛莉ちゃんだった。
「いらっしゃい」
そう言って玄関を開ける。二人は外の傘立てに傘をつっこむと家に上がり、まずは居間へと入っていく。二人で姉さんに手を合わせると、次は僕の部屋へと移動した。
「雨、やだなー」
「ですよねー」
二人は座布団の上に座ると、窓の外を眺めながら言った。
僕も無言で同意する。雨は嫌だ。
「なんか、このコンビもお馴染みになってきたね。どっちから誘っているの?」
「今日は唯奈さんだよ」
唯奈はへへへと笑う。相性が良さそうだし、こうなるのも必然だったのかもしれない。そしてこれは、三人を仲直りするにはまずは唯奈から、という計画通りでもあった。
「唯奈は雨の日によく来るよね」
「え? そう?」
自覚がなかったのだろうか。雨の日に心細くなるのか、あるいはたまたまなのか。僕としては、雨の日に来てくれるのは特別に嬉しかった。
唯奈はすぐにテレビゲームをする準備をして、一人でプレイし始めた。僕と千愛莉ちゃんはうだうだと話しながら、それを眺めていた。
僕は千愛莉ちゃんの変則的な話に、なんとか相槌を打ってついていく。
「でね、めぐみちゃんが、あ、ぶつかります」
「え? あっ……」
会話の途中で唯奈のゲームのことを話すのも当たり前で、僕はそのめぐみさんという人がどうなったのか、そもそもめぐみさんが誰なのかすら知らない。
そして、下手糞な唯奈のゲームは、シューティングゲームの一面すらクリアできないというあまりにも残念な結果に終わっていた。
「千愛莉ぃ、あっとか言わないでよ」
「ごめんなさーい。でね、ゆうちゃんが――あっ……」
隠しコマンドでバリアーを張っても無意味なくらい、あっさりと墜ちていく唯奈の戦闘機。僕は唯奈の運転する車にだけは生涯絶対に乗らないと誓った。ちなみに僕はゆうちゃんがどんな人なのか存じていない。
「だからあっとか言わないでよ」
「私、やっていいですか?」
「んー、はい」
今度は千愛莉ちゃんがゲームを始める。
きっと、あまりの下手さにもやもやしたのだろう。その気持ちはとてもよくわかった。
「そういえばさー、あたし、もうすぐ誕生日じゃん。ハジメはなんかくれんの?」
「唯奈が良い子にしてたらね」
「なんでそんなサンタさんみたいな感じなの……」
冷たく返すけれど、本当はもうプレゼントを用意していた。三人の誕生日はいつもちゃんと用意する。こういうことはきっちりしておきたいのだ。
「誕生日会しましょうよー」
千愛莉ちゃんはゲームに集中している中で、ほとんど条件反射みたいに言った。
「そんな小学生みたいな」
「家族で祝ってくれるしなー。妹がケーキ作りに挑戦するんだって」
「そうなんだ」
誕生日会が開催されること自体は、唯奈にとって普通のことらしい。微笑ましい家族だ。唯奈はよく兄弟の話をするし、良い姉なんだろうとは思う。
テレビには、千愛莉ちゃんが一面を楽々クリアするという切ない映像が流れている。
「唯奈さん、やります?」
「……やる」
いやいや、一面もクリアできないのに、二面になったところでどうにもならないだろう。千愛莉ちゃんの温情は悲しくなるだけだった。
「そうだ! 私も何かあげたいので、誕生日の前の日に、ハジメちゃんの家に集まりましょうよ! 私、お菓子作るの好きなんですよ! 一緒に食べましょー」
「マジで? あっ……」
嬉しそうに聞き返す唯奈。そして戦闘機は墜ちていく。
「ハジメちゃんは大丈夫?」
「大丈夫だよ」
僕はすぐに了承する。どうせ唯奈にプレゼントを渡さなきゃならなかったから、ちょうどよかったのだ。
「じゃあ一八日、僕の家に集合ね」
「はーい」
「ういー。あっ……」
唯奈、もうゲームはやめたほうがいいんじゃないかな。
下手の横好きとは言うけれど、見ているとかわいそうになってくる。
「そういえば、麗さんとたまにメールでお話するんだけどね、今度一緒にケーキを食べにいくことになったの」
「へぇ」
千愛莉ちゃんはわざとらしく、麗の名前を出した。狙いとしては、誰かといるときに他の二人のことを話し、反応をもらおうというものだった。
麗のときみたいに、三人がお互いどう考えているのかが窺えないかと期待しているのだ。
しかし、唯奈はゲーム画面に集中しているのか、あるいは集中したフリをしてごまかしているのか、特に反応しなかった。
「なんでそんなことになったの?」
「えっとね、この前ハジメちゃんの家でチーズケーキを食べた話をしてて、麗さんが他にも美味しいケーキ屋さんあるわよ、ってなって、私が食べてみたいなぁって言ったら、じゃあ行く? って言ってくれて」
そのやり取りの中にも、麗は葛藤があったことだろう。言い出した手前、連れていかないわけにはいかないけど、千愛莉ちゃんと二人で身が持つだろうか、とか。
「麗さんと二人とか、緊張しちゃうなー」
「麗のほうが緊張するだろうけどね」
千愛莉ちゃんは「なんで?」と間の抜けた顔で聞いてくる。僕は笑ってごまかした。
「あのさ」
唯奈が、やっとという感じに口を挟んだ。
「何?」
「ケーキとか出たことないんだけど、あたしにはそういうのないの?」
唯奈もそこに気づいてしまったのか。都合の良い耳をしているものだ。
「唯奈さんにも出してなかったんだ」
「うん。なんとなくね」
「なんとなく!?」
唯奈がこちらへ振り向いてつっこむ。テレビ画面には、ゲームオーバーの文字が浮かんでいる。さっき千愛莉ちゃんが一面をクリアした意味は、やっぱりなかったようだ。
「ケーキ! ケーキ! あたしだけケーキが出ないのは差別だよ!」
唯奈は子どもみたいに駄々をこね始めた。
「今ケーキはないんだよ。ていうか、お菓子がもうなかったかも」
最近、千愛莉ちゃんが来る頻度が上がっていたので、提供するお菓子をすでに切らしていた。ちょっと見栄を張りすぎたかと、僕は反省する。
「えー!? なんであたしだけお菓子ないの!? ひでーよ!」
「唯奈をお客さんだと思ったことないから仕方ないよ」
「それどんな理由だよぉ!?」
唯奈はうーと唸りながら僕を睨んでくる。いつもの睨み方ではなく子どもがすねている感じで、僕に対してはこっちのほうが効き目がある。僕は目を逸らした。
「あ、そうだ! うちにあるお菓子持ってきますよ! ちょうどもらい物のクッキーがあったはずなので」
「マジで!? やったー!」
唯奈は両手を上げて喜んだ。まったく、子どもなんだから。
「いや、悪いよ。こんな雨の中わざわざ」
「いいよいいよ。私も食べたいし、食べないといつの間にか無くなっちゃうの」
「無くなる?」
「食べられちゃうの。妹と弟に」
そういえば三兄弟の長女とか言ってたっけ。千愛莉ちゃんが子どもっぽい雰囲気のわりに面倒見が良いのは、下に兄弟がいるからかも知れない。
「分かる! あたしんちなんてちょっと歳が離れているから、あたしの分が無いことが当たり前なんだよ! 親が、お姉ちゃんなんだからいらないでしょ? とか言ってきてさー!」
そして、唯奈も千愛莉ちゃんと全く同じ家族構成だったりする。歳は離れているけれど、妹と弟が一人ずついる。たしか、二人ともまだ小学生だった。
「ですよね! 私も前に私だけ食べられなかったので、この前もらったクッキーだけは死守しなきゃなんですよ!」
この二人はこういうところでも気が合うようだ。長女同盟とでも言おうか。下の兄弟が欲しかった僕としては、妹や弟が欲しがっているのなら喜んであげればいいのに、なんて思ってしまう。
「じゃあ、すぐ戻ってきますねー」
千愛莉ちゃんはそう言って部屋から出ていった。