4-2
文字数 3,654文字
唯奈は窓から下を見下ろして、千愛莉ちゃんが出てくるなり、「頼んだぞー」なんて言いながら手を振っていた。そんなにお菓子が欲しいのだろうか。それとも単に、紅ちゃんや麗に出ているのに自分には出てこないことへの不満なのだろうか。
二人きりになると、唯奈はまたゲームを始めた。僕はさっき千愛莉ちゃんが座っていた辺りに腰を下ろすと、同じように画面を眺める。
僕は考えていた。千愛莉ちゃんがあれだけ積極的に三人を繋ごうとしているのだ。僕だって、もっと突っ込んでいかなければならないのではないか。
なに、相手は唯奈だ。とりあえず実行してみよう。
「この前ね、麗もゲームしてたんだ。やっぱり上手いままだったよ」
「…………」
唯奈は画面に集中している。フリをしている。
「唯奈が相変わらず下手なんだって話になると、笑ってたよ」
「…………」
「ゲームで負けたことに怒って、紅ちゃんにリアルファイト挑んで締められた話もしたよ」
「…………」
この話は徹底的に無視らしい。僕はイラッとする。
「その時姉さんが撮ったパンチラ写真、実は消してなかったんだよ」
もちろん嘘だ。僕はさっきの話の調子のままに言った。
「…………」
「しかもネット流出しちゃったんだ」
「…………」
唯奈はこれにも無反応だった。僕は唯奈の耳元まで近づいていく。
「わあ!!」
「うわあっ! びっくりしたぁ!!」
耳元で大きな声を出すと、さすがに唯奈も驚いてしまった。唯奈は僕の声と同じくらいの声で対抗してくる。
「なななに!?」
そう言う唯奈は目に涙を浮かべていた。
「いや、ひょっとしたら本当に聞こえてないんじゃないかなって思って」
「鼓膜破れるかと思った!! 今のは聞こえるとかの問題じゃないだろ!!」
唯奈はちょっと本気で怒っている。さすがに悪いことをした。
「ご、ごめん。でも、聞こえてたのなら反応してよ」
「反応って、……だって何も言うことないもん」
唯奈はふくれっ面を見せる。紅ちゃんや麗の話をすることは、唯奈からすると嫌がらせくらいの認識なのだろうか。僕は納得がいかない。
「千愛莉ちゃんと仲良くなったんだし、これを機会に千愛莉ちゃんを含めて四人で家に来ればいいのに」
「いいじゃん、千愛莉と二人で来れば。楽しいじゃん」
唯奈はゲームを再開して、画面のほうに目線を戻していた。元々下手っぴなプレイは、より酷いものになっていた。
「唯奈はにぎやかなほうが好きでしょ? 昔に戻りたいとか思わないの?」
「…………」
唯奈からは反応がない。またゲームに集中して無視されるのかと思っていると、少し遅れて反応があった。
「……あたしは、ハジメがいればいいよ」
返ってきたのは、意外で反応に困る言葉だった。僕は顔が熱くなっていくのを自覚する。
「な、何それ?」
「なーにぃ? ハジメちゃん照れてんのぉ? 顔真っ赤だよぉ?」
「唯奈、こっち見てないだろ!」
「見なくてもわかるんだよ」
悔しいけれど、唯奈が言っているとおりになっているだろう。今の唯奈の横顔は、姉さんによく似ていた。
「いいじゃん。あいつらはあいつらでハジメに会いに来てるんなら、それで。ハジメは寂しくないでしょ?」
「……そういう問題じゃないんだよ」
僕のことはどうでもいいのだ。姉さんがきっかけで知り合った三人が、姉さんが原因で引き裂かれるのが、僕は気に入らない。
そして、唯奈も本当に三人がそれでいいと思っているのだろうか。
「姉さんが亡くなって、その時のケンカが原因でこうなってるんだから、姉さんのためにも三人にはまた昔みたいに戻ってほしいんだよ」
唯奈はずっとテレビのほうを見ている。気づけば、画面はゲームオーバーのままストップしていた。
「……その時のことなんて関係ないよ。だから、ハジメは気にしなくていいの」
「ないわけないだろ? あの時からじゃないか。紅ちゃんが麗に怪我をさせて、それから気まずくなった。きっと今だったら清算することができるよ。唯奈が二人の間に立ってくれれば」
唯奈が紅ちゃんか麗のどちらかと仲を戻してくれれば、良いきっかけになる。それが第一歩なのだ。
しかし、唯奈の反応は冷たかった。
「もう本当にいんだよ」
唯奈は僕のほうへ向くと、不満そうな顔で僕の目を直視した。一瞬睨むように見た後は、少し表情が弱くなっていく。それは、僕のことを心配するような表情だった。
「あたしはさ、本音を言うと、ハジメはもうあいつらと付き合わないほうがいいと思ってるよ」
一瞬、僕は唯奈が何を言っているのか理解できなかった。唯奈は、僕の後ろにいる二人を敵みたいに睨みつけていた。
「……なんで? なんでそう思うの?」
怒りと悲しみが同居したあげく、ただただ弱々しく僕は唯奈にそう言った。
「普通じゃねんだよ、あの二人は。麗はヤクザだし、紅輝は……子どもだし、ハジメはもうああいうのと付き合っちゃ駄目だよ」
「なんでそんなこと言うんだよ!」
叱られるように言われ、僕は反射的に怒鳴ってしまった。唯奈が悲しそうな表情を浮かべると、僕も冷静になってトーンを落とした。
「……唯奈だって不良じゃないか。なんでそんなこと言うの?」
「あたしとは違うんだよ。いや、あたしも駄目なのかもしんないけど、あの二人が来るんだから、あたしもハジメのところに来るしかないじゃん」
「それって、僕のところに紅ちゃんと麗が来るのが心配で、唯奈は僕の家に来てるってこと?」
唯奈は口をつぐむ。唯奈から返答がない限り、僕も何も言えない。部屋には屋根を叩く雨の音だけが響いた。
しばらくして、静寂を引き裂いたのはインターホンの音だった。千愛莉ちゃんが帰ってきたようだ。僕は玄関へ迎えにいき、千愛莉ちゃんを家に上げた。
「ただいまー。どうしたの?」
「えっ、何が?」
「なんか元気ないなーって」
顔に出ていたようで、千愛莉ちゃんは不思議そうな顔で僕を見ていた。
「なんでもないよ。お茶を用意するから、先に部屋に行ってて」
そう言って、僕は台所へ行った。
電気ケトルに水を入れてスイッチをオンにすると、数分の待ち時間が生まれる。ティーバッグとカップを用意しても、お湯が沸くまでに時間はが余ってしまった。
流し台の窓からは雨が事務的とばかりに降り注いでいるのが見える。雨が心のモヤモヤも洗い流してくれたらいいのに。しかし、雨がそんなことをしてくれたことなんてなくて、いつも嫌なものを持ってくる。憂いとか悲しみとか。
姉さんが亡くなったのは雨の日だった。
姉さんはスーパーが入っている三階建てビルの屋上駐車場から転落した。
古い建物だったので、一部の手すりが弱っていたらしい。友人らとたむろしていた姉さんがそれにもたれかかり、壊れてしまった。そして後向きに落ちていった姉さんは、そのまま帰らぬ人となってしまったのだ。
雨はその後に降り注いだ。少しでも雨が降るのが早かったなら、姉さんは屋上になんていなかったかもしれない。
高い機械音が鳴ると、僕はカップにお湯を注いだ。
そして、カップに蓋をして少し蒸らしてやる。少し経つと蓋を開け、ティーバッグの先を揺らしてやると、花と草が交じったような香りが広がってくる。砂糖とミルクを用意して、それらを二人の元へと持っていった。
「お待たせ」
「おせーよ」
そう言う唯奈は、もうすでにクッキーをほお張っていた。明るく言うけれど、少しぎこちない感じがする。僕がテーブルに紅茶を三つ置いた。
「ありがとー」
「クッキー、わざわざごめんね。濡れなかった?」
「大丈夫だよ」
それから、千愛莉ちゃんはいつも通りにこにこしながら、弟さんや妹さんのことを話してくれる。しかし、僕と唯奈の間では会話がなく、ただお互い千愛莉ちゃんと一対一でしゃべっていた。
結局、唯奈とはそのままの状態でお開きとなった。僕は孤独感に覆われると、ベッドへと倒れこんだ。
もう唯奈は来ないのだろうか。
そんな不安を抱えると、胸がストンと落ちるように、体の中に空白が生まれた気がした。
雨の音が騒々しい。僕は一人ぼっちになって水にのまれていく。そんな夢をよく見る。そうやって溺れる夢を。
水の中は冷たくない。ただどんどん水かさが増えていく。僕は歩くことのできるうちに逃げ出せばいいものを、なぜかそれを拒んだ。誰かを探しているという感覚は残っているが、確かなものではない。
現実でも、雨の水に溺れてしまいそうになるという想像が時折生まれる。それは決まって一人でいる時であり、ずんと沈み込んでいくような感じがするのだ。
きっとそれは、孤独から生まれるものだと推測する。多分、僕は寂しいのだ。
○
二人きりになると、唯奈はまたゲームを始めた。僕はさっき千愛莉ちゃんが座っていた辺りに腰を下ろすと、同じように画面を眺める。
僕は考えていた。千愛莉ちゃんがあれだけ積極的に三人を繋ごうとしているのだ。僕だって、もっと突っ込んでいかなければならないのではないか。
なに、相手は唯奈だ。とりあえず実行してみよう。
「この前ね、麗もゲームしてたんだ。やっぱり上手いままだったよ」
「…………」
唯奈は画面に集中している。フリをしている。
「唯奈が相変わらず下手なんだって話になると、笑ってたよ」
「…………」
「ゲームで負けたことに怒って、紅ちゃんにリアルファイト挑んで締められた話もしたよ」
「…………」
この話は徹底的に無視らしい。僕はイラッとする。
「その時姉さんが撮ったパンチラ写真、実は消してなかったんだよ」
もちろん嘘だ。僕はさっきの話の調子のままに言った。
「…………」
「しかもネット流出しちゃったんだ」
「…………」
唯奈はこれにも無反応だった。僕は唯奈の耳元まで近づいていく。
「わあ!!」
「うわあっ! びっくりしたぁ!!」
耳元で大きな声を出すと、さすがに唯奈も驚いてしまった。唯奈は僕の声と同じくらいの声で対抗してくる。
「なななに!?」
そう言う唯奈は目に涙を浮かべていた。
「いや、ひょっとしたら本当に聞こえてないんじゃないかなって思って」
「鼓膜破れるかと思った!! 今のは聞こえるとかの問題じゃないだろ!!」
唯奈はちょっと本気で怒っている。さすがに悪いことをした。
「ご、ごめん。でも、聞こえてたのなら反応してよ」
「反応って、……だって何も言うことないもん」
唯奈はふくれっ面を見せる。紅ちゃんや麗の話をすることは、唯奈からすると嫌がらせくらいの認識なのだろうか。僕は納得がいかない。
「千愛莉ちゃんと仲良くなったんだし、これを機会に千愛莉ちゃんを含めて四人で家に来ればいいのに」
「いいじゃん、千愛莉と二人で来れば。楽しいじゃん」
唯奈はゲームを再開して、画面のほうに目線を戻していた。元々下手っぴなプレイは、より酷いものになっていた。
「唯奈はにぎやかなほうが好きでしょ? 昔に戻りたいとか思わないの?」
「…………」
唯奈からは反応がない。またゲームに集中して無視されるのかと思っていると、少し遅れて反応があった。
「……あたしは、ハジメがいればいいよ」
返ってきたのは、意外で反応に困る言葉だった。僕は顔が熱くなっていくのを自覚する。
「な、何それ?」
「なーにぃ? ハジメちゃん照れてんのぉ? 顔真っ赤だよぉ?」
「唯奈、こっち見てないだろ!」
「見なくてもわかるんだよ」
悔しいけれど、唯奈が言っているとおりになっているだろう。今の唯奈の横顔は、姉さんによく似ていた。
「いいじゃん。あいつらはあいつらでハジメに会いに来てるんなら、それで。ハジメは寂しくないでしょ?」
「……そういう問題じゃないんだよ」
僕のことはどうでもいいのだ。姉さんがきっかけで知り合った三人が、姉さんが原因で引き裂かれるのが、僕は気に入らない。
そして、唯奈も本当に三人がそれでいいと思っているのだろうか。
「姉さんが亡くなって、その時のケンカが原因でこうなってるんだから、姉さんのためにも三人にはまた昔みたいに戻ってほしいんだよ」
唯奈はずっとテレビのほうを見ている。気づけば、画面はゲームオーバーのままストップしていた。
「……その時のことなんて関係ないよ。だから、ハジメは気にしなくていいの」
「ないわけないだろ? あの時からじゃないか。紅ちゃんが麗に怪我をさせて、それから気まずくなった。きっと今だったら清算することができるよ。唯奈が二人の間に立ってくれれば」
唯奈が紅ちゃんか麗のどちらかと仲を戻してくれれば、良いきっかけになる。それが第一歩なのだ。
しかし、唯奈の反応は冷たかった。
「もう本当にいんだよ」
唯奈は僕のほうへ向くと、不満そうな顔で僕の目を直視した。一瞬睨むように見た後は、少し表情が弱くなっていく。それは、僕のことを心配するような表情だった。
「あたしはさ、本音を言うと、ハジメはもうあいつらと付き合わないほうがいいと思ってるよ」
一瞬、僕は唯奈が何を言っているのか理解できなかった。唯奈は、僕の後ろにいる二人を敵みたいに睨みつけていた。
「……なんで? なんでそう思うの?」
怒りと悲しみが同居したあげく、ただただ弱々しく僕は唯奈にそう言った。
「普通じゃねんだよ、あの二人は。麗はヤクザだし、紅輝は……子どもだし、ハジメはもうああいうのと付き合っちゃ駄目だよ」
「なんでそんなこと言うんだよ!」
叱られるように言われ、僕は反射的に怒鳴ってしまった。唯奈が悲しそうな表情を浮かべると、僕も冷静になってトーンを落とした。
「……唯奈だって不良じゃないか。なんでそんなこと言うの?」
「あたしとは違うんだよ。いや、あたしも駄目なのかもしんないけど、あの二人が来るんだから、あたしもハジメのところに来るしかないじゃん」
「それって、僕のところに紅ちゃんと麗が来るのが心配で、唯奈は僕の家に来てるってこと?」
唯奈は口をつぐむ。唯奈から返答がない限り、僕も何も言えない。部屋には屋根を叩く雨の音だけが響いた。
しばらくして、静寂を引き裂いたのはインターホンの音だった。千愛莉ちゃんが帰ってきたようだ。僕は玄関へ迎えにいき、千愛莉ちゃんを家に上げた。
「ただいまー。どうしたの?」
「えっ、何が?」
「なんか元気ないなーって」
顔に出ていたようで、千愛莉ちゃんは不思議そうな顔で僕を見ていた。
「なんでもないよ。お茶を用意するから、先に部屋に行ってて」
そう言って、僕は台所へ行った。
電気ケトルに水を入れてスイッチをオンにすると、数分の待ち時間が生まれる。ティーバッグとカップを用意しても、お湯が沸くまでに時間はが余ってしまった。
流し台の窓からは雨が事務的とばかりに降り注いでいるのが見える。雨が心のモヤモヤも洗い流してくれたらいいのに。しかし、雨がそんなことをしてくれたことなんてなくて、いつも嫌なものを持ってくる。憂いとか悲しみとか。
姉さんが亡くなったのは雨の日だった。
姉さんはスーパーが入っている三階建てビルの屋上駐車場から転落した。
古い建物だったので、一部の手すりが弱っていたらしい。友人らとたむろしていた姉さんがそれにもたれかかり、壊れてしまった。そして後向きに落ちていった姉さんは、そのまま帰らぬ人となってしまったのだ。
雨はその後に降り注いだ。少しでも雨が降るのが早かったなら、姉さんは屋上になんていなかったかもしれない。
高い機械音が鳴ると、僕はカップにお湯を注いだ。
そして、カップに蓋をして少し蒸らしてやる。少し経つと蓋を開け、ティーバッグの先を揺らしてやると、花と草が交じったような香りが広がってくる。砂糖とミルクを用意して、それらを二人の元へと持っていった。
「お待たせ」
「おせーよ」
そう言う唯奈は、もうすでにクッキーをほお張っていた。明るく言うけれど、少しぎこちない感じがする。僕がテーブルに紅茶を三つ置いた。
「ありがとー」
「クッキー、わざわざごめんね。濡れなかった?」
「大丈夫だよ」
それから、千愛莉ちゃんはいつも通りにこにこしながら、弟さんや妹さんのことを話してくれる。しかし、僕と唯奈の間では会話がなく、ただお互い千愛莉ちゃんと一対一でしゃべっていた。
結局、唯奈とはそのままの状態でお開きとなった。僕は孤独感に覆われると、ベッドへと倒れこんだ。
もう唯奈は来ないのだろうか。
そんな不安を抱えると、胸がストンと落ちるように、体の中に空白が生まれた気がした。
雨の音が騒々しい。僕は一人ぼっちになって水にのまれていく。そんな夢をよく見る。そうやって溺れる夢を。
水の中は冷たくない。ただどんどん水かさが増えていく。僕は歩くことのできるうちに逃げ出せばいいものを、なぜかそれを拒んだ。誰かを探しているという感覚は残っているが、確かなものではない。
現実でも、雨の水に溺れてしまいそうになるという想像が時折生まれる。それは決まって一人でいる時であり、ずんと沈み込んでいくような感じがするのだ。
きっとそれは、孤独から生まれるものだと推測する。多分、僕は寂しいのだ。
○