第40話 学年合宿 ~彼方~ (後半)

文字数 5,165文字

 ノックしようと腕を持ち上げたところで好雄は初めて自分の手が震えていることに気付く。武者震いだと押さえつけてノックする。


 少しあって、どうぞ、といつもの飄々とした声で返事があった。好雄はドアを開ける。ギィという音がやたらと耳につく。

 部屋へ入りドアを閉め、改めて体を向ける。


 室内も廊下と同じでやはり茜色に染まっていたが暖色の光景に比べると好雄にはこの部屋がどこか涼しく感じた。


 大きく、しかし静かに息を吐く好雄。
 茜色が鮮やかな分、部屋に映し出される影がやたらと濃く見える。手塚は後ろで手を組み、開け放った窓の外を眺めている。振り向かずに好雄に向けて口を開く。


「やあ、よっしー。改めて昨日、んー、今朝……かな、お疲れ様。少しは休めた?」

「ええ、お陰さまで。ありがとうございました」

「それはよかったね。まあ優依なんかは午後の講義に出たらしいけど。休んで良いって言ったのにね。優依らしいね……」


 互いの声は特段の感情を含まない。
 しかし、その次、あまりにも唐突に発せられた手塚の台詞は明らかに挑戦的な声色だった。


「──いつ気付いたの?」


 好雄はゾクッとした。先手を取られた。
 出来るだけ平静を装って返す。


「……何のことですか?」


 質問に質問で返された手塚は振り向いて笑みを浮かべた。


「君がこの部屋に来た理由だよ。君は()()を聞きに来たんだろう?」

 好雄の頬を汗が伝う。手塚の視線は穏やかだったがそれでもその視線に射抜かれているような気がした。

 嫌な汗が止まらない。体の芯は冷えきっていた。

 それでも……。好雄は大きく息を吐き、意を決して口を開く。

「最初から変だと感じていたんです。朽木さんが森で塀へ向けて魔法を射掛けていると報告した時に、教官は暫く様子を見ようと言われました。……でも、どう考えてもあれは朽木さんを拘束するのが当然な場面でした」


 手塚は身動(みじろ)ぎひとつしない。好雄は続ける。


「そもそも、塀の周辺の警備が手薄過ぎでした。警備の見回りもなくドローンやカメラでの監視もない。(ゲート)周辺の厳重さと比べると明らかです。もし同じレベルの警備が敷かれていれば朽木さんはそもそも深夜に塀にああして近づくことさえ不可能でした」


 やはり手塚は微動だにしない。続けようとした所で手塚が口を開く。


「そうだね、ここまでのところは……その通りだね。でもね、本当は慎重な性格のよっしーが決め手がないのにこうして私の部屋を訪れるとは思えないな……」

 風が部屋に静かに吹き込む。
 手塚のデスクの上に重ねられていた書類を揺らす。

 手塚が好雄の方へ振り向く。いつもの穏やかな顔で。どこまでも穏やかで優しい笑顔だが燃えるような赤い空を背にする手塚。


「君が気付くとすれば……、塀かな?」


 引き込んできた風のせいで目にかかった前髪をよせる好雄。

「……ええ。塀の内側の欠片(かけら)は大きい、とは言いませんが目に見える大きさの物が多かったです。朽木さんが魔法の水圧で砕いていったからでしょう。でも……、塀の外側はむしろ砂のようになって穴の下に積もっていました。まるで……」


「風にでも削られたように……、ね?」

 好雄の台詞の最後をかっさらって手塚が続けた。


 互いの視線が虚空で交わる。
 部屋の静けさに外から入ってくる鳥の鳴き声や人の話し声が(かす)かに混ざる。

 そうした一切の雑音が途切れて完全な静けさを取り戻したのを見計らって好雄は言う。



「何故、ですか?」


 優依や葉月を悲しませ、侑太郎に至っては深手を負わせられた、当然それに対する怒りはある。
 しかしそれと同時に純粋に理由が気になってもいた。何故敢えて脱走しようとする研修生の手助けなどしたのか……。



 (おもむろ)に手塚はデスクに近づき、一枚の紙を手にとって、自身の風の魔法に乗せて好雄に届ける。


 受け取った好雄は書面に書かれた文面に目を見開く。


 ──脱走者捕獲及び実戦演習要項


 ふと好雄は研修生に事前に配布された資料のことを思い出した。毎回、約40人の参加者の内3、4人が研修を通過できない、と書かれてはいなかったか。
 それを見て単純に研修をパスすることが出来なかったのだとだけ思った。


 研修の途中棄権は出来ず、外へも出られない。

 それらの事実が意味するもの。


 好雄は更に読み進めた。『参考 前回冬期新人研修 脱走者3名』、とある。


 書面に目を落としていた好雄はそこまで読み、顔を上げて手塚を見る。


「……ここまで1人。前回と比べるとだいぶ少ないね。毎回ね、今くらいの時期になると2、3人脱落するんだけどね。そうそう、武骨な言い方だけど『狩り』と言うこともあるね」


 好雄は戦慄を覚える。
 朽木さんは逃げたんじゃない。
 逃げさせられたんだ。


 震える好雄が、何故、と聞いた。手塚は風を操って好雄が持った紙を手許に戻した。


「魔法士として登録するとね、当然、魔法士同士で戦うこともある。その為の演習の一環でね」

「そんな……。でもそれなら対戦形式の演習なんていくらでも」

「対戦形式……。そうだね」



 でも、と手塚は続ける。

「それは殺し合い、命のやり取りじゃない」


 冷たい瞳でそう言った手塚の言葉が好雄の中で反芻(はんすう)する。確かに対戦形式演習はどこまでいってもあくまで演習。実際に魔法士となり、命を懸けて戦うこととは根本が異なる。それでも……。


「そ、それはそうかもしれませんが……だからといって……」


 言葉を途切らせた好雄に手塚は微笑む。

「よっしーは優しいね。けど……、それは大きく見ると優しさではないね」


 手塚が言っている意味が分からない。
 押し黙った好雄に手塚は背を向けて窓際まで進む。山の稜線に日が沈もうとしていた。


「魔法士になるとね、命を懸けて戦わなきゃいけないことがある。命の奪い合いをしたことがある。その経験の有る無しがその時に大きな意味を持つ。私はね、研修生にそんな経験を積ませてあげたいんだよ」


 好雄は流れる汗を(ぬぐ)わない。
 実際、朽木は生死を懸けて逃げた。侑太郎や葉月に見つかったときは死に物狂いで抵抗した。優依も自分の命をを顧みず朽木を助けようとした。そして、最後には自分が朽木の命を奪った。この()()は、確かに研修では得られない。





「教官は……、何も感じないんですか?」




 手塚は遠い目をしていた。黄昏は終わり、夜がすぐそこまで来ている。日が山の稜線の向こうに沈み切ったところで口を開く。


「よっしーは良い経験ができたね。その経験は君が実際に現場に出てから必ず活きてくるよ。研修も残り半分だね、頑張ろう」

 それっきり手塚は何も言わなくなった。好雄は軽く一礼してドアを開け外へ出る。ドアを閉めかけた所で手塚の声が聞こえてきた。


「君は、良い魔法士(まほうつかい)になるね」


 手塚がそう言い終わった辺りで好雄はドアを閉めきる。なぜ、敢えて正式名称である魔法士(まほうし)と言わず魔法士(まほうつかい)と俗称を口にしたんだろう……。ふと疑問に思ったが直ぐに怒りや悲しみが混在しながら押し寄せた来た。


 好雄は暗くなった廊下を進んでいく。


「あ……」

 優依に夕食に誘われていたのを思い出す。


 そう言えば葉月と侑太郎も来ると言っていた。
 正直、誰にも会いたくない気分だった。けれども優依にも葉月にも侑太郎にも会いたかった。


 階段を下り、廊下を進み食堂に入る。


 3人が待っていた。


 好雄の姿を見留めた優依が軽く手を挙げる。

 好雄も手を上げて応えた。
 午後の講義に出て、あんなにも丁寧にノートをまとめていた、真面目な奴だ。しかもメチャクチャつまらない講義だぞ……。

 その優依と同じテーブルで葉月は侑太郎と何やらぎゃあぎゃあと言い合っている。本当に仲の良い姉弟だ。微笑ましくなる。


 好雄はそんなことを思いながら、同期の、同じグループの研修生が座るテーブルへ向かって進んでいった。


 3人が待つテーブルへ。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「もしかしたらさ……」

 湯を見つめていた好雄は悠貴を一瞥(いちべつ)し、そしてまた露天風呂の揺らめく水面(みなも)に目をやった。

「魔法士ってカッコ良く見えたりするかもしれない。少なくとも俺にはそう見えた。他の人にはできないことができる。国から色々な特権が与えられる。選ばれた人間なんだって……」


 好雄が言ったことは全て事実だったし、自分が日頃から思っていることをそのまま言葉にしてくれていた。悠貴はあえて抑揚なく、そうだな、とだけ答えた。


「でもさ、なんつーか……、良いことばかりじゃないんだホント。俺と優依の研修の話聞いてくれた悠貴なら分かると思うんだけどさっ」


 言われた悠貴だったが一瞬返事に迷った。

 好雄の話を聞いて心底ぞっとした。人の生死に関わることがある。自分だって合宿中に優依と共に化け物に殺されかけた。魔法士の世界にはまだ自分の知らない辛く、大変なことが沢山あるのだろう。


「でもさ……、今の俺が言うのも変な話かもしれないけど、やっぱり魔法士……、魔法を使えるのって凄いし、良いなって思いもするんだよな。好雄や優依は魔法が使えることがもう普通になってるのかもしれないけど、魔法が使えるってのは多くの人にとっては特別なこと……だからさ」

 悠貴のどこか遠慮がちで、それでいてはっきりとした物言いに、そうか、と笑った。


「まあ、悠貴が魔法士になってくれるなら少なくとも俺は歓迎するよ。仲の良い奴が同業者にいるってのは心強い、頼りにもさせてもらいたい。ただ……」

 好雄はそう言うと一度天を仰ぐ。目を瞑って、そして開き、空を見つめた。悠貴に顔を向けて続ける。

「ただ……、もし登録をして魔法士になるってんなら相当な覚悟が必要だ。何があっても動じない覚悟が」


 好雄がそう言った所でまるでタイミングを見計らったかのようにガラス戸が開いた。中から年配の男が2人出てきて露天風呂に入った。地元の人間だろうか、駅に併設している店が閉まってコンビニが入るらしいとか、冬の旅行客の予約状況がどうとか話している。


 魔法の話はこれでお仕舞いと言わんばかりに好雄が肩を(すく)める。入ってきた男たちが近づいてくる前に悠貴が好雄に尋ねる。


「魔法士になるってことは……、やっぱ……良いことばかりじゃないんだな?」


 好雄は悠貴をチラリと見て、そうだよ、と答えた。
 好雄の言っていることは理解は出来た。それでも、どこかまだ釈然(しゃくぜん)としない悠貴が好雄を見る。


「そんなもんか?」

「ああ……、そんなもんだよ」



 好雄がそう答えた時、入ってきた男たちが湯に浸かってきた。ふと時計を見た悠貴が、あ、と声を漏らした。


「好雄……、もしかして俺たち、そろそろ上がった方が良いんじゃないか?」


「あ、やべぇ……確かに!」


 立ち上がる好雄。しかし悠貴は湯に浸かったままだった。

「ん、悠貴?」

「悪い。もう少しだけ体温めていく。すぐ行くから先行っててくれ」


 好雄は軽く手を上げて歩いていった。

 好雄とすれ違いに就学前ぐらいのが子供が2人入ってきた。露天風呂に入り、湯を掛け合って遊んでいる。先に浸かっていた年配の2人は少しだけ迷惑そうな顔をしたが直ぐに雑談に戻った。




 悠貴は肩まで浸かりながら思う。

(もし、自分が好雄や優依の立場だったら……、人を傷つけたり殺したりしなきゃいけない時……、どうするんだろう……)


 思った悠貴が湯の中の掌を見る。
 少しだけ、ほんの少しだけ風を呼ぼうと意識すると掌の上の辺りに気泡が生じて渦を巻く。

 そう言えば、むやみに魔法は使うなって言われたんだったな。悠貴は笑って呼ぶのを止めて掌を握る。

 そして、目を海に移した。海を見つめながら波の音を聴く。上半身を湯から出す。潮風が火照った体に心地好い。



(魔法士になりたい……)


 好雄には良いことばかりじゃないと言われたが、自分の気持ちに向き合えば向き合うほど、この言葉にぶち当たった。悠貴は前のめりになっている自分を自覚する。



(それでも好雄の言う通り、ちゃんと色々と考えるべきだし、優依とか……他の人の話も聞かなきゃな……)

 好雄の話だと次回の魔法士の新人研修は年明け1月。登録と研修参加の申請は12月。
 

 魔法士に憧れていた。魔法を使える人間が(うらや)ましかった。

 今、ここにいるのは……魔法を使えるようになった自分。逸る気持ちが抑えられない。一方で、命のやり取りをするような世界に足を踏み入れることにもなる。

 自分の行く末を決めるのに2か月という期間が長いのか短いのか、悠貴には分からなかった。


 額から(したた)ってきた汗に悠貴は時間のことを思い出す。


 好雄を追おうと急いで露天風呂から立ち上がる悠貴。


 僅かに振り向いた悠貴の目に、陽光が明滅する海が入ってくる。海はどこまでも眩しく、そして空は透くような青に染め上げられていた。



 海と空の境界線。
 悠貴は境界線のその向こうを見つめ、汐風を(はや)す海望を後にした。
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