第21話 学年合宿 ~月影~

文字数 4,375文字

 頬を(つた)っていくのを感じる。全身冷たく感じるのに何かが伝っていく頬のその部分だけは(ほの)かに温かい。

 自分の血ではないかと思った。まだ出血が止まらないのだろうか。もはや痛みを感じない。それほどまでに自分は死に近づいているのだろうか。心地よい気持ちすらしてくる……。

 頭の下には柔らかく暖かい何か……、そこまで思って悠貴は瞼を開けた。ぼやけた視界が徐々にはっきりとしてくる。見慣れた優依の顔。瞳から絶え間なく涙が溢れては悠貴の頬をめがけて落ちていく。

 優依は悠貴が目を覚ましたのを見留めると顔を間近に寄せる。長い前髪が顔にあたって悠貴は少しくすぐったいと思った。


「ゆい、俺は……」

「助かったよ……私たち……」


 優依が何を言っているのか分からなかった。絶体絶命の危機。異形との戦いの最後の方の記憶ははっきりしない。あの状況から、しかも相手はおぞましい化け物。何がどうなったら、何をどうしたら助かるのか……、どう考えても不可能なように思えたが、当の現実がそれを力強く否定している。好雄が助けにでも来てくれたのだろうか。

 眼前の優依を見ながら思う。聞きたいことはたくさんある。なぜコテージから飛び出して森を駆け巡ったのか。あの異形は何だったのか。そしてあの(いわ)は何なのか……。しかし、取り敢えず、

「ゆい、無事で良かった」

 優依から嗚咽が漏れる。ごめんなさい、と繰り返す優依。ふと視線を周囲へ移すと影が見え、それを辿っていき傍らに好雄も控えていることに気づく。

「よしお……」

 自分と優依以外の人物の存在に気が付いてから急に今の状況を客観的に把握する。いまだに間近にある優依の顔、そして太股……。膝枕をされている自分が急に恥ずかしくなる。起き上がるような素振りを悠貴が見せると優依はそれ察する。

 離れる前に何か言いたそうな表情ではあったが、上半身を起こす。

 悠貴はゆっくり起き上がる。異形の爪が薙いで樹木に叩きつけられた。沢で盛大に転んで全身を打った。起き上がりながら体中に走るであろう痛みに備える……、が痛みは全く感じなかった。そのことにどこか釈然としない思いを抱きながら立ち上がり好雄に正対する。

「ありがとう、悠貴」

 好雄が姿勢を正して立礼する。深々と頭を垂れながら続ける。

「優依は魔法士同期。大切な仲間だ」

 魔法士同期の連帯感は強い。仲間であり戦友だ。一生の付き合いになる者も多い。ましてや好雄と優依は同じ大学、サークルの同窓。

「俺独りで合宿中、優依を支えていこう、助けようと抱え込んだ結果がこのザマだ。

との絡みがあるとは言え俺の失態だ。優依が死んで危うく一生後悔する所だった」

 さらに続けようとする好雄を立ち上がった優依が制する。

「違うの! 好雄君は悪くないよ! 私が勝手にコテージから飛び出して、皆に迷惑かけちゃって……!」

 優依が顔を下に向けて涙する。好雄もまた言葉が見当たらず(うつむ)いている。


 暫しの沈黙の後。

「皆、無事だったから良いんじゃないか」

 悠貴が静かにそう口にした。好雄と優依が顔を上げる。

「2人は魔法士だし、俺には知らないこと、分からないことだらけだ。2人が何か抱えていることだけは分かったけどな。中途半端に首突っ込もうとした俺も悪いし、それにやっぱ色々言えないこともあるんだよな……」

 やはりどこか寂しい気持ちが顔に出てしまうのを自覚し、俯き加減だった悠貴は顔を上げて言う。

「でもさ、取り敢えずそういう難しいの抜きにして……。うん、皆、無事だったんだから、それでいいんじゃないか」


 3人の表情が晴れる。気恥ずかしくなりそうな空気が流れそうになる、いや一瞬流れただろうか、その矢先。

「いやー、青春だね、うん」

 教官、と好雄と優依が反射的に姿勢を正す。悠貴が声がした方へ振り向く。

 魔法士のローブを纏い、黒淵眼鏡をかけた男が近づいてくるのが見えた。悠貴は何故かその男の存在よりも徽章の方に目がいってしまった。ほんの一瞬ではあったが本水晶(クリスタル)の輝きに目を奪われた。

「うんうん、ホント良かったね。まさか施設(うち)の連中が君たち2人を見つけた時にはもう君たち自身で解決してたなんてねぇ……。いや、ん、あれ、てかこれもしかして無駄足だったんじゃ……」

 男は少しふざけた声音で無駄足と言ったが決してそうではなかった。少し開けた場所であったことが幸いし、比較的すぐに施設から飛び出した魔法士のうちの1人が2人を見つけた。

 瀕死の悠貴の側で優依は魔法力(ちから)を使い果たして為す(すべ)もなかったが、自らのローブの裾で必死に止血していた。少しでも体温を保たせようと抱き抱えていた。

 そして、応援に駆けつけた他の魔法士、そして何より教官と呼ばれた男の治癒魔法で悠貴は一命をとりとめた。

 魔法士になりしばらく経験を積むとその中でも優秀な者から新人研修所の教官に任命されることがある。教官と呼ばれた男、手塚は現在は魔法士研修所の所長でもあるが、好雄と優依は自分の新人研修の時の癖で未だに教官と呼んでしまっている。当の本人はそれを拒んではいなかった。

「君が、ゆーき君? 初めまして。悪かったね、私の

が迷惑かけちゃって」

 手塚は静かに破顔する。それにしても、と続けた。

「君は筋がいいね。

の切り口、よく練り込まれてる、良い魔法(かぜ)だね」

 悠貴は手塚が指し示した方に目線を移す。先程まで自分と優依が対峙していた異形。少し離れてはいるが直感的に骸と化していることが分かる。

 それはどうにかすると灌木と見間違う程度まで無機質なモノに成り果てていた。そうは思うものの、自身に刷り込まれた先刻までの記憶が恐怖を呼び覚ます。自分はあれと対峙していたのだ、と。

「うんうん、何よりも風の『呼び方』がいいね、自然体だ。無理矢理じゃない。どうも私くらい経験積んできちゃうと呼び方が荒っぽくてね」

 笑いながら話す男の言っていることが頭では分からないが感覚では分かる。そう、『呼ぶ』のだ、と。ただし分かるのはその感覚だけだ。

「最初でね、うん、あんな大物を殺るってのは中々無い経験だよね、まあその代償も大きかったかもしれないけどね、もう身体は大丈夫かい?」

 殺る……? 今の今まで、あれが骸と化した結果にしか思いが至らなかったが、手塚の言葉でその過程に思考が及んだ。殺る。その言葉を投げ掛けられているのは紛れもなく自分だ。手塚は真っ直ぐに自分を見据えてそう告げた。ということは自分が異形あれを……。

 混乱する悠貴を余所に手塚は続ける。

「あぁ。あれはたぶん『狩り』から漏れた奴がそのまま野生化して大きくなっちゃったんだね。この間の新人研修組は仲が良かったのはいいんだけど詰めが甘いのが多かったからね」

「教官……、その辺りは守秘義務に触れるのでは……」

 戸惑いがちに好雄が手塚に問いかける。今の今までこの守秘義務を犯すまいと必死にやってきた。ある意味では悠貴や莉々にそのせいで事情を明かせなく敢えて辛くあたったりもした。それが今の状況に繋がったとも言えた。それをこんなにあっさりと……。

「よっしーは頭堅いなぁ。普段のキャラとの線引きがはっきりし過ぎてるよ。公私混同しないようにって……、根が真面目だからね君は。もっと余裕持たなきゃ」

 脱力しながら、痛いところを突かれたと思った。好雄にも自覚はなくはない。普段のお調子者キャラが定着していて自分でもそれに心地よさを感じているが、どうしても魔法士の仕事の時は襟を正さねば、と自分にも他人にも厳しくなってしまう。

「うん、まあそれが君の良い所なんだけどね。でね、守秘義務に触れるか触れないかで言えば触れるよね、そりゃあね。特に『狩り』の話はかなりまずいだろうね」

「ではやはり……」

「まあまあ、最後まで聞きなさい。ゆーき君は覚醒したんだよ、魔法に。早晩、登録するかどうか決めなきゃいけなくなるし、その先の生き方とか色々と考えることも出てくる。すぐに登録して研修を受けるっていうならある程度の覚悟もしておいた方がいいよね。彼はもう立派な資格者(まほうつかい)だよ。つまり関係者、いや、もはや当事者とも言えるね」

 それは、そうかもしれない、と好雄は思った。これから悠貴は様々なことを考えていかなきゃいけない。逡巡の後、好雄は静かに頷いた。

「ちょっと待ってください!」

 それまで呆然と手塚と好雄の会話に聞き入っていた悠貴が割って入る。

「俺が……異形あれを倒して、その、魔法が……え……」

 口にするのも憚られるような気がした。魔法が使えるようになった、などと。いきなりそんな荒唐無稽なことを言われてもとても信じられない。しかし……。

 手塚は静かに夜空を見上げた。手を後ろに組みながら。自室の窓から見た月は綺麗に森を映えさせていたがここから見上げる月も悪くない。

「そうだね、最初は頭ではそう思うだろうね。でもね、

感覚、もう分かっちゃったよね?

感覚、もう知っちゃったよね?」

 夜空を見上げながら手塚は視線だけ悠貴へ向けた。

 未だに信じられない悠貴。頭がそれを理解することを拒む。だが目の前の男が言うことを否定できないのもまた事実だった。感覚的にはもう分かってしまった。幼子が初めて自転車の乗り方を感覚的に修得するかのように。

「よっしー、ゆい」

 手塚は2人に向かって言う。

「彼はこれから大変だ。先輩として助けてあげなさい。彼が良い選択を出来るようにね」

 手塚は軽く腕を挙げる。それが合図となり、施設から出てきた4人の魔法士は森へと消えていった。気がつくと骸もまた見当たらなくなっていた。

 手塚も彼らと同じ方向へと歩き出し、広場と森との境目辺りで振り向かずに口を開いた。

「じゃあまたね、ゆーき君」

 残された3人は森の中に消えていく手塚の背中をずっと眺めていた。手塚が消えた森には3人が残り、そして静寂が辺りを包む。

 好雄が、戻ろう、と言い歩き始める。悠貴と優依もそれに続く。再び森へと立ち入るが3人ということもあって不思議と恐怖感はなかった。

 少し歩いて悠貴は振り向く。自分たちがいた、その場所。僅かに開けた空からか細く注ぐ月光が地表と樹木をおぼろげに浮かび上がらせる。それをそこはかとなく見やっていたが、優依に呼ばれ再び前を向き、そして歩き始めた。
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