第7話 学年合宿 ~黄昏~

文字数 2,658文字

 始まりの山の出現は世界を震撼させた。

 この世の終わりだと人々は口にし、世界は、社会は混乱を極めた。

 いつか、ある日突然、自分が立つこの場が隆起して、そして自分は飲み込まれてしまうのではないか、と。


 逃げ出す者、狂乱する者、祈る者、諦める者……。

 人々は次に何を起こるかを知らず、知り得ず日々を過ごすしかなかった。

 いつ止むとは知れない極度の不安に人々は(さいな)まれた。不安に耐えきれずに人倫に(もと)る行為に走る者が散見されるようになった。

 次第に治安は悪化し犯罪が横行するようになった。混乱に乗じた窃盗や強盗は日を追って増えていき、人が殺められることも珍しくなかった。


 統治側でも人心は乱れ、私腹を肥やそうという者、不正を働く者、自分だけは助かろうと保身に走る者が跋扈(ばっこ)した。

 警察、公安関係は忙殺された。現行の警察力では対応できないと国は新たな治安維持機関、情報機関を設置。そして、未曾有の事態に対処するため国はこれらの機関に超法規的な権限を数々与えた。

 混乱の早期終息が第一とされ手段は選ばれなかった。表沙汰には出来ないような行為が各地で行われたがそれら全ては見事なまでに隠蔽された。都市圏(エリア)への強制移住が同時進行で行われたこともあり、国民の目に触れることはなかった。
 また国民の側でも求めたのは社会の平穏だったので、噂に聞いた醜聞も黙殺するといった風潮だった。




 ──そして何も起こらなかった。


 日本の、南関東の、一つの街が、突如として「山」となった、ただそれだけだった。


 幾月かが過ぎ、人々は落ち着きを取り戻し始める。


 そして……、当初、始まりの山──当時はまだこのようには呼ばれていなかったが──の出現により、犠牲となったと思われていた、消えた街の人々が何事もなかったかのように各地に姿を現した。


 それらの人々には始まりの山が現れた瞬間の記憶はなかった。各々が、それぞれの日常生活を送り、そして、気づいたら知らない場所にいた。ただそれだけだった。


 それから暫くして、各地で魔法に覚醒する人々が現れた。

 それまでは突如現れたこの山を人々は災害としてとらえる節があったが、魔法がこの世界に現れたことで、山は神聖視されるようになった。


 魔法使いがこの世界に現れるきっかけとなったことから、いつしか人々はこの山を、始まりの山、と呼ぶようになった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 西陽が照らすバスの中。合宿に浮かれ騒がしくしていたサークルの誰もが始まりの山を目に映し、黙り混んでいた。どこか厳かな空気が車内を包む。


 向かい合う悠貴たち。静寂を割って唐突に莉々が口を開く。

「なんかさぁ……」

 莉々の声を耳にした悠貴、好雄、優依は始まりの山から莉々に目を移す。莉々は始まりの山を見ながら続けた。

「私さ、なんか始まりの山を見てるとね、何て言うんだろう……、なんか懐かしくなることがあるんだよね……。やっぱ生まれて山ばっかり見てたからなのかなぁ」

 改めて、始まりの山に目を戻す悠貴。

「懐かしく……か。莉々の故郷の山もあんな感じなのか?」

 莉々が軽く吹き出して答える。

「そんな訳……。私の故郷の山はもっと綺麗よ。あんな、何もない山とは全然違うわよっ。ちゃんと木も生えてて川が流れて……」

 確かに、と呟くように言った好雄が続ける。

「始まりの山が異常過ぎるんだよ……。あの山ってさ、いきなり現れたのって俺たちが生まれるよりも前の話じゃん? その頃の映像も写真も残ってるけどさ……、驚く位、今と変わらないのな。草も木も生えない……。鳥とか虫みたいな生き物もあそこには全くいないんだってな……」

 悠貴は高校の教科書の内容を思い出した。今になっても山の出現の理由は分かっていなかった。長年の観察で、山には全く変化がないということは分かっていた。そして、どのような種の生き物も寄せ付けないということも。

 ふと、悠貴は好雄と優依の方を向いた。

「お前たちってさ、魔法士じゃん? お前らでもあの山には近づけないのか? お前たちみたいな不思議な力持ってる奴なら山に登ったり出来るんじゃないか? 俺、遠くからしか見たこと無くてさ……」

 聞かれた好雄は首を横に振って優依を見た。

「私もないなぁ……。試したこともないし、あと試してみようって思ったこともね。あの、えと、自分で言うのも何だけど、魔法士って結構色んなこと特別に許されてたりするんだけど……、あそこは本当に一部の人しか入れないから……」

 好雄が付け加える。始まりの山の周辺には国による緩衝地帯が設けられている。更にその緩衝地帯を高い壁が囲んでおり、マンパワーと機械を駆使した厳重な警備網が敷かれている。


「だからさ、実際に俺たち魔法士でも登れるかどうかは分からないな……」


 言った好雄が始まりの山を見る。残る3人も好雄に倣って、改めて始まりの山を見る。始まりの山は西陽に照らされて燃えるような色をしていた。


 好雄は少し気だるそうな表情で続けた。

「俺たち魔法士の中にはさ、なんか始まりの山を神聖視して『聖地』って呼んでる連中もいるんだよ。そういう奴等は自分が魔法を使えるようになったことと、始まりの山を完全に結び付けている。あの山のお陰で自分たちは覚醒したんだ、ってな。で、自分たちは選ばれた人間なんだって……。物好きな連中だよホント……。俺はあんな山、気味悪くてしょうがないけどな……」


 優依がこくんと頷き、好雄に続く。

「私も……。あの山見てると……、なんか怖くなってきちゃうな……。好雄君が言うように私の魔法士の知り合いの中にも始まりの山を凄く大切に考えている人いるけど……」


 静かな車内。


「あー、もうなんか辛気くさくなってきちゃったじゃん! せっかくの合宿なんだし盛り上がらないとっ」

 明るく声を上げた莉々。
 好雄が立ち上がる。

「良く言った、莉々っ。その通りだ。みんな! 1年生だけの学年合宿だぞ! 先輩たちもいないから気を遣わなきゃいけない相手もいないんだし、羽目外していこーぜ!」


 好雄の号令に応じて「おー!」と全員で声を合わせて叫ぶ。それを合図にして車内は再び騒がしくなった。


 悠貴たちのボックスでも好雄が中心になってゲームが始まった。盛り上がる中、悠貴はもう一度、窓の外を眺めた。

 陽は沈みかかっている。紫紺の空に始まりの山が消えようとしている。自分の目の前の同級生の魔法士はそれぞれの思いを口にした。魔法士としての思いを。


 ──魔法かぁ……。


 思った悠貴は軽く頭を振った。
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