第32話 学年合宿 ~追憶【好雄と優依の新人研修編8】~

文字数 3,715文字

 優依の不安は日に日に積もっていた。優依の目に映る朽木。以前とは違う不自然な快活さ。実技演習に熱っぽく取り組む姿勢。それまでの優依が知っている、どこか卑屈だが優しい朽木とはまるで違っていた。その朽木を目で追いながら優依は思う。


(あの無理は……、続かない……)


 頑張っていること自体は応援したい。しかし、自分にはどうしても不安に思えてしまう。どうにか話を聞きたい、話をしたいと思うが面と向かうとその勇気がどうしても出てこない……。



 午前の実技演習。相変わらずの容赦ない陽射し。

 優依たちG(グループ)1の5人は他のグループと同じように魔力による(シールド)の練習をしていた。


(あ、あれ……。なんだか体がフワフワする……)


 足元がおぼつかない様子の優依。その優依の様子に気付いた侑太郎が駆け寄る。

「ゆいさん……、体調悪そうですけど……、大丈夫ですか?」

 心配そうにする侑太郎に優依は笑む。

「だ、大丈夫だよ、ゆたろー君。心配かけちゃってごめんね。練習続けよう……」

 言って歩きだした優依だったが……。

 (あ、あれ……)

 目の前が白くなり、身体に力が入らなくなった優依はパタリと倒れた。


「ゆい!!」


 身体を起こそうとする優依に好雄が呼ぶ声が聞こえる。直ぐに駆け寄った好雄や侑太郎に抱えられて優依は医務室に運ばれていった。




「熱中症と……、あと疲労ですね。あまり寝ていないみたいですね。横になっていれば直に良くなると思いますから何かあったら呼んでください」

 そう伝えてきた医務官に頷く優依。


 薄いカーテンが閉じられて薄暗くなったベッドで優依は目を閉じる。まだ世界が回っているような感覚が(ぬぐ)えない。


 考えてみれば当然だった。毎日の炎天下での演習は辛かったし、昼過ぎから夕方まではすっと講義がある。疲れていることは自覚していたが朽木のことを考えると眠れなかった。


(……ダメだなぁ、私……。何も出来ない……、何もしてあげられていない……。うんうん、それ以前に自分のことだってちゃんと出来ていない……)


 優依はその日の午後の講義は休み、夕食には顔を出したものの食欲はなく、スープだけ口にして自室に戻った。

(はぁ……。まだ少しフラフラする……)

 手すりを掴んだ優依は足に力をいれる。
 部屋へ戻った優依はそのままベッドで横になった。


(早く元気にならないと……。朽木さんのこともだけど、このままだと私のせいで皆に迷惑かけちゃう……)


 また朽木のことを考え込んで寝られなかったら……と案じた優依だったが体が限界だった。直ぐに眠りに落ちた。




 深夜。
 優依はふと目を覚ました。
 部屋は暗く、カーテンの外から入ってくる(わず)かな光だけが辛うじて室内の光景を浮かび上がらせる。


 仲間にはもう心配をかけたくない。少しは寝られたようだが本調子には程遠い。演習場で倒れて好雄、葉月、侑太郎には散々心配をかけた。明日も午前から演習がある。

(ちゃんと寝て休まなきゃ……)


 目を閉じる優依。疲れているし、凄く眠い……。しかし、眠ることが出来ない。


「はぁ……。やっぱり寝れないなぁ……」


 優依は身体を起こして少し天井を眺めた。このままこうしていても寝られる気が全くしない。外の空気でも吸おうかとベッドから立ち上がる。昼間に倒れたときの感覚が(よぎ)ったが大丈夫そうだった。


 残暑の時期とはいえ深夜。しかも高原。
 寒がりを自覚している優依は書卓の椅子にかけてあったカーディガンを羽織って静かにドアを開けて外へ出る。

 暗闇に慣れた優依の目には廊下の明かりが眩しかった。目を細めて廊下を進み階段を降りていく。人気がない施設内、優依の足音だけが響く。


 1階のテラスへ向かう優依。3階から上が研修生の生活スペースになっていて1、2階はこの時間は灯りが落とされている所が多かった。テラスへ向かう廊下も暗くはないが夜を忘れさせるほどの明るさはなかった。


 テラスへ続くガラス戸を開けた瞬間、夏と秋の境目の香りがした。外へ出てテラスのベンチに座る優依。建物の中から漏れ出る光量は僅かで、折角明かりに慣れてきた瞳は今度は周囲の闇を捉え切れないでいる。


「ふぅー……」

 深呼吸をした優依は夜空を見上げる。

「そう言えば……、研修に来てから星なんて見てなかったなぁ。せっかくの高原なのに……。こんなに綺麗だったんだ……」

 正直な所、余裕がなかった。初めての場所、初めて知り合う研修生、実技演習、講義……。どれも新鮮で面白く楽しいと思えた。

 しかしそれでも一日の大半を他人と共にして独りになれる時間が極端に少なかった。思い返してみればこうして自分から独りの時間を作って過ごすのは研修中初めてだった。


(楽しいし……、凄く有意義なんだけど……)


 研修は楽しいばかりではないだろうことは来る前から分かっていた。しかし、覚悟していた辛さとは少し違っていた。体力的な辛さや魔法を使いこなせない自分の不器用さは勿論だったが……。


(朽木さんのこと……、一体どうしたらいいのかな……)


 妙にやる気を出して活発になった朽木を以前のように本人の目の前で悪く言う研修生はいなかった。しかしそれは朽木のことを認めたということではなく、朽木の不気味さから距離をとった結果のように優依には思えた。実際、影では朽木のことを相変わらず(さげす)んでいて、その声は優依の耳にも届いていた。


 どうにかしたいのに、どうにもならない。考えが空回りする。


「はぁ……。直ぐに解決は出来ないよね……」

 このまま考え込んでも寝られなくなるだけだ。寝不足で体調を崩してまた好雄たちに迷惑をかけてしまう。背伸びをした優依が部屋へ戻ろうとしたその時、視界の先、何かが動いたような気がした。


 優依の視界の先に広がる森。風で葉が揺れる。鳥かもしれない。そう思う、思い込もうとするが、全身の意識がそれを拒否する。

 直感的になぜかそう思わずにはいられなかった。そして視界の端で消えようとするその寸前に()()()の姿を捉える。

「えっ……。く、朽木……さん……?」

 そう思った刹那、優依は駆け出した。見かけた人影が朽木だと確信は持てなかったが、どうしてもあれは朽木だと思えた。


 森を進む優依。少しすると目が暗闇に慣れてきた。単色の闇の中で物の輪郭だけが浮かび上がる。やけに自分の呼吸が大きく聞こえるような気がした。それほどまでに辺りは静かだった。


(ど、どこ……。朽木さんはどこに……!?)


 朽木に思えた人影を追って森へ入った優依だったが直ぐにその人影を見失った。魔装して森を闇雲に駆け回る優依。


 体力も十分ではなかった優依。魔装がきれて立ち止まる。

 膝に手をついて、はあはあ、と息をする優依。


 ──ふと、微かに水が弾ける音がした。

 雨かと思って空を見上げる。枝葉で(さえぎ)られていて良くは見えないが少なくとも雲はない。

 優依は息を整えて一度目を閉じる。耳を澄ませる。

 水が弾ける音が一定の間隔で聞こえる。その音だけを頼りに、時に木陰に隠れるようにしながら慎重に森を進む。



 そして、目の前に現れた光景に息を呑む。彼は確かにそこにいた。


 優依が木立に紛れて覗き見るその先。
 朽木は塀に向かって水の魔法を射かけている。
 足元には池があった。

 朽木が魔法で放った水球は塀にぶつかり弾け飛ぶ。そうして弾け飛んだ水球は無数の水滴になり池に落ちてピチャッと音を立てた。


 それを追うように穿(うが)たれた塀からこぼれ落ちる欠片(きけら)に変じた壁の一部も池へ落ち、そして沈んでいった。


(く、朽木さん……。一体何を……)


 本当なら直ぐにでも朽木に駆け寄りたい優依だったが足がすくんで動けない。異様な光景に目を奪われていて朽木が振り向いたことへ対応が一瞬遅れた。


「だ、誰だ!?」

 朽木は背後に気配を感じて振り向く。

「えっ……」

 一瞬、優依が立っていたような気がした。朽木は「ゆいちゃん……」と声を発したが、どこかその優依の姿がぼやけている。輪郭がはっきりしない。

 頭を振って目を(こす)る朽木。再び同じ場所を見る。誰も居ない。


「は、はは……。ゆいちゃんの幻が見えるなんて……。やっぱり私ももう限界なんだな……。は、早く外に出ないと……」

 朽木は塀に向かい直し、作業を続けた。




 ──優依は両手で口を押さえて息を殺す。

 朽木が見たのは正に幻影(現実)だった。少し距離はあったが朽木に姿を見られたと確信した優依は直ぐに魔法で自らの姿を(幻影)に重ねてそのまま近くの木の裏に隠れた。

 朽木が自分には気付いてはいないと分かり胸を撫で下ろす。ゆっくりと慎重にその場から離れ、森から抜けて施設が見えると全力で走った。

 建物の中に入り、ホールと階段と廊下を走り抜け、自分の部屋に駆け込む。


 鍵を掛けてベッドと書卓の間で立ち尽くす優依。出ていった時と同じく部屋は薄暗い。

 優依の視線の先は定まらず(いたずら)に部屋をさ迷う。

 カーテンの端々から部屋へ薄く入り込む月明かり。
 行き場のない視線の先は一頻(ひとしき)り部屋を駆け巡り終わったがそれでも息は荒く落ち着かない。走ったせいばかりではない汗が止まらない。伝う汗が顔から滴り落ちる。


「何……、あれ……」


 感情を含まない声でそう呟いた優依はカーディガンの裾を強く握り締めた。
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