第41話 望む夜空に星は瞬かない

文字数 3,001文字

 たかだか2泊3日の間いなかっただけなのに自分の部屋はどこか他人の家のような香りがした。見慣れたはずの光景がやたらと懐かしい。

 台所を兼ねた短い廊下の先にある部屋は暗い。悠貴は背負っていたラケットバッグをベッドの横に下ろすとそのまま寝転がった。


 合宿で溜めた着替えを早く洗濯機に放り込まなければいけない。頭ではそう思うのだが思うだけだった。悠貴は仰向けで手足を伸ばし、そのままの姿勢で中空を眺めている。


(ホント合宿では色んなことあったな……)


 テニスもした。温泉にも入った。仲間たちと騒いでBBQもした。それだけなら普通の合宿になったはずだった。


 普通ではなくなったのは、森で怪物に襲われて魔法が使えるようになったからだった。優依を追って森に入り怪物に遭遇して殺されかけた。
 何とか優依を助けたいと願って、風の魔法に目覚めた。帰りには好雄や優依の過去のことについても聞いた。


 余りにも沢山のことがあった。


 それでもそれらを押し退けて悠貴の口から出てきたのは、

「これから……、か……」

 の一言だった。


 魔法士になる。その気持ちに揺らぎはない。それでも好雄や優依の話を聞いて、ただ「なりたい」という気持ちだけで結論を出すことではないように思えた。



(好雄も優依も……大変な思いしてるんだよな……)


 悠貴は頭の向きを変え、何気なく中空に向けていた視線を動かす。

 合宿に持っていって床に放置されているラケットバッグ。合宿中に係として使った雑多な物も取り敢えず自分が持ち帰ったので行きよりも帰りのほうが重かった。


 小さいテーブルの上には合宿初日、出掛ける前の朝食で使った食器がそのままになっている。集合先に向かう途中で思い出したが片付ける為だけに戻ろうとは思わなかった。

 テーブルの下には大学の授業で使うからと買わせられて一度も開いていない教授の著書。古本で買ったのに3000円もした。


 テレビの前には小さなぬいぐるみ。ドーナツ屋の景品で貰ってテレビ台の左端に置いてある。テレビを見るときに視界に入り、毎回動かそうと思うのだが何となくそのままにしている。


 そうやって部屋を見回しているうちに、久しぶりだった自分の部屋が馴染んできた。やはり自分の部屋は落ち着く。


「考えてみれば、合宿中……、一人で過ごした時間はほとんどなかったもんな……」


 言った悠貴の目に映る廊下から漏れる明かり。部屋の半分ほどを薄く照らす。

 特に理由もなく悠貴は寝返りを打つ。そうして向きを変えた先の視界には壁しかない。




 正直今でも自分が魔法が使えるようになったことが信じられない。悠貴は右手に集中して、呼ぶ。風がつむじを作る。


「魔法……か……」


 呟いた悠貴は身体を起こす。呼んだ風のつむじを少し大きくしてみる。


「自分で言うのも何だけど……、凄いよな、この力……」


 更に力を込める悠貴。


「うぉっ!」


 込めていた魔力の加減を間違えた悠貴。
 風は悠貴の掌の上から離れ、机の方へ向かう。


「や、やばい!」


 悠貴がそう口にしたのと同時に風が机の上にあった本や筆記用具を吹き飛ばした。散乱した机の周辺を見てため息をつく悠貴。



 その片付けをしながら悠貴は改めて考えてみた。

 せっかく目覚めた力だ。正式に魔法士になって使いこなしてみたい、挑戦してみたいという気持ちはある。森で化け物を倒したときの記憶はない。それでもどうやら自分が倒したらしい。


 ただ、今、自分がこの力を使いこなせているとはお世辞にも言えない。だからこそ、こうやって合宿から帰ってきて疲れているのに魔法で吹き飛ばされた物を片付けている。



 研修を受けて、訓練や経験を重ねて仲間を作り……、この力を使いこなせるようになってみたい。


 悠貴は吹き飛ばされた本をまとめて並べ終わって、ひとつ大きく息を吐いた。


「好雄……殺しちゃったんだよな、人を……」


 合宿からの帰り、海の見える温泉で聞いた好雄や優依の新人研修の話は衝撃的だった。


 優依を助けるためだった。仕方ないとは思うし、自分がその場にいたら好雄と同じようにしただろうとも思う。


 それでも自分がいざ本当にそういう場面に遭遇した時に、誰かを助けるためとはいえ、誰かを傷付けたり殺したり出来るのかと問われると自信はなかった。


 一通りの片付けを終えた悠貴はベッドに戻って腰かけた。


(優依はまだその時のことを忘れられていないし、好雄だって……。好雄の話……、結構前の話なのに凄く詳しかった。それだけ好雄だって忘れられてないってことなんだろうな……)



 悪夢に耐えきれず、過去に呼び起こされて森を駆け回った優依を見てもどれほど凄惨な出来事だったのか想像に(かた)くない。
 好雄だって研修を受けた時はまだ高校生だった、罪にはならないとしても心の傷は無くなっていないはずだ。



 悠貴は横になって、さっきまでそうしていた様にまた仰向けで天井をぼんやりと眺めた。


 悠貴にとって好雄や優依の話は確かに衝撃だったが、どこかで遠い国の話のようにも思えた。あまりにも自分の今までの日常とはかけ離れていた。

 それに対して、もし魔法士になって人を殺してしまうかもしれないということは悠貴にとって直接的で、そして主観的なものだった。逆に何かの事件に巻き込まれて殺される可能性だってある。


 魔法士になれば絶対的な権限が与えられる。人を殺しても罪には問われない。それでも自分が誰かの生をこの手で終わらせることに躊躇(ためら)いがない訳がない。



 改めて悠貴は自分に、問う。

 自分は国や誰かのために人を殺すことができるだろうか。

 自分は国や誰かのために死ぬことができるだろうか。




 何度考えてみても結論はでない。

 ふと悠貴は時計に目を移した。


「やばい……、もうこんな時間じゃん……」


 ばっ、と体を起こした悠貴は着替えを突っ込んだ袋をラケットバッグから取り出す。廊下へ向かい袋の中身を洗濯機に放り込んだ。


 一通りラケットバッグの中身を取り出して整理を終える。いつもそうしているように机の脇にラケットバッグを立て掛けた。


 夕飯を食べていなかったが時間も時間だし、とてもそんな気分にはならなかった。部屋の電気を消して悠貴は横になる。


 目を(つむ)る悠貴。合宿の疲れもあるし、とても眠かった。しかし、眠りに落ちそうなところで揺り戻される。

 魔法士になりたい。魔法士になる。
 自分の中で既に決まっているはずのこの答えが、遠い。


 寝ようとは思うのに、どうしても考え込んでしまう。

 魔法士になることの肯定と否定。何度かそれを繰り返した悠貴はベッドから起き上がった。



 悠貴はベランダに出てみた。大して広くはないベランダには洗濯物を干すとき位しか出ることはなかった。少し大きな通りに面したこの部屋は日中は街の喧騒が入り込んでくることも多いが夜は静かだった。

 こうやって悠貴が見下ろす夜の(とばり)が下りた通りには人も車も少ない。


 悠貴は視線を上げる。この辺りは都会にしては高い建物が少なく空が広い。大きく息を吸って、──そして吐く。

 空気に夏の終わりと秋の始まりの境界を感じとる悠貴。こうやって物思いに(ふけ)るには良い場所かもしれない。


 悠貴は夜空を眺めた。しかし、星々をたたえた高原の夜空はそこにはなかった。街の明かりが夜空の星を薄くしていた。合宿は終わって、魔法が使えるようになってここに戻ってきた。悠貴は少しだけ合宿前の自分に戻りたいと思った。
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