第34話 学年合宿 ~追憶【好雄と優依の新人研修編10】~

文字数 3,782文字

 それから数日が過ぎた日が朽木にとって『その日』となった。いつもと同じように塀を水の魔法で穿(うが)ち続けているとどうにも今までとは違った音がしたように聞こえた。

 近寄ってみると削れた表面にいくつかの亀裂が走っていた。朽木は目を見開く。

「い、いける……いけるぞ!」

 ついに祈りが天に通じたか、と勢い付く朽木。激しく塀を攻め立てる。施設から抜け出そうと画策してこうして夜な夜な塀に自らの魔法(思い)をぶつけていたが全く手応えがなかった。削るに際して音を立てず、そしてまた塀が大きく壊れてしまいそれで音が生じることがないよう……、そう考えて慎重にも慎重を加えて塀を壊そうとしていたため進捗は遅々としていた。

 それが気付けば塀に亀裂が走って削れている。気持ちが(はや)り手加減が難しくなる。何しろ魔力を強めると亀裂が大きくなり、表面からは塀が欠片となって落ちていくのだから自分を御することができない。

 目に見えて目標に近づいている。気付けば遠目からでも分かる大きなへこみが生じていた。塀の厚さはどれくらいかは分からないがこれを続けていけば外に出られる、自分の部屋(世界)へ帰れる。必ずやり遂げる。そう決心して今までで一番魔力を込めて水流を塀にぶつける。

 すると塀には呆気なく人一人が通れる程の穴が空いた。その穴を通ってひゅっと音を立てて吹き抜けてきた風が朽木の髪を揺らす。周囲の闇は濃かったが、穴の向こうに見える闇は一層濃くて吸い込まれそうだった。

「あ、あ、あ……、ああ……」

 恐る恐る塀に近づく朽木。鋭い眼光で塀の穴を見つめる。近づくにつれて穴の闇の中に向こう側の森の光景が浮かんでくる。浮かんできたと同時に走り出す。

 朽木の腰よりも少し高い辺りの穴によじ登りその穴を這って進む。穴の表面は所々とがっていて進む朽木の服に引っ掛かりその下の皮膚を切り裂く。朽木は全くそれに頓着せず穴を通り抜け、塀の穴から転げ落ちる。

 落ちて地面にぶつかった痛み、穴の表面に切り裂かれた痛みですら快感だった。立ち上がった朽木の目の前には施設側と同じように森が広がっていて自分が施設側に戻ってきてしまったような錯覚に襲われるが、足元に水溜まりが無いことが朽木に自身が塀を越えたことを悟らせる。

「は……ははは……あーはっ、は……」

 朽木は顔で両手を覆い小刻みに震え、そして(むせ)ぶ。朽木は森へ踏み入っていった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 午前の魔装演習。コツを掴んだと油断した好雄は魔装状態で行われた格闘模擬戦で葉月に()されてしまった。

 あまりにも無様な負け方だったので手塚から叱責があった上、他のグループの魔装演習落第組と共に午後の講義には出席せずに魔装演習の補習を受けさせられた。

 普段であれば午前の疲労を午後の講義中の自主的な睡眠学習で解消していた好雄は午前から夕方までぶっ通しの魔装演習で限界を超えていた。


 そうであったので好雄はその夜は熟睡していた。夢現(ゆめうつつ)揺蕩(たゆた)う好雄はどこか遠くから聞こえてくる音の糸を辿る。辿った先で好雄は目を覚まし、その音が自身の部屋の扉をノックする音だと気づいた。

 ふらつきながら扉の方へ向かうがその途中で書卓の上の置時計に目をやる。

(誰だよ……、こんな時間に……)

 思った好雄だったがハッとした。この時間に叩き起こされるとはただ事ではない。そして自身の周囲でただ事ではないことが起こり得る原因は一つしか思い浮かばなかった。


 表情を変えた好雄が部屋のドアを開ける。優依かと思ったが顔を覗かせたのは知らない男だった。まったく知らない訳ではない。何度か連絡事項を伝えられた施設の職員だった。


「や、夜分にすみません……! 手塚教官が至急来るようにと……」

 職員も焦っているようで、それだけ好雄に伝えると直ぐに駆けていった。

 好雄は急いで着替える。書卓の椅子に掛けてあった研修生用のローブを手に取って部屋を飛び出す。走りながらローブを羽織った。

 エレベーターの表示はどれも1階だった。舌打ちした好雄は階段へ向かい、一段飛ばしでかけ上がっていく。

「ハァハァ……。寝起きの全力階段ダッシュとか……冗談じゃねぇ……」

 魔装演習の疲れがとれない。身体が重い。それでも自分を叱咤(しった)する好雄が教官室が並ぶ階に着く。息を切らしながら廊下を駆け、手塚の部屋を見つけノックを省いて中に飛び入る。



「好雄君……」


 扉が開くと同時に好雄の目に入った優依が振り向く。その優依の横に葉月と侑太郎が立っていた。



「うん、来たね、よっしー」

 部屋を進んで優依の横に並んだ好雄の耳に入る手塚の声。若干は緊張感があったが、それでもやはり優依や葉月、侑太郎の様子との落差が激しかった。
 好雄がよく見ると室内には他にもローブを(まと)った職員が何人かいたが一様にピリピリしている。どこか手塚だけが浮いているように見えた。


「さて、困ったことになった。朽木さんが施設の塀を破壊して逃走した。塀は魔法を使う者(研修生)のことを考慮して相当厚みがあって堅牢なはずなんだけどね……。それほどまでに彼には脱走しなければならない理由があったらしい……」

 好雄は横目で優依を見る。優依は下を向いたままだった。

(俺が……、俺が優依から朽木さんのことを聞いて、もっと上手くやれていれば……)


 悔恨の思いに包まれる好雄。
 朽木の様子がおかしいと優依には相談されていた。その朽木が夜に森に入って怪しげな行動をしている。その経過は分かっていたはずなのに何も出来なかった。

 そして、好雄は敵意ある視線を手塚に向けた。なぜ、自分達が報告したときにすぐ手を打たなかったのか、なぜ様子を見るなどと悠長なことを言ったのか……。


 手塚が好雄たちに向かって口を開く。

「何か正当な理由があれば我々に相談して(しか)るべきだが、私を含め、職員には一言も無かった。我々には言えない事情だとすると事は重大だ。我々に言えない、我々に隠すべき理由……。今回の一連の彼の行動と合わせて考えると……、もしかすると国に反意を持つ集団との繋がりがあるのかもしれない……」

 今更それを言うか……。手塚の台詞を聞きながら好雄は拳を握る。自分たちが報告したときに直ぐに手を打っていればこうはならなかったはずだ。


 優依はやはり下を向いたままで、葉月と侑太郎も何も言わず手塚を見る。


「よって我々はこれから国家反逆の疑いがある彼を拘束しなければならない。必ず。失敗は許されないね。そこで、職員だけでは頭数が心許(こころもと)ないので、彼と同じグループの君たちに協力して欲しいんだ。彼を捕まえて連れてきてくれないか?」

 そう言って手塚は視線を4人へ向ける。

 何を言っているのか分からないと呆気にとられた好雄たちは手塚を見返す。そんな4人に手塚は遠い目をして、続ける。

「場合によってはね……、殺害することも許可する」


「え……」

 ()()の声が重なる。手塚の言葉の意味を把握できず立ち尽くす。「サツガイ」と3人の頭には入ってきたがその正確な意味を理解することを脳が……自分の意志が全力で拒んでいる。



「そ、そんなことできるわけないでしょ!?」

 一歩進み出た葉月が叫ぶ。

「そ、そうです! いきなり殺すだなんて、第一、僕たち、人を殺すなんて……犯罪じゃ……」

 姉の葉月に続いた侑太郎も息を荒くしてそう言った。


 詰め寄ってきた2人を(さと)すように手塚が返す。

「魔法士である私にはそれができる……。そして、まだ正式に魔法士ではない君たちにそれをする権利を与えることも私にはできる……」

 魔法士に与えられた大権。
 4人には1人の男を殺害する権利が与えられた。


「そんな……」

 葉月がそう口にしたのを最後に3人は絶句した。



 部屋を沈黙が包む。そして、その沈黙を破る凛とした声が部屋に響いた。


「……分かりました。朽木さんを連れてくれば良いんですね?」

 好雄たち3人がそう言った優依を見る。その瞳に強い意思を宿して手塚を見据えている。


(優依……)

 好雄は驚きを隠せない。
 ずっと朽木の事を案じていてその為に自身の体調まで崩している有り様だった。その優依に対して朽木を捕らえ、場合によっては殺害せよと命じた手塚。泣きわめいて助命を嘆願する姿なら想像できるが、目の前の優依は教官である手塚に臆することなく対峙していた。付き合いはまだ短いが好雄は優依のそんな姿は見たことがなかった。



 ちゃんと殺さず(無事)に連れてくるから手を出すな。口には出さないが視線で伝える優依。


 手塚はその優依を静かに見返し、笑みを浮かべ口を開いた。

「うん、そうだよ、ゆい。穏便に済ませられるならそれに越したことはないからね」



 正対する、優依と手塚のあまりにも対照的な表情。

 優依は頷いて、失礼します、と外へ出る。


「え、ちょっと……、おい、優依!」


 優依の迫力に気圧されていた好雄。いきなり部屋を出た優依を慌てて追う。葉月と侑太郎もそれに続いた。





 優依や好雄たちの足音が遠ざかっていく。手塚は近くにいた職員の魔法士を一瞥(いちべつ)する。手塚の意を悟ったその職員は軽く一礼し、他の職員を引き連れて部屋を駆け出していった。


 独り部屋に残った手塚。振り向いて窓の外に目をやる。

 窓を開けると夏の森の香りを薄く含んだ風が入り込んできて手塚の髪を揺らす。窓枠に両手をついて景色を眺め、ひたすらに遠い目をしながら呟く。

「──すまない」
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