第18話 学年合宿 ~悪夢~

文字数 5,073文字

 4人はコテージへ戻った。戻るとリビングで好雄と琴音が話していた。4人に気付いた好雄が声を掛ける。

「お疲れー! 明日の打ち合わせかっ?」

「まあな、でも明日は温泉くらいしかちゃんとした予定無いし俺たちももう寝るよ」

 と、志温は好雄に答える。

「皆は朝練どうする?」

 莉々は周囲を見渡しながら聞いた。自由参加ではあるものの明日もコートを3面借りている。

 何人かは行くつもりだと口にはしているが、今朝のように決まった練習ではないので、気持ち次第では寝る直前や起きた直後にやはり行かないという気持ちにもなりかねない。

 事前の打ち合わせでは、係から志温と好雄が、他のコテージからも最低限の人数を募り今のところ6人が行くことになっていた。

「てかさ、りりぃ、そこそこ人数いるんだし俺行かなくても良いんじゃないか? 昨日と比べるともう遅いし今朝の朝練で、俺起きれる自信が……」

「うっさい! 係でもなくて特に仕事とかしてないんだからしおんの相手くらいしてきてよっ」

「りりぃの言う通りだ。よしおが来なかったら明日の朝練が物足りなくなる。俺が絶対、どんな手段使っても起こしてやるよ」

 志温はそう言って好雄に釘を刺す。先程の係の打ち合わせの時に見せていた疲れた表情からは一変して明日の朝練へ気持ちが入っている。

「そう言えばゆーき、昼にグリップテープがどうとか言ってたよな。朝練どうする? もし朝練行かないなら今渡そうか?」

「朝練行こうか激しく迷い中なんだよなぁ。取り敢えず今巻いちゃうか、ありがとな」

 悠貴にそう答えられた志温は一段上がって和室(だんしべや)に入り、大きめのラケットバックの脇をまさぐる。

 グリップの握り加減に神経質な志温は常にお気に入りのメーカーのグリップテープを数本備えていた。確かな数は分からない。取り敢えずラケットショップに行ったときには毎回、「念のために」と購入していた。悠貴に一本くらい渡したところで問題はない。

 テープを渡された悠貴は和室に置いてあるラケットを手に持ち縁に座る。先程莉々と2人でそうしていたのと同じ様に。グリップに今巻いているテープをベリベリと剥がし始める。握りが少し太めのほうが好きな悠貴はこのラケットの購入時に既に巻いてあったテープの上に重ねてもう一枚テープを巻いている。これくらいの太さのほうがしっくりとくる。

 巻きながら悠貴は思う。今日は本当に色んな事があった、と。今朝、今自分がしているように志温がグリップテープを巻いている姿を見たときは今日一日がこんな日になるなどとは思いもよらなかった。

 早朝の朝練、皆が3面のコートに分かれてした午前練、昼食は合宿係4人でとり、森の一件、BBQ……。

 森の一件のせいか、朝練からの昼食の流れを除くと、同じ日の出来事とは思えなかった。それらの出来事はあまりにも一連性を欠いていた。

 それぞれの記憶ははっきりしているものの、それらは完成する前のジグソーパズルのように全体として何かしらの一つの絵になりそうな気はするが、文字通りバラバラだった。

 グリップテープの交換を続ける悠貴を余所に5人は男女に分かれて楽しそうに会話をしている。

 莉々と優依も間に琴音を挟みバイト先の愚痴やサークル内恋愛事情、家の門限の時間など会話が弾む。

 好雄と志温は夏の合宿の部内戦の思い出を語っていた。悠貴達のサークルは1学年20人程。4学年で凡そ80人。夏の合宿は4年生でも参加するものも多く、ダブルスの部内戦が毎年行われる。

 志温と好雄は2人でダブルスを組み、一年生ながらに優勝候補の一角だった。志温はオールラウンダーでミスが少ない。サーブ、ボレー、ストローク何をとっても穴がなくバランスが整っていた。メンタル的にも基本的に冷静で気持ちの切り替えも上手かった。

 対して好雄は好不調の波が激しい。乗ると手がつけられないが、ダメな時は何をやってもダメ。

 ボレーを得意とする好雄とミスなくストロークを続けられる志温の組み合わせは理想的だった。

 経験者の先輩と組む大門のペアにベスト4のところで負けたがそれは相手の作戦勝ちだった。集中的に好雄を狙ってミスを待つ。我慢の時間帯が続き膠着したが、次第に好雄のメンタルが殺られ最後の2ゲームは一方的な展開となった。

 3位決定戦に回ったが既にメンタル的に終わってた好雄の全てを志温がカバーすることは難しくあえなく敗退した。

 
 グリップテープを巻き終えると悠貴も好雄と志温の会話に加わる。少しして誰ともなく寝ようかという雰囲気になり女子は二階へ上がった。

 男子3人は布団を敷き、昨日と同じ配置で床に就いた。昨日に引き続き志温はすぐに寝てしまった。ふと眠そうにしおりに目を落とす志温の顔が浮かび悠貴は頬をゆるめた。

 合宿に来てから何度目になるだろう。悠貴は天井の木目を何ともなしに見ていたが視線だけ好雄の方へ向ける。リビングの間接照明が差し込むばかりの和室(だんしべや)

 その最奥で横になる好雄。微かに布団は動いているようにも見えるがそれだけだ。寝返りをうち昨日と全く同じ光景が目に入る。

 薄くオレンジに照らされたリビングとその奥の台所。目線を左に移し吹き抜けを見ると既に洋室(じょしべや)の明かりは消えていた。暫く眺めていたが今夜は明滅はない。

 体の向きを仰向けにして再度天井の木目を見つめる。風の音がする。次第に意識は落ちていった。


 ーー


 薄暗い二階洋室(じょしべや)。リビングから玄関へと続く廊下の右手途中に階段があり、上りきり、廊下というには申し訳程度、その右手にドアがある。

 洋室にはベッドが3つ。入って右手に琴音、真ん中に莉々、そして左手に優依が眠る。莉々と優依の枕元の上、その真ん中に吹き抜けからリビングを見下ろせる窓があった。

 部屋の他の窓から月明かりが入り、吹き抜けに通じる窓からリビングの間接照明のオレンジの明かりが入るが、共に微かなもので「明かり」というには心細い。

 3人は静かな寝息をたてて熟睡している。

 優依も寝付きはいいほうで今夜は2人と一緒に二階へ上がって布団に入りすぐに眠りに落ちた。布団がちょうど好みの柔らかさだったことが嬉しかった。昨夜も顔半分まで布団にくるまりその温もりを味わっていた。


 時計が幾ばくかの時間を刻む。

 少し外の風が強くなった。

 刹那、それまで穏やかだった優依の表情が曇る。


 ーー


 優依は森の中を全力で走る。木々が視界に入っては両脇に消えていく。

「ハァハァ……」

 息を切らして、それでも全力で駆ける。霧がかかる森。何度も転びそうになりながら走る自分が進む先に、同じ様に駆ける男が一人。

 距離は一向に詰まらない。森の黒の濃さと霧のせいでむしろ離されているのではないかとも思える。

 途中大きく転びそうになり、被っていたローブのフードが頭から外れた。それに構わず走り続ける。

 手のひらに水滴が当たった。雨かとも思ったが生暖かく感じ、それが自分の涙だと分かった。

 永遠に続くのではないかと思われた。自分は、自分の涙が枯れ果てても追い続けるだろう。いや、これが永遠に続いてくれるならば

ではないかとも思えた。

 思えた瞬間、追走劇は終わりを告げる。追いかけていた男が目の前で倒れている。首に、背中に、太股に刺さる木の枝の数が、男はもう助からないであろうことを伝える。倒れた男の横に、もう一人、男が立っている。


 優依は叫んだ。

 そして、

「ごめ……ん……なさい……」


 ーー


 飛び起きた優依の息は荒い。肩で息をしながら横の二人を恐る恐る見る。どうやら

では叫ばなかったらしい。

 途端に嘔吐感がこみ上げ二階の手洗いへ向かう。ごほごほと咽ぶが吐きはしなかった。顔を上げ、正面の鏡に映る自分を見つめる。

 暗闇に浮かぶ自らの顔。

 その自らの顔の横に懐かしい顔が映ったような気がして再び嗚咽が止まらなくなる。

 優依は鏡を見ていることが出来なくなり俯うつむいて静かに、押し殺したように泣く。流しの縁を掴む両手が震える。暫くそうしていた優依はゆっくりと顔を上げる。鏡に映る優依の瞳からは生気が感じられない。

 優依はふらふらと部屋へ戻り、自分のベッドの下に置いておいた大きめの旅行用のリュックの一番下から魔法士のローブを引っ張り出し、それを羽織りながら部屋を出る。

 階段を下り玄関を出て庭の方へ向かう。森の入り口が視界にはいる。

(……ゆいちゃん……)

 懐かしい声が聞こえたような気がした。優依は過去()の中でそうしていたように全力で走り始めた。


 ーー

 その少し前。

 悠貴は何かを感じ取って目を覚ました。眠りに落ちてから2時間も経っていない。それなのに異常なくらい冴えている。

 何だろう。気づくべき何かに気づけない、そのもどかしさ。

 その時だった。階段を駆け下り、

考えられないように彼女が乱暴に扉を開け外に出る音を聞く。

 直感的に優依だと分かり何かあったのかと考える間もなく走り出す。靴を履きながら外へ飛び出したため転びそうになるが体勢を立て直す。これもまた直感的に優依は森へ向かったと思い駆け出す。

 コテージの庭の横の小道、その先に小さな優依の背中が辛うじて見えた。一瞬、躊躇(ちゅうちょ)し、走る速度を落とす。日中の森での一件が脳裏を(よぎ)ったからだ。躊躇した自分を叱咤して再び全力で疾走する。

 走りながら思う。なぜ距離が詰まらないのか。運動が得意とは言えない優依。競走したらまず悠貴が勝る。

 そう言えば以前に好雄に聞いたことがあった。魔法士は自らに自らの魔法を纏わせることが出来るのだと。どのような属性でもそれにより自らに加護を施し肉体を強化できるのだと。

 優依は漆黒の森を躊躇なく駆けていく。対して悠貴には恐怖感があった。森の様子もそうだが、尋常ではない様子の優依に対する恐怖の方が今は勝っていた。一本道をただひたすら駆けていく優依。


(やっぱり昼間の場所に向かっているのか……)

 じきにあの開けた岩場も見えてこよう。そう思っていたとき優依は唐突に進む方向を右に変えた。

「えっ……」

 虚を衝かれた悠貴は取り敢えず優依が進む方向を変えた辺りまで来たが立ち止まってしまう。道はない。下には草が生い茂り、そして木々が無造作に立ち並びその隙間を漆黒が埋めている。既に優依の姿は見えず道の無い森を走る優依のその足音だけが頼りだった。

(くそ、行くしかない!)

 意を決して追跡を再開する。

 耳を頼りに進む。月は出ているが周囲は暗い。昼間と同じくやはり葉の天井が本来であればいつもより濃い今夜の月光を遮っていた。

 音だけを頼りにして駆ける。同じような景色の中を走っていると感覚がおかしくなる。登っているのか下っているのか、まっすぐに進んでいるのかそれとも曲がっているのか。同じところに何度も戻ってきているのではないか。

「スマホ持ってきときゃよかったな……」

 そう呟いた。呟く余裕が出てきたのは視線の先、優依の薄いピンクのローブが見えたからだ。

 魔法を使い続けるというのは相当に精神に負担がかかる。個人差はあるものの連続で使い続けられるのは並みの者で30分程。1時間続けられれば表彰ものだと、これもまた好雄から聞いた。

 優依の走る速度が落ちてきたとしたら30分は経っていることになるか。仮に直進しているとすれば昼間に好雄と優依と話した岩があった場所よりも遠くに来ていることになる。無事に帰れるだろうかとぞっとした。それでも走り続けて優依の背中が少しずつ近づいてくる。

「いける……」

 そう確信したその時だった。優依が軽く跳ねたように見えた気がした。構わず走って暫く、悠貴のすぐ目の前を沢が流れていた。足を踏み入れる悠貴。底が(ぬめ)っていて足をとられる。全力疾走していたことが祟り体勢を崩した悠貴は体を沢の岩に打ち付ける。

 その衝撃に酷い痛みを覚えたが、倒れる動作の最後に頭を岩にぶつけた刹那、痛みと共に意識が遠退いていった。
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