第14話 学年合宿 ~閑地~
文字数 3,220文字
(あれ……、莉々は?)
悠貴は辺りを見回す。横にいるはずの莉々の姿がない。鳥の声もせず枝葉が擦 れ合う音もない。黒い、無音の世界。
その世界の中で無限のように森の一本道は続いている。
足は鉛がまとわりつくように重かった。
木々の隙間を闇が埋める。空を見上げても一面の闇。時間の流れを感じさせない。そのうちに光景は逆転する。闇の隙間を木々が埋めるようになり次第に木々は姿を消す。
(あれ、俺……、こんな所でなにしてるんだっけ……)
暗い世界の中、視界が闇に覆われる。
闇に覆われた景色はいくら歩いても全く変化せず、悠貴に辛うじて残っていた「歩く」感覚を奪う。
景色に変化がなかったので方向感覚が狂う。進んでいると意識しているから進んでいると認識できているだけだった。実際のところはどこへ向かっているのか分からない。
試しに手を伸ばしてみるが闇を捉えたのみ。
そこで悠貴は足を止めた。
懐かしい景色が脳裏によぎる。小学生の頃、友人と放課後に通った駄菓子屋。50円を持っていけば殆どのものは買えた。自転車で街を駆け巡り空が茜色に染まった頃に家路につく。家々から夕飯の香りが漂ってきてペダルを漕ぐ足に力が入る。
犬の散歩をする老人とすれ違う。その先で視界に入ってきたのは買い物帰りの親子。
(そうだ……、俺も帰らなきゃ……)
(帰る? 帰るって何処へ……?)
自分で自分に問いかける。
(其所へ、だよ)
優しい聞き覚えのある少女の声がする。
(だからね……、戻ろう? 帰ろう?)
声に従って家路につこうとする悠貴。足を進めるのにつれて、向かう先はそこではないと自分を止める自分が大きくなっていく。
(俺は、俺には……やらなきゃいけないことが……)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「……ーき、ゆー……、悠貴! 悠貴!」
自分の名前を必死に呼ぶ、莉々の声。悠貴はゆっくりと目を開ける。視界が開けていく。今まで見ていた世界との境界線が凄くあやふやになっている。
(俺は……家に帰ろうと……、いや、あれ……)
今、見えている世界が自分が見ている世界なのだという確信が少しずつ強まり、さっきまで見えていた世界が意識の彼方に遠ざかっていく。
「俺は……」
気づけば道に横たわっていた。悠貴は上半身を起こす。その悠貴の腕に泣きそうな莉々が抱きつく。
「良かったよ、悠貴……。いきなり喋らなくなって、目は開いてるんだけど虚ろで……、立ち止まって座り込んで、そのまま倒れちゃって……」
「ごめん、俺、何か……」
「いい、しゃべらないで! もう大丈夫だから!」
立ち上がろうとする悠貴。腕にしがみつく莉々が止める。体にまとわりつくぼやけた感覚。少しするとその感覚も薄れていった。深呼吸をして悠貴は立ち上がる。
「よし、もう大丈夫だ」
座り込んだまま悠貴を見上げる莉々。
「もう戻ろう……? 2人のこともすごく……、すごく気になるけど。私はね、悠貴がまた変になっちゃう方が嫌だよ……」
心配そうにする莉々の頭の上に悠貴は手を乗せる。
「莉々、悪かったな、心配かけて。でもさ、もうホントに大丈夫だから。さっさと2人をつれてコテージに戻ろう。2人は?」
少し迷って莉々は答える。
「たぶんこの先。あそこら辺で森が終わってて……。その先は、分からない……」
莉々が指差した方を悠貴が見る。確かに木々の隙間が光っている。
体にまとわりついた不思議な感覚は無くなっていたが、あれは一体何だったのだろうという恐怖が悠貴に残る。その恐怖感を拭 い去ろうと悠貴は不承不承の莉々の手を引き、足早に進む。
森を抜ける2人。
風が駆け抜ける。
2人が森を抜けるのを待ちわびていたように、風は悠貴と莉々の前髪を揺らす。
森を出た2人は足を止めた。昼間なのに森が鬱蒼としていたせいか陽の光が久しく感じる。広がる空も凄く綺麗だった。
その光景に目を奪われていた2人だったが、落ち着いて、改めて辺りを見渡す。森の先は開けていて高い木は見当たらない。
悠貴は数歩、進んだ。目の前に広がる原。その原は悠貴の視界の奥で急に途切れていた。空との境界線があまりにもはっきりしていて、その先が崖になっているのだと気づくのに少し時間がかかった。
悠貴が更に先へ進もうとする。
後ろから莉々に服の裾を掴まれ、悠貴は振り返る。
「悠貴……、あれ……」
莉々が指で示した先に目を移す悠貴。
原と空の境界線上にそれ はあった。
「あれは……、墓……?」
悠貴が呟くように口にした。周りよりも少しだけ小高く土が盛られ、その上に形のきれいな岩が置かれていた。その岩の前に手向けられた花。そして……。
「紙、パックの……、100%……オレンジジュース……」
供えられたジュースの箱に書かれている文字を読み上げた悠貴は岩へ向かって一歩を踏み出し、……そして、そこで止まった。
悠貴の表情が凍り付く。止まらざるを得なかった。
木の枝が悠貴の喉元を捉える。
悠貴を捉える木の枝は明らかに異質だった。森から延びてきている枝は途中まで外見上は普通の枝だが、その先からは枝は枝でなくなる。鋭利なナイフのようになった木の枝が悠貴を取り囲む。
身動きが取れない悠貴。莉々の無事を確かめたかったが微動だに出来ない。
その悠貴の耳に聞き覚えがある少女の声が入ってきた。
「悠貴君……」
直ぐに声の主は誰だか分かった。この合宿中、同じ係同士、何回も言葉を交わした。
悠貴は視線だけ声のした方へ向ける。
「優依……」
悠貴の視界の端に入る優依。表情はローブのフードを被っていてよく分からない。怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。
悠貴が優依に向かって再び口を開こうとした時、別の方からやはり聞き覚えがある声が上がった。
「優依、少し幻惑の魔法が甘かったんじゃないのか? だから俺が言った通り、もっとキツめの魔法にしておけばよかっただろ……」
森から進み出てきた友人に視線を移す悠貴。
「好雄……」
視界の端に写った好雄はそのまま進み、悠貴の正面に立つ。
「で、でも……、悠貴君、魔法の耐性無いから、どうなっちゃうか心配だったし……」
まあな、と好雄は肩を竦 めて優依に返し、悠貴に背を向けて崖に立つ岩の方を見た。同時に悠貴を囲んでいた木の枝が僅かに悠貴から離れた。体を動かせるようになった悠貴は莉々の姿を探す。
「莉々!」
叫んだ悠貴が振り向く。莉々は悠貴の少し後ろにいた。同じように木の枝に囲まれて身動きがとれないでいる。
「ど、どうして……。ねぇ、この木の枝……、よっしーの魔法でしょ!? なんでこんなことするの!?」
莉々の叫びに好雄は振り向かない。ローブのポケットに手を入れたまま崖の岩を見つめている。
「ねぇ……」
莉々の声に好雄は背中越しに答える。
「質問には答えない。お前たちは何も見なかったし誰にも会わなかった。2人で森を散歩していたら少し迷ってしまった。ただそれだけだ。俺と優依もすぐに戻るよ。戻ったら全てはいつも通り。何も変わらない……。いいな?」
好雄は声のトーンを変えることなく続ける。
「今から2人の周りの木の枝を退ける……。お前らは振り向くことなく真っ直ぐ、来た道を戻る。絶対に振り向かずに、だ。安心しなって、一本道だ。迷わない」
頷く悠貴と莉々。
2人の周りの木のナイフはするする森へと戻り姿を消した。悠貴と莉々は無言で振り向き、言われた通り、森に向かって進んでいく。
向きを変えないまま、悠貴が口を開く。
「なぁ……、好雄、ひとつだけいいか? あれは一体……」
悠貴の脳裏に残る、崖の上の岩。その岩は誰かの墓ではないか、だとしたら誰の墓なのか……。なぜ好雄と優依がここへ来たのか……。
悠貴は足を止めて好雄の答えを待つ。好雄は無言のままだった。
悠貴は更に何か口にしようとしたが、莉々が首を横に振って思い止まらせる。
悠貴と莉々の姿は森の奥へと消えた。
悠貴は辺りを見回す。横にいるはずの莉々の姿がない。鳥の声もせず枝葉が
その世界の中で無限のように森の一本道は続いている。
足は鉛がまとわりつくように重かった。
木々の隙間を闇が埋める。空を見上げても一面の闇。時間の流れを感じさせない。そのうちに光景は逆転する。闇の隙間を木々が埋めるようになり次第に木々は姿を消す。
(あれ、俺……、こんな所でなにしてるんだっけ……)
暗い世界の中、視界が闇に覆われる。
闇に覆われた景色はいくら歩いても全く変化せず、悠貴に辛うじて残っていた「歩く」感覚を奪う。
景色に変化がなかったので方向感覚が狂う。進んでいると意識しているから進んでいると認識できているだけだった。実際のところはどこへ向かっているのか分からない。
試しに手を伸ばしてみるが闇を捉えたのみ。
そこで悠貴は足を止めた。
懐かしい景色が脳裏によぎる。小学生の頃、友人と放課後に通った駄菓子屋。50円を持っていけば殆どのものは買えた。自転車で街を駆け巡り空が茜色に染まった頃に家路につく。家々から夕飯の香りが漂ってきてペダルを漕ぐ足に力が入る。
犬の散歩をする老人とすれ違う。その先で視界に入ってきたのは買い物帰りの親子。
(そうだ……、俺も帰らなきゃ……)
(帰る? 帰るって何処へ……?)
自分で自分に問いかける。
(其所へ、だよ)
優しい聞き覚えのある少女の声がする。
(だからね……、戻ろう? 帰ろう?)
声に従って家路につこうとする悠貴。足を進めるのにつれて、向かう先はそこではないと自分を止める自分が大きくなっていく。
(俺は、俺には……やらなきゃいけないことが……)
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「……ーき、ゆー……、悠貴! 悠貴!」
自分の名前を必死に呼ぶ、莉々の声。悠貴はゆっくりと目を開ける。視界が開けていく。今まで見ていた世界との境界線が凄くあやふやになっている。
(俺は……家に帰ろうと……、いや、あれ……)
今、見えている世界が自分が見ている世界なのだという確信が少しずつ強まり、さっきまで見えていた世界が意識の彼方に遠ざかっていく。
「俺は……」
気づけば道に横たわっていた。悠貴は上半身を起こす。その悠貴の腕に泣きそうな莉々が抱きつく。
「良かったよ、悠貴……。いきなり喋らなくなって、目は開いてるんだけど虚ろで……、立ち止まって座り込んで、そのまま倒れちゃって……」
「ごめん、俺、何か……」
「いい、しゃべらないで! もう大丈夫だから!」
立ち上がろうとする悠貴。腕にしがみつく莉々が止める。体にまとわりつくぼやけた感覚。少しするとその感覚も薄れていった。深呼吸をして悠貴は立ち上がる。
「よし、もう大丈夫だ」
座り込んだまま悠貴を見上げる莉々。
「もう戻ろう……? 2人のこともすごく……、すごく気になるけど。私はね、悠貴がまた変になっちゃう方が嫌だよ……」
心配そうにする莉々の頭の上に悠貴は手を乗せる。
「莉々、悪かったな、心配かけて。でもさ、もうホントに大丈夫だから。さっさと2人をつれてコテージに戻ろう。2人は?」
少し迷って莉々は答える。
「たぶんこの先。あそこら辺で森が終わってて……。その先は、分からない……」
莉々が指差した方を悠貴が見る。確かに木々の隙間が光っている。
体にまとわりついた不思議な感覚は無くなっていたが、あれは一体何だったのだろうという恐怖が悠貴に残る。その恐怖感を
森を抜ける2人。
風が駆け抜ける。
2人が森を抜けるのを待ちわびていたように、風は悠貴と莉々の前髪を揺らす。
森を出た2人は足を止めた。昼間なのに森が鬱蒼としていたせいか陽の光が久しく感じる。広がる空も凄く綺麗だった。
その光景に目を奪われていた2人だったが、落ち着いて、改めて辺りを見渡す。森の先は開けていて高い木は見当たらない。
悠貴は数歩、進んだ。目の前に広がる原。その原は悠貴の視界の奥で急に途切れていた。空との境界線があまりにもはっきりしていて、その先が崖になっているのだと気づくのに少し時間がかかった。
悠貴が更に先へ進もうとする。
後ろから莉々に服の裾を掴まれ、悠貴は振り返る。
「悠貴……、あれ……」
莉々が指で示した先に目を移す悠貴。
原と空の境界線上に
「あれは……、墓……?」
悠貴が呟くように口にした。周りよりも少しだけ小高く土が盛られ、その上に形のきれいな岩が置かれていた。その岩の前に手向けられた花。そして……。
「紙、パックの……、100%……オレンジジュース……」
供えられたジュースの箱に書かれている文字を読み上げた悠貴は岩へ向かって一歩を踏み出し、……そして、そこで止まった。
悠貴の表情が凍り付く。止まらざるを得なかった。
木の枝が悠貴の喉元を捉える。
悠貴を捉える木の枝は明らかに異質だった。森から延びてきている枝は途中まで外見上は普通の枝だが、その先からは枝は枝でなくなる。鋭利なナイフのようになった木の枝が悠貴を取り囲む。
身動きが取れない悠貴。莉々の無事を確かめたかったが微動だに出来ない。
その悠貴の耳に聞き覚えがある少女の声が入ってきた。
「悠貴君……」
直ぐに声の主は誰だか分かった。この合宿中、同じ係同士、何回も言葉を交わした。
悠貴は視線だけ声のした方へ向ける。
「優依……」
悠貴の視界の端に入る優依。表情はローブのフードを被っていてよく分からない。怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。
悠貴が優依に向かって再び口を開こうとした時、別の方からやはり聞き覚えがある声が上がった。
「優依、少し幻惑の魔法が甘かったんじゃないのか? だから俺が言った通り、もっとキツめの魔法にしておけばよかっただろ……」
森から進み出てきた友人に視線を移す悠貴。
「好雄……」
視界の端に写った好雄はそのまま進み、悠貴の正面に立つ。
「で、でも……、悠貴君、魔法の耐性無いから、どうなっちゃうか心配だったし……」
まあな、と好雄は肩を
「莉々!」
叫んだ悠貴が振り向く。莉々は悠貴の少し後ろにいた。同じように木の枝に囲まれて身動きがとれないでいる。
「ど、どうして……。ねぇ、この木の枝……、よっしーの魔法でしょ!? なんでこんなことするの!?」
莉々の叫びに好雄は振り向かない。ローブのポケットに手を入れたまま崖の岩を見つめている。
「ねぇ……」
莉々の声に好雄は背中越しに答える。
「質問には答えない。お前たちは何も見なかったし誰にも会わなかった。2人で森を散歩していたら少し迷ってしまった。ただそれだけだ。俺と優依もすぐに戻るよ。戻ったら全てはいつも通り。何も変わらない……。いいな?」
好雄は声のトーンを変えることなく続ける。
「今から2人の周りの木の枝を退ける……。お前らは振り向くことなく真っ直ぐ、来た道を戻る。絶対に振り向かずに、だ。安心しなって、一本道だ。迷わない」
頷く悠貴と莉々。
2人の周りの木のナイフはするする森へと戻り姿を消した。悠貴と莉々は無言で振り向き、言われた通り、森に向かって進んでいく。
向きを変えないまま、悠貴が口を開く。
「なぁ……、好雄、ひとつだけいいか? あれは一体……」
悠貴の脳裏に残る、崖の上の岩。その岩は誰かの墓ではないか、だとしたら誰の墓なのか……。なぜ好雄と優依がここへ来たのか……。
悠貴は足を止めて好雄の答えを待つ。好雄は無言のままだった。
悠貴は更に何か口にしようとしたが、莉々が首を横に振って思い止まらせる。
悠貴と莉々の姿は森の奥へと消えた。