第31話 学年合宿 ~追憶【好雄と優依の新人研修編7】~

文字数 4,219文字

 深夜。熱気が(こも)る森を朽木は独りで歩く。久しぶりの外の空気は新鮮に感じた。自室から廊下、階段、演習場……、人目を(はばか)って駆けてきた朽木の額には汗が止めどなく伝う。高揚が自身を包み込む。そう、自分は元いた世界に戻るのだ。何者も邪魔することは許されない。


 研修所はこの時間人気が少ない。流石に(ゲート)周辺は警備が厳重で人のみならず警備ロボットの(たぐ)いもいる。一方で施設内自体の警備が手薄だったのは朽木にとっては意外だった。

 朽木は高揚して興奮もしていたが同時に冷静でもあった。当然、(ゲート)からは出られない。自分の魔法では警備を倒すことは無理だ。出来たとしても応援が駆けつけて来れば終わりだ。


 森に身を隠しながら塀の下部で出られそうなところ──そうでなくとも自分の魔法で壊せそうなところ──はないかと探す。少しでも明るくなれば一度戻らなければならない。決して見つかってはならない。

 次第に焦りが生じる。朽木はふと顔を上げる。暗い森の中から見上げる朽木に白く高い塀がその威容を(さら)す。


「はあはあ……」

 塀づたいに歩いて表面をまさぐる。
 ひびはないか、薄くなっている所はないか……。余りに強く擦り過ぎて朽木の掌には次々に傷が刻まれていく。

 もしかして少し塀から離れて遠目から見れば何かが見えないか、と朽木は塀から距離をとり森の中から塀を見上げながら歩く。

「う、うわぁ!」

 何かに(つまず)いて転ぶ。転んだ体を支えようと咄嗟に両手で体を支える。地面に掌をつけた瞬間朽木は苦悶の表情を浮かべた。小石が掌にめり込んで、塀を探った時に生じた傷口を広げる。

(痛い痛い痛い痛い……)


 ここ何日も寝たきりを続けろくに食事もとっていない。自室の冷蔵庫に常備されていたペットボトルの水を口にしていただけだ。あとは心配した好雄が部屋の前に置いていってくれた菓子パンをいくつか摘まんだが体力の低下は酷かった。


 掌の痛みが契機となり、それまで必死に脱出を試みていた朽木が急に弱気になる。(つまず)いたのは地面に落ちた木の枝。躓いた瞬間に枝は渇いた高い音を立てて森に響く。

 その音に鳥や虫が反応する。


 森の音……、そして空腹、疲労、掌から全身に広がる痛み。朽木を包んでいたはずの高揚は消え去り、代わりに恐怖が(まと)わりつく。


「も、もしかして……、逃げられないのでは……」


 頭を抱えて苦悶する朽木。


 ──ふと、水の流れる音を聞く。


 目線がその音の原泉を探る。耳に従い周囲を歩き回ると沢が流れていた。いつ途切れてもおかしくないようなか細い水の流れだった。

 すがるようにその流れを追って朽木は駆ける。施設とは逆の方向へ進み、森は濃さを増していく。

 施設へ戻れるだろうか……。不安もあったが、水の流れが辿り着く、その先へ向かいたい……、その気持ちが勝った。



 『そこ』に辿り着く。朽木が辿ってきた沢から以外にも水が流れ込み、そうして収斂(しゅうれん)していく先に小さな浅い池があった。


 朽木は息を切らしながら周囲を見回す。塀の近くの窪地だった所に水が貯まっていったのだろう。朽木が見返した自身がやってきた森は傾斜の緩い坂になっていた。

 朽木はおそるおそる水溜まりに入る。膝まで浸かった。ぬるく、どこか(ぬめ)りを感じさせる。夜を映す黒い水が足にまとわりつきながら与えるその不快感。しかし不思議なことに暫くするとその不快感が自身を包んでいた不安や恐怖を拭い去っていった。


 深呼吸をして塀に正対する。魔法の力で呼んだ歪む水の塊を血の滲む掌に浮かべて、そして塀に向かって放った。

 塀はびくともしない。しかし朽木は音が響かないように力を加減してもいた。朽木は試していた。塀に攻撃や衝撃が加えられて警備が駆けつけてこないか、何かしらの警備システムが作動することはないか。

 しばらく繰り返していたが周囲に変化はない。更に塀に衝撃を与え続ける。朽木は塀に近寄る。朽木の足が水を掻き分けて進む音が響く。間近で塀を凝視する。

 僅か、ほんの僅かだがひびが入っている。


(これを、繰り返していけば外に出られる。帰れるんだ、私の居るべき場所に……!)


 朽木の頭の中には20年引きこもっていた自室の光景しかなかった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 翌日。



「おはよう、ゆいちゃん」

 まさか、と思いながら優依が振り向いた先にその人物がいた。


「く、朽木さん!?」

 優依は上ずった声を上げる。
 好雄と一緒に朽木の部屋に行って以来、また拒絶されるのが怖くて優依は朽木の部屋を訪れることが出来ていなかった。

 それでも常に朽木のことは心配していた。好雄が朽木の部屋に行く度に朽木の様子を優依は聞き、次こそは自分も行くのだと自らに言い聞かせていた。


「どうしたの? ゆいちゃん。そんな声を出して」

 けたけたと笑う朽木。優依は朽木のそんな笑い方を見たことがなかった。そのまま朝食へと向かう朽木。その後ろ姿を見ていた優依に好雄が声を掛けた。


「驚いたな……。まあ、取り敢えず出てきてくれて良かったな。これでG(グループ)6の5人で揃ってまた研修が受けられるな」

 頷いた優依だったが素直には喜べなかった。


(朽木さん……。朽木さんだけど、朽木さんじゃない……)


 その日。
 午前の実技演習。午後の講義。休憩時間。夕食。
 優依はずっと朽木を目で追った。とても元気だった。見たことがないくらいに。研修が始まってからの朽木は優依の目には日々精気が失われていくように映っていた。周囲からの風当たりの強さは増して、例の一件後、朽木の心は完全に折れていた。

 それが、ここ数日部屋に引きこもって急に出てきたかと思えば、人が変わったかのように快活になっていた。


(朽木さん……。何があったんですか……)




 その日の夜も周囲が寝静まるのを待って朽木は件の水溜まりに(おもむ)き、塀へ向かって自身の水の魔法を投げつけていた。水に()かりながらだとやはり自身の魔力が増す。増しているような気がする。


「あと少し……、あと少しだ……」

 急に研修に戻ってきた自分に相変わらず嫌なことを言ってくる研修生は多かった。しかし、こっちはそれどころじゃない。以前と何も変わらないはずの誹謗。しかし、それらは朽木の耳には入ったが心には届かない。


(もう少し頑張れば……、あんな奴らとはもう会わなくて、顔を見ずに済むんだ!)


 朽木は塀に向かって両手を(かざ)して力を込める。綺麗な球体の水の魔法が飛び出していった。




 別の日。朽木を除くG6の4人は施設2階、食堂を出て近くにある休憩場所へ向かう。部屋から出て、演習や講義にも参加するようになった朽木だが夜は足早に部屋に戻っていた。


「なんかさぁ……」

 言った好雄がソファーに腰掛けながら(おもむろ)に口を開き、そして続ける。

「朽木さん……、元気……、だよなぁ……」

 好雄の言葉に優依も葉月も侑太郎も直ぐには返事が出来なかった。


「取り敢えず部屋から出てきたんだから良かったんじゃない?」

 やっとのことでそう言った葉月だったが朽木の異様な明るさは気になっていた。部屋に引きこもる前よりも話し掛けて来るようになったが、どこか不自然さを感じていた。

「ま、そりゃそうなんだけどよ……」

 天井を仰ぐ好雄の横に優依が座る。


「なんか……、こんなこと言ったら本当はダメなんだけど…、今の朽木さん、私怖くて……」

 言った優依を見ながら、僕もです、と侑太郎が頷く。

「最近の朽木さん、凄く熱心ですよね。あんなに嫌がってた魔法の実技演習も熱心に取り組んで……。その成果ですかね、以前よりも朽木さんの魔法が強力になったような気がします。それ自体は良いことだと思うんですけどね、たぶん……」


 侑太郎は演習中の朽木の様子を思い返していた。手塚にどうすれば魔法の威力を高められるかと頻繁に尋ねていた。


「朽木さん、何かに追われてるような……、焦っているような……。僕にはそう見えちゃうんです。変なこと考えてなきゃ良いんですけど……」

 4人は押し黙った。4人の誰もが今の朽木に強烈な違和感を覚えていたが、悪いことをしているわけではない。しかし、やはり以前とは違う近寄りがたさがある。


「取り敢えず今は……、しばらく様子見るしかないか……」

 好雄の言葉に葉月は、そうね、と返したが優依と侑太郎は何も言わなかった。




 それから2週間ほどが過ぎた。

 午前の実践演習は対戦形式の演習が一旦終わり、自身が呼び出した魔法の力を自分に(まと)わせる『魔装』の訓練が行われている。どの属性の魔法であってもその力を肉体に加えることで身体能力を強化することが出来る。



 演習場では研修生がそれぞれ散って手塚からのアドバイスを基にして魔力を自身に供給しようと試みている。(シールド)よりは難易度は下がるが加減が難しかった。
 纏わせること自体はどの研修生も出来ていたが、纏わせる魔力が強力過ぎるとすぐに魔力が切れてしまい、弱過ぎると身体能力がさほど強化されない。集中力と共にバランス感覚が要求された。



「あー、もう……無理だ……」

 好雄が崩れ落ちる。全力で魔装を行ったが直ぐにガス欠を起こしてしまった。

「な、情けないわね……、よっしー!」

 そうは言う葉月も肩で息をしている。2人はどうにも力を入れすぎてしまっていた。逆に優依や侑太郎は魔装する魔力が弱すぎて難儀している。


 4人の輪から少しだけ離れて朽木が一心に魔装の訓練を行っている。相変わらず夏の陽光が降り注ぐが朽木は汗を拭うこともなく訓練を続けている。その様子は鬼気迫るものがあり4人は話しかけることが出来なかった。


 優依の目に映る朽木の姿。何が彼にそうさせるのか……。部屋から出てきて以来、まともに朽木と話せていない。やはり朽木が怖かった。()()になった今よりもドア越しに話していたあのときの朽木が本当の彼自身であると知っている。


「おじさん……、良く続くわね……」

 葉月は独り遠くで励む朽木に目をやる。相変わらず良く話し掛けられた。しかし話す中身は大したことのない世間話だった。話すうちに葉月は朽木が自分に話しかけてくるのは優依を避けるためだと気づいた。そうして優依を避けている割には朽木が優依を目で追うこともしばしばあった。

「ねぇ……、ゆい。そんなに心配ならおじさんにもっと話し掛けたら良いじゃない」

 葉月は優依にそう言った。優依は朽木のことを心配そうに見ていたが、葉月の言葉には首を横に振った。

 葉月は大きくため息をついて立ち上がり、自身の練習を再開した。
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