第19話 学年合宿 ~覚醒~

文字数 4,930文字

 同じような景色がどこまでも続く。

 しかし注意してよく見てみればその景色の中にも幾ばくかの特徴を見出だすことができる。朽ちて倒れた古木。古木とは見えないが台風だろうか、根本から倒れてしまっている木々。形が綺麗な岩。水をたたえた沢。

 木も草も岩も沢も、似てはいるが全く同じであるものは一つとてない。

いるわけではない。ここに何があってその先には……などという確かなものでもない。本当に「ただそんな気がする」だけだ。あまりにも頼りない感覚だけを頼りにして疾走している。

 優依は夢に『喰われ』ている。過去(ゆめ)の続き。心のどこかで思う。今見えている、いや、切望して見ているのが(げんじつ)で、自分の中にあるのは現実(ゆめ)だったのではないかと。

「ハァハァ……」

 動悸が激しい。息が切れて脇腹が痛くなってくる。目眩までしてきた。無意識に魔法を使いそれを自身に纏わせて、しかも無意識であったせいで限界を越えていたので反動は大きかった。

 幸いにも少しだけ開けた場所に出た。開けたといってもそ木々が他の場所よりも多く倒れていて月明かりが差し込むばかりであった。

 ついに立ち止まり優依は呆然とする。優依の息遣いだけが森に響く。やはり願った(げんじつ)(ゆめ)で、現実(ゆめ)現実(げんじつ)なのだと。そう思うしかないのだと悟ると優依の目には涙が溢れた。


「ごめ……ん、なさ……い」

 嗚咽と共に声にならない声を出す。


 暫くあって優依は我に返る。

「あ……れ、私……どこに……」


 コテージからここまで走ってきた記憶はある。コテージを飛び出し森へ入った。それは鮮明だ。

 しかしそこには意思がなかった。

 何かに突き動かされて、使役されて……。気づいたら森ここにいた。記憶はあるがどうやってこの場所にたどり着いたのか分からない。

 この場所に「目的」があって来たのではない。魔法力(せいしんりょく)も使い果たし、優依は手近にあった小岩の上に座り込む。

 目の前に広がる漆黒の森。優依の周囲に月光が淡く注ぐせいで逆に漆黒が深みを増していた。さっきまで自分はあんな所を走っていたのかと思うとぞっとする。

「帰らなきゃ……」

 力を振り絞って立ち上がって漆黒に対峙する優依。一歩を踏み出そうとして、逆に一歩後退した。

 漆黒の中、蠢くものがあった。風に揺れる木々とは明らかに異質のもの。優依は無意識に更に後退し距離をとる。歩調を合わるようにその「異質のもの」は距離を詰める。それを何度か繰り返す。

 静寂が辺りを包む中、月の光が「それ」を映し出す。


 ーー


 頭が痛い、というよりは重いと感じた。頭と体を打ち付けた岩の横に悠貴はうつ伏せで倒れていた。頭を置く岩のすぐ下から水の流れる音がした。

 悠貴はゆっくりと頭を上げ、そこで初めて痛みを感じた。額の右が酷く痛かったので手で押さえた。その感触から出血していることを悟る。一度そう自覚すると痛みが増してきた。

「いってぇ……」

 額を押さえながら体を起こし立ち上がる。どれくらい気を失っていたのだろう。その長さによってはもう優依を追いかけることは不可能だ。耳を済ませても先程まで頼りにしていた足音は聞こえない。

(どうする……、何か……、何か手がかりは……)

 その刹那、悠貴は悲鳴を聞いた。

 発する主の恐怖感がそのまま伝わってくるような悲鳴に悠貴も震え上がった。発した主が誰であるかを考える時間も必要も無かったので悠貴は駆け出した。駆け出そうとして前へと倒れ込んだ。

 頭を強打して方向感覚が怪しかったことと足の、特に膝の怪我が酷く走ろうとした意思が上半身で止まってしまったためだ。足が言うことを聞かない。辛うじて両腕で倒れる体を支えて四つん這いになる。額の出血している部分から脈を感じる。暗がりの中、自分の息遣いがやたらと大きく聞こえる。


「絶対……に……諦めない」


 大学に入ってからの、そしてこの合宿中に知った優依の様々な表情を思い浮かべる。昨日今日で知った、何か、とてつもなく大きく、重いものを背負っている優依を。

 あの悲鳴の原因が何かはまだ分からない。
 
 しかしその何かは、今自分がなんとかしなければ、確実に優依を終わらせるものであるということだけは分かった。

 不意に、昼間の(いわ)の側に立つ優依の姿が浮かぶ。ローブのフードのせいで表情は分からない。距離もあった。しかし泣いていることと、何故かその目を思い出すことは出来た。悲しさと怒りと悔恨と……。そのような感情を瞳に宿した少女。悠貴はその瞳の置く少女の心の声を読み取る。


(ゆーき君……助けて……)


 悠貴は立ち上がる。立ち上がらされる。痛みと体の重さと疲れ……、今自分が走り出すのに妨げになる全てをそこに置いて悲鳴がした方向へ駆け出す。

 不思議と背中に追い風のような何かを感じた。


 思ったよりも早く「そこ」へ辿り着いた。気を失っていた時間がそれほど長くはなかったのだろうか。

「優依!!」

 前方の森の漆黒は淡い月光で薄められ、頼りなくはあるが視界に入るものの輪郭をとらえることが出来た。

 優依はそこにいるのだろうと思われた。優依の悲鳴の元凶の背がまず目に入り、その向こうに優依のローブが翻っているのが見えた。


 悠貴の声を聞いて悲鳴の元凶がこちらを向く。

 それは二本の脚で立ちこちらを見据えている。仁王立ちしていなければ狼にも見えたが狼にしては肢体の線が太い。熊のようにも見える。何よりも悲鳴の元凶が異形と思えたのは毛で覆われた額から延びる二本の角。紅く光る目。

 突如として悲鳴の元凶は悠貴に向かって駆け出す。立ち止まった悠貴は何か武器になりそうなものはないかと視線だけ下へ向けるが頼りない木の枝ばかりが目に入る。

 取り敢えず優依の側へと思い、悠貴もまた悲鳴の元凶へ向けて駆け出す。悠貴の行動が予想外だったのか異形は瞬間戸惑いを見せる。その瞬間を衝いて悠貴は横を駆け抜けようとする。繰り出された腕、そして長い爪が宙を薙ぐ。間髪でそれを避け優依に駆け寄る。駆けよってすぐ向きを変え悲鳴の元凶を見据える。

「ゆ、悠貴……君……、どうして……」

 泣きじゃくる優依。どうやら悠貴の追跡に気がついていなかったようだ。

「優依こそ大丈夫か?」

 目線を変えずに満身創痍な悠貴が優しく優依にそう問い掛けた。額から流れる血が目に入ってきたので裾で拭う。優依は魔法力(せいしんりょく)こそ使い果たして体は思うように動かせないが外傷はない。

「大……丈夫。何でここに……」

 答えと疑問の最後の方は声にならなかった。

 優依からすれば当然の疑問だった。

 自分は(げんじつ)を追いかけてここまで来ている。ここに存在いるのは当然だ。しかし自分の前に、自分を守るようにして立つ悠貴はコテージで寝ているはずでは……。

「もう大丈夫だ。安心しろ優依」

 悠貴はそう言ってこれからどうしようかと考えを巡らす。誰かが助けに来てくれることは期待できない。満身創痍な自分と優依で何とかするしかない。不思議と痛みはあまり感じないが目の前の化け物を相手に長くはもつまい。

 確か優依は「夢」の属性の魔法士。目の前の異形相手にどこまで有効か悠貴には計りかねた。

 しかしそれ以前に、有効無効は別としてそもそも優依にはその力は残っていなかった。

「優依、あれ倒せるか……?」

「ごめ……ん……、ちょっと今は……無理かも」

 然もありなんと軽く悠貴は笑う。

「悠貴君は逃げて……」

 悠貴の後ろに控えていた優依が横に並ぶ。二人の目の前、悠貴に襲いかかった異形は森と広場の境目にいて、こちらの様子を窺っている。

「なら逆だ。俺がオトリになるから優依が逃げろ」

「そんな……ことできない……よ。私、魔法士だよ、皆を……護る使命が……」


 魔法士法第一条第一項。
 魔法士は国民の生命を護り、以て社会正義の実現に寄与することを使命とする。

 魔法士に登録の申請をすると口述試験が課される。内容はほぼ毎年決まっていて、特にこの魔法士の使命規定は毎年必ず最初に聞かれる。受験生(まほうつかい)は皆それを暗記するのだが会場から出る頃には忘れてしまう。口述試験とは言っても落とされることはほぼなく本人確認の意味合いが強い。

「だから……悠貴君は逃げて……」

 震えながら優依はそう言った。悠貴は静かに答える。

「優依さ、何で

泣いてるんだよ? 何かあるんだろ? 俺でよかったら、ここから二人でちゃんと無事に帰ってから話聞くからさ。だから、もう泣くなよ」

 優依はずっと泣いていた。それは恐らくコテージを出てから今に至るまでずっと。悠貴は再び優依の前に立つ。

 そして悲鳴の元凶へ向けて走り出す。逃げ出しても追い付かれる。待っていても助けは来ない。武器もない、が戦うしかない。

 死中に活を求めて拳で攻撃を試みる。恐らく敵は先程のように爪を使おうとして腕を薙いで来るだろう。それを屈んでやり過ごして体を起こして敵の顔面に拳を叩き込む。意を決して走る速度を上げる。元凶が近づく。あとは敵の最初の攻撃を待ってかわすだけだと更に近づいたその時。


 悠貴の視界の景色が横に

。電車に乗っているとき、車窓から見える外の景色のように。

 何が起こっているのか分からなかった。気づいたら背中から近くの木に背中から叩きつけられていた。異形は悠貴が姿勢を低くすることで自らの攻撃をかわすことを予想していたようだ。さっきよりも低めを薙いだ異形の爪は見事に悠貴を捕らえた。

 痛い、よりも先に息ができない、と思った。

「が、はっ……」

 呻き声を上げながら木を背にして崩れ落ちる。

「悠貴君!!」

 悠貴の側に近寄ろうとする優依の行く手を異形の獣は遮る。それを見つめる悠貴。

 もはや体を動かすことはできない。辛うじて右腕を優依に向かって伸ばすことはできたが詮無きことだった。

 心の奥底から悔しく、自分の無能さを呪った。

(かっこつけて守ってやると言ってこのざまか……)

 悠貴は静かに、そして冷たく震えていた。恐怖からではない、怒りで、だ。目の前の少女一人助けることができない。あれほど悲しそうに泣く、何かを抱えながら背負いながら懸命に生きている少女を。


 悠貴は一心に思う。


 ──助けたい。

 森を、風が駆け抜ける。葉を揺らす。


 ──なら、呼びなよ。


 ──(だれ)を?


 ──(わたしたち)を。


 聴覚が拾った声でないことは確かだ。それは頭が、いや、心が聞いた声。

 数秒前までは分かりたくても分からなかった、知りたくても知らなかったこの感覚。

 生み出すのではない。


 呼ぶ。

 呼び出す。

 呼び出せる。

 その感覚。


 

言われたので悠貴は右腕を異形に向け、呼ぶ。

(──来い……)


 思いはしたが声に出せていたかは分からない。悠貴は何かが自らの呼び掛けに応じたのを感じてそのまま崩れ落ちた。

 悠貴がその一言を発したのを聞いたのか、異形は悠貴の方へ向きを変える。それが異形の最期の動作となった。振り向いた直後に異形は風に包まれた。屈強な身体のありとあらゆる所を切り刻まれ末声をあげることも叶わずそのまま背後から倒れる。


 優依はその一連の時の流れから目を離せずにいた。自らに死をもたらすはずの、はずだった異形は倒れ、幾度かの痙攣の後、動かなくなった。紅い相貌からは光が失せてた。


「どうして……」

 呆然としながらそう言った優依の声をさらうように風がさぁっと吹き抜ける。吹き抜けた風は二人がいる場所を優しく巡り、まだ暗い、しかし星斗が散らばる空へと昇っていった。
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