第42話 そうして流れる雲は、今日も今日とて……

文字数 4,081文字

 スマホのアラームが響く。

 悠貴は目を開けないまま枕元をまさぐるがスマホがみつからない。上半身を起き上がらせて辺りを見回すとベッドの下に落ちていた。拾い上げてアラームを止めたところで思い出したように肌寒さを感じた。手近にあった薄手の長袖のパーカーを羽織る。


「んんー」

 身体を伸ばす悠貴。
 肩や腕から小さくパキパキと音がしたが特に痛いような所もなく至って普通だった。

 悠貴には未だに自分の身体が「普通」なことが信じられなかった。合宿で怪物に吹き飛ばされた。木に叩きつけられた。痛いという感覚がないくらい痛かった。身体に全く力が入らなかった。死んだと思った。


 しかし、気を失う間際に何かを言って、そして気を失って、次に目を覚ました時には全身の傷は癒えていた。好雄や優依の知り合いの魔法士が治してくれたらしい。


 悠貴は改めて体を触る。痛みもなく傷跡もない。


「魔法って……凄いな……。て、もうこんな時間か!」


 言った悠貴は急いで大学へ向かう用意を始める。用意をしながら悠貴は軽く後悔した。

(学園祭の準備もあるし、ちょうど秋休みだからって9月末にしたけど、流石に合宿終わった次の日から普通に授業あるってのはキツいな……。それに……)


 合宿が始まる前にはまさかこのようなことになるとは思わなかった。合宿2日目の昼に森で好雄と優依を追い、その夜には優依を追って再び森へ入り駆け回った。挙げ句に未だに正体がいまいち分からない異形と戦い、深傷(ふかで)を負った。それでいて結果としては合宿の日程は完走したし、係としての仕事もこなせた。改めて考えてみると自分は相当運が良かったのではないだろうか……。


 そんなことを考えつつ悠貴は手近にあった服を適当に組み合わせて着替えを済ませ、授業で使いそうな教材をリュックに詰め込む。


 部屋を出て鍵を閉める。ちゃんと鍵が懸かったか、ガチャガチャとドアノブを引っ張る悠貴。ドアはびくともしない。よし、と悠貴は廊下を進む。


 ちょうど悠貴が住む階に止まっていたのでボタンを押してエレベーターに乗り込む。学生用のマンションということもあり広くはない。大人が3人乗れれば、といったところだった。


 無機質に動くエレベーターは直ぐに1階に着いた。エレベーターを降りるとすぐに玄関があり、そうやって出た先の大きめの通りを悠貴は駅へ向かって歩いていく。


 どこまでも、合宿前と変わらない光景。


 悠貴は今日1日、自分が辿ることになる光景を思い浮かべる。目の前の通りにはたった今自分が出てきたような学生マンションが並ぶ。
 緩やかな坂を下って暫く進むと地下鉄の駅がある。そこから通う大学までは一本。降りた先の駅から大学までは歩いて10分。いつも通りの建物、いつも通りの教室。昼は大学の友達と過ごすことが多い。バイト先の塾が入っているビル。帰路で毎日立ち寄る近所のスーパー。
 気分転換にたまに散歩する近所を流れる川とその先にある程よい大きさの公園。



 合宿前と何ら変わらない光景。


 悠貴は歩きながらそんな光景を思い浮かべ、右手を見る。掌に魔法で微かに風を呼ぶ。

 呼んで、そしてすぐに消した。


 合宿前と変わった自分。




 授業開始5分前に教室に滑り込む悠貴。
 座席の指定はないがほとんどの学生が大体いつもと同じ席に座る。悠貴もいつも座っている辺りへ向かおうとして立ち止まる。
 リュックから財布を出し、中から学生証を取り出す。ドアを入ってすぐの所にある読み取り機に悠貴が学生証をかさすと「出席確認」と表示された。


 悠貴の視界の先、階段状に机が並ぶ教室の奥に教卓と電子黒板が見える。200人が入る大きめの教室だった。

 悠貴は窓際の通路を進みながら手で日光を(さえぎ)った。大きなガラス窓で覆われていて、その解放感は教室を広く見せていたが、教室全体が白を基調としていたこともあって少し眩しく感じた。


「よっ、と」


 目指していた座席まで続いていた階段状の通路を降りきった悠貴。その姿を見留めた莉々が悠貴に声を掛ける。

「おはよー、悠貴っ!」

「おう、おはよ、莉々。悪かったな、昨日は付き合えなくて……」

「全然っ、悠貴だって疲れてただろうし。私だって家帰ったらすぐ寝ちゃったからさ。やっぱり疲れてたんだよ。昨日は帰って正解だったね」

 悠貴は通路側からすぐの席に座る。莉々はいつも自分がこうして遅れて来ることを見越して通路側から1つ空けて座るようにしてくれていた。

 悠貴はリュックを下ろして足元に置いた。

「それにしても……、相変わらず中途半端な位置に座ってるよな俺たち……。内職するにはしづらいし、授業に集中するには教授の声は聞き取りにくいし……」

「今更そんなこと言わないでよ、仕方ないじゃん。内職と睡眠に命を掛けるような連中が後ろから座っていって……。逆にやる気がある人たちは前から詰めていって……。そりゃこうなっちゃうでしょう」


 ため息混じりに莉々がそう言ったところで悠貴は後ろから声を掛けられた。


「おはようございます。悠貴君。サークルの合宿だったんですよね? お疲れ様でした」

 後ろの席から声をかけてきたのは菅宏樹。悠貴と同じ法学部の学生だった。たまたま同じ授業をとっていて、気が付けばこうやって一緒に授業を受けていた。


「ありがとよっ。ホント合宿中色々あってさ、もうクタクタ……、まだ疲れとれないよ。宏樹は秋休みは何してたんだ……、って聞くまでもないか」

 肩を(すく)めて茶化すように言って悠貴はいたずらっぽい顔を宏樹に向ける。悠貴の声に莉々は呆れた視線を宏樹に向ける。

「えー、またぁ? 宏樹ダメだよ女の子泣かせちゃあ……、ホントそのうち刺されるよっ?」

「ちょ、ちょっと2人とも人聞き悪いですよ! 僕はただ可愛い女の子達に囲まれて日々有意義に過ごしたいだけなんですよ? ただね、毎日同じものを食べているといくら美味しい料理でも飽きてき……、って聞いてますか? 智香も黙ってないで僕の誤解を解いて下さいよ……」


 と、宏樹は横に座っている少女に目を向ける。宏樹に智香と呼ばれた少女は手元の本に目を落としていたが、一瞬だけ顔を上げたが直ぐに本に目を落とした。

「えっ、あー、うん。宏樹は悪くないよー」

 智香は心底興味がなさそうな様子でそう言った。

「ほら、ね? 智香もこう言っていますし……」

「いや……、今の智香の台詞のどこに宏樹を擁護する気持ちを読み取れたんだ……? むしろ害虫を見るような冷たい視線をお前に一瞬送っただけだったろうが……」

 うんうん、と莉々が悠貴の言葉に頷く。

「そりゃそうだよ。智香が宏樹を良く思ってるはず無いじゃんっ。宏樹ってホント見境無く女の子に声掛けまくって……、それはまあいいとして……、本に集中してて、全くこれっぽっちも宏樹に興味がない智香にめげずに声掛ける宏樹の根性だけは認めてあげるけど、私たちがこうやって一緒じゃなかったら宏樹、智香に殺されてるかもよ?」

「莉々さん……! まさか、そんな、なに言ってるんですか? 僕に興味を持たない女の子なんて……。ね、ねぇ、智香、君は僕のこと……」

 宏樹がそこまで言ったところで智香が顔を上げ、宏樹を見詰める。

「と、智香……」

「宏樹、うるさい、黙って、このドブネズミ……」


 冷たく言い放つ智香。撃沈された宏樹は机に突っ伏す。

 悠貴は莉々と一緒に、大学での日常の光景を笑った。自分が半年過ごしてきた、日常の光景だった。


「2人してそんなに笑うことないじゃないですか……。僕は本気で智香と……、まあいいです。悠貴君、色々ってさっき言ってましたけど、たかだかサークルの、しかも1年生だけの合宿でそんなに大変なことがあったんですか?」

 宏樹に尋ねられた悠貴は言葉に詰まる。どう考えても合宿中の出来事は話せなかった。

 悠貴は答えに(きゅう)して横の莉々に目をやったが、莉々も莉々でどう返したら良いか分からない様子だった。

「いや、ほら、テニスの朝練とか、あと……、そう、俺も莉々も合宿の係だったからさ!」

 宏樹は怪訝(けげん)そうな顔をした。

「んー? そりゃテニスサークルなんですから朝練くらいするでしょうし、合宿の係になったって夏前から言ってましたよね? だったら係の仕事とか大変なのは分かりきってたんじゃないんですか?」

「いや、そりゃあさ……」


 何故か執拗(しつよう)に聞いてくる宏樹に悠貴は上手い返しが見つからない。

 しかし、ちょうどその時、教授が少し遅れて教室へ入ってきた。秋休みの連休明けで、どこか浮わついたところのあった教室内の空気がスッと締まる。


 悠貴も授業の準備にかこつけて前を向く。テキストを引っ張り出しながら莉々と目を合わせて、お互い何とも言えない表情をする。


 教授が授業を始める。
 初老の教授の声の通りは悪く、直ぐに教室の後ろの席の方からは寝息が聞こえてきた。


 悠貴はふと教室の広い窓の外に目を移した。

 いつも目にしている空だった。
 教室内では初老の教授がつまらない内容の授業のつまらなさを、これでもかというほど引き立てながら話を続けている。

 女好きの宏樹は相変わらずで、後ろの席の女の子に話し掛けていて、横の智香はそれに冷たい視線を送っている。何やかんや莉々は真面目だ。真っ直ぐ前を向いて、つまらないとはこういうことだ、を体現している授業をしっかりと聞いている。


 これが悠貴にとっての日常だった。
 春にこの大学に入学して、それが半年、この調子で続いている。


 悠貴の目に映る快晴の空。
 白い雲が足早に流れていく。大学へ来るまでは風が強いとは思わなかったが上空はそうではないのだろう。悠貴は雲の行方を目で追う。

 次第に悠貴が追っているのが雲の行方ではなく、風の流れになっていく。あれほど遠くにあるはずなのに、感覚的に身近に感じられる。風の流れを追うことができる。


 そして、その気になれば……呼べる。


 教室内の光景も、窓の外の景色もいつもと何も変わらない。その中で、自分だけが独りが取り残されているような、そんな感じがした。悠貴は(しばら)くそのまま窓の外を眺めていた。
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