この気持ちを忘れないでほしい
文字数 2,326文字
瑞生が二度寝から目覚めると、部屋に碧泉がいた。
2017/09/18 20:42
静かに部屋に入ってきたのだろう。瑞生はまどろんだ意識の中、50パーセントの意識で外界を感じていたが、部屋に誰かが入ってきた、というのはわからなかった。瑞生の反応が鈍かったのか、それとも碧泉の放つ気配が余りにも小さかったからかはわからない。ただ、碧泉は目覚めた瑞生に微笑みを投げかけた。
2017/09/18 20:42
おはよう瑞生。昨晩はよく眠れたか?
2017/09/18 20:44
80パーセントほどまで感度が上がった意識で碧泉を見つめるが、どうにも輪郭がはっきりしない。ほんの少しピントがずれているというか、まるで浮世に存在しない概念でも眺めている、そういう風に感じられる。
2017/09/18 20:44
ああ、おはよう。昨晩は、そうだなあ。変な夢を見たけど、まあ眠れたほうだよ。
2017/09/18 20:46
とはいっても、記憶にある限りだとこれが初の睡眠だ。でも体のほうが覚えているんだろうね。今回はよく眠れたほうなのがわかっちゃうよ。
2017/09/18 20:46
そうか。お前の命そのものはお前のことを忘れていないんだな。お前は忘れてしまっているのに。
2017/09/18 20:47
悲しい話だけど、その通りだよ。
2017/09/18 20:47
それから、私の記憶にも伏美が現れた。本人がお前に会ったと言っていたが、これは本当か?
2017/09/18 20:48
どうやら伏美ちゃんは瑞生が二度寝している間に碧泉の夢にも現れていたようだ。瑞生の限られた記憶を辿って、碧泉にたどり着いたのだろう。
2017/09/18 20:49
お前のところにも現れたのか。随分と妖怪を警戒していないんだな。あいつも不思議な生き物なんだとしても、まあ、疑ってるわけじゃないけど、俺を信じすぎじゃないかな?
2017/09/18 20:49
また性懲りもなくツンデレ営業ですか。瑞生は暇人ですね。しかし、碧泉に話をきいて慎重に対応しないと痛い目見る可能性は一応ある。
2017/09/18 20:51
ふむ、親切は嫌いか?
2017/09/18 20:52
嫌いではないけど、記憶がないと相手とどういう関係を築いたらいいのかわからなかったりするんだよなあ。何か照らし合わせる情報があればすんなりいくんだけど、予備知識なしだと警戒せざるを得ないよ。
2017/09/18 20:52
なるほどなあ。知らないものは警戒する。賢い判断だが、伏美がそういう相手ではないのを私が保障しよう。信じてくれていい。いいや、保証と言われるとかえって不安かな?
2017/09/18 20:53
親切に根拠や理由が必要か?
2017/09/18 20:54
確かにそうだな。言えてるよ。どうせ見てくるだけだからな。コストかからないと言えばその通りだし、まあついでにね。
2017/09/18 20:55
あーあ、現代人にありがちな超合理的な発想法。完全に中2のそれですよ。そんな奴が記憶を失ったところで、迎えに来てくれる家族がいるのかいないのか。これはただの若さゆえの過ちでしかない。
2017/09/18 20:55
(ふぅん、こいつは色気のない奴だな)
2017/09/18 20:58
で、お前は金閣寺にいきたい、と伏美に伝えたそうだな。私も付き合ってやろうか? どの道を選べば金閣寺にたどり着けるのか。どのみち道がわからないだろう。どのみち。
2017/09/18 20:59
案内してくれるの?
2017/09/18 21:01
ああ、ついでだからな。どうせ私も暇だ。お前と遊んでやろう。
2017/09/18 21:02
そういって碧泉は瑞生を連れて金閣寺に向かった。部屋を出て、宿の前に泊まっているタクシーに金閣寺まで行くように伝えると、あとは座席に身をゆだねた。
2017/09/18 21:02
お前、道知ってるとかそういうの関係なじゃん、これ。タクシー有能すぎる。俺でもできたぞ。こういうお役立ち情報早めに伝えろよ。
2017/09/18 21:06
しかしお前は孤独になってしまうなあ。そのほうがいいか?
2017/09/18 21:07
確かに、一人は嫌だな。群れるのが好きってわけじゃないけど、一人は嫌だ。
2017/09/18 21:08
碧泉のやさしさに少し翻弄されつつも、瑞生はツンデレ営業を続ける。窓の外に視線を逃し、碧泉を見ないようにする。今視線を合わせると、内心を悟られる気がして。
2017/09/18 21:08
(いいや、確かにそうだな。今俺に親切をしても、俺がお礼できることは何もない。これはただの無償の愛だ。嫌いじゃないけど、確かに素直に喜べないな)
2017/09/18 21:09
(そんなこと言っても仕方ないけどね。まあ、タクシーが金閣寺につく頃には、素直になってみるか)
2017/09/18 21:12
とはいえ、京都の街並みが綺麗なので必然的に視界は窓の外に向かう。その間も碧泉は微笑み続けており、それがあまりに瑞生との温度差というものを演出していた。
2017/09/18 21:36
瑞生は確かに自分が昨日まで笑いを取っていくようなスタイルの心だったのに、いつの間にか実利を重視する、ドライな考え方になっていることに気がついた。オールドの問題を一つ解決したのはいいが、瑞生の心の余裕は削れていたのだ。
2017/09/18 21:37
今どんな気持ちだ?
2017/09/18 22:47
そもそも、お前を頼っていいのか、そういう考えにとらわれているんだよな。出会ってまだ数日だぞ。そこまで親切にしていいのか?
2017/09/18 22:48
私は、お前に対する親切にも理由を求めようだなんて考えていないのだがな。
2017/09/18 22:49
まあ、確かにそうだな。
2017/09/18 22:50
お前、いいやつだな。
2017/09/18 22:50
瑞生は碧泉を見ないでそういった。
内心を悟られるのは嫌だが、それ以上に恥ずかしさが前面に押し出てしまったので。
2017/09/18 22:51
お礼を言われて、瑞生の中に込み上げてくる何かが現れた。この感覚は知らない。未体験。ゆえに、その気持ちをどう片付けていいのかわからず、瑞生は窓の外を眺め続ける。
2017/09/18 22:52
しかしながら、碧泉は瑞生について深く追求しなかった。窓の外を眺めているので今は気持ちに整理がついていないのだろう、そう考えた結果だ。極めて上品な対応で、かえって瑞生は緊張してしまう。
2017/09/18 22:53
最終的に沈黙した場になってしまったタクシーに、車のエンジンのうなりだけがはっきりとある。エンジンは車の核であるが、その構造を知っている使用者はほとんどいない。しかしながら運転手はそれを運転している。瑞生も自分の中に構造のわからない心を抱えているが、コントロールする術を全く持たない。不安が次第に広がっていく中で、碧泉だけが頼りだった。
2017/09/18 23:03
今回はここまでです。
ありがとうございました。
次回更新は10月21日です。
例のごとく1日早いでしょうが、慌てふためかず座して待たれい。
2017/09/21 20:58
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