コウ・サトー博士
文字数 2,309文字
その日のことは、今でも鮮明に覚えている。
これから暑くなるだろう、夏島の午前中だった。
私は自室で、自分で編纂した夏島の植物図鑑をながめていた。
いろいろな生き物が謳歌するこの夏島は、生命の宝庫だ。
さまざまな変わった植物を見ながら、これを作ったころの思い出にひたり、図鑑から目をあげて窓を見る。これから中天へむかって昇って行く太陽が見えた。
この夏島で太陽の位置や光の強さが、暑さに関係することは無いのだけれど、その光はとても強く大地を照らし出していた。
夏島は一年中、暑い浮島。
夏の季主である私は、この島の季節を守っている。
図鑑を閉じて、一息入れるために水を飲む。
そのとき、扉をたたく音が聞こえた。
私を呼ぶその音は、これから数十年以上つづく大事業の始まりを告げるものになった。
その人は黒目に黒髪、赤みの強い肌の色をした、夏島特有の容姿をしていた。
強いまなざしで目をそらすことなく、彼の上段にいる私の目を見返してくる。その目は歳に似合わず純粋さにきらめいて、まっすぐに何かを捕らえていた。
私は神官に先導されて、私室と同じ夏神殿三階にある聖殿へと赴いたのだ。
彼と会うことは、だいぶ前から決まっていた。
しかし私は、彼が何を話して、何がしたいのか、それはまったく知らなかった。
蒼神官はおそらく知っているのだろう。それで、私に判断をあおぐ内容だと思ったから、私と謁見するように取り計らったのだろう。
どんな内容の話なのだろう?
それだけでも、興味深い。
「レイファルナス様」
「うん?」
メノア蒼神官が口火を切った。
「彼はコウ・サトーと言います。今日は彼の提案を聞いていただいて、レイファルナス様の判断を仰ぎたいと思っています」
思った通りのことを言われる。
「分かった。では、コウ、話してみてくれるかな」
私は蒼神官に向けていた目を、彼に向ける。
彼はすこし体を硬くして、私に頭をさげた。
「ご紹介にあずかりました、コウ・サトーです。この度はお時間をとってくださり、有難うございます」
「うん。で、どんなことなの?」
「はい。話をするととても長くなってしまうのですが――」
そう言ってコウは説明を始めた。
「――という話です」
そう話を締めくくったコウは、頬をバラ色に紅くして瞳をきらめかせた。
その話は、とても大規模で想像を超える話だった。
この夏島に、冷房装置をつくりたい、と。
そして、その動力源は、貴石に込めた季主のちからだと。
私の、この夏の季節を維持するちからは、大気に充満している。
コウは、それを特殊な技術で私の貴石、サファイアに集めることに成功した。
私のちからは、サファイアと相性がいい。それでも一般の人間が私のちからをサファイアに取り込むことは難しいだろう。それを彼はやってみせて、そこから温風を生み出す方法を発明した。
同じように、冬島の大気から、冬島の季主ネイスクレファのちからを、彼女の貴石であるダイアモンドに集めた。そこからは冷風を生み出す方法を作りだした。
コウは私と、冬島の冬主ネイスクレファの力で、各島に冷房と暖房の施設を作りたい、と言い出したのだ。
私は、あっけにとられた。
あまりにも大規模な話で、返事に困った。
メノア蒼神官の顔を見ると、彼女も真剣な目で私の反応をまっている。
彼女も、この案件は承知していることだったのだろう。
「メノア蒼神官」
「はい」
私は、人間たちの長であるメノア蒼神官に確認を取るために声をかけた。
「人間たちの間では、この話はどこまで進んでいるの?」
「はい。すでにレイファルナスさまの判断ひとつで、実行可能です」
メノア蒼神官の言葉に、私は小さくため息をつく。
ということは、すべてが私の判断にかかっている、ということだ。
しかし、聞けば聞くほど、大規模すぎて、どこかに見落とした問題があるのではないかと、実行して問題のない計画なのかと、疑問がわく。
特に、季主の力が動力源いうことは、私の責任も大きく関わってくる。
「レイファルナスさま、どうでしょうか? 私のこの一大計画を、許してはもらえないでしょうか」
「一つきいていいかな? コウ、どうしてこの夏や冬を維持している浮島に、冷房装置や暖房装置を作ろうと思ったの? そして、どうしてそれが必要だと思った?」
彼にはいくつか質問がある。
それを聞いてから考えることにしようと、彼を見る。
相変らず彼の目は、私をまっすぐ見返してくる。
「私は夏島生まれですので、はじめは夏島に冷房があればいいな、と思いました」
コウは真剣な強い瞳で語り始めた。
「私の母は熱病で亡くなったんです」
熱病、それは夏島特有の病で、虫が媒介するやっかいな伝染病だった。
高い熱がでて、薬を投与しないと命に関わる病気だ。
「当たり前ですが、夏島は暑いです。そして、それは熱病になった母の体力を大きく削っていきました。私は、せめて病院だけでも秋島のように涼しければいいのにと、切に思ったものです」
少し伏し目がちにコウは目線を下にむけた。
「母は治療の甲斐なく、亡くなりました。でも、もしも、病院がもっと涼しければ。無駄に体力を削られずに、母は持ち直したかもしれない、と思ったのも事実です」
そう言うと、コウはまた私を見て、苦笑する。
「夏の季主さまの前で、暑さを否定するようなことを言ってしまって、申し訳ありません」
そして、彼の目は、また強い光をたたえた。
「しかし、それが夏島に冷房が欲しい、と思った一番の理由です」
私はなるほど、と思いながら彼の目を見返した。