幻想にうるう双眸
文字数 1,646文字
「ねえ、ルファさま。これは、現実なのでしょうか。それとも儚い幻なのでしょうか? でも、どちらにしても、昔よりも息をすることが苦しくないような気がするんです」
そう言って、テルナージェ先生は嬉しそうな双眸から、はらはらと大きな涙の粒を零した。
「すみませんでした、ルファさま。変な話を聞かせてしまって」
「いいえ、良いのよ。それで貴女のこころが少し軽くなったのなら」
わたくしはもう一度彼女をつよく抱きしめると、体をはなした。
「本当に色々すみませんでした。でも、私もみんなでジャムを作るのが楽しかったです」
「美味しいジャムが出来て、わたくしも嬉しかったわ」
「ジャムづくりは、母が忘れないで唯一得意としていたことなので、今回こうしてみんなで作れたのはいい機会でした。母は物忘れのやまいを患ってから、あまり外に出なくなったので」
「そう……」
そう相槌を打つしか出来なかったところへ、丁度メリルが声をかけてきた。
「おかあさん、こっちも終わったよ。帰ろうか?」
「そうね、終わったのなら帰りましょうか」
メリルの後ろにはメイおばあちゃんもいて。
「イリーナ、帰ろうか」
にこにこと笑顔でメリルの手を握った。
「うん」
「先生も一緒にかえりましょう」
「……ええ」
そう言って、三人は春神殿の厨房から出て行った。
わたくしも席を立とうとすると、今度はキリールに呼び止められた。
「ルファさま、今の話、ちょっと聞いてしまって」
「あら」
テルナージェ先生にとって気まずい話だったので、先生と同じ職場にいる彼に話を聞かれたのは失敗だったかもしれない、と思った。
「お、俺の家も父子家庭なんです。そして、俺は……テルナージェ先生のことが、その、好きでして」
「あら」
「彼女のつらい半生を聞いて、さらに支えてあげたくなりました。家の事情もあるだろうし、いろいろ難しいこともあるでしょうが、まずはお付き合いして彼女のことをもっと知りたいと思います」
「ええ」
「だから、彼女のことは任せてください! では、ルファ様、お疲れ様でした!」
広い胸板をはって、大きく言うと、彼はテルナージェ先生を追っていった。
すでにジェイはテルナージェ先生たちと一緒に外へ出ていて、そこへキリールも合流した。
キリールが何かを言って、みんなで笑っている。
ここでは聞こえないけれど、その光景は一つの家族のように見えた。
綺麗に片付いた厨房をあとにして、わたくしも春神殿の自室へと戻る。
そこで、今日作ったサカの実のジャムの可愛い瓶を眺めながら、今日のことを考えた。
人間というものは、どうして気持ちが真っ直ぐに伝わらないのだろう。
テルナージェ先生とメイおばあちゃんは、こんな形でしか繋がれないのだろうか。
もっと、いい繋がり方はないのだろうか。親子なのに。
人というものが悲しいと思うと同時に切なくなる。
でもそれが……人間というものなのかもしれないと、わたくしは思う。
数日後の春主祭で。
春神殿の敷地と、首都マリルベルでは、出店が立ち並び、色々なものが売り買いされていた。
ジャムは、テルナージェ先生とキリールで売っていた。
小さな出店は春神殿の敷地内にあったので、二階の露台から見下ろした位置に、仲睦まじい二人が小さな出店で笑い合ってジャムを売っているのが見えた。
わたくしはそれを遠目に見て、微笑ましく思う。
露台の奥で座ってエモア朱神官と目を合わす。
「この前つくったサカの実ジャムが売れたら、そのお金で厨房の人たちに、何か美味しいものでも差し入れたらどうかしら」
「そうですね。お菓子か、高級食材か……考えておきます」
その後。
春神殿製造のサカの実ジャムは、数が少ないながらちょっとした話題になった。
かわいい包装と、得も言われぬおいしさで。
また、来年もぜひつくって売って欲しい、と言われたそうだ。
今度はテルナージェ先生……イリーナと、キリールに任せよう。
そして、そのときにはひと瓶かって、またこの甘酸っぱい味を楽しもうと思う。
春編 おわり
そう言って、テルナージェ先生は嬉しそうな双眸から、はらはらと大きな涙の粒を零した。
「すみませんでした、ルファさま。変な話を聞かせてしまって」
「いいえ、良いのよ。それで貴女のこころが少し軽くなったのなら」
わたくしはもう一度彼女をつよく抱きしめると、体をはなした。
「本当に色々すみませんでした。でも、私もみんなでジャムを作るのが楽しかったです」
「美味しいジャムが出来て、わたくしも嬉しかったわ」
「ジャムづくりは、母が忘れないで唯一得意としていたことなので、今回こうしてみんなで作れたのはいい機会でした。母は物忘れのやまいを患ってから、あまり外に出なくなったので」
「そう……」
そう相槌を打つしか出来なかったところへ、丁度メリルが声をかけてきた。
「おかあさん、こっちも終わったよ。帰ろうか?」
「そうね、終わったのなら帰りましょうか」
メリルの後ろにはメイおばあちゃんもいて。
「イリーナ、帰ろうか」
にこにこと笑顔でメリルの手を握った。
「うん」
「先生も一緒にかえりましょう」
「……ええ」
そう言って、三人は春神殿の厨房から出て行った。
わたくしも席を立とうとすると、今度はキリールに呼び止められた。
「ルファさま、今の話、ちょっと聞いてしまって」
「あら」
テルナージェ先生にとって気まずい話だったので、先生と同じ職場にいる彼に話を聞かれたのは失敗だったかもしれない、と思った。
「お、俺の家も父子家庭なんです。そして、俺は……テルナージェ先生のことが、その、好きでして」
「あら」
「彼女のつらい半生を聞いて、さらに支えてあげたくなりました。家の事情もあるだろうし、いろいろ難しいこともあるでしょうが、まずはお付き合いして彼女のことをもっと知りたいと思います」
「ええ」
「だから、彼女のことは任せてください! では、ルファ様、お疲れ様でした!」
広い胸板をはって、大きく言うと、彼はテルナージェ先生を追っていった。
すでにジェイはテルナージェ先生たちと一緒に外へ出ていて、そこへキリールも合流した。
キリールが何かを言って、みんなで笑っている。
ここでは聞こえないけれど、その光景は一つの家族のように見えた。
綺麗に片付いた厨房をあとにして、わたくしも春神殿の自室へと戻る。
そこで、今日作ったサカの実のジャムの可愛い瓶を眺めながら、今日のことを考えた。
人間というものは、どうして気持ちが真っ直ぐに伝わらないのだろう。
テルナージェ先生とメイおばあちゃんは、こんな形でしか繋がれないのだろうか。
もっと、いい繋がり方はないのだろうか。親子なのに。
人というものが悲しいと思うと同時に切なくなる。
でもそれが……人間というものなのかもしれないと、わたくしは思う。
数日後の春主祭で。
春神殿の敷地と、首都マリルベルでは、出店が立ち並び、色々なものが売り買いされていた。
ジャムは、テルナージェ先生とキリールで売っていた。
小さな出店は春神殿の敷地内にあったので、二階の露台から見下ろした位置に、仲睦まじい二人が小さな出店で笑い合ってジャムを売っているのが見えた。
わたくしはそれを遠目に見て、微笑ましく思う。
露台の奥で座ってエモア朱神官と目を合わす。
「この前つくったサカの実ジャムが売れたら、そのお金で厨房の人たちに、何か美味しいものでも差し入れたらどうかしら」
「そうですね。お菓子か、高級食材か……考えておきます」
その後。
春神殿製造のサカの実ジャムは、数が少ないながらちょっとした話題になった。
かわいい包装と、得も言われぬおいしさで。
また、来年もぜひつくって売って欲しい、と言われたそうだ。
今度はテルナージェ先生……イリーナと、キリールに任せよう。
そして、そのときにはひと瓶かって、またこの甘酸っぱい味を楽しもうと思う。
春編 おわり