メイとイリーナ 前
文字数 1,978文字
「イリーナは私の名前なんです。イリーナ・テルナージェ、それが私の名前です」
わたくしは息を吸い込んで、驚いた心を落ち着けた。
つまり。メイおばあちゃんは娘の名前を孫娘に向かって呼んでいたのだ。
孫娘を自分の娘と勘違いして。
きっと、メリルが幼いころのテルナージェ先生の面影を濃く受け継いでいるのだろう。
だから、昔を思い出してメリルのことをイリーナとしきりに呼んでいたのだ。
わたくしは、メイおばあちゃんがメリルを可愛がっていた様子を思い出した。
「先生はメイおばあちゃんに可愛がられていたのね」
少し羨ましく思ってそう告げると。
テルナージェ先生は悲し気に顔を伏せ、次の瞬間には苦笑いでわたくしをみた。
「いいえ。ぜんぜん。母は子供の愛し方が分からなかったのではないかと思います。厳しく育てられたのか、それともただうとましく思われていたのか。それさえも今となってはわかりません」
「……」
テルナージェ先生の言葉に少し唖然とする。
今日のメイおばあちゃんの様子を見ていると、決して先生は疎まれているようには思えないのだけれど。彼女がそういうということは、それなりのことをされたのだろう。
「私は、体の弱い子だったんです」
そう言って、テルナージェ先生は、彼女の半生をわたくしに語って聞かせた。
それは、わたしが今のメリルほどの歳のことでした。
昔からすぐに熱をだしたり、気分が悪くなったりする私は、学校を休んでよく家で寝ていました。
しかし、それが健康な母には理解できないことだったようです。
どうしてすぐに熱をだすのか。
どうしていつも具合が悪いのか。
お医者さんに診てもらっても、治らないなんて。
初めは優しかったと思います。
しかし、時がたつにつれて、私の容体があまり良くならないことにいら立ちを感じていたようです。
食欲がなくても、食べやすいものをつくってくれるわけでもなく。
ものが食べられない私には、父が林檎をすったものを用意してくれることがありました。
母は父がするそれさえも気に入らなくて。
「そんなもの用意することないわよ。お腹がすけば勝手に食べるでしょ。わがままになるだけだからやめて」
食べられなくて吐いてしまうと、
「食べものがもったいない。食べられないんなら食べなくていいわよ」
そう言う始末です。
そのときの、ベッドの上から私を見おろした冷たい母の顔は、今でも忘れられません。
熱で寒気がしても、優しい言葉ひとつかけてくれるわけでもなく、寒いから暖かいものが飲みたいとベッドで言っても、母は盛大に溜息を吐いて持って来てくれる気配はありませんでした。
そんなある日。
母は、近所でサカの実を沢山もらってきました。
近所付き合いはそれなりにやっていたようなので、サカの木がある家から分けてもらったようです。
こんなにどうするの、と聞くと、どうしようかね、と言って、ジャムでもつくってみようか、と言いました。
サカの実は酸っぱくて有名ですので、あまりジャムなどは一般的に作られていません。
でも、何を思ったのか、母はそれをジャムにしようと言い出しました。
「作るから手伝いなさい」
そのときは、身体の容体がそんなに悪くなったので、私もサカの実のジャムをつくりました。
一番初めに作ったときは失敗しました。
「駄目だったわねえ」
そう言って普段、不機嫌な顔ばかりしている母が、めずらしく笑いました。
失敗してダメになったサカの実のジャムは、甘いけれどくどくて食べられる代物ではなくて。
私も声をあげて笑いました。
「今度はもっとうまく作りたいわ」
「ええ? また作るの?」
「お隣さんにまたサカの実を分けてもらえるように頼んでみる」
母と私はサカの実ジャムを作る研究をしました。
どうして、サカの実を使ってジャムを作ろうと思ったのか、その時の母の心はわたしにはわかりません。
ですが、サカの実がみのるとジャムを作り、そのときだけは母と一緒に楽しく作業ができて、私は嬉しかったのです。
普段冷たい印象の母が、この作業のときは唯一楽しそうで優しかったからです。
十代の終わりを迎えると、私は学校で知り合った男性と男女の付き合いを始めました。
母の冷たい印象は変わらず、母のいる家が嫌でした。
早く家を出たかったし、私は出来ればその男性と結婚したいと思いました。
しかし、現実はそう甘くはありません。
私がお腹にその男性の子供を授かると、その男性は喜ぶよりも私をおいて逃げました。
「どうして俺がお前の面倒を一生みないといけなんだ」
そう言って。
母は知らない男性の子供をお腹に授かった私に、さらに冷たくあたりました。
もう、一人ではなくなった私は、気軽に家を出ていける状態でもなくなり。
子供を産んで育てるために、実家に残り仕事を見つけて働くことになりました。
わたくしは息を吸い込んで、驚いた心を落ち着けた。
つまり。メイおばあちゃんは娘の名前を孫娘に向かって呼んでいたのだ。
孫娘を自分の娘と勘違いして。
きっと、メリルが幼いころのテルナージェ先生の面影を濃く受け継いでいるのだろう。
だから、昔を思い出してメリルのことをイリーナとしきりに呼んでいたのだ。
わたくしは、メイおばあちゃんがメリルを可愛がっていた様子を思い出した。
「先生はメイおばあちゃんに可愛がられていたのね」
少し羨ましく思ってそう告げると。
テルナージェ先生は悲し気に顔を伏せ、次の瞬間には苦笑いでわたくしをみた。
「いいえ。ぜんぜん。母は子供の愛し方が分からなかったのではないかと思います。厳しく育てられたのか、それともただうとましく思われていたのか。それさえも今となってはわかりません」
「……」
テルナージェ先生の言葉に少し唖然とする。
今日のメイおばあちゃんの様子を見ていると、決して先生は疎まれているようには思えないのだけれど。彼女がそういうということは、それなりのことをされたのだろう。
「私は、体の弱い子だったんです」
そう言って、テルナージェ先生は、彼女の半生をわたくしに語って聞かせた。
それは、わたしが今のメリルほどの歳のことでした。
昔からすぐに熱をだしたり、気分が悪くなったりする私は、学校を休んでよく家で寝ていました。
しかし、それが健康な母には理解できないことだったようです。
どうしてすぐに熱をだすのか。
どうしていつも具合が悪いのか。
お医者さんに診てもらっても、治らないなんて。
初めは優しかったと思います。
しかし、時がたつにつれて、私の容体があまり良くならないことにいら立ちを感じていたようです。
食欲がなくても、食べやすいものをつくってくれるわけでもなく。
ものが食べられない私には、父が林檎をすったものを用意してくれることがありました。
母は父がするそれさえも気に入らなくて。
「そんなもの用意することないわよ。お腹がすけば勝手に食べるでしょ。わがままになるだけだからやめて」
食べられなくて吐いてしまうと、
「食べものがもったいない。食べられないんなら食べなくていいわよ」
そう言う始末です。
そのときの、ベッドの上から私を見おろした冷たい母の顔は、今でも忘れられません。
熱で寒気がしても、優しい言葉ひとつかけてくれるわけでもなく、寒いから暖かいものが飲みたいとベッドで言っても、母は盛大に溜息を吐いて持って来てくれる気配はありませんでした。
そんなある日。
母は、近所でサカの実を沢山もらってきました。
近所付き合いはそれなりにやっていたようなので、サカの木がある家から分けてもらったようです。
こんなにどうするの、と聞くと、どうしようかね、と言って、ジャムでもつくってみようか、と言いました。
サカの実は酸っぱくて有名ですので、あまりジャムなどは一般的に作られていません。
でも、何を思ったのか、母はそれをジャムにしようと言い出しました。
「作るから手伝いなさい」
そのときは、身体の容体がそんなに悪くなったので、私もサカの実のジャムをつくりました。
一番初めに作ったときは失敗しました。
「駄目だったわねえ」
そう言って普段、不機嫌な顔ばかりしている母が、めずらしく笑いました。
失敗してダメになったサカの実のジャムは、甘いけれどくどくて食べられる代物ではなくて。
私も声をあげて笑いました。
「今度はもっとうまく作りたいわ」
「ええ? また作るの?」
「お隣さんにまたサカの実を分けてもらえるように頼んでみる」
母と私はサカの実ジャムを作る研究をしました。
どうして、サカの実を使ってジャムを作ろうと思ったのか、その時の母の心はわたしにはわかりません。
ですが、サカの実がみのるとジャムを作り、そのときだけは母と一緒に楽しく作業ができて、私は嬉しかったのです。
普段冷たい印象の母が、この作業のときは唯一楽しそうで優しかったからです。
十代の終わりを迎えると、私は学校で知り合った男性と男女の付き合いを始めました。
母の冷たい印象は変わらず、母のいる家が嫌でした。
早く家を出たかったし、私は出来ればその男性と結婚したいと思いました。
しかし、現実はそう甘くはありません。
私がお腹にその男性の子供を授かると、その男性は喜ぶよりも私をおいて逃げました。
「どうして俺がお前の面倒を一生みないといけなんだ」
そう言って。
母は知らない男性の子供をお腹に授かった私に、さらに冷たくあたりました。
もう、一人ではなくなった私は、気軽に家を出ていける状態でもなくなり。
子供を産んで育てるために、実家に残り仕事を見つけて働くことになりました。