フロールの若木
文字数 2,158文字
次の日、ルーシャスはまた朝の報告の為にあたしの執務室へとやってきた。
天窓と大きなガラスばりの窓がついた執務室は、うすぐらい冬島でも大きく光が入る。
そこであたしは昨日見て回った冬島の生物たちの記録をつけていた。
いわば、日記のようなものだ。
「ネイスクレファさま」
「なんじゃ」
「冬主さまというのは、普段何をしていらっしゃるのでしょうか。純粋な疑問なのですが」
あたしはルーシャスに目を向けた。
「冬島の生物を観察しておる」
基本季主というものは、人間の政治に介入しない。見守る存在だ。
なので、あたしが冬島の政務に口出しすることはない。ルーシャスが毎日あたしの元に報告にくるのは、人間の様子を知っておきたいからだった。この世界で覇権を握っている生物は人間だから。
この世界の環境をこわさないように。
この世界が護られるように。
それを確認しているのだ。
「例えば、最近だとどんな生物がいるのですか? それは珍しい生物なのでしょうか」
ルーシャスは興味津々といった感じだった。
「俺は今まで冬島の人間達のことは考えていましたが、生物全般のことには無頓着でした。なので、どんな生物がいるのか少し教えて頂けますか?」
そう言うので、あたしはここから少し遠くの海にいる、大きな海洋生物の話や、氷の上にいる猛獣の話などを、語って聞かせた。
「そうじゃのう、他に最近みた珍しい生物というと……、白い花が咲く木かな。ここから近くにある」
「木ですか。白い花が咲く木のどこが珍しいのですか?」
「この木は毎年とても多くの小さな花を咲かせる。それが散る様が美しいのじゃ。今までこの冬島にこんな花は咲かなかった」
ルーシャスはそれを聞くと、にこりと笑顔になった。
「ネイスクレファさまは、その花がとてもお好きなのですね。その花を語るときの顔が素敵です。俺もみてみたい」
また歯の浮くような台詞を言い出す。
それを綺麗に無視して話をつづけた。
「ならば行くか? すぐそこだから」
「ええ、是非ご一緒させてください」
「仕事はいいのか?」
「あらかた片付いているので、あとは部下に任せます」
嬉しそうな顔をして、ルーシャスは支度をするために退席した。
ザクザク、と雪を踏み分けて歩く。
昨日降った雪がつくった真っ白い平原の中を、あたしとルーシャスの足跡が、線のように続いていた。それは太陽に照らされてきらきらと輝いている。
「ネイスクレファさま! 木はまだですか? すぐだって言ったのに!」
ぜいぜいと息を切らしながらルーシャスは歩いている。あたしよりもだいぶ遅れて。
あたしは立ち止まって、彼が来るのをまった。
「情けないのう……」
「なさけ……! べ、別にこれくらい大したことないですよ。ただ、少し遠いかなって思っただけで」
白皙のおもてが赤くなっている。それは寒さのせいなのか、恥ずかしさのせいなのか。
あたしは歩きながら遠くに見えてきた木を指さした。
「ほら、もう見えてきた。ルーシャス、あれが白い花の木じゃよ」
そういうと、彼は背筋を伸ばしてあたしと同じように遠くにある木を眺めた。
「はあ、ああ、あれですね。思ったよりも小さいですね」
「まだまだ若木なのじゃ。さあ、あともう少しじゃ。行くぞ」
「はい」
ざくざく、ざくざく、雪を踏み分ける。
あたしたちはその木の根元まで歩いた。
「近いって言っていたのに、随分遠かったですよ、ネイスクレファさま」
息を切らせているルーシャスを横目に見て苦笑する。
「体力がなさすぎじゃのう。もっと鍛えたらどうじゃ?」
「運動は嫌いなんですよ。でも、考えておきます」
上気した顔をあげてルーシャスは若木を見上げた。
彼の背よりも少し大きいくらいの若木。
目線の先にはたくさんの小さな白い花が咲いていて。
「よく見ると美しいものですね」
息を整えながら彼は花を眺めた。
木の全体にところせましと花が咲いている。
「この花の名前は何ていうんですか」
「また決めてない。新種じゃからな」
太陽の光を花びらが透過して、透明に見える。花弁が幾重にも重なりあっていて、その隙間から光が薄く漏れていて。
ルーシャスは眩しそうに手で目元を覆い、双眸 を細めて呟く。
「……フロール」
「ん? なんじゃ」
「古代語で太陽という意味です。知っていらっしゃると思いますけど」
「フロール、太陽 の花か。いい名じゃな。では、この木の名はフロールにしよう」
思わず良い名がついた。嬉しく思っていると、ルーシャスが感心した顔であたしを見る。
「何か、少しだけ季主さまが普段なにをしていらっしゃるのか、分かった気がします……」
「そうか?」
「こうして新しい命が芽吹くのを確かめていらっしゃるのですね」
「それだけでもないが、まあ、それもある」
「この冬島の生物を細かく気に掛けていて……、守り主らしい。ますますあなたが好きになりました」
「戯言 を」
あたしは彼の言うことをさらりと流す。
ルーシャスは花を見ながら、その一輪を手に落とした。
小さな花は指で触れると簡単にてのひらに落ちる。
「儚い花だ。このフロールの木は一年で一度花が咲くと言いましたよね」
「ああ、そうじゃ。今がその時期じゃ」
「分かりました。覚えておきます」
このときが、ルーシャスと初めてフロールの若木を見た最初の日だった。
天窓と大きなガラスばりの窓がついた執務室は、うすぐらい冬島でも大きく光が入る。
そこであたしは昨日見て回った冬島の生物たちの記録をつけていた。
いわば、日記のようなものだ。
「ネイスクレファさま」
「なんじゃ」
「冬主さまというのは、普段何をしていらっしゃるのでしょうか。純粋な疑問なのですが」
あたしはルーシャスに目を向けた。
「冬島の生物を観察しておる」
基本季主というものは、人間の政治に介入しない。見守る存在だ。
なので、あたしが冬島の政務に口出しすることはない。ルーシャスが毎日あたしの元に報告にくるのは、人間の様子を知っておきたいからだった。この世界で覇権を握っている生物は人間だから。
この世界の環境をこわさないように。
この世界が護られるように。
それを確認しているのだ。
「例えば、最近だとどんな生物がいるのですか? それは珍しい生物なのでしょうか」
ルーシャスは興味津々といった感じだった。
「俺は今まで冬島の人間達のことは考えていましたが、生物全般のことには無頓着でした。なので、どんな生物がいるのか少し教えて頂けますか?」
そう言うので、あたしはここから少し遠くの海にいる、大きな海洋生物の話や、氷の上にいる猛獣の話などを、語って聞かせた。
「そうじゃのう、他に最近みた珍しい生物というと……、白い花が咲く木かな。ここから近くにある」
「木ですか。白い花が咲く木のどこが珍しいのですか?」
「この木は毎年とても多くの小さな花を咲かせる。それが散る様が美しいのじゃ。今までこの冬島にこんな花は咲かなかった」
ルーシャスはそれを聞くと、にこりと笑顔になった。
「ネイスクレファさまは、その花がとてもお好きなのですね。その花を語るときの顔が素敵です。俺もみてみたい」
また歯の浮くような台詞を言い出す。
それを綺麗に無視して話をつづけた。
「ならば行くか? すぐそこだから」
「ええ、是非ご一緒させてください」
「仕事はいいのか?」
「あらかた片付いているので、あとは部下に任せます」
嬉しそうな顔をして、ルーシャスは支度をするために退席した。
ザクザク、と雪を踏み分けて歩く。
昨日降った雪がつくった真っ白い平原の中を、あたしとルーシャスの足跡が、線のように続いていた。それは太陽に照らされてきらきらと輝いている。
「ネイスクレファさま! 木はまだですか? すぐだって言ったのに!」
ぜいぜいと息を切らしながらルーシャスは歩いている。あたしよりもだいぶ遅れて。
あたしは立ち止まって、彼が来るのをまった。
「情けないのう……」
「なさけ……! べ、別にこれくらい大したことないですよ。ただ、少し遠いかなって思っただけで」
白皙のおもてが赤くなっている。それは寒さのせいなのか、恥ずかしさのせいなのか。
あたしは歩きながら遠くに見えてきた木を指さした。
「ほら、もう見えてきた。ルーシャス、あれが白い花の木じゃよ」
そういうと、彼は背筋を伸ばしてあたしと同じように遠くにある木を眺めた。
「はあ、ああ、あれですね。思ったよりも小さいですね」
「まだまだ若木なのじゃ。さあ、あともう少しじゃ。行くぞ」
「はい」
ざくざく、ざくざく、雪を踏み分ける。
あたしたちはその木の根元まで歩いた。
「近いって言っていたのに、随分遠かったですよ、ネイスクレファさま」
息を切らせているルーシャスを横目に見て苦笑する。
「体力がなさすぎじゃのう。もっと鍛えたらどうじゃ?」
「運動は嫌いなんですよ。でも、考えておきます」
上気した顔をあげてルーシャスは若木を見上げた。
彼の背よりも少し大きいくらいの若木。
目線の先にはたくさんの小さな白い花が咲いていて。
「よく見ると美しいものですね」
息を整えながら彼は花を眺めた。
木の全体にところせましと花が咲いている。
「この花の名前は何ていうんですか」
「また決めてない。新種じゃからな」
太陽の光を花びらが透過して、透明に見える。花弁が幾重にも重なりあっていて、その隙間から光が薄く漏れていて。
ルーシャスは眩しそうに手で目元を覆い、
「……フロール」
「ん? なんじゃ」
「古代語で太陽という意味です。知っていらっしゃると思いますけど」
「フロール、
思わず良い名がついた。嬉しく思っていると、ルーシャスが感心した顔であたしを見る。
「何か、少しだけ季主さまが普段なにをしていらっしゃるのか、分かった気がします……」
「そうか?」
「こうして新しい命が芽吹くのを確かめていらっしゃるのですね」
「それだけでもないが、まあ、それもある」
「この冬島の生物を細かく気に掛けていて……、守り主らしい。ますますあなたが好きになりました」
「
あたしは彼の言うことをさらりと流す。
ルーシャスは花を見ながら、その一輪を手に落とした。
小さな花は指で触れると簡単にてのひらに落ちる。
「儚い花だ。このフロールの木は一年で一度花が咲くと言いましたよね」
「ああ、そうじゃ。今がその時期じゃ」
「分かりました。覚えておきます」
このときが、ルーシャスと初めてフロールの若木を見た最初の日だった。