第77話 広島 平和記念公園

文字数 2,677文字

 広島駅を歩いていると、英国紳士風の(かた)に声をかけられた。「Peace Memorial Parkに行きたい」とのこと。
 南の方向を差して「SouthからWestへ」と伝えるが、「バスに乗りたいんだ。ワイフも一緒だからね」と言う。どのバスに乗ったらいいかは僕も分からないので観光案内所へ連れていった。かなり混み合っていたけど、変な方向行きのバスに乗ってしまうよりはいいでしょう。

 駅を出て西にズンズンと進み、30分ほどで原爆ドームに着いた。外国人さんだらけだ。それでもオーバーツーリズム状態ではなく、案内板を読み、ぐるっと一周してドームの状態をしっかりと確認することが出来た。

 原爆ドームは元々レンガ造の3階建、物産陳列館だった。原爆が落ちた時には産業奨励館と改称し官公庁などの事務所が入っていたという。爆心地からおよそ160メートルの距離にあったこの建物にいた(かた)たちは、全員爆発によって亡くなったとされている。
 この建物は鉄骨と分厚い壁、多くを木材で造られていた。真上からの爆風と熱線で全焼したものの、角度的な理由もあってか壁や鉄骨が一部損壊するも崩壊には至らなかったようだ。

 今までに計4回の保存工事が(おこな)われ、1996年に世界遺産登録が決定した。そのままでは風化や大きな地震により倒壊してしまう可能性があるので、今後も保存工事が必要となるそうだ。

 公園内を歩いて進んで行く。原爆の子の像の周りにも人がたくさんいた。大きな縦長のモニュメントの横と真上に、原爆で亡くなった子たちの像が設置されていて、モニュメントには誰でも触って()(かね)の紐がぶら下がっている。
 この像の詳細はこの(あと)訪れる平和記念資料館の中でしっかりとワンコーナーを使って説明されていた。長くなるので割愛するが、この像の周りにはたくさんの折り鶴が展示されていて、国内外から年間1千万羽も届くらしい。

 公園内、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館を訪れた。
 地下2階の死没者追悼空間という広くて丸型の部屋。ここでは360°のパノラマで、1945年10月に米軍が爆心地のほど近くから撮影した風景写真が、1945年末までに判明した死没者数14万人と同数のタイルを使って展示されている。
 その当時の鉄骨剥き出しになった原爆ドームも映っている。その周りは残骸だらけで、いや、360°どこを見ても残骸だらけだ。部屋の中では誰一人として喋っておらず、しんと静まり返った中で(みな)その景色を眺め続けていた。
 これを撮影した人は、どんな想いを(いだ)いたのだろう。僕はそのことばかり考えていた。

 地下1階の企画展示室では、2023年11月現在、「空白の天気図」という被曝体験映像が上映されている。原爆が投下された日の広島気象台の職員たちの行動を通して当時の人々の心境や状況を語ったものだ。また、その1か月後に上陸した枕崎台風での二次被害についても語っている。(つぶや)くようなナレーションと、ご本人へのインタビュー映像など、静かに心に突き刺さってくるものがあった。ノンフィクションの映像で涙を流すのはいつぶりか。

 平和記念資料館に向かう。100人くらいが行列を作っていた。さらに周りには遠足なのか修学旅行なのか、学生の団体が待機していた。
 これは無理かな、といったん通り過ぎてみたものの、ここまで来てこの資料館に入らないのはなんか違うな、そう思い直して行列の最後に並んだ。

 何回かに分けて行列が先頭から資料館へ入って行く。予約した団体優先のため、その間にも、幾つかの学生団体がワァッと入って行った。入る前には各担任の先生から厳重な注意事項の説明があった。先生たちの鬼気迫る表情に、学生さんたちも「あっ、ここは絶対騒いじゃいけない場所なんだ」と理解していた様子。

 ちょうど僕のところで入館案内が止まったので、警備員さんに()いてみた。

「ここはいつもこんなに混んでるんですか?」
「今日はねぇ、かなり少ない(ほう)ですよ。学生も2000人くらいで、まぁ飛びこみの団体もあったけど。今日は楽だなぁって話してたところです」

 なんとまあ、100人の行列が少ない方とな。これ土日とかどうなっちまうんだ。あ、逆に団体の少ない土日は()いてたりして?
 ともかく入館することが出来て、館内でも行列待ちをしてチケットを購入し、展示室へと進む。

 原爆投下前の広島の様子を映した写真や、投下後の惨状を映した写真、被害を受けた建物の一部や看板、自転車、亡くなった(かた)が着ていた服……。
 手紙、遺書、当時のことを(えが)いた絵画、放射線の被害を受けた(かた)の写真。原爆の子の像が設置されるきっかけとなった(かた)の生まれてから白血病で亡くなるまでの生涯と、その()の設置運動の様子……。

 みんな泣いていたし、僕も泣いた。これ以上の感想は書けないんだけど、全世界の人にこの資料館を訪れてもらいたいって思った。原爆の怖さも、その被害の残酷さも、亡くなった(かた)たちがどれだけ(つら)い想いをしたのかも分かるはずだから。

 被害者14万人というのも推計であって、さらにそのうち名前が判明しているのは9万人ほどらしい。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 平和記念公園の近くのホテルにチェックイン……の前に、夕食を買おうと付近をブラブラ。結局ホテルのすぐ(そば)の魚料理店くらいしか(ひら)いてなくて、サーモン親子丼を持ち帰りで買った。
 このお店、すごく()い店だった。持ち帰りの品を待っている間に店内を眺めていると、店員さんが醤油差しやそれを置く台、その他細々とした備品をしっかりアルコール消毒していた。アツアツのお茶も出してくれたし、持ち帰り用にしっかりした紙袋へ(どんぶり)を入れてくれた。接客も柔らかい口調で、とってもレベル高し。

 ホテルの部屋に入り、岡山の回を書いてからサーモン親子丼とビールで夕食。サーモンと(あぶ)りサーモンとイクラでビールがすすむ。さらに岡山で買った「きび田楽」なる菓子をデザートとする。黒糖蜜をかけて柔らかく甘ぁい菓子を楽しんだ。これはビールには合わなかった。

 まだ心の整理が出来ていないから、この回の雑記を書くのは明日にしようと決めて、本日は気分転換にギャグ全振りの短編小説を書くことにした。NOVEL DAYSのお題に沿ってどうのこうのという企画に応募。2000文字以内というのが気楽で()い。この旅で毎日のように文章を書いているうちに、いつの間にか書くことが当たり前の生活になってしまったらしい。

 翌朝、ホテルの1階で朝食を取って、部屋へ戻ってからこの回を書いた。少し頭の整理がついたみたいだ。

 今日は朝から雨模様……。
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