朝、テラスに出ると海は
真っ
青。ところどころに雲はあるものの快晴と言って差しつかえない天気だ。身体を伸ばし、立ってもできるストレッチで頭を起こす。さっさとシャワーを浴びて
支度をして出なければ。
近くのバス乗り場で昨日の逆方向のバスに乗り、2時間揺られる。
那覇市の
古島駅前でバスを降りた。ここから首里城へ歩いても行けるが、今日はこの
後メチャクチャたくさん歩くので、「ゆいレール」というモノレール線に乗ってショートカットした。
ゆいレールはあまりにも那覇市内の渋滞が激しいために作られたものらしい。確かに昨日空港から美ら海水族館のある本部町へ向かう際、那覇市内はかなり渋滞していた。
切符を買ったが入場方法が分からない。駅員さんに
訊いて、切符のQRコードを改札に読み込ませて入場。これ面白いな。
3駅で首里城近くに降り立つと、まだほとんど動いていないはずなのに腹が鳴った。夜と朝、軽食だったもんなぁ……。
地図アプリで飲食店を探し、10時台でも
開いている店を見つけた。
その店は弁当も売っていて、レジの横にベンチとテーブルが見えた。弁当を買ってベンチで食べても
良いらしい。タコライスと唐揚げの入った弁当を買い、ベンチに座ると、店員さんから「奥のお座敷へどうぞ」と言われた。あっ、レジカウンターの裏に座敷があったのか。
3つのテーブルが置かれた座敷に座り、弁当をパカッ。おお、昨日バイキングで食べたタコライスの本格バージョンだ。レタスにチーズ、カレー風味の
挽き肉、トマトを細かく切ったもの。あー、食欲をさらに引き立てる味だ。よし、このデカイ唐揚げを……ハッ! これはザンギか?!
甘辛なタレがタコライスにピッタリ合っている。この弁当、本当にワンコインでいいのだろうか。
瞬時に食べ終わってしまい、水を飲みながら店内を見回す。誰か分からないけど幾つかサイン色紙が飾られている。何かのイベントを定期的に開催しているのか、その際に撮った子供たちの写真が壁一面に貼られていた。もしかして地元で有名な店なのか?
ともかく弁当は
美味しかったし店員さんも優しかった。良い店に巡り逢えて、この
後歩きまくりの半日に備えてエネルギーを補充することが出来た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
首里城は2019年の火災で正殿を含め9つの施設が焼失して現在再建中の、琉球王国を象徴する
城だ。グスクとは沖縄の言葉で城を意味する。グスクの特徴は高く積まれた石垣の角が曲線になっていることで、首里城もクネッ、クネッと曲がった石垣が美しいグスクだ。
石垣は琉球石灰岩を積み上げて作られており、琉球石灰岩は長い
間風雨にさらされることにより大小様々な穴が
空く。というかもしかすると最初から空いてたのかも。簡単に加工できるため、曲線の多い琉球グスクの石垣には適していたのだろう。
石垣の上に中国風デザインの赤い門。
門扉も赤い。これは屋根の赤に合わせて塗られており、
漆が使われているそうだ。建物に塗られた漆は光沢こそないものの、均一で平坦な肌を見せ、独特の雰囲気を
醸し出していた。
そうそう、沖縄の屋根瓦がなぜ赤いのかを調べたら面白かった。まず、沖縄赤瓦は中国から伝来したものらしく、最初は高貴な建物、それこそ首里城のような建物に使われた。この粘土瓦は鉄分を多く含み、しっかりと酸素を供給して焼くと勝手に赤くなる。赤を高貴な色としていたために庶民が使用するのは禁じられており、明治時代頃からはようやく一般にも普及し使用が拡大した。
この瓦は吸水性が高く、普段は建物の中が蒸すのを防いでくれて、台風の際には雨を吸うことにより重くなり、風で飛ばされるのを防ぐという沖縄に最適なものだったようだ。
そして建物の壁の色が白いのは、
漆喰を使用していたから。漆喰も吸湿性があるはずだ。前に小説で漆喰の描写をした時に調べたから分かる。昔から屋根は赤、壁は白というのが
半ば常識みたくなってたんですねェ。昨日バスから窓の外を眺めてる時に
抱いた疑問が解消されて嬉しい。
火事で焼け落ちた正殿などの建物があった場所には、復興工事用の巨大な仮設工房が建てられており、中ではたくさんの作業員が復旧作業をしていて、その様子をガラス越しに観ることが出来た。さらに3階建ての各階の見学デッキには、復興をどのように進めているのか、どんな素材を、どのような加工方法で用意しているのかなどの詳細掲示があった。
復興展示室で復興に向けての動画を観た
後、展望スペースから首里の街、その先の那覇の街、そして海を見渡す。琉球王国だった頃は、王や王妃もここから街や海を眺めていたのだろうか。
復興工事エリアを出て、ひと休憩する。茶屋に入り、沖縄の銘菓とさんぴん茶を
頂く。菓子はくんぺん、ちんすこう、花ぼうる、
冬瓜漬。冬瓜漬はもの凄く甘い。甘〜いと叫びそうになるほど甘かった。中国から伝来した食べ物で冬瓜を砂糖で煮詰めたもののようだ。ちんすこうは時々誰かしらの土産で食べていたからなんだか懐かしい。花ぼうるは花のような切り込みを入れた薄く丸っこい菓子で、古くは王族が食べていたものらしい。くんぺんは胡麻あんを分厚い皮で包んだ菓子。今では法事用に使われているとか。
首里城の復興工事、2026年頃までの再建を目指しているそうだ。
3年後、世の中はどうなっていて、僕は何をしているのだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ぼちぼち街並みを眺めながら、途中の寺院に寄りながら40分ほど歩き、沖縄県立博物館・美術館おきみゅーに
辿り着いた。いやぁ、首里城が山の上にあるから、
下りの坂がきつかったッス。今回ウォーキングブーツを履いてたので大丈夫だったけど、底の擦り減った靴だったら滑って転んでただろうな、と思うくらいきつい坂があった。おとなしくゆいレールに乗れば良かったのかも。
さて、おきみゅー。博物館と美術館が一緒になっている、これまたもの凄く大きな建物だ。沖縄は色んなもののスケールがことごとくデカイ。
両方の展示を楽しめる共通チケットを購入し、まずは博物館側へ。
琉球という国の成り立ちから王朝時代、そして薩摩に吸収されて、日本の県になって、アメリカに統治されて、日本に返還されるまでの経緯が、多くの展示物と動画で分かりやすく説明されている。
ここで詳細を書くのは無理だ。十数行で説明出来るならこんなに広大な展示室は
要らないだろう。でも、琉球や沖縄のことが良く分かったし、どうして中国の文化が多く入り込んでいるのか、どうして首里城に中国人観光客がわんさかいたのか、どうして沖縄には
城跡が各地に点在しているのかなど、首里城での疑問がどんどん解決していってアハ体験のようだった。そうか、そうか、と。
また、中央の展示室の外側には民芸や自然、美術などの展示もあり、これまたたくさんの展示品を楽しむことが出来た。
三線、ヤンバルクイナ、庶民の家屋の再現、漁船のジオラマ、農業や漁業で使われた道具……。旅の中で訪れた博物館の中でもおそらくトップと言える充実ぶりだった。
特別展示である、
倭寇と中国への渡来の歴史の展示も観た。倭寇は沿岸地域の村などを襲った海賊のような存在で、前期と後期に分けられ、13、14世紀頃に中国の沿岸を襲っていた者たちは日本を拠点にしていたと云われている。後期16世紀頃の倭寇は日本からの者は少なく、多くは中国を拠点にしていたらしい。
それとは別に、中国と琉球は国をあげて交易を
行っており、現在の沖縄本島から小さな島々を経由して中国に至るまでの船旅の航路を、動画で説明していた。中国には、その頃に琉球人が宿泊していた施設の跡が残っているようだ。
ハァン、ハッハァーンという感じで沖縄の歴史に触れて、またもやその情報量の多さに頭がパンクしそうだ。
ということで休憩。館内の綺麗な軽食店で「さんぴん茶プリン」と「黒糖ミルク」を食べてリフレッシュした。さんぴん茶プリンがあっさりさっぱりなのに対し、さっきサトウキビの展示を観たから注文してみた黒糖ミルクは
甘ぁい。黒糖はサトウキビを煮詰めて濃縮したもの。だから少量でも入っているととても甘いのだ。
美術館について、やっぱりアートってのは言葉にし
難いので、ちょっとした感想だけ。沖縄で育った人が
描く沖縄と、別の地域で育った人が沖縄を訪れて、あるいは想って
描く沖縄は全然違う印象だった。また、戦争を経験した人の
描くアートと、戦争を知らない若い人の
描くアートもまた、違う印象を受けた。若い人のアートはポップで華やか、戦争を知る世代のアートは少し陰鬱さがあった。
どこで生まれてどこで育ち、何を見て誰と関わってきたのか。そして何を表現したくて、どんな手法で表現するのか。芸術家の遺伝子や細胞に刻まれた記憶が、経験が、作品に投影されていた。と思う。
おきみゅーを出て近くのこれまた大きなショッピングモールで夕食にする。アグーのしゃぶしゃぶとうな丼、ミニ沖縄そばのセットにした。
しゃぶしゃぶにして
良く分かった。アグーは柔らかい。しっかり湯通ししても硬くならず、おろしポン酢がとってもマッチング。野菜も一緒にしゃぶしゃぶして
美味しい。うなぎは、普通にうなぎだった。沖縄そばはバイキングの時と同じ味だ。麺のコシが強くて歯応えヨシ。
蕎麦粉を使っていないからこういう食感なのか、なるほど。汁はあっさり、おそらく昆布と鰹節? かな。
お
腹いっぱい、
腹いっぱい。
ホテルにチェックイン。部屋着が花柄の
作務衣でかっこいい。沖縄っぽいデザインだ。明日ちょっとアロハシャツの店も見てみようかな。
大浴場でしっかり今日の足の疲れを流し、ビールを飲みつつ美ら海水族館の回を書く。沖縄に着いてから書くことが多すぎて雑記は渋滞中だ。まあ、
明後日の空港ロビーとか飛行中に書けばなんとか追いつくでしょう。
チェックインする時にフロントスタッフから「朝食はすごく混み合うので時間に余裕をもって
来られた
方がいいですよ」と言われたので早く寝てその衝撃に備えよう。もう0時半なのだけれど。