第47話 断食体験に行ってみた 1泊目
文字数 2,587文字
昼下がり、僕は海を眺めていた。
晴れ渡った空に、筆で適当に塗りたくったかのような淡い白雲。どこまでも続く海は碧 く染まり、煌 めく波が砂浜に打ち寄せている。
ひと伸びして、バッグを背負う。踵 を返し砂浜を後 にした。
今日から3泊4日で断食 体験に参加する。体験と言っても無料ではなく、宿泊代金を払いサービスとして断食体験を提供されるというかたちだ。お寺に集合する時間よりも随分 早く来てしまったので、海辺で時間を潰していた。
朝食は軽いものなら食べて良かったのに、起きる時間が遅かったせいで何も食べずに電車でどんぶらこ。昼食はNGだから、ちょっと喫茶店でもなんて出来ず。
結果、既にお腹がグゥグゥ鳴っている。そんな時に限ってラーメン屋とか弁当屋とかの横を通るのだから堪 らない。お腹を摩 りながら歩き、断食体験の場であるお寺に到着した。
僕以外にも今日から体験をする人が3人いて、何日か目の人も合わせると15名ほど宿泊するらしい。平日だけど、思ったよりも大所帯だ
最初は動画で、宿泊にあたっての心構えというものを観た。断食 といっても一日一食だし、たった数日間であるから、ここで何かを得ようとするのではなく、自分を見つめ直す機会として取り組むべしということだった。つまり、断食はあくまでも手段であって目的にしてはいけない、そんなお話だった。
次に入門供養がある。これは般若心経を唱えた後 に、懺悔 を書いた紙を燃やしていただく。それで心を入れ替えて修行というか体験に励むことが出来るのだ。僕の懺悔するべき事は限りなくたくさんあるけれど、代表的なものを書いた。
胡座 で般若心経を唱えているうちに、左足が痺れて死ぬかと思った。もちろんそのあと立ち上がれず、しばらく四つん這いの姿勢。断食体験はとんでもなく恥ずかしいスタートを切ったのである。
宿泊する建物は、新しいこともあって凄く綺麗だ。玄関で靴を脱ぎ、建物内は基本的に靴下で過ごす。広間もお部屋も畳敷 でほとんど汚れが無い。お部屋にはテラス有り。テラスの椅子に座れば、隣接する大きな湖 の全景を眺めながら考え事だって出来ちゃう。うーん、素晴らしいな。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ただ一日一食して泊まるだけではない。
バッグの中の荷物を分解したり宿泊案内を読んでいたりしたら、館内放送があった。住職の茶話 、お話し会があるとのこと。早速、貸し出された作務衣 に着替えて参加する。
2人が既にお話しされていて、なんだか高尚 な悩みを打ち明けていた。それに対して住職のお考えが披露される。
仏教には「やる」か「やらない」かしか存在しない。「良い」「悪い」というのは無くて、「意味がある」「意味がない」というのも無い。つまり、たいてい人は何かする時に、それに意味があるのかとか、それが自分にとって良いことなのかどうかと考えてしまう。でもそんなことを考える必要はなくて、ただ「やればいい」のである、ということだった。
欲望を捨てて、自分のなすべき事を無心で行うべし。かな。僕にはとっても心当たりがあって耳の痛くなる話だった。仕事をしている時、確かにいつも自分の損得 とか、これをしたら人からどう見られるか、どんな評価を受けるか、そんなことばかり考えていた。
あと、悪い感情を反芻 すると、どんどん増幅されてしまうから、一日の終わりにでも反省して、悪い感情を持っている自分に気付くことが大事だ、というお話しもあった。耳が痛いを通り越して耳がちぎれそうな話だ。
僕は嫌なことがあると、何度もそのシーンを頭の中で再生してしまう。それでずっと根に持っていたり、どんどんその相手なりその団体なりを嫌いになってしまうのだ。そんな自分にリアルタイムで気付くだけでも、きっと違う見方が出来るはず。冷静になって、自分にも非はなかったか、相手にも事情があったのではないか、はたまた自分の勘違いではないかと思い至るわけだ。
これからでもいい、自分の感情とちゃんと向き合っていきたいな。そう思った。
もうこれで帰っても良 いくらい勉強になったわけだけれど、広間で骨盤ストレッチやりますよー、との館内放送。これは別料金だ。
とりあえず夕食まで暇だし、参加することにした。45分間、ヨガマットの上でひたすら骨盤周りのストレッチをする。数人が参加しており、先生のポーズを真似て骨盤をグリグリ動かしていく。
ストレッチが終わる頃には肩の凝りと腰の痛みが多少、和 らいでいた。これは家でも出来そうだから、帰ってからも継続……、する……かな。
そして待ちに待った夕食。
ご飯は好きなだけよそって良 いとのこと。でも横にデジタルスケールが置かれていて、男性は150グラムくらいが目安との記載あり。普通のお茶碗一杯分ですな。
精進 料理ということで量が少ないのかと思いきや、味噌汁に野菜の煮物、昆布や漬物、豆腐と、色とりどりで飽きずに食べられる。
なるべく咀嚼 音や食器を置く音を立てないように食べるものだと教えられ、その通りにしてみたら、いつもよりよく噛んで食べることになり満腹感が出てきた。野菜の煮物は里芋、かぼちゃ、にんじん、レンコン、ごぼう。味付けが絶妙で、空きっ腹に舞い降りた幸せ5人衆。
夕食が済むと、一日の最後は坐禅 とストレッチだ。
お寺の大広間で坐禅を行 う。動画で観た通りに胡座 を組んで座り、背筋を伸ばしておへその前に両手で輪っかを作り、目は少し下の方 を見る感じ。
最初は余裕がある。呼吸を整え、頭の中を空っぽにしようとする。だが次第に、足は痺れ、背中は丸まり、なんだか色んな所が痒くなり、まったく無心になれない。ものの5分と持たずに余計な事ばかり考え出す。
時間が果てしなく感じる。心は穏やかではなく、体も忙 しなくムズムズしている。足を組み替えてもやっぱり痺れ、背中をしゃんとしようとしても腰が攣 り、こめかみの辺りはずっと痒いまま。
心の声「Ahhhhhhaaaaaa!!」
坐禅の終了を告げるリーンという鐘 の音が聞こえ、僕はホッとした。背中にはじんわり冷や汗をかいている。こんなに坐禅が難しいとは思わなかった。はたして数日で出来るようになるのだろうか。
ストレッチをして、本日の日程は終わり。お部屋に戻り、お風呂に入り、歯を磨き、備え付けの浄水器の水を飲み、この雑記を書いて、寝る。
明日は6時起きだー。
晴れ渡った空に、筆で適当に塗りたくったかのような淡い白雲。どこまでも続く海は
ひと伸びして、バッグを背負う。
今日から3泊4日で
朝食は軽いものなら食べて良かったのに、起きる時間が遅かったせいで何も食べずに電車でどんぶらこ。昼食はNGだから、ちょっと喫茶店でもなんて出来ず。
結果、既にお腹がグゥグゥ鳴っている。そんな時に限ってラーメン屋とか弁当屋とかの横を通るのだから
僕以外にも今日から体験をする人が3人いて、何日か目の人も合わせると15名ほど宿泊するらしい。平日だけど、思ったよりも大所帯だ
最初は動画で、宿泊にあたっての心構えというものを観た。
次に入門供養がある。これは般若心経を唱えた
宿泊する建物は、新しいこともあって凄く綺麗だ。玄関で靴を脱ぎ、建物内は基本的に靴下で過ごす。広間もお部屋も
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ただ一日一食して泊まるだけではない。
バッグの中の荷物を分解したり宿泊案内を読んでいたりしたら、館内放送があった。住職の
2人が既にお話しされていて、なんだか
仏教には「やる」か「やらない」かしか存在しない。「良い」「悪い」というのは無くて、「意味がある」「意味がない」というのも無い。つまり、たいてい人は何かする時に、それに意味があるのかとか、それが自分にとって良いことなのかどうかと考えてしまう。でもそんなことを考える必要はなくて、ただ「やればいい」のである、ということだった。
欲望を捨てて、自分のなすべき事を無心で行うべし。かな。僕にはとっても心当たりがあって耳の痛くなる話だった。仕事をしている時、確かにいつも自分の
あと、悪い感情を
僕は嫌なことがあると、何度もそのシーンを頭の中で再生してしまう。それでずっと根に持っていたり、どんどんその相手なりその団体なりを嫌いになってしまうのだ。そんな自分にリアルタイムで気付くだけでも、きっと違う見方が出来るはず。冷静になって、自分にも非はなかったか、相手にも事情があったのではないか、はたまた自分の勘違いではないかと思い至るわけだ。
これからでもいい、自分の感情とちゃんと向き合っていきたいな。そう思った。
もうこれで帰っても
とりあえず夕食まで暇だし、参加することにした。45分間、ヨガマットの上でひたすら骨盤周りのストレッチをする。数人が参加しており、先生のポーズを真似て骨盤をグリグリ動かしていく。
ストレッチが終わる頃には肩の凝りと腰の痛みが多少、
そして待ちに待った夕食。
ご飯は好きなだけよそって
なるべく
夕食が済むと、一日の最後は
お寺の大広間で坐禅を
最初は余裕がある。呼吸を整え、頭の中を空っぽにしようとする。だが次第に、足は痺れ、背中は丸まり、なんだか色んな所が痒くなり、まったく無心になれない。ものの5分と持たずに余計な事ばかり考え出す。
時間が果てしなく感じる。心は穏やかではなく、体も
心の声「Ahhhhhhaaaaaa!!」
坐禅の終了を告げるリーンという
ストレッチをして、本日の日程は終わり。お部屋に戻り、お風呂に入り、歯を磨き、備え付けの浄水器の水を飲み、この雑記を書いて、寝る。
明日は6時起きだー。