第59話 福島 旅人は珈琲を楽しむ

文字数 4,293文字

 ホテルの朝食バイキング、朝一番で会場へ行ったら僕がザ・ファーストだったらしい。宿泊客自体少ないのか、その(あと)もしばらく独り占め状態。好きなものをじっくりと選べて楽しい。

 さすがの水戸(みと)、黒豆納豆と普通の納豆があった。そして自分勝手丼を作るための素材がたくさん。いかそうめん、オクラ、海苔、半熟卵、梅干し、とろろ、わさびなんかをご飯に乗せて……何色丼なんだ一体。
 焼き魚もチャーシューもスクランブルエッグもオイシイ。しかも野菜スープまであるじゃないか。ポテトサラダとブロッコリー、ミニトマトも取って、朝の完璧栄養食が完成した。



 いやぁ、腹一杯、お腹いっぱい。〆はコーヒーで。
 今日は平日だから、絶対に混み合う通勤通学時間帯を()け、9時台の電車に乗って本来の始まりの地である福島へ向かう。

 水戸駅を出発して茨城(いばらき)を脱出、福島県に入り、(いずみ)駅で電車を降りた。
 いつも通り、バスには乗らず1時間歩くことにした。初めてで最後になるかも知れない土地。何もなくとも、ゆっくり見て歩きたかった。

 そして、今回はコーヒー回です。
 この文体だと書きにくいので、小説風に書きます。ついでにちょっとハードボイルドっぽくするために、一人称は「俺」にします。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 俺は泉駅から「アクアマリンふくしま」への道を歩いていた。しっかりとした歩道が用意されている道路ばかりではなく、耳の横をトラックのサイドミラーが(かす)っていくほど歩行者に冷たい場所もあった。
 30分ほど歩き、幅の広い川に架かる橋の上、強い風に髪をバタバタと(なび)かせながら地図アプリを見る。

 ……まだ35分もかかるのか、これじゃ水族館に着いた頃にはヘトヘトだろうな。

 俺は独り、自嘲気味に笑った。
 橋を渡り切ると、青い大きな看板に白い「珈琲(コーヒー)」の文字。左向きの矢印が描かれていたため、素直に左を見る。下りの坂の向こうには、倉庫があるだけだ。
 だが、坂の途中には「軽食・珈琲」というのぼりが立っている。しかも「営業中」の看板もある。

 俺はいったん青看板を通り過ぎて水族館の方向へ歩き始めたが、ふと思う。もしかすると知る人ぞ知る、良い喫茶店なのでは。
 (きびす)を返し、青看板から坂を下る。

 かなり大きな敷地に、まず倉庫があり、右を見ると、また矢印があった。区切られてはいないが、駐車場になっているようだ。さらに歩くと、倉庫の裏手に木造平屋の喫茶店が見えてきた。こじんまりしており、雰囲気のある建物だ。美味(おい)しい珈琲を飲めそうな気配がした。

 カラカラと引き戸を開けると、ちょうど2人組2グループ、計4人が退店するところだった。適当に窓側の席に座る。4人が出ていくと、俺とマスターのふたりきりとなった。

 メニューを眺める。本格的な珈琲店のようだ。あまりそういう喫茶店に(はい)らないため、珈琲豆の産地が書かれたメニューは初めてだ。ブラジル、ホンジュラス、エチオピア、グアテマラ、コロンビア等……。トーストメニューの悪魔のトーストが気になったものの、朝食をしっかりと摂って来てしまったので、もう一度珈琲のメニューへ目を移す。

 「飲み比べ」という文字に目を奪われた。そんなことが出来るのか。

「すいません、3種類のブレンド飲み比べでお願いします」
「はい。ブレンドの、飲み比べですね。お待ちください」

 そう。飲み比べには、ストレート飲み比べもあった。違いはよく分からないが、おそらく複数の豆を使うのがブレンドということなのだろう。そうだよな?

 お店の内観を見回す。外観と同じく木の(ぬく)もりあふれる世界だ。おそらくマスターの好きな絵画や、飾り物が壁に掛かっている。こだわりの店内といった(おもむき)だ。

 そうしていると、マスターがこちらを向いた。

「歩いていらっしゃったんですか」
「あ、はい。旅をしてまして。今日は水戸からいわきへ向かう途中で、今から水族館に行くんです」
「へぇ! 旅ですか、いいですね。ここら辺を何泊か?」
「日本中を地方で区切っていて、あとは東北と山陰で終わりの予定です。これから海沿いを北上して、くるっと(まわ)って新潟まで行きます」

 マスターは手を動かしながら、話し続ける。とても柔和な語り口で、ついつい何でも正直に答えてしまいそうになる。いや、正直に答えて問題は無いのだが。

「この間も、日本中をバイクで旅してるという(かた)が来店されましたよ。クラウドファンディングで旅費を(つの)り、ブログに旅の様子を書いているとか。各地にファンがいらっしゃって、いわき在住のファンがここへ連れて来てくれたと仰ってました」
「クラウドファンディングですか、それはたくましい。自分には考えつかないことですね。あ、旅のことを細々と雑記(エッセイ)に書いているんですけど、ここのことも書いていいですか?」
「どうぞ、どうぞ。以前はこの店も、お手伝いの子が動画サイトに色々とあげてくれていたんですが、今はチャンネルを閉鎖してしまいましたね」

 なるほど、今はマスターひとりでやっているのか。
 しかし、珈琲のドリップの様子をじっと眺めていて思う。とんでもなく手間がかかっているぞ。そして店内に漂う珈琲の香り。まだ飲んでいないが最高だ。

 しばらくして、色違いの3つのカップに入れられた珈琲が、俺のテーブルに置かれた。

「右から、中煎り、中深煎り、深煎りです。右が一番マイルドで、左がコクのあるブレンドになってます。珈琲は熱さによっても味が変わるので、是非その違いも含めて楽しんでください」

 やばいぞ。俺の舌は違いが分かるほど賢くない。果たして真っ当な感想を言えるだろうか。
 とりあえず一番右のから口をつけてみる。

「……すごい。こんな珈琲、初めて飲みます。苦みと酸味の中に、少し甘さみたいなのが混じってて、それぞれをはっきりと感じられますね。しかも、なんだか優しくて」

 マスターは自身も同じ珈琲をテイスティングして、微笑む。

「それは、お客さんに合わせて作ったからですよ」
「合わせて……?」
「お車でお越しではない、ここまで歩いていらっしゃった。旅をしている。重そうなバッグを背負っている。きっとお疲れでしょうから、そういう時に飲みたくなる、身体が癒されるような味にしたんです。ハンドドリップは、無限の味を作り出せるんですよ」
「いつもお客さんに合わせた珈琲を出されているということですか?」
「はい。ここでは、珈琲を、その味を楽しんでいただきたいのです。だから、長々とグループでお喋りのためだけにとか、パソコンで作業するためだけにとかのお客さんは、お帰りいただくこともあります。それなら近くに有名な珈琲チェーン店がありますからね」

 すごいな。どうして……。

「どうしてこういうお店をやられているんですか?」
「いわきの人たちって、結構疲れてる人が多いんですよ」
「そうか、色々ありましたからね」
「そうですね。それで、疲れた人たちが珈琲を飲んで、安らげる場所。珈琲を飲むと気持ちが楽になって、愚痴を()けるんです。そういう愚痴も聴いてあげたい。ここに来て、心の重いものを降ろして帰っていただきたいんです。愚痴を()かなくとも、ゆとりをもって珈琲を楽しんでもらいたいと思っています」

 はえ〜スッゲェ……。おっとイカンイカン、ハードボイルドだった。
 マスターから後光(ごこう)()しており、心の汚れた俺はあまりの(まぶ)しさに目を(しばたた)かせる。

 一番右のカップはすでに(カラ)だ。続いて、真ん中のカップを持ち上げ、(すす)る。

 ……! さっきのと全然違う。これは、恐ろしいほどに美味(うま)いぞ。俺の生涯でナンバーワンの珈琲だ。

「右のも美味(おい)しかったけど、これは格別ですね。これがメニューの当店人気ナンバーワンってやつですか?」
「はい。苦みも、コクも、ちょうど良いところに合わせてあります。お客さんがそれほど美味(おい)しく感じたのなら、温度もちょうど良いところで飲まれたんでしょうね。珈琲は温度でも甘さやコクに違いが出ますから」

 なるほど。全ての条件が揃ったマイ・スペシャル・コーヒーを飲んだというわけか。
 あまりにも素晴らしい味で、あっという間に飲み切ってしまった。水を少し飲んでから、一番左のカップに口をつける。

「おお、これは、確かにコクが強調されてます。こんな風に珈琲をゆっくり飲むことなんてないんですけど、それでもこの3つの違いはよく分かりました」
「この飲み比べ、右から飲むと、だんだんコクが際立って感じられます。人生も同じだと思ってます。最初はマイルドに。歳を取るごとに、味に深みが増していく。それぞれ味に違いはあれど、その時にしか感じられないことがあるんですよ」

 それは確かに、そうだ。俺は学生の頃、旅をしようなんて考えることもなかった。社会に出て、紆余曲折あって、自分というものを見失って、今こうして旅をしている。きっと今の俺にとって、旅は人生に深みとコクをもたらすものなんだろう。そう、珈琲にとってのそれのように、必要なものなのだ。

 俺には一つだけ(たず)ねてみたいことがあった。以前、俺は個人事業主としてネットで小規模な店を開いていたが、なかなか利益が出ずにやめてしまったという経験がある。

「大変失礼なことをお()きしますが……、このお店の収入でやっていけるものなのでしょうか」
「ああ、はい。生活するには十分(じゅうぶん)ですね。大きく儲けるということは考えてなくて、この街、いわきの人たちや、遠方からわざわざ訪ねてくださるお客さんに珈琲を楽しんでもらいたい。それだけでやっていますので」

 マスターの後光がさらに強くなり、あまりの(まぶ)しさに俺は溶けて無くなりそうだ。はわわ〜。

 珈琲を飲むのに40分も滞在してしまった。そしてこの40分、俺は幸せだった。このような一期一会を期待して旅をしているわけではない。それでも……。

「楽しい時間を過ごせました。このお店のために、いわきに来るのも()いかも知れませんね」
「ありがたいことです。そういうお客さんもおられますよ」

 代金を支払い、引き戸を開ける。マスターは最後まで見送ってくれた。

「ありがとうございました。いつかまた、来るかも知れません」
「こちらこそ、ありがとうございました。お待ちしております」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 実際はもっと色々話した。例えば、他のお客さん来ませんね、とこれまた失礼なことを言ったら、「きっと、珈琲の神様がゆっくり楽しんでくれと言ってるんですよ」とか、返されるワードがことごとく素晴らしいのですよ。

 満足しすぎて水族館に行くのを忘れちゃいそうだった。こんな()きお店に出会えただけで、東北旅を完了としてもいいくらいだ。

 さあさあでもでも、次こそは水族館!
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