第29話 夜の公園⑤

文字数 4,031文字

 芥が明かした数々の証言は、詰まる所あのヴァレリィとか云う男に集約される。奴が何等かの目的で暗躍しており、其の直線上に芥と云う丁度良い駒が居た。そして絶姉妹もそれに荷担させられていた。ヴァレリィの目的は分からないが、ともかく今回の事件で判明している事は、ヴァレリィは俺を()ろうとしている事だった。
「…… …只でてめぇに(タマ)をやるつもりは無いぜ。」
 俺は赤龍短刀の切っ先と護身用のトカレフを芥に向けて言い放った。芥がその言葉に反応して更に口の端を大きく歪めて笑う。
「…ハァアアア… ……。良いぜェ、竹田ァ。最後の最後まで、足掻いて、足掻きまくってくれよ…」
 食いついた。今は、少しでもヨウコから意識を離してもらわないと困る。ヨウコはおそらくもうすぐ意識を取り戻すだろうが、その少しの間だけでも時を稼ぎたい。
 俺は芥の右側面を目指して斜めに走り出した。芥の顔が其れを追いかけて行く。その顔面に向けて俺は拳銃を二発弾いた。銃弾が芥の眼玉目掛けて飛んだが、其れを獣の左手が容易くガードして弾いた。その後ろからちらりと見えた芥の顔面から、突如として吐き出される長い舌。突き刺すような速さで瞬く間に俺の腹に伸びてきた。
「…!…」
 なんとか避けたつもりだったが、芥の舌は俺の脇腹を(かす)っていた。それだけで肉が薄く削げ、みるみる内に赤く染まっていく。ドロドロと少しずつ滲み出てくる血液。俺は咄嗟に傷口を手で押さえた。其れを見た芥が天を仰ぎ大声で笑い声を上げる。
「… …グハッ…」
「アァアッ!…脆ェッ!… …ガハハ!脆ェよぉ、人間の身体モレェ!… 脆すぎるぜ、竹田ァ。アハハハッ!」
 真夜中の公園に奇妙な魔物の声が鳴り響いた。何時の間にか辺りに居たアベックは消え去っており、警戒心の薄かった最後の一組も聞いた事の無い異常な鳴声に恐れ(おのの)き逃げて行った。
「腕、千切(ちぎ)りたいナァ!」
 其の声と同時に、既に俺目掛けて放たれている獣の左腕。風を切り裂く轟音に耳をやられながら、俺は寸でしゃがみ込んだ。頭の上を芥の左腕が通り過ぎる。其処から俺は赤龍短刀の柄と峰を両手で抑え、大地を全力で蹴りつけ立ち上がった。固定した赤龍短刀を思い切り真上の芥の左腕にぶつけると、衝撃で左腕が跳ね上がる。芥に隙が生まれた瞬間だった。集中だ。俺は空間が静かに揺らぐような無音の意識の中で、丁寧にトカレフの照準を合わせていった。目標は先ほどから散々狙っている奴の眼玉だ。俺の怨念は既に最高潮に達していた。
「…くらえッ」
 呪いの銃弾が芥の右目を食らう為発射された。弾丸は空気を捩じ切りながら飛んでいく。鋼鉄はそのまま柔らかい眼球に潜り込み、潰れるような鈍い音を夜に響かせた。
「ギァアッッ」
 堪らず顔を背け、引き戻した左腕で眼玉を庇う芥。此の機を逃してなるものか。俺は全速力で芥の元に走った。芥が痛みに気を取られている一瞬、其れだけで十分だった。芥が俺の接近に気づいて左腕を振り上げたが、俺は負傷した右目の方に身体を避ける。死角に入った俺の姿を芥は正確に捉える事が出来ない。芥の左腕が見当違いの地面を思い切り叩いた。俺は芥の側面に走り込んで、片手で芥の首を締めあげた。其れから左手に持った赤龍短刀の刃を突き立て、残った左目に力の限り振り下ろした。
「オラァッ!!」
 湿り気を帯びた芥の舌によって、芥の眼玉ぎりぎりで刃の進行が阻止された。だが俺は引き続き残りの力を全て注ぎ込む勢いで、赤龍短刀に力を込めた。(わず)かであるが力の均衡が崩れ刃が少しづつ目玉に近づいていく。是までの経験で、デーモンは大型の体格ゆえ小回りが利かない事を俺は知っていた。不意を突かれる形となった接近戦で、芥の舌には力が(こも)っていない。右目を流血し、今まさに左目を失いつつある芥が、此の日初めて焦りの表情を見せる。
「ヌゥゥウウッッ」
 芥の眼が大きく見開かれていた。だが、依然として舌先には力が籠らなかった。芥が刃から顔を背けようと、何度も首を左右に振ろうとするが、俺は其れを死に物狂いで阻止した。両足も芥の車椅子の土台に絡ませて、何とか羽交い絞めにしようと試みる。芥が暴れる度に傷口に激痛が走った。だが此のチャンスを逃す訳には行かない。
「芥ァ、死ねやァアアッ」
 俺は叫び声と共に、更に力を込める。その時、背中を莫迦デカいハンマーで殴られたような衝撃が走った。俺の身体が背中から九の字に曲がった。
「… …ボヘェッ」
 俺は空に向かって血反吐を吐いた。四散した血が自身の顔面に驟雨(しゅうう)のように降り注いで、俺はその場に仰向けに倒れた。左手から赤龍短刀が零れ落ちる。朦朧(もうろう)とした意識とぼやける眼には、芥の背後に伸びた獣の左腕が見えた。アタリを付けて振り下ろした腕で、俺を強打したようだった。俺は全身の激痛で思うように身体が動かない。脇腹の傷口からもじわじわと流血が止まらなかった。
「…がっ… ……がはッ… ……ゲ、ゲェッ… …」
 俺は胃の中の物をしこたま吐いた。血の混じった内容物が地面に飛び散る。
「…往生際が悪い野郎だぜ、まったくッ」
 芥がゆっくりと車椅子を此方に向け、片目で俺を見下ろした。どうにか逃げようと試みるが、痛みが体中を駆け回り不可能だった。
「…… ……ハァ、ハァ… ……」
「遊びは終わりだ、竹田。お前は俺の此の手で死んでもらうぜ。」
 右目の潰れた芥の顔が冷酷に俺を見下ろした。汗と血と吐瀉物(としゃぶつ)(まみ)れた俺は最早、どうする事も出来ない。
 芥の左腕が振り上げられ、獣の口が開くかのように五本の鋭い爪が牙をむいた。いよいよ死の瞬間が近づいたと脳裏によぎった其の時、
「何やってんのよォオオオオッッ!!!」
 俺の真上を女番(スケバン)パーマが通過した。そのまま芥の顔面に行儀良く揃う一足のローファー。マキコが力の限りを込めて逆方向に弾け飛んだ。芥の犬の鼻っ面と口元が無残に

、顔面から大きく態勢を崩し向こうにぶっ倒れていった。俺のすぐ隣に着地する絶マキコ。長いスカートの裾を軽く両手で払った。
「あんた、大丈夫?」
「… …あ、あぁ。… …カハッ。… …マァ、見ての通り。」
「……アララ。その様子じゃ、相当痛めつけられたようね… …」
「ヨウコが今、気を失ってる。」
「なんですって?!」
 マキコが血の気の引いたような顔を見せた。
「や、大丈夫。ダメージはあるが、命に別状は無いと思う。向こうの丘の裏っ側辺りに寝かせてる。」
 俺は痛む身体を起こして、なんとか丘の方を指さした。マキコは少し心配そうな顔をしてヨウコの居場所を眺める。
「… …そっか、分かった。私の方は、あんたの作戦通り鉄の棒、作ってきたよ。中々切れなくて、イラついたケド。」
 マキコが右手に持った鉄棒を手の中でバトンのようにくるりと回す。赤龍短刀より少し長いくらいの丁度良いサイズだ。良い仕事をしている。
「… ……あぁ、良い感じだ。だが、ヨウコの意識が戻らないと作戦が始められないんだ。」
 ヨウコもそうだが、俺も芥の強烈な一撃をもろに食らって大分ガタが来ている。もう一発食らったら間違いなくアウトだ。
「ちょっと待って。」
 突然、マキコが眼を瞑って集中し始めた。こめかみにそれぞれ指を添えて考え込んでいる。だが、其れも一瞬の事だった。
「… ……大丈夫っぽいね。」
「… …… …何が?」
「ヨウコ。もう、眼が覚めるよ。」
 マキコが口角を広げて云う。
「なんで、そんなの分かるんだよ。」
「だってあたし達、二卵性双生児だもん。お互いの事、少しなら分かるんだ。」
 そういうと、絶マキコは両手を真上に振り上げ、空を掴んだ。透明の輪郭が瞬時に描かれ、握られたそれぞれの拳の中に逆手で現れる小苦無(しょうくない)。其れからマキコは振り下ろされた両腕を身体から末広がりに構えた。前方には、左腕で態勢を起き上がらせようとする芥次郎の姿があった。
「ヨウコー!あたし先始めてるからねー。何時までも寝てないで、とっとと起きなさいよォーッ!」
 まるで昼寝をしている相手にでも話すかのようにマキコがヨウコに声を掛けた。だが、その声に対する反応は返ってこない。
「… …じゃあ、あたしが相手しとくから、ちょっと休憩したらあんたも応援にきてよね。」
「…あ、あぁ、分かった。」
 俺を見下ろしながらそう云うと、マキコは身体を低くして、苦無を握ったままの両拳を赤く燃え上がらせた。(たぎる)る炎が酸素と反応して途切れることなく光った。
「… …行ッくぞォー」
 更に上体を低くするのと同時に、構えた左足の(かかと)をずるりと後ろにずらした。其処から、絶マキコの左腕がアンダースローの要領で重たく振り上げられると、拳に宿っていた炎球(ファイヤボール)が弾け飛んだ。続けてすぐに右腕が振り上げられ、追随するもう一つの炎球。
 初速が遅く見えた二つの炎球は、其処から一気に速度を上げ伸びていった。芥が顔を上げ気が付いた時にはもう手遅れで、二つの赤い球は化け物に連弾でぶつかると、辺りに大きく破裂音を響かせた。
「やりゃぁあああぁあああ!!」
 小さな煙幕の所為で芥の姿が分からなかったが、其処に絶マキコは思い切り突っ込んでいき、地面を蹴って飛び込んだ。固い物体がぶつかる音が聞こえた。煙幕が晴ると同時に見えてきたのは、芥の肩に立ち、芥の舌を掴んでいるマキコと顔面を左手で覆う芥の姿。そして、車椅子の両輪には共に苦無が二三本突き刺さる事で、回転を阻害し芥の移動を阻止していた。
「グゥゥゥウウゥ、ッテェなぁ。」
「あんた、喋り過ぎじゃない?あたしも喋るの好きだけどさ。あんたみたいな三下(さんした)が喋ってると、ソッコー、()られちゃうよ?あたし、優しいから忠告しといてあげる。」
 芥の舌を引っ張りながら、マキコが挑発している。もう片方の苦無を持った手は真っ赤に燃え上がっていた。芥の犬鼻からは鼻血が出ており身体も黒く煤けている。事務所での戦いからマキコに要所要所でダメージを食らっている芥は、かなりイラついていた。
「… アァ?!… …誰が、三下(さんした)だッてェ!!」
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