第30話 夜の公園⑥

文字数 4,032文字

 芥が拳を極限まで握り込んだ。そして、次の瞬間には其の左腕はマキコに向かって素早く放たれていた。明らかにマキコに当たるタイミング。その僅かコンマ何秒の一瞬、マキコの眼が大きく見開かれたかと思うと、小苦無を持った両腕が見えないほど高速に交互に動いた。其れからすぐ新体操のようにその場で後転すると、マキコは芥の肩を両腕で跳ねつけ距離を取るべく飛んだ。
「……ギャアッツ」
 遅れて聞こえてくる芥の悲鳴。確実に当たると思われた芥の左腕はマキコを捉える事無く、空を切っていた。一人だけ時が止まったように優雅に着地する絶マキコ。その一連のあまりの速さに眼が追い付かなかったが、どうやらマキコは離脱する時、芥の舌を苦無で何度も傷つけたようだった。芥の足元にはぐしゃぐしゃに引き裂かれた幾つもの舌の残骸が散らばっていた。そして芥の繋がっている方の舌は、先ほどヨウコが切った時よりももっと凄惨に、炎と、決して切れ味が良いとは言い難い小苦無で何度も燃やし引き裂かれ、最早全体が襤褸雑巾(ぼろぞうきん)のようにズタズタになっていた。マキコが俺の方を振り向き得意げな表情を見せた。
「……冷静だな。」
 その顔に向かって俺は反射的に云った。今の一連の絶マキコは、明らかに是までの戦いとは違っていた。其の戦闘方法(スタイル)は変わっていないのだが、なんというか、分別があるように見えた。
「こいつ、お父さん達の(かたき)なんだよね?」
 マキコはまたすぐに前を向いて、芥を見据えた。真っすぐな横顔だった。
「… ……あぁ、クロだ。」
「… …だよね。…… …… …あのさ。あたし、普通の子みたいに学校ってトコ、行った事ないんだけどさ。」
「…… ……?… ……」
「でも、機関でもそれなりに色んな事教えてくれるんだ。…… ……そんで、……なんでだか分かんないんだけど、前に先生が云ってた事思い出したの。… … ……重要(キワ)な場面では(ハート)は熱く頭は冷静(クール)に、って。まぁ、先生(ソイツ)、超ムカつく野郎だったけどね。」
「…… ……」
「… …… ……絶姉妹(あたしたち)重要(キワ)って、多分、今此処だと思うんだ。」
 マキコの苦無を握った両手が再び(あか)く光り、獄炎を燃やし始めた。そのマキコに向かって、芥が叫び声を上げながら左腕を伸ばしてくる。
「ガァアアアアアアッッ!!」
「…… ……だからさ… … …… …思いッきり、()んないとねッ!」
 マキコは避けるどころか、その左腕に向かって全力で走り始めた。
 飛んでくる獣の太い左腕を、絶マキコは身体毎、数センチ横に避けた。マキコの隣を左腕が殺人的な勢いで通り抜けていくが、マキコは恐れも無く其れに沿って一散に走る。其れと同時に肉が引き裂かれる音が響いた。マキコは燃える両手の苦無を、芥の左腕に突き立てながら走ったのだ。
「だりゃぁああぁぁあああ!」
 燃える苦無が、芥の左腕が伸びている分だけ一直線に傷つけてゆく。そして、其の傷口の所々で、散発的に小規模な爆撃(ボム)が発生していた。
「… …ギャウゥッツ」
 芥が狼狽(うろた)えまたすぐに左腕を引き戻そうとするが、それよりも早くマキコが芥に襲い掛かった。芥の目前まで迫った絶マキコ。その姿を視認して、千切れきった舌を口の端から垂らしながら、芥が大きく眼を見開いた。
「お父さんとお母さんの(かたき)ッ!死ねェえッ!!」
 マキコが態勢低く芥の懐に潜り込み、今まさに喉元に向かって小苦無(しょうくない)を突き立てようとしていた。そのマキコの一部始終を眼で追いかける芥。
 マキコが力の限りをもって、芥次郎の喉元に苦無をぶっ刺した。が、苦無は金属にぶつけたような硬質な音を響かせた。芥の首の皮膚が固くなりマキコの小苦無を通さなかったのだ。
「… …うわッ」
 力を目一杯(めいっぱい)込めていた所為で、マキコは態勢を大きく崩した。遅れて獣の左腕が戻ってくる。
 マキコは寸でのところで片足を踏ん張り持ち直したが、其処に頭上から覆いかぶさるように左腕が襲い掛かった。咄嗟にマキコが両手を構え対抗する。ずしんとした重量がマキコの身体全体を包んだ。其の重さに耐えきれず、マキコが片膝を地面につく。
「……んんッ!!」
 芥の腕が圧力を強めた。マキコの身体が更に押し潰され低くなっていく。
「…ハァァアア… …。来るのが理解(わか)ッてたらそんな武器(オモチャ)、どうって事()ェんだよォ!!」
 此の侭ではマキコが()られてしまう。なんとかしなければ。俺は激痛で軋む身体を奮い立たせ立ち上がり、マキコに向かって走り始めた。其れから丘の向こうで眠っているヨウコに叫ぶ。
「ヨウコッ!!… …マキコが今戦ってるッ!俺が云ってた作戦やるぞ!だから、なんとか起きてくれェッ」
 芥の両腕に押しつぶされそうなマキコと、芥本体。能力が使えない俺に出来ることは何か。必死で考える俺の眼に入ったのは、車椅子の両輪に絡まったマキコの苦無だった。俺はマキコでは無く、芥の方に照準を合わせる。
「どりゃアッ!!」
 芥の身体に向かって俺は根限りの体当たりを食らわせた。芥の身体がぐらりと揺れる。倒れないように芥は()えるが、車輪に引っかかったマキコの苦無によって、大きくバランスを崩した。芥の力の重心は左腕に集中していた為、身体の方が御座なりになっていたのだ。そうなると俺のような非力な力でも十分に効果があった。受け身が取れず、無残に倒れ込む芥。左腕の拘束が弱まり、マキコは直ぐ様、飛び退いた。
「… …よしッ」
 宙に浮かびながらマキコが呟いた。そして、其の真っすぐな眼が、地面に倒れ込む俺に注がれていた。俺は無様に地面に倒れ込みながらも、其の視線を感じていた。そう、マキコの云う通り屹度、重要(キワ)は此処。絶姉妹(アイツら)にとっても、そして、俺にとってもだ。
 今やズタボロで汚物塗れになった身体を引きずりながら、俺はもう一度地面に拳を突き立て起き上がる。限界に達した両腕は既に震え悲鳴を上げていた。
「… …ちょっと、… ……待ってろ。」
 俺は誰に云うでも無く言葉を吐いた。芥が左腕で起き上がろうとしているが、無数の苦無の排除に手間取っていた。俺はその芥目掛けて、無我夢中で掴みかかった。
「……!… …貴様ッッ!竹田ッ」
「……!…… …よう、芥ァ。ちょっと俺に付き合えよォ… …」
「…グァッ、クソッ。ドケェエエエエ!…ガゥアウ!!…どきやがれェエエエエ」
 芥が力の限り暴れるのをなんとか避けながら、俺は地面に倒れ込む芥の背中側に潜り込んだ。芥の首元に両手を回し思い切り締め上げ、両足は芥の左腕に絡みつけた。
「…… ……… …()ッと… ……しやがれ… ……」
 激痛に耐えながら芥の後ろからマキコを仰ぎ見る。マキコは涼しい顔で俺を見た後、ヨウコの方に顔を向けた。
「…… …ヨウコーッ。で・ば・んだよーッ!!」
 マキコが中空から大声で叫んだ。俺はその間も必死で暴れる芥に食らいついていた。芥の太い首や左腕が動く度に、傷口が開いて血が流れ出る。痛みが終わらない波となって内臓を駆け巡った。
「…ぐぅううッ」
 その時、俺の顔に降り注いでいた月明かりに影が掛かった。(つむ)っていた眼を開くと、芥と俺の真上におさげの女学生が立っていた。
「… ………すみません、遅れました。」
 その律儀な挨拶とは裏腹に、馴染んだ戦闘方法(スタイル)で構えるヨウコ。其の透き通った白い肌は、一瞬時間(とき)を忘れさせた。
「… ……行きますッ」
「…… ………あぁ。… ………頼む。」
「… ………!!……… …ガッ!… …ガァアアアアアアアッ!!… …なんだァてめぇらッ。何、企んでやがる!」
 芥の勢いが更に増したが、ヨウコが目の前に現れた事によって俺とヨウコ何方(どちら)を攻撃するべきか、芥の中に一瞬迷いが生じた。ヨウコはその瞬間を見逃さなかった。
 ヨウコの瞳孔が開き、集中は極限にまで達していた。両手に発生していた冷気の内、右手にゆっくりと変化が現れ、やがて其れは白から(あか)に変化した。燃える右手と凍える左手。大学の戦いの時と同じだ。
 ヨウコが両手を胸の前で一度合わせ、其処から一気に芥の口の中に突っ込んだ。
「…ガッ!!!…… ガガ、ガァアアッ!!」
「… ……水の、イメージ… ……」
「……… ……ゴ、ゴゴゴッ… ゴォオオオオオ、ゴプッ」
 芥の反応が変わってきた。今まさに、ヨウコは炎と氷によって作った水を芥の胃の中に大量注入しているのだった。
「…良いぞ、ヨウコッ」
 一しきり水を入れてからヨウコが芥の元を飛び退いた。十分だ。俺はそのままマキコに眼を向ける。
 絶マキコの準備は既に完了していた。中空の遥か遠くから月夜に照らされて赤い炎が揺らめいている。鉄棒を持ったマキコの腕が深紅に燃え上がり、鉄棒の温度は灼熱を保っていた。
「… ……行くよッ!」
 マキコの右腕が大きく(しな)り、地面に寝転がった芥と俺の場所目掛けて思い切り振り下ろされた。重力の加速を伴って一筋の彗星(すいせい)の如く燃え上がる鉄棒。だが若干、軌道がずれていた。マキコも其れに気づき、咄嗟に声を上げる。
「…竹田ッ!!…ちょっとズレたッ!!」
 最後の最後。此処だ。この瞬間に全てがキマる。俺が、なんとかするしか無い。
「… …知ってるッッ!!」
 コンマ何秒。俺は芥をギリギリまで拘束して動くタイミングを見定めた。動くべき最後の瞬間。其れは、おそらく今。
 俺は芥に巻き付けた両手両足を完全に解き、倒れ込んでいる芥の真上に回った。其れと同時に赤龍短刀を構える。空を見上げると眼に入ったのは、(あか)に色づいた流星の如き点。
 時が止まったような瞬間に、俺は赤龍短刀をゆっくりと其の点に

沿

。鉄棒が落ちてきて、赤龍短刀の峰に微かに当たり小さな火花が発生する。軌道が僅かに変わった。正しいルートだ。
 鉄棒は芥の口から喉元に深々と潜り込み、やがて胃の中まで達した。灼熱を伴った鉄棒により、胃の中の大量の冷水が一瞬で気化、体積が増大した。エネルギーは胃と云う閉所により急激に大きくなった。
「… …… ……竹田ァッ!!逃げてェッ」
 マキコが天空から大声を上げた。直後、芥の体内から大爆発が起こった。
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