第24話 赤龍会事務所④

文字数 3,286文字

 デーモンと化した芥が、俺たちの方を正面に見据えた。車椅子の両輪には、冗談のように備え付けられた鋭い針のスパイクが、狂暴な悪意を持って此方を威嚇している。俺はその姿を改めて見据え息を呑んだ。
 芥の下半身は所々皮膚が溶け、車椅子と同化していた。両足と右腕は最早外見を留めておらず、フレームと混じり合っているのだった。上半身から上と絶マキコの首元をガサツに掴んでいる左腕だけが、奇怪に脈動してバケモノの生命力を主張している。
 だが、芥の変わり果てた姿もさることながら、俺はこの時デーモンが人間であるという事実自体に驚愕していたのだった。
 デーモン。いつの頃からかこの正体不明の連中は能力者をつけ狙うようになった。俺の目の前にデーモンが現れたのは、多分二十歳くらいの頃だったろうか。この楽しくも無いデーモンとのファーストコンタクトの思い出は、今も俺の脳裏に刻み込まれている。奴は、当時付き合っていた女を撫でるように削り殺して目の前に現れたのだった。
 定期的に、そして唐突に現れては俺たち能力者を容赦なく殺しに来る。若くウブだった俺にとって、それは途轍も無い恐怖でしか無かったのだが、其れもやがて時が解決してくれた。要は、そういう環境にもほどなくして慣れていったのだ。
 能力者とデーモン。ある時からこの組み合わせは俺達の宿命になった。能力者はデーモンの予想外の襲来に対抗する事が日常となったのである。そして、そのデーモンが人間だったという事。是まで怪物と思っていた奴らがその実、人間だったのだ。全く分からなかった正体不明なモノの答えが、まさか全く思いもよらない形で目の前に提示されたのである。
「… …ハァ、ハァ、ハァ… …。た、たまんねぇ。この力、使えば使うほど飢餓が加速しやがる… …。」
 芥が犬面の口元を不自然に歪めて笑う。長い舌先から涎が糸を引いて床に垂れ、部屋の明かりを反射させた眼が大きく見開いた。
「… なんだ、竹田ぁ。驚きすぎて、声も出ねえのか?… …クク…。… …見た目は悪いが、気分は(すこぶ)るいいんだぜ。」
 俺は絶マキコの様子を見る。気絶しているのか、ほとんど動く気配が無い。
「… ……。… …芥。あんた、そのチカラ… …一体どうやって… …」
「…どうやって?… …どうやってって、まぁ、そりゃあ、な…。」
 芥はそう言葉を濁しながら俺から顔を逸らした。芥の視線を追いかけると、其処にはヴァレリィが立っていた。
 依然としてドア近くに静かに佇んでいるヴァレリィは、俺が視線を向けると、其れを契機とばかりにゆっくりと腕を組んで、狐の面の顔を少し上に向けた。芥をデーモン化したのは、ヴァレリィなのか。人間をデーモンにする何らかの技術を此の男は持っている…。
「… …へぇー。一人で何にも出来ねぇから、ついにバケモノのチカラ借りたってワケか。やっぱ、あんた、とうとうイカレちまったようだな… …。」
「…クク。… …なんとでも云えば良いさ。お前も、手に入れれば分かる。赤龍会(ウチ)の事、お前も色々とウワサで聞いてたのかもしれんが、実際は嘘と真実(まこと)半々ってとこだ。今は俺とヴァレリィでウマい事やってんのさ。気に食わねぇ奴は、此のチカラで寝首を掻いちまえば終わり。誰の仕業かも分からねぇんだよ。そうやって、抵抗勢力を潰してるところってワケ。」
「…… ……」
「後は、過去の因果であるお前を始末してしまえば、全て安泰。是で心置きなく、赤龍会の立て直しに専念できるというものさ… …」
 デーモン化によって脳内物質が大量に放出されハイになっているのか、芥は聞いても居ない事をべらべらと一人で喋っていた。俺が其の戯言を聞きながら芥の隙を伺っていると、芥の長い左腕で首を掴まれていた絶マキコが、逆手に持った苦無(くない)を弱々しくゆっくりと振り上げた。
 気持ち良く喋っていた芥が、其れに気づき絶マキコの方へ顔を向ける。
「…おぉ。是はお嬢さん、まだ息があったのか。久々の子分との再会に気がいっちまって、すっかり忘れてたよ。こりゃ、スマン。」
 そう云いながら、芥は左腕を短くさせ、自分の眼の前まで絶マキコを近づけた。様子を伺うように芥が犬面の鼻を小さく揺らす。絶マキコの全身は脱力している様子で、振り上げていた苦無をついには落としてしまった。力無い手の平が芥の長い鼻にぺたりと乗った。
「アラアラ、可愛らしい死に様… …」
 突如、絶マキコの手の平が赤く発光し、空気が凝縮していく。
「…爆炎(ファイア)…」
 芥の顔面で小規模だが、強烈な爆発が起こった。
 低く重低音のような爆発音が部屋中に響く。其の衝撃で、窓ガラスや辺りの机やソファ等は漏れなく吹き飛んだ。俺は両腕で目の前を庇い、衝撃から身を守った。
「… …マキコ!大丈夫?!」
 絶ヨウコがすぐに絶マキコに駆け寄った。
 絶マキコは爆発によって芥の腕から解放され、部屋の隅に吹き飛ばされていた。壁に肩を寄せながら立っている。
「… …… ったく、男がべらべらと(うるせ)ェんだよ。自己満足(オナニー)はあの世で好きなだけやってな。」
 首を(さす)りながら絶マキコが云う。絶ヨウコが横からマキコの肩を抱いて、傷の具合を気にしている。
「… …ゴホン… …ううん。大丈夫だよ。なんとか首絞められる直前に、中に左手を挟み込む事が出来たから、隙間作って抵抗できた。」
「そっか。良かった… …」
「… …… … … ……… …………さすが、絶姉妹。子供らしく、威勢が良いねェ。」
「…… …!…」
 薄い煙幕が晴れていく。その中から、少し煤けたような犬面が、先ほどと同じような笑みを浮かべて此方に語り掛けた。
「… … …… …何コイツ… …。… …ゼロ距離でぶち込んでやったはずなのに… …」
 絶マキコが面食らっている。確かに、今の爆発は直撃だったはずだが、芥はあまりダメージを感じていないように見える。
「おい、ヴァレリィ。」
 俺達の方を睨みながら、眼の下の煤を指で払い、芥がヴァレリィに声を掛ける。
「… ……」
「此の子供等も気に入ったから、ついでに俺が()るわ。」
「… ……」
「良いよな?!」
「… ……キチンと始末してくれるのなら、此方に異論は無い。」
「オーケー。… … …モチ」
 芥次郎が、唯一動かせる左腕を大きく横に振りかぶった。
「ロ… … …ン…だ…ッ」
「… …!!… …」
 大きく(しな)りながら伸びた左腕が、物凄い速さで周りの壁を削りながら此方に襲い掛かってきた。俺は瞬間的に床にべたりと突っ伏して緊急避難する。横向きになった俺の頭の上を、風を切りながら殺人的なスピードで獣の腕が通り過ぎた。絶姉妹は瞬間的に、床を蹴り天井へ逃げていた。窓際の壁に獣の腕が衝突すると、壁は発泡スチロールのように(もろ)(えぐ)られ、大穴が開いた。
「…くッ… …!」
 俺と絶姉妹は、この攻撃もなんとか避けた。が、デーモン化した芥の破壊力は、俺達の予想の範疇を遥かに越えていた。兎に角パワーが桁違いだった。此の侭では、なんだか非常に良く無い流れだと思った。
「マキコ!ヨウコ!」
「な、なに?!」
 天井に張り付きながら、姉妹が眼を白黒させている。
「一旦、逃げるぞッ」
「は?!… …何、云ってんの?」
「こいつ等と()るには、部屋が狭すぎる。もう少し、動ける場所に行くぞ」
「動ける場所って、何処よ!?」
「知るか!兎に角、窓から出るぞッ。時間、作ってくれッ」
 その怒号にも近い俺の声を合図に、絶マキコは両手を広げ、それぞれに力を込めた。赤い光が即座に発生する。隣では絶ヨウコが対ショック用の氷の防壁を用意していた。
「もうッ!じゃあ、やるよッ!」
 芥とヴァレリィ目掛けて、絶マキコがファイアボールを投げつけた。二つの炎球は空気を燃やしながら回転し、それぞれ標的へ襲い掛かって行く。絶姉妹は二人仲良くジャンプして、窓の外へ飛び出した。俺も遅れながらヘッドスライディングの要領で、窓の外に身を投げる。着弾と同時に赤龍会の2階の部屋は大爆発を起こし、太い炎柱が窓から次々に噴出した。衝撃波が数少ない空気の逃げ場へ殺到する。部屋の中のあらゆる物が消し炭となって、炎と煙に飲み込まれた。
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