第20話 日曜日

文字数 3,818文字

 この赤龍短刀は赤龍会の人間に洩れなく配布されるブツである。故に、モノとしてはさほど高価でも無く性能も中級だ。では、何故俺が赤龍会を出た後も未練垂らしく左様な武器を愛用しているのかと言うと、何の事は無い、特に不自由が無いので使い続けているだけの理由である。一生懸命探せば、絶姉妹が見つけたような其れなりの逸品も巷にはごろごろあるのだろうが、今のところはこの短刀で十分満足していた。つまり、命を預けるだけのクオリティをこの短刀はまだ保持していたのである。そんな事をなんとは無しに考えながら、俺は赤龍会の雑魚組員の首元に刺した赤龍短刀の感触を左手に感じていた。
 肉に食い込んだ刃を力を込めて更に深く捻じ込む。柔らかい筋線維がぶつぶつと切れる音が割と大きく聞こえ、俺の右手で塞がれた雑魚組員の口からくぐもった悲鳴が小さく響いた。
 赤龍短刀の切れ味は(すこぶ)る良かった。十分戦闘に耐えうる品質を保っていた。なにせ、昨日は裏山から帰った後、自室で刃の手入れを行ったからだ。其れこそ、呪詛の言葉を独り言ちながら俺は入念に刃を磨きまくったのである。其の一連の光景を見ていた絶マキコは、木像のまま、『引くわ…』と言い残し部屋を出ていってしまった。確かに傍から見れば狂気の沙汰かもしれない。だが、是の作業は俺にとって必要な儀式なのだ。
 徐々に雑魚組員の眼から生気が失われ、完全に死んだその死に顔(デスマスク)を見て俺はやっと思い出した。そうだ、この男もいけ好かない連中の一人だった。羽田とかいう名だったか。何かと俺のやることにケチをつけるチンケな奴だった。そうか、こいつが今、絶命したのか。
 赤龍会は元々大した組では無かった。20人ほどの平凡なところだ。俺は当時、日々をなんとか生き抜くような殺伐とした生活をしていた。それゆえ、何処かゆっくりと三食食える仕事は無いものかと探していたところ、知り合いの伝手(つて)で紹介してもらったのが赤龍会だった。
 最初の内は、俺の希望通りの良くも悪くも平凡な組だった。やってる事と言えば、巷の堅気を脅し小金を稼ぐくらいのものだ。デカい抗争に巻き込まれることも無く、俺は悠々自適な極道生活を送っていた。だがその内、俺の雷の能力が明るみになった途端、奴らの態度が一変し始めた。つまり、俺と云う大きな戦力の存在を知り、奴らは身分不相応な野望を抱き始めたのである。最初の頃は片手間で芥から指示を受け、どうでも良いクズ共を始末していただけだったが、奴らは俺の使い勝手が良いと分かるや否や、味を占め増長していったのである。そして、その雰囲気はやがて組全体を包んでいった。
 その頃にはもう、俺は奴らの頭の悪さに辟易していた。
 奴らは俺の能力を自身の実力と勘違いし、それゆえに周辺の組に対し仁義に外れた行いをするようになっていったのである。ある時、俺は芥次郎(あくたじろう)に対し意見した事があった。
 「おい芥。最近、皆暴れ過ぎだ。これじゃあ、周りの連中から怨みを買っちまうだけだ。」
 だが、芥にはもう話が通じなかった。芥は事務所のテーブルに足を放り出しながら葉巻を吹かし、さも忌々し気に答える。
 「ハッ。何を云う、竹田。俺たち赤龍会は今、飛ぶ鳥を落とす勢いだ。其れを周りの連中に思い知らせてやるんだよ。一体誰が本物かって事をな。勿論、おめーが先導きって()るんだぜ。大丈夫。報酬として、其れ相応の席はちゃんと用意してやるから。お前は何も考えずに、黙って俺に従っていれば良いんだ。」
 此の瞬間、俺は芥を見限った。
 浅はかな奴だとは思っていたが、まさか此処まで莫迦だったとは。此の時俺は自身の見る目の甘さを思い知った。元々、芥次郎という男は小賢しいが仁義を切って生きていた。其れが今までの赤龍会だったのだが、その実、芥は内面にふつふつと夢物語のような野望を抱いていたのだった。
 小者が野望を持つ事程、リスキーな事は無い。実力も無い奴が背伸びをして(かかと)を伸ばせば伸ばす程、足元はぐらぐらとふらつき今にも倒れてしまいそうになるのだ。其んな基本的な真理を芥は全く理解(わか)っていなかった。
 其れからも芥と組員の痴呆症めいた傍若無人振りは続いたが、俺はいよいよ芥の殺害依頼を断るようになっていった。こんな茶番に付き合うのが莫迦らしくなってきたからだ。だが、そうやって芥に歯向かう俺の姿は事務所内の連中の神経を大層逆撫(さかな)でした。調子に乗った奴らは、何をどうやったらそういう考えに至るのか、俺を威圧し始めたのである。
 「おい、竹田。」
 或る日、事務所のソファに座っていると、名前も覚えていない組員が俺に話しかけてきた。
 「…… …くぁ。」
 俺は前日、携帯ゲームのやり過ぎで睡眠不足だった為、少し欠伸をした。其処に突然大きな腕が伸びてきて俺の胸倉が掴まれ、上体を無理やり起こされる。
 「おい、てめぇ。最近、調子に乗ってんじゃねーか。アァ?」
 「…イテテ。…何、どうゆうことよ。」
 俺は抵抗するのも面倒なので、掴まれた胸倉に身体を預けてだらりとしている。
 「組の方針に逆らってんじゃねーってんだよ。てめぇ、舐めてっと殺すぞ?」
 俺の眠たそうな姿の、どのタイミングで火が点いたのか、いきり立った名も無き組員が俺にドスを効かせて言う。周りには既にその意見に賛同する、コレマタ名も無き組員達が自慢の拳をばきばきと鳴らしながら立っている。
 俺は正直、悲しかった。折角手に入れた平穏な極道暮らしが、今にも奪われつつあったからだ。それにまた、束になればイケると思っている奴らの脳みそのお花畑感を(おもんばか)って、大層悲しかった。
 「あー、えっと。そういうの、マジで勘弁して。今疲れてるんだよ。」
 俺は、胸倉を掴んでいる腕を右手で握ると、折れない程度に力を入れる。名も無き組員が呻き声をあげる。
 「ぐっ!… …う、うぐぅあッ」
 「ちょっと、空気悪いから、散歩してくるわ。」
 そう言って俺は、威嚇する名も無き組員共に見送られながら、事務所を出て散歩に行った。
 振り返ってみれば、この件依頼、俺に対する嫌がらせがエスカレートしていったのである。
 おそらく奴らも自分達の意見に従わない俺にフラストレーションを貯めていたのだろう。そして其れは俺とて同じであったし、そういう訳で取返しの付かない軋轢が生じるのも時間の問題だった。俺は近いウチに組を出て行こうと考えていた。
 そんな因果に塗れた或る日、俺は集金途中で100万円が入ったオサレなハイブランドのセカンドバックをひったくられたのである。俺はこの時、大層ぶち切れた。このひったくりは名も無き組員共が俺にヘマをさせようと仕組んだ事だったからだ。
 それから俺はすぐ事務所へ戻り、名も無き組員共を心の底から消し炭にしてから組を辞めた。その時の俺は結構、鬼神だった。その姿を見た芥はとってつけたような変なニヘラ笑いを顔面に浮かべながら、300万を金庫から取り出し俺に寄越した。屹度、この時芥は腸が煮えくり返っていたに違いない。なにせ、自身の野望を根底から覆された訳だから。
 顔に泥を塗られメンツと野望を潰されたヤクザ。俺には自業自得としか思えないが、奴らのような人種には十分過ぎる復讐動機だったハズだ。其れが今回の絶姉妹をけしかけてきた件に繋がるのだろうか。まぁ、其の辺の動機はもう一度しっかりと、芥の口から聞く必要があるだろう。
 「竹田ぁ、ソイツもう死んでるよ?」
 俺の頭の上から、お化けのように逆さの金髪ボブ頭が声を掛けてきた。絶ヨウコの方は俺の横から、死んだ羽田とか云う奴の両瞼(りょうまぶた)を無理やりこじ開け、まじまじと観察している。俺は不図我に返って、赤龍短刀を抜き死体を側溝に投げ捨てる。
 「あぁ。ちょっとぼーっとしてた。」
 「()りながらぼーっとするって、一体、どんなぼーっとなのよ…。」
 いやはや、確かに。こんな所で違う事を考えるなんて、全くどうかしている。例え短期間でも古巣だった場所に戻って感傷的になったのだろうか。今俺は、間違い無くカチコミに来ているのである。
 事務所は繁華街の裏通りにあった。表通りと違って、此方はあまりガラが宜しく無い所だ。俄然原尾四(がぜはら・びよん)の居る殺人教育機関の事務所からもそう遠くない場所だった。其の雑居ビルの並びに三階建ての事務所を構えている。日曜日、時刻は22時過ぎ。今殺した奴はビル周辺を見回りしていたのをたまたま見つけたのだった。
 「なんか、覇気も無いし弱っちい相手ね。」
 側溝に落ちた死体を見て絶マキコが吐き捨てるように言った。
 「まぁ、赤龍会自体が元々大した事無い組だからな。だが、デン曰く、結構ややこしい奴らを雇ってるって話を聞いたし、気をつけないと不可ないぞ。」
 「…てか、今日能力使えないアンタの方が気をつけた方が良いんじゃない?」
 「ぐ。ぐぬぬ… …」
 絶マキコの正論を全身で受け止め涙に濡れながら、赤龍会の事務所の前に到着した。
 「… …準備、いいな?」
 「…いいわ。」
 絶姉妹が小さく首を縦に振り、武器に手を掛けた。俺は其れを横目で確認してから、護身用のトカレフをドアノブに押し当てる。
 「よし、んじゃ行きますね。」
 俺は滑らかに引き金を弾いた。金属の耳障りな音と共に、ドアノブがごとりと地面に落ちた。其れからドアを肩で少し押してみると、扉はゆっくりと内側へ開いていった。俺が其処から入っていく前に、二体の式神がするりと先行して室内に飛び込んでいった。

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