第9話 盟約について

文字数 5,756文字

 リビングテーブルの上の二体の木像が少し飛び上がったかと思うと、近くに寄ったり離れたりしながら、忙しなく動き回る。
 「ハニワ?!えー、ウソ」
 「ほんとだよー!ヨウコ、ハニワそっくり。ポーって口開きっぱなしだよ!」
 「えー、ヤだぁ、ウフフ。でも、そういうマキコだって、ゲルニカの絵そっくり」
 「えっと、ゲルニカの絵ってどんな?あたし、馬鹿だから分かんないや」
 「えっとね、偉い絵描きの人の、有名な絵なの。だけど、すっごいヘタな絵。それに似てるの。マキコの顔だって、すっごく面白いよ!」
 … ……これは公認ということで良いのだろうか。あるいは、俺の認識は奇しくも大多数の共通認識と同じだったのだろうか。いずれにせよ、本人達がゲルニカとハニワという印象を言い当てたことによって、奴らの呼称は決定された。そして、そういう事を考えながらも、俺は依然としてゲルニカとハニワの動向を伺いたいのであるが、何が何やら、此処に来て奴らは全てを捨て置いて姉妹で互いの見た目について大きな盛り上がりを見せている。それはまだ10代の少女の事か、箸が転んでも可笑しいと言われる年頃にとっては、自身の見た目が木像に変化するなんて突拍子も無い出来事は大層劇薬だったのかもしれない。
 隣に立ち同じように奴らを眺めていたデンが、おもむろにリビングの端に行き、そこに立てかけてあった等身大の鏡を取り、リビングテーブルの隣にまで持ってきた。そして次に携帯で何かを検索したかと思うと、画面にはピカソのゲルニカの絵が映されていた。其れも姉妹の目の前に置く。そして俺の方を向いて、奴らを指さし得意げな笑顔を浮かべた。
 それら恰好の肴が提供された姉妹は、それこそもう箸が爆発したかのような騒ぎっぷりだった。まずハニワヨウコがマキコに向かってゲルニカの絵をマキコに説明していた。マキコはへたくそな絵に心外な心持を表明しつつも、その面白さとヨウコの講釈を興味深げに聞いていた。次に、改めてお互いに横並びになり、鏡に映った自分たちの姿を眺めながら、飛び跳ねたり互いにぶつかったりしながら、飽きもせずしばらくの間、熱心に遊んでいた。
 「きょれだけご機嫌ちょれば、懐柔できりゅでしょ。」
 そう言ってデンはぶふぅと大きな鼻息を出した。俺はデンの協力的な態度を見て、やはり持つべきものは仲間だな。本当に辛い時に助けてくれる仲間。それこそが大いなる財産だ。お金なんてなくても良い。地位や名誉等必要無い。ただ、暖かい心が通えば其れで良いのだ。俺にもやっと其の事が理解(わか)った。すまない、デン。俺はお前の事を見誤っていた。お前の物も言わず態度で示すその誠実な行動が、凍り付いていた俺の魂に確実に響いたんだ。この上なくグラシアス(ありがとう)。そして溢れんばかりの有難う(サンキュー)。謝礼をお前が言った従来通りの100万だそうじゃないか。そうしようじゃないか、と心の中で誓いかけた時、デンの視線があらぬ方向を見ていたので、俺はなんとは無しにその視線を追いかけてみると、其処には絶姉妹の亡骸が二体転がっていたのだった。10代少女の新鮮な死体にまとわりつく、粘り気を伴った異常な視線。其れを認識した俺の身体は、反射的に高速回転し、デンの後頭部に向かって渾身のバックナックルをお見舞いした。打撃の物凄い音と共にデンの頭と身体が、宙で一回転した後、床にしこたま叩きつけられた。
 「グハッ!…… ……、にゃ、何をしゅるんで……すか、竹田しゃん…」
 「や、蚊が居たから、殺しといたわ。」
 「ちょ、ちょんな… …」
 忘れるところだった。この山田(マウンテン・デン)という男は日本でも割と(タチ)の悪い死霊使い(ネクロマンサー)だ。そんな奴らにとって生者と死者の区別等なかったのである。デンの目当てが、姉妹の死体だと分かったところで、俺は瞬間的に殺意が湧いたのであった。そして同時に、俺の心の中に一瞬思い出された友愛の為にも。
 そういう茶番を此方が行っていた時、そろそろと姉妹の遊びも落ち着きを取り戻し始めていた。
 「絶姉妹。どうだ、新しい身体。慣れたか?」
 俺は姉妹の上機嫌に乗じて、軽いノリで聞いてみる。
 「うっせ!雷電。てめーに用はねぇんだよ!」
 「えぇ……。」
 先ほどの10代らしいきゃぴきゃぴ具合は何処に消えてしまったのだろうか。
 「た、頼むよぉ… …。お前らに依頼者の名前教えてもらわないと、俺は夜も寝ることが出来ないんだよ…。」
 「知るか!」
 ゲルニカマキコが俺の言葉を一蹴する。それからすぐにハニワヨウコが声を上げた。
 「……で、魂を戻してもらったのは、有難いと思っているわ。すごく面白かった、有難う。そろそろ、私たち、元の身体に戻りたいんだけれど」
 そう言いながらハニワがゆっくりとデンと俺の方を向いた。続いてゲルニカもすこしづつ此方に向いてくる。
 「あぁ。結構楽しんだよ。そろそろ、家に帰りたいかな。」
 そう発言した姉妹を見下ろしながら、デンが無表情に答える。
 「うん?… …あんたちゃち、もう死者だかりゃ、自分にょ身体には戻りぇないですょ?て、ゆうか、あんちゃたちの魂を戻しちゃのは、竹田しゃんの依頼があっちゃからでして、一時的なもにょでち。時間が経てば、あんたたちの魂は自動的に、死界に行ってしまうんでちゅ」
 「あ、そうなの?」
 そういうものなのか。知らなかった。木像で生きていける訳では無いのね。まぁ、俺にとってはどっちでも良いけど。
 「え!?どういうこと!?」
 「なんですって?」
 あぁっと、なんだか雲行きが悪くなってきたぞ。明らかに絶姉妹の様子が不穏だ。明らかに機嫌が悪くなっていくのが分かる。
 「… ……竹田ぁ。貴様、魂を戻してやったなんて、恩着せがましい事を言って置きながら、用が済んだらまたもや我らを騙し討ちするつもりだったのか!!」
 ゲルニカマキコの不機嫌は一気にマックスだ。いや、これは困った。
 「ま、待て待て。俺もまさか、そういうシステムだとは知らなかったんだ。俺は本当にお前たちの償いの意味でデンに依頼したんだ。其処は本当だ。信じてくれ。」
 「うるさい!!もはや、お前の言葉等聞かぬ!」
 ゲルニカ似の木像が身体を縦に揺らしながら遺憾の意をこれでもかと表明している。その横でハニワにの木像もぷるぷると不機嫌で身体を震わせていた。
 「あー、えーっと……。うーん。……あの、デン様」
 「なんでち?」
 デンは交霊の消費カロリーを充填すべく、今度は冷凍庫からアイスキャンデーを取り出し袋から出している最中だった。
 「この姉妹の魂、何とかならんかな」
 「何とか、ちょは?」
 「つまり、魂をこの世に残す方法ってのは、無いのかね?」
 「無理でちゅね。現世に魂を引っ掛けていられるにょは、自分にょ身体がありゅからでちよ。一度身体から離れちゃうと、もう魂の宿り所は無いのょでち。他人の身体ではダメなんでち。」
 「まじかー。」
 こいつは困ったぞ。
 「えー!!じゃぁ、私たち、もうすぐ消えちゃうの?まだ17歳なのに?青春も無しに?男子との淡い恋も無しに?大人になってオシャレもできずに?!」
 「まぁ、ちょういうことですな」
 「… ……… ヤダーーーー!!私、もっと生きてタピオカミルクティ飲みたい!!いやだーー!!」
 今まで黙っていたハニワヨウコが大声を出して叫び出した。それに続いてゲルニカマキコも大声を上げる。子供が二人ぐずり出すと手がつけられない。俺はあまりにも神経に障るその声に、たまらず耳を塞ぐ。
 「…… …おい、デン。まじでなんか良い案無いかな?お前、仮にも有数の死霊使い(ネクロマンサー)だろ?なんか無いのか?」
 金切声が大音量で響く中、隣のデンに聞く。デンも流石に堪らずアイスキャンデーを口に咥えながら耳を塞いでいる。
 「………そうでちねぇ。………」
 「……… ………」
 「……… ………200万」
 「…… ……は?!」
 「200マンでち」
 「… ……どゆこと?!」
 俺はデンが何を言っているのか分からず、デンの顔に自身の顔を近づけて聞き返す。
 「…… …案がにぇ、無い訳でも無いでちよ。」
 「あるの?!」
 「はぁ。」
 「お、お前、あるんなら勿体ぶらずに言ってくれよ!」
 「でゃから、その前に謝礼の話をちてるんでちよ。」
 デンはそう言うと、俺の顔に向かって脂っぽい顔を此方に向けて睨みつけてきた。
 「……くっ。」
 俺は俺の生活の安寧の為に、不安の種を取り除かねばならない。そして、現状の不安の種は絶姉妹の依頼主だ。こいつを殺さなければ俺に平穏は訪れない。そして、その依頼主の名を聞く為には、絶姉妹の魂を現世に戻す必要がある。そして、その現世に戻す方法を知っているのが、このデンという訳だ。俺は一旦思考を整理してみる。つまり、俺の生活の安寧の為にはデンに200万払う必要があるのだ。ここまで考えてみて、なんだかデンにしてやられたようで少し口惜しい気がするが、背に腹は変えられない。
 「… ………分かった。200万支払うよ。」
 そういうと、デンの顔色がぱぁっと明るくなった。
 「まいでょあり!!」
 「分かったから、早くその方法って奴を教えてくれ。」
 「その前に、こりは姉妹にみょ了解を得りゅ必要がありゅましゅので…。一緒に聞いてくだしゃい」
 デンの一言で、木像の絶姉妹も一旦黙ってリビングテーブルの端まで来て、デンの方を見る。
 「えっちょですね、つまり。本来は自身の身体かりゃ一旦でてぇしまつと、普通は、もう現世に魂を繋ぎ止めりゅ方法は無いんでちが…」
 「… …おう」
 「生者と盟約を結ぶことによっちぇ、式神として、現世に魂を繋ぎとめりゅこちょができまつ」
 「ふんふん。… ……へ?」
 うん?
 「ちゅまり、姉妹の魂を式神として繋ぎ止める役目ちょして、竹田しゃんが彼女らと盟約を結んでくだちい」
 「… …………は、は?……な、なんで俺が?!」
 こいつは困った。頭が混乱してきた。つまり俺は心の安寧を取り戻すために、絶姉妹の魂を現世に繋ぎとめるために、姉妹と魂の盟約を結ぶ?
 そして、これについてはゲルニカマキコが大きな声を上げた。
 「は!なんで私たちが、こんな卑劣な男と盟約なんて結ばなくちゃ不可ないの?!そんなのまっぴらごめんよ!やだ、やだやだ!!」
 そう言いながら、ゲルニカの身体がぴょんぴょんと飛び跳ねる。ハニワヨウコの方は、また一旦の沈黙を保っている。
 「盟約というもにょは、互いの了解が必要となりましゅので、双方納得にょ上でないと、式神にはなれましぇん。つまり、魂を現世に残す事ができましぇん。」
 やはりというか、一筋縄ではいかない式神盟約について、デンもそうなるよな、と言った感じで溜息をつきながら説明をする。これは一体どうするべきか。俺はとりあえず、盟約についてもう少し聞いてみる。
 「なぁ、デン。仮にその盟約、というものが成立すると、具体的には俺とこいつらは、どういう状況になるんだ?」
 俺はおそらく姉妹も聞きたいであろう疑問点をデンに質問してみる。
 「そうでちね。ちゅまり…」
 デンがおもむろに両手を広げ念仏を唱えると、黒い点が幾つもデンの身体に現れ、それはやがて人型の形を成していった。人型は計4体だった。
 「このようにゃ感じにょ存在ににゃることでつ。まぁ、一旦生者と盟約さえ交わしてしまえびゃ、何に魂を補完するのも自由でちので、任意の物体に保管して頂いて良いです。例えば、その木像に保管しゅるのもOKです。」
 「…… …はぁ。」
 まじかよ。この竹田雷電様が、死霊使い(ネクロマンサー)の真似事をする羽目になるのか…。だが、そうしないと俺の心の安寧がどうのこうの……どうしたこうした……。あまりにも突拍子も無い提案の連続で、俺の頭は若干ショート寸前であった。その時、唐突にハニワヨウコが話始めた。
 「… …すみません。本当に、盟約を結べば、私たちはまだ生きられるのですか?」
 「ヨウコ!!」
 ゲルニカマキコが落書きのような無表情で驚きの声を上げる。
 「……正確には生きていりゅわけではありましぇんが、まぁ、そういうことでつ」
 「………分かりました。じゃあ、その盟約、…… ……受けます。」
 ハニワヨウコは、そう言うと神妙にハニワの身体をお辞儀をするように前に倒した。
 「ヨウコ!!あんた、一体どういうつもり……」
 「マキコ。盟約さえ結べば、私たちまだ生きられるのよ。確かに私も、竹田雷電と盟約を結ぶことには若干の抵抗はあるけれど……。だけど、生き続けていれば楽しいことだって、屹度あるはずだわ。」
 ハニワが一生懸命、隣を向いてゲルニカの木像に向かって説得を続けている。シュウルな光景だ。何やら俺の伺い知れないところで、事態が自動的に進行しているようだった。
 ハニワヨウコの話を5分ほど聞いていたゲルニカマキコは、それから深々と一度頷いた。それを見たハニワがまた此方に向き直った。
 「… …一つ提案があるわ。」
 ヨウコが神妙な声色で言う。
 「なんだ?」
 「私たちはまだ生きたい。だから、あなたと盟約を結ぶことにするわ。そして見返りにあなたの言う通り、私たちの依頼主の名前を教えてあげる。そして、提案として、その依頼主から私たちの両親殺しが発覚すれば、そこに私たちも協力させること。復讐、それが私たちの目的の一つなの」
 復讐か。そうだった。この姉妹は両親の復讐の為に生きているのだ。そう考えると、俺が心の平穏の為に依頼者を探すことと、姉妹が両親の復讐の為に依頼者探しに協力することと、つまり目的は奇しくも一致しているのだった。なし崩しにこのような事態となってしまったが、そう考えるとまぁ悪く無い提案かもしれないと思い始めた。
 「……そうだな。分かった。では、当面の間、依頼者を目標として協力関係で行こう。」
 「当面の間とか、式神盟約は一生の事でつけどね。」
 「……ぐっ。うるさい。分かってるよ、そんなことは。」
 とりあえず、最善はこの選択肢しかないようだ。俺はそう考えて腹を括ることに決めた。その表情を見ていた姉妹も、何故か俺と同じように何か覚悟を決めたような面持ちに見えた。
 「……俄然原尾四(がぜはら・びよん)。依頼者の名前よ。」
 ハニワヨウコがぽつりと依頼者の名前を口にした。


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